Haseen Dillruba

3.0

 一昔前までは、ヒンディー語映画と言えばムンバイーを舞台にした映画が大半を占めていた。だが、北インドから多くの監督がムンバイーに流入した影響もあってか、21世紀には、北インドの都市が舞台のヒンディー語映画が徐々に増えて来た。架空の都市が舞台になることもあるが、よりインド人が好むのは、実在の都市が舞台の映画である気がする。北インドの都市の中ではデリーを舞台とした映画がもっとも多いが、作品にユニークさを付加するのは何と言っても地方都市を舞台とした映画だ。ラクナウー、メーラト、カーンプル、ヴァーラーナスィー、ピトールガル、ラーンチー、ワーセープル、ボーパール、ウダイプル、ジャイサルメール、シュリーナガルなどなど、それぞれの都市の色合いが映画に反映されることが多い。

 2021年7月2日からNetflixで配信されているヒンディー語映画「Haseen Dillruba」は、ウッタラーカンド州ハリドワール近くの実在の町ジュワーラープルを舞台にしたクライム・サスペンス映画である。「Raanjhanaa」(2013年)のアーナンド・L・ラーイ監督などがプロデュースしており、監督は「Hasee Toh Phasee」(2014年)のヴィニル・マシュー。主演はタープスィー・パンヌー。他に、「Ginny Weds Sunny」(2020年)のヴィクラーント・マシー、テルグ語映画界で活躍するハルシュヴァルダン・ラーネー、アーディティヤ・シュリーヴァースタヴァ、ダヤーシャンカル・パーンデーイなどが出演している。題名は「心を奪う美人」というような意味である。

 下のあらすじは途中までしか書いていないが、解説は結末に触れるので注意していただきたい。

 デリー在住のラーニー(タープスィー・パンヌー)は、ジュワーラープル在住で電力会社の技師をするリシュ(ヴィニール・マシュー)に嫁ぐ。だが、結婚から6ヶ月後、ラーニーの留守中に家で爆発があり、リシュの焼死体が発見される。現場からは「ラーニー」と入れ墨のある彼の右手が見つかった。だが、キショール・ラーワト警部補(アーディティヤ・シュリーヴァースタヴァ)は事故ではなく妻による殺人事件だと勘ぐり、捜査を始める。

 ラーニーとリシュの関係は必ずしも良好ではなかった。都会育ちのラーニーは田舎町に嫁ぐことになって不満だったし、リシュはラーニーの横柄な態度に辟易していた。姑もラーニーを好ましく思っていなかった。そんな中、リシュの従弟ニール(ハルシュヴァルダン・ラーネー)が彼らの家に一時的に居候し始める。優男のリシュと違って、ニールは野性的な男性で、ラーニーの好みだった。ラーニーはニールと肉体関係になってしまう。一時はニールとの駆け落ちも考えたが、ある日ニールは勝手に去って行ってしまう。ラーニーは裏切られたと感じ、リシュに真実を打ち明ける。それを聞いて怒ったリシュは、ラーニーに罰を与えるようになる。ラーニーはその罰を受け容れ、何とか許してもらおうとする。だが、ニールとの一件をきっかけに夫婦関係は意外にも改善し、2人は新たに関係を構築し始めていた。そんな折に爆発が起こったのだった。

 果たして、この爆発は事故だったのか、それともラーニーが夫を殺したのか。ラーワト警部補はこの事件の真相を暴くために躍起になる。

 昨今のヒンディー語映画では、強い女性と弱い男性の凸凹カップルがよく描かれる。「Haseen Dillruba」のラーニーとリシュも正にそのパターンであり、都会育ちで家事はできず、口だけは達者な女性と、気弱で優しく、家事をすることも厭わない男性のカップルである。リシュは完全にラーニーの尻に敷かれた状態だった。

 だが、ギクシャクした夫婦仲は副次的なテーマで、本題は爆死したリシュを巡る、事故か事件かの攻防である。まずは映画の冒頭で爆発のシーンが提示され、警察にラーニーが過去を語ることで回想シーンとなり、徐々に事の顛末が明らかになって行く。観客の心理を巧みに誘導しながら、一方で殺人説に信憑性を持たせつつ、最後にはどんでん返しを用意している。また、ラーニーが愛読する推理小説も重要な伏線となっている。ただし、それらの小説の作者ディネーシュ・パンディトや、劇中に登場する「カソーリーの災厄」という小説は架空である。

 このサスペンスの部分は、大して凝ったものとは言えなかった。この種の映画やストーリーに親しんでいる人にとっては、十分に予想できた結末だった。だから、本題の部分で高い評価をすることはできない。

 それでもこの映画が救われていたのは、ラーニーとリシュのアップダウンする関係が面白かったからである。特に、ラーニーがリシュに、ニールとの不倫を打ち明けて以降の二人の関係は、意外な展開を辿った。リシュはラーニーを家から追い出そうとする。ラーニーも、本当はこんな田舎町から早く出たがっていたのだが、逆に覚悟を決め、夫から許してもらえるまで彼と一緒にいることにする。リシュが家に細工を施してラーニーに怪我を負わせたりするところは、観ていて酷いと感じたが、ラーニーはそれを夫から与えられた罰だと受け止め、誰にも何も言わず、ジッと耐え忍ぶ。このとき、ラーニーのリシュに対する愛情は揺るぎないものとなっており、彼女はその愛を証明するために罰を受け続けた。

 こういう恋愛の在り方は、「Raanjhanaa」でも描かれたもので、普通に考えたら、日本人にはあまり受け容れられないものかもしれない。だが、インドでは「Devdas」(2002年)をはじめとして多くの狂恋物語が普及しており、恋いに狂った主人公が破滅の道に進んでいくというストーリーは、好まれる傾向にある。かつて、サルマーン・カーンが元恋人アイシュワリヤー・ラーイのストーカーと化したとき、インド人の反応が意外にサルマーンに同情的だったのに驚いたことがある。狂っていなければ恋ではない。そんな台詞が、ディネーシュ・パンディトの言葉を借りて、映画中でも出て来た。

 結末も、狂った恋愛の強烈な一例だと言える。リシュは、ニールを殺してしまったラーニーを助けるため、自らの死を演じ、左手を切り落とすことまでする。これもインド式恋愛の正しい姿である。

 ヴィディヤー・バーランやカンガナー・ラーナーウトなど、ヒンディー語映画界では、単独主演作を成功に持って行ける強力な女優が登場して来たが、若手の中ではタープスィー・パンヌーもそのリーグに入るだけの実力を蓄えつつあるのを感じる。「Haseen Dillruba」では、共演のヴィクラーント・マシーやハルシュヴァルダン・ラーネーも好演していたが、やはり彼女の肩に成否が掛かった映画であり、それを成し遂げることができていた。

 「Haseen Dillruba」は、爆死した夫、生き残った妻、妻による夫の殺害を疑う警部補、そして妻の愛人の存在発覚など、ありがちな役者を一式揃えたクライム・サスペンス映画である。サスペンスの部分で斬新な挑戦があった訳ではないが、狂気の恋愛物語として捉えると、インド人好みの作品に様変わりする潜在性を持っている。通好みの映画である。