Sardar Ka Grandson

4.0
Sardar Ka Grandson
「Sardar Ka Grandson」

 1947年の印パ分離独立はインド人の集合的記憶の中で最大のトラウマである。だが、皮肉なことに、トラウマは良質のドラマを生む。印パ分離独立は、ヒンディー語映画によって好んで取り上げられる主題でもある。2021年5月18日からNetflixで配信されているヒンディー語映画「Sardar Ka Grandson」も、印パ分離独立を主題にした映画の一種だ。だが、舞台は現代。1947年にラホール(現パーキスターン領)から家を捨ててアムリトサル(現インド領)に逃れて来た祖母のために、孫がラホールから家をインドに持って来る、という突拍子もないプロットである。だが、心温まる感動作に仕上がっていた。

 監督はカーシュヴィー・ナーイルという女性で、無名のため情報がない。主演はアルジュン・カプール、ラクル・プリート・スィン、ニーナー・グプター。他にアディティ・ラーオ・ハイダリーとジョン・アブラハムが重要な端役で出演する。

 アムリトサルで大手自転車企業を経営する90歳の偉丈夫サルダール(ニーナー・グプター)は、息子や孫と共に暮らしていた。サルダールの孫のアムリーク(アルジュン・カプール)は米国在住で、許嫁のラーダー(ラクル・プリート・スィン)と共に引越し会社ジェントリー&ジェントリーを立ち上げていたが、最近破局してしまった。アムリークは、サルダールが危篤だとの報を聞き、インドに戻る。

 サルダールは死ぬ前に一度ラホールへ行って、かつて夫と共に築き上げた家を見たいと言っていた。アムリークは、祖母をラホールへ連れて行くと約束するが、パーキスターンの査証を申請してみたところ、彼の査証は下りたものの、サルダールの査証は却下された。かつてクリケットの印パ戦でサルダールはパーキスターン人と喧嘩をしてニュースになっており、パーキスターン政府のブラックリストに載ってしまっていたのである。サルダールをラホールへ連れて行くことは絶望的になった。

 一方、米国に残ったラーダーは、ジェントリー&ジェントリーをさらに発展させており、曳家の事業を始めていた。それを知ったアムリークは、ラホールからサルダールの家をインドまで持って来ることを思い付き、単身パーキスターンへ乗り込む。

 序盤は大した出来事も起こらずスローペースで進み、大家族の中のゴタゴタした人間関係を描いた作品かと思って退屈に感じていた。だが、ラホールから家屋をインドに持って来るという突拍子もない計画が浮上した中盤辺りから一気に面白くなり、緊迫感ある終盤を経て感動的な結末に至る。ナーイル監督にとってデビュー作だったこともあり、映像やストーリーテーリングの面で未熟な部分も散見されたのだが、アイデアの勝利だと感じた。普通は、パーキスターンから逃げて来た人が死ぬ前に故郷を訪ねる旅を映画化するものだが、まさか家をインドまで持って来るとは!突拍子はないが、家屋を持ち上げて移動させる曳家は確かに日本でも海外でも存在するため、全く非現実的な話でもない。奇抜さと実現可能性がいい案配に拮抗を保っており、そのバランスの上に乗っかった「Sardar Ka Grandson」は、そのアイデアだけで名作のオーラをまとうことになった。

 映画の半分は舞台がパーキスターンになるインド映画という点でも興味深く鑑賞できた。インド人の主人公がパーキスターンに入国するというヒンディー語映画はいくつか作られている。「Gadar: Ek Prem Katha」(2001年)、「Veer-Zaara」(2004年)、「D-Day」(2013年)、「Filmistaan」(2014年)、「Bajrangi Bhaijaan」(2015年)、「Happy Bhag Jayegi」(2016年)、「Uri: The Surgical Strike」(2019年)などである。パーキスターンの描写の仕方は様々ではあるが、戦争映画やスパイ映画を除けば、概して好意的に描かれることが意外に多いことに気付く。「Sardar Ka Grandson」でも、悪役に分類されるようなパーキスターン人のキャラはいたが、ほとんどのパーキスターン人は、ラホールからアムリトサルまで家を持って行くためにやって来たインド人の青年を惜しげもなく応援する。現在、印パ関係は非常に冷え込んでいるが、そういう時代にこのような印パ親善映画が作られることは大きな意味があると感じる。

 日本でも戦争体験者が高齢化もしくは減少し、戦争の語り手がいなくなって行っていることが問題になるが、インドでも、分離独立時に移民して来た人々がそろそろ寿命を迎えつつあることにも改めて気付かされる。「Sardar Ka Grandson」の真の主人公とも言えるサルダールは90歳の設定。まだまだ口は達者だが、身体はだいぶ弱っており、車椅子生活を余儀なくされている。また、癌も患っており、余命幾ばくもなかった。ただ、印パの国境は北朝鮮と韓国ほど固く閉ざされている訳ではなく、「Sardar Ka Grandson」でも描写されていた通り、査証を取得しさえすれば往き来は可能である。よって、サルダールがもっと元気なときに家族の誰かがラホールまで連れて行ってあげれば、このような問題は起こらなかったのではないかと、元も子もないことも思ってしまう。

 それはともかくとして、サルダールのキャラは強烈だ。最近、強烈なおばあちゃんキャラがヒンディー語映画に増えて来ているように感じる。また、親子関係よりも祖父母と孫の関係に焦点を当てた映画も目立つようになっている。そのような映画として、「Photograph」(2019年)や「Tribhanga」(2021年)などが挙げられる。「Sardar Ka Grandson」でサルダールを演じたニーナー・グプターは、実はまだ60代であり、90代のお婆さんを演じるには若すぎるのだが、「Badhaai Ho」(2018年)で認められた高い演技力を本作でも発揮し、貫禄の演技をしている。

 ニーナー・グプター演じる強烈なサルダールの影に隠れがちだが、一応の主人公であるアムリークを演じたアルジュン・カプールは、好演していたものの、だいぶ太ってしまっていて、そちらの方が気になった。ヒロインのラクル・プリート・スィンは、終盤で大きな見せ場があるが、やはりニーナー・グプターに持って行かれた感がある。若きサルダールを演じたのがアディティ・ラーオ・ハイダリー。浮世離れした雰囲気を持つ女優であり、回想シーンなどが似合う。サルダールの夫グルシェールを演じたのはジョン・アブラハム。彼がスィク教徒の格好をし、パンジャービー語を話すのは違和感があった。

 アムリトサルもラホールもパンジャーブ地方の都市であり、言語はパンジャービー語だ。「Sardar Ka Grandson」はヒンディー語映画とは言いつつも、実のところその台詞の多くはパンジャービー語だ。ラホールのシーンが実際にラホールで撮影されていたとは思えないが、ラホールのシンボルであるミーナーレ・パーキスターンなどは映し出されていた。別で撮られた資料映像か何かであろう。ちなみに、アムリトサルからラホールまでは50kmほどである。インドの距離感覚からしたら隣町だ。この2都市の間にアターリー・ワーガー・ボーダーがあり、通常はここからのみ国境を越えることができる。パーキスターン側には「バーベ・アーザーディー」と呼ばれる門があるのだが、この門の下を3階建ての家がくぐることができたのは不思議だった。門にそこまで高さはないと思うのだが・・・。

 「Sardar Ka Grandson」は、パーキスターンからインドまで家を持って帰るという突拍子もないアイデアを実行に移そうとする主人公の奮闘と、祖母との関係性が肝となった、ほどよい笑いが混ざった感動作である。Netflixで日本語字幕付きで配信されており、日本人も鑑賞しやすい。新人監督のため、仕上がりに未熟なところもあるのだが、アイデアが勝っている作品だ。