新たなるインド映画の世界

 2015年に「インド映画完全ガイド」(世界文化社)という本が出版された。アジア映画研究家の松岡環さんが監修・編者となり、主にタミル語映画「Muthu」(1995年/邦題:ムトゥ 踊るマハラジャ)の大ヒット以降、日本で劇場一般公開されたインド映画を中心に紹介することで、インド映画界の最新事情を日本人に解説することを目的とした本であった。どちらかと言えば、ヒンディー語映画「3 Idiots」(2009年/邦題:きっと、うまくいく/日本一般公開は2013年)の大ヒットを受けて日本でにわかに起こったインド映画ブームに乗って作られた本であったが、その後、テルグ語映画「Baahubali」シリーズが日本で好評を博したことで、この本の売れ行きも好調となったと聞いている。僕もヒンディー語映画の専門家として、この本に多数の原稿を寄稿した。

 あれから5年の歳月が過ぎ、この間、日本で新たに公開されたインド映画も蓄積されてきた。そこで、前の本でも共同編集者として名を連ねていた映画批評家の夏目深雪さんが中心となり、新しいインド映画の本が作られることになった。新型コロナウイルス感染拡大の影響でインドにおいて映画館封鎖が行われ、新作映画の公開が途絶えたことも、ひとつの区切りとなった。今回は松岡環さんと共に著者の一人として、引き続きヒンディー語映画を中心に原稿を書くことになった。集中的に執筆したのは2020年12月で、その後校正などを経て、2021年4月30日に「新たなるインド映画の世界」(Pick Up Press)が刊行された。

 「Baahubali」人気にあやかって出されたインド映画本であることもあり、表紙は南インド映画、正確に言えばテルグ語映画一色である。だが、日本で公開されるインド映画は依然としてヒンディー語映画主体であり、本の中身でもヒンディー語映画の割合は高い。南インド映画に関する部分は、日本でもっとも南インド映画に造詣の深い安宅直子さんが主に執筆している。

 思えば、自分の名前(高倉嘉男)が著者として載った本の刊行は日本では初めてである。今まで主にインドやインド映画について多くの文章を書いて来たが、自分で本を出すということはして来なかった。当初から文章を発表する場としてインターネットがあったし、本とインターネットを比べたら当然インターネットの方が新しいメディアなので、わざわざ古いメディアに逆戻りする必要性を感じていなかった。だが、これだけインターネットが普及した現在においても、著書がある、というステータスは、ホームページやブログを持っている、というステータスより圧倒的に上だ。また、インターネットでは自分の書きたいように文章を書く自由がある反面、他人からあまりチェックが入らないので、書きっぱなしという点は否めない。そういう意味でも、今回、チームワークの中で1冊の本を刊行できたことは、いい経験になった。

 デリーに住んでいた頃は、最新作を封切り日に鑑賞できる非常に恵まれた生活を送っていたが、2013年にインドから日本に帰国して以来、インド映画にタイムリーに接することができなくなっていた。当初は現地からDVDを取り寄せて、なるべく最新の動向に付いていこうとしたが、次第にそれも難しくなって行った。たとえ現地販売のDVDで観るにしても、映画館での公開からDVD発売までは一定のタイムラグがあり、しかもDVD発売からそれを日本で入手するまでのタイムラグを加算すると、どう考えても現地に住んでいる人とは大きなタイムラグが生じてしまう。日本に帰国するまで、現地であわよくば「ファーストデー・ファーストショー」の興奮を、ノリノリのインド人観客と共に体感して来た身としては、そのタイムラグは簡単に容認できるものではなかった。また、気付くとインドでは急速にDVDが入手しづらくなっていた。日本よりも遥かに先にネット配信の時代が到来しており、それに伴って旧来のメディアであるDVDは淘汰されつつあった。元々、「映画は映画館で観るもの」「映画館で観ていない映画は批評しない」というポリシーを持っていたことも、帰国後にインド映画から精神的に離れ気味になった一因であった。このような状況のため、やがて、日本で公開されるインド映画に付いて行くだけで精いっぱいとなっていた。ありがたいことに、昔取った杵柄で、時々インド映画に関する文章を依頼されることがあったが、肩書きとして「インド映画研究家」などを名乗ることに後ろめたさを感じるようになっていた。

 ただ、今回、「新たなるインド映画の世界」の原稿を執筆するにあたって、日本にいながら動画配信サービスを活用して定額制で最新のインド映画を鑑賞する方法を研究する機会が得られ、新たな地平が拓けた。そういう手段があるのは知っていたが、DVDで映画を鑑賞することにも本当は気が引けていたため、それとそう変わらない手段である動画配信サービスを使うことにも積極的にはなれなかった。だが、新型コロナウイルス感染拡大により映画館が閉鎖されたことに伴って、配信スルー、あるいは現地でいわゆる「OTT(Over The Top)」と呼ばれる、映画館を介さずに直接ネット配信される映画が急増し、映画を観るのに必ずしも映画館にこだわる必要はない、と開き直るきっかけとなった。原稿執筆にあたっていくつかの動画配信サービスに登録し試してみたが、一度慣れてしまうと、その便利さと鑑賞できる作品の多さに圧倒された。おかげで、動画配信サービスを使って多くの最新インド映画に触れることができるようになった。新型コロナウイルスによって起こった変化の中で、個人的にもっともポジティブな変化は、この点だったかもしれない。

 インド映画史において、技術の発達やその他の外的な要因が、各時代において、作品や業界に及ぼして来た影響は計り知れない。映画の登場そのものが発明であったが、その後、トーキー化、印パ分離独立、カラー化、テレビとビデオの普及、映画の産業化など、いくつもの波をインド映画は乗り越え発展して来た。一番最近インド映画産業に大きな影響を与えた出来事は、マルチプレックス(日本で言うシネコン)の登場と普及であったが、2020年の新型コロナウイルス感染拡大による映画館の閉鎖とOTTの登場は、おそらく後から振り返ったとき、マルチプレックスの次にインド映画に大きな変化をもたらした波として記録されることになるだろう。

 また別の記事で、日本にいながらインド映画を鑑賞する手段をまとめてみたい。「新たなるインド映画の世界」で書いたことは、あくまで完全に合法的な手段に限られる。例えば無法地帯気味のYouTubeなど、グレーなインド映画鑑賞方法については、極力差し障りのない形でしか触れていない。

 自分が完全にコントロールして作った本ではないので、今回の本でできなかったこともいくつかある。ひとつは、監督や俳優など固有名詞のカタカナ表記の統一である。配給会社がインド映画を日本で公開する際に、専門的な言語知識のない人が好き勝手にカタカナ表記を決めてしまう例が後を絶たず、それを正せず悔しい思いをしている。今回の本でも、例えば「サルマン・カーン」と「サルマーン・カーン」が混在している。これは、彼の主演作を日本で配給した配給会社の表記に合わせたためだ。今回紹介した彼の主演作では、配給会社が「サルマン・カーン」と表記していた。だが、過去には「サルマーン・カーン」という表記で彼の主演作が公開されたこともあった。さらに、なるべく音引きを維持するというポリシーに基づくならば「サルマーン・カーン」の方が正しい。よって、作品紹介以外のページでは「サルマーン・カーン」とした。

 もうひとつ、書いていて感じたのは、自分の興味は映画そのものよりも、映画から見えて来るインド社会にある、ということだ。どうしても映画畑の人は、インド映画を国際的な映画の枠組みや西洋で発達した映画論の観点で捉えようとしがちなのだが、僕の見方は全く異なっている。インド映画は第一にインド人のために作られるもので、インド映画を理解するためには、まずはインド社会の理解が必要だ、という立場である。できれば、インド古来の芸術理論であるラサ理論も知っておくべきである。よって、他国や世界の映画シーンとは一旦切り離して、インドの文脈の中でインド映画を捉えるのが大切だと考えている。今回は紙幅の制限のため、そういう視点で語る価値のある作品を、そういう視点で紹介し切れなかった。もっとも、こういう見方だけしていると、他国の映画を翻案したりして作られたインド映画に全く対応できなくなるので、国際的な潮流の視点からインド映画を語ることができる人の存在も貴重である。

 何はともあれ、この「新たなるインド映画の世界」が、さらに次世代のインド映画ファンを日本の中に生み出すことに寄与してくれれば、この上ない幸せだ。