200 Halla Ho

4.0

 インド憲法はカースト差別を禁じているが、社会の最下層に位置する不可触民に対する差別は根強く残っており、物語の中に不可触民の登場人物が出て来る映画も数多く作られている。その大半は、不可触民差別を赤裸々に映し出し、その問題の解決を訴えるものだ。

 2021年8月20日からZee5で配信開始されたヒンディー語映画「200 Halla Ho」は、2004年にナーグプルで起きた、200人の不可触民女性が地元のチンピラをなぶり殺した実話に基づく、不可触民映画である。監督は「Music Teacher」(2019年)のサールタク・ダースグプター。キャストは、アモール・パーレーカル、リンクー・ラージグル、インドラニール・セーングプター、バルン・ソーブティー、イシュティヤーク・カーン、サーヒル・カッタル、ウペーンドラ・リマエー、スシャマー・デーシュパーンデー、フローラ・サイニー、プラドゥマン・スィンなど。

 題名の「200 Halla Ho」とは、「200人よ、声を上げろ」という意味である。

 舞台はマハーラーシュトラ州ナーグプル。裁判所で、公判のために出頭していたチンピラのバッリー・チャウダリー(サーヒル・カッタル)が、突如乱入した200人の女性たちによって惨殺される事件が起こった。サミール・デーシュパーンデー警視監(インドラニール・セーングプター)が事件を担当することになる。女性たちは不可触民の集落であるラーヒーナガルの住民だったが、顔をベールで隠していたため、誰が犯人か分からなかった。そこで、ラーヒープルを管轄する署のスレーシュ・パーティール警部補(ウペーンドラ・リマエー)は、手当たり次第に5人の女性たちを逮捕し、拷問する。

 女性権利委員会のプールニマー(フローラ・サイニー)は事実調査委員会を立ち上げ、引退した不可触民の裁判官ヴィッタル・ダーングレー(アモール・パーレーカル)を長に任命する。ダーングレーは、不可触民でありながら、公平な立場から事件の事実を見つけようとする。だが、警察は公判を急ぎ、事実調査委員会の報告書が提出される前に、5人の女性たちには終身刑が言い渡される。事実調査委員会も解散となる。

 ダーングレーは、事実調査委員会の長の任を解かれた後も事件の調査を続ける。そして、次々に重要な証言を得る。バッリーは、仲間と共にラーヒーナガルの若い女性たちを次々にレイプしていた悪党だったが、住民は不可触民であったため、警察に被害届を出すこともできず、泣き寝入りをしていた。その状態が10年続いたが、ある日、ずっと外に出ていたアーシャー・スルヴェー(リンクー・ラージグル)が戻って来て、集落の惨状を目の当たりにし、バッリーとその仲間に反撃して、警察に被害届を出す。それによってバッリーは逮捕されるが、それも安全のためだった。バッリーを有罪にできないと悟った女性たちは、彼が裁判所に出頭したタイミングを見計らって襲撃し、彼を惨殺したのだった。

 アーシャーは、友人の弁護士ウメーシュ・ジョーシー(バルン・ソーブティー)と共に控訴しようと準備していたが、政治的な力が働き、自殺を偽装されて殺されてしまう。代わりに5人の女性たちの弁護に立ち上がったのがダーングレーであった。彼は不可触民の女性たちの身に起こって来たことや、警察の捜査の杜撰さなどを指摘し、最後に200人の女性たちに一斉に罪を自白させる。5人の女性たちは証拠不十分のため無罪となった。

 200人の不可触民女性たちが1人の悪党を裁判所の中で惨殺し、5人の女性たちが容疑者として逮捕された。神聖なる場である裁判所において集団が、まだ有罪も確定していない容疑者を惨殺することはあってはならないことだ。だが、それを行ったのが不可触民の女性だったからと言って、また、彼女たちがいかにその容疑者から酷い扱いを受けていたからと言って、彼女たちを無罪とすることができるのだろうか。司法は、宗教、カースト、性別に囚われず、憲法と法律に基づいて、中立の立場から判断ができるのか。非常にエキサイティングな法廷ドラマであった。

 主人公のヴィッタル・ダーングレーは、不可触民出身の著名な裁判官であった。だが、彼は決して自分の出自を判断の動機とせず、法の下の平等をモットーに、公平な判決を下して来た偉大な人物だった。今回の件についても、不可触民だから、女性だからという理由で、彼女たちに肩入れすることはせず、事実と証拠に基づいて、与えられた仕事を完遂しようとしていた。個人的には彼の態度は非常に立派なものであり、新しい不可触民像の体現だと思われた。

 その対立軸として、不可触民の活動家アーシャーがいた。彼女は、不可触民は社会のあらゆる場面で不可触民であるが故に差別を受けて来たことを前提に、不可触民は不可触民のために戦うべきだという思想を持つに至っていた。よって、不可触民の元裁判官であるダーングレーに対しても、不可触民として不可触民の手助けをして欲しいと懇願する。だが、あくまで法律のみを遵守するダーングレーは、彼女のその願いを拒絶する。

 しかしながら、それは中盤までの話で、終盤に入ると、ダーングレーは今回の事件を個人的な思い入れとともに取り扱うようになる。ラーヒーナガルで過去10年間起こって来たことをひとつひとつ調べる内に、不可触民の住民がいかに差別を受け、抑圧され、しかもその立場を甘んじて受け入れて来たのかを知る。最後に彼が述べたのは、「もし司法システムが不可触民を守れないのならば、司法システムは不可触民を罰する権利を持たない」というものだった。司法の立場から言えば、非常にラディカルな主張と言える。

 映画はよく構成されており、地味ながら適度な緊張感を保ちながら、最後まで進む。監督の腕の確かさを感じた。だが、映画が至ったこの結論は、個人的には容易に受け容れがたいものであり、世間においても物議を醸すものであろう。この理論に基づけば、抑圧されて来た人々は、我慢の限界が来たときには何をしてもいいということになってしまう。これは、暴力革命を標榜するマオイストの主張に近いものではなかろうか。

 ダーングレーを演じたアモール・パーレーカルはベテラン俳優であり、12年振りにスクリーンに復帰した。落ち着いた口調ながら鋭い眼光を持つ元裁判官を余裕ある演技で演じ切っていた。キャストの多くはマラーティー語映画界で活躍する俳優たちだ。また、マハーラーシュトラ州ナーグプルが舞台であり、ヒンディー語の台詞の中に、少々のマラーティー語が混じっていた。

 「200 Halla Ho」は、実話に基づく不可触民テーマの法廷ドラマである。OTT(配信スルー)作品な上にスターパワーがないが、久々にスクリーンに復帰したアモール・パーレーカルの演技や、サールタク・ダースグプター監督の見事なストーリーテーリングなど、見所は多い。しかも、映画が発信するメッセージは物議を醸すものであり、賛否を呼ぶだろう。それを含めて、一見に値する映画である。