Indoo Ki Jawani

2.5
Indoo Ki Jawani
「Indoo Ki Jawani」

 ファラー・カーン監督、アクシャイ・クマール主演の「Tees Maar Khan」(2010年)はフロップに終わったが、ヒロインのカトリーナ・カイフが踊るダンスシーン「Sheila Ki Jawani(シーラーの若さ)」は大ヒットした。2020年12月11日公開のヒンディー語映画「Indoo Ki Jawani(インドゥーの若さ)」は、明らかに「Sheila Ki Jawani」をもじったものだ。

 監督は新人のアビール・セーングプター。主演はキヤーラー・アードヴァーニー。他に、アーディティヤ・スィール、マッリカー・ドゥアーなどが出演している。また、エンドクレジットの「Heelien Toot Gayi」では歌手のグル・ランダーワーがゲスト出演している。

 デリー近郊の都市ガーズィヤーバード在住のインドゥー(キヤーラー・アードヴァーニー)は、ボーイフレンドのサティーシュと破局したばかりだった。親友のソーナール(マッリカー・ドゥアー)によると、インドゥーがサティーシュにしつこく結婚を持ち出した割にセックスをさせなかったことが原因だと言う。そこでインドゥーは、マッチングアプリを使って素敵な男性を捕まえ、セックスの経験を積むことにする。

 時を同じくして、ガーズィヤーバードに2人のパーキスターン人テロリストが潜伏しているとの噂が飛び交っていた。警察は1人を逮捕するが、もう1人が行方不明だった。

 インドゥーはマッチングアプリでサマル(アーディティヤ・スィール)という男性と出会い、両親や弟の留守中に彼を家に呼び込む。ところが、サマルはパーキスターン人であることが発覚する。彼をテロリストだと早とちりしたインドゥーは焦るが、ちょうどデリバリーボーイが夕食を届けに来たので、彼を家に引き込む。

 ところが、真のテロリストはそのデリバリーボーイであった。サマルは一旦はインドゥーの家を出るが、彼がテロリストであることに気づき、戻って来る。正体がばれたデリバリーボーイは2人を殺そうとするが、乱闘となる。また、警察も勘付き、インドゥーの家に踏み込んで来る。こうしてもう1名のテロリストも逮捕された。

 題名が題名であったし、序盤はいかにボーイフレンドを引き留めておくかというガールズトークとその実践を中心に物語が展開するため、デートやセックスと言った話題が中心の、少しエッチな若者向け青春映画かと思っていた。しかし、所々に警察がテロリストを追うシーンが差し挟まれ、これが主人公インドゥーと絡んで来ることにより、いつの間にか印パ親善映画に仕上がっていた。

 工夫されていたのはサマルの正体である。まず、インドゥーは当初、サマルがパーキスターン人だとは気付かなかった。出身地を聞かれたサマルは「ハイダラーバード」と答える。実はハイダラーバードという名の都市はインドにもパーキスターンにもあり、出身国の混乱を演出するためによく使われる。インドゥーはてっきりサマルがインドのハイダラーバード出身だと勘違いしてしまう。また、サマルがインドに到着するシーンもとても思わせぶりであるため、普通に鑑賞していると、サマルがテロリストであるように感じられる。だが、終盤に、真のテロリストはデリバリーボーイであることが分かるという仕掛けである。

 インドゥーは、パーキスターン人は全員テロリストだと考えており、サマルに対してもその偏見を隠さない。だが、サマルは怒ることなく、真摯にインドゥーにそうではないことを訴える。二人の会話の中ではインドとパーキスターンの間にあるわだかまりが面白おかしく取り上げられる。クリケット、映画、音楽、カシュミール・・・。だが、サマルがテロリストではなく、善良なパーキスターン人であることが分かったことで、インドゥーは、サマルに対する印象も、パーキスターンに対するイメージも変えることになる。国籍だけを見てその人を判断するのは間違いだ。そんな当たり前のことが、特に印パの間では通じなくなってしまう。そんな隣国同士の問題をソフトに指摘する映画であった。

 映画の中では、最近の若者が活用するアプリの数々が、少し違った名前で登場しており、いかにもな若者向け映画であった。マッチングアプリのDinder(Tinder)、もう時代遅れとなったFakebook(Facebook)、デリバリーアプリのGhoomato(Zomato)などが登場した。その一方で、町内で夜通し行われる女神の祭礼ジャグラーター(ジャーグラン/マーター・キ・チョウキー)の様子もオーバーラップしており、新旧入り乱れるインドの文化がよく再現されていた。

 近年、女優中心の映画は珍しくなくなって来ているが、どの女優でも一本の映画を背負って立てるかというと、そういう訳でもない。キヤーラー・アードヴァーニーは、今や売れっ子のヒロイン女優になっているが、まだ独り立ちできるような風格はないと感じた。サマルを演じたアーディティヤ・スィールは、色白だから起用されたのだと予想されるが、台詞回しにパーキスターン人らしさが感じられなかった。

 インドゥーとソーナールの会話の中で「झंडा गाड़ना(ジャンダー・ガールナー)」というフレーズが何度も出て来て気になった。直訳すれば「旗を立てる」であるが、慣用句としての意味は「支配する」などの意味となる。彼女たちの会話の中では、「男性が女性を支配する」、つまり、「男性が女性を我が物にする」という意味であり、さらに簡潔に言えば、セックスの婉曲表現である。

 「Indoo Ki Jawani」は、結婚前にセックスをすべきかどうか、という下世話なガールズトークから始まるが、途中からテロリストが絡み、いつの間にか印パ親善のメッセージが発信されているという、不思議な映画である。キヤーラー・アードヴァーニーが主演だが、まだ一人で映画を背負うだけの風格はなかった。基本的には室内劇で、低予算映画の作りである。興行的にもフロップに終わった。