Shakuntala Devi

4.5

 インドは「0を発見した国」として有名で、インド人は数学が得意なイメージがある。実際には、インド人全員が数学の天才ではないし、平均的な計算力を算出したら日本人の方が高いと言っていいのだが、確かにインドは天才的な数学者を輩出している。もっとも有名なのがラーマーヌジャン(1887-1920年)であろう。英国で「奇蹟がくれた数式」(2015年)という映画にもなっている。だが、現代にもシャクンタラー・デーヴィーというインド人女性の天才的数学者がいた。ちょうどラーマーヌジャンと入れ替わるように1929年に生まれ、2013年に没している。2020年7月31日にアマゾン・プライムで配信開始された「Shankuntala Devi」は、シャクンタラー・デーヴィーの伝記映画である。この映画を観るまで彼女のことは知らなかったのだが、インドではどこまで有名な人物だったのだろうか。

 監督は「London Paris New York」(2012年)のアヌ・メーナン。音楽はサチン・ジガル。主演はヴィディヤー・バーラン。助演としてサーニヤー・マロートラー、ジーシュー・セーングプター、アミト・サード。

 バンガロールに生まれたシャクンタラー・デーヴィー(ヴィディヤー・バーラン)は幼少時から数学の才能を発揮し、父親によって見世物にされる。シャクンタラーは金儲けしか考えない父親や、父親に対して何も言えない母親を毛嫌いするようになり、成長すると、単身ロンドンへ去って行ってしまう。

 ロンドンでもシャクンタラーは数学の才能を披露し、瞬く間に「人間コンピューター」としてセンセーションを巻き起こす。彼女は数学ショーをしながら世界中をツアーして回るようになり、巨額の富も手にする。

 シャクンタラーは、ボンベイで高級官僚のパリトーシュ(ジーシュー・セーングプター)と出会い、結婚する。二人の間にはアヌパマー(サーニヤー・マロートラー)という娘が生まれる。出産と育児のために数学ショーをしばらく休んでいたシャクンタラーは、夫の協力を得て再び世界中を回るようになる。だが、夫と不仲になり、離婚して、アヌパマーを連れてロンドンへ行ってしまう。

 父親と引き離されたアヌパマーは、シャクンタラーに世界中を引きずり回されること、そして常に「シャクンタラー・デーヴィーの娘」と呼ばれることに嫌気が指すようになった。アヌパマーにはアジャイ(アミト・サード)という恋人ができ、結婚するが、シャクンタラーがアヌパマーを手元から離そうとしなかったため、二人の仲は決裂する。アヌパマーとアジャイはバンガロールに住むようになる。

 アヌパマーは母親になる気はなかったが妊娠してしまい、アムリターという女の子を産む。だが、シャクンタラーがロンドンに彼女が残して来た事業を売り払ってしまったことを知り、彼女を訴える。久々に顔を合わしたシャクンタラーとアヌパマーであったが、母娘の愛情が勝り、二人は和解する。

 実在の天才的な女性数学者シャクンタラー・デーヴィーが主人公の伝記映画で、彼女が何桁もある計算をコンピューターよりも早くスラスラと解いてしまう様子が、数字のアニメーションと共に何度もスクリーンに映し出される。どうやらその暗算力の秘密は、一時期日本でも流行した「インド式計算」と似た、独自の公式のようであった。だが、この映画はそういう特殊な計算法のハウツー映画ではなかった。

 「Shakuntala Devi」の中心議題は母と娘の関係であった。しかも、それは何世代にも渡るものであった。シャクンタラーと母親、シャクンタラーと娘アヌパマー、そしてアヌパマーと娘アムリター、この3つの関係が、まるで車輪がころがるようにグルグルと回る。シャクンタラーは、自立していない母親のようになりたくないと考えて世界に飛び出し、アヌパマーは、普通ではない母親のようになりたくないと考え、普通になろうと努力する。だが、母親に関して、シャクンタラーとアヌパマーには共通点があった。それは、母親を母親と捉え、一人の女性として捉えていなかったことだ。それに気付いたとき、シャクンタラーは母親を認め、アヌパマーはシャクンタラーを認めた。最終的には、歪んでいた女性同士の縦の関係が収まるべきところに収まって、エンディングを迎える。

 最後は、女性のあるがままの姿を礼賛するような主張でまとめられていたために曖昧になっていたが、シャクンタラーとアヌパマーの関係は、ワーキングマザーとその娘の関係がどうなり得るかを示唆していた。働きながら子育てをしているという点では一般的なワーキングマザーとそう代わりないが、シャクンタラーはギネスブックに載るほどの数学者であり、しかも世界中を数学ショーをして回るのが仕事であるため、一般的なワーキングマザーではない。彼女はずっと子育てをしていた訳でもない。シャクンタラーが数学ショーに復帰し、世界ツアーに出ている間、夫のパリトーシュが子育てをしていた。よって、極端に時間を仕事に割り振ったワーキングマザーと言えるだろう。

 シャクンタラーが子育てを夫に丸投げしたおかげで、その当然の帰結として、アヌパマーが初めて発した言葉は「パパ」となった。それほどアヌパマーは父親にとても懐いていた。果たして世の母親は、そういう事態を許容できるのだろうか。たとえ自分で子育てをしていないにしろ、自分が腹を痛めて生んだ子供が、「ママ」よりも先に「パパ」を覚える。シャクンタラーは許容できなかった。ショックを受けたシャクンタラーは、嫉妬のような感情に駆られ、「アヌパマーは自分の子供だ」と言い張る。パリトーシュは、「子供を生んだら自動的に母親になる訳ではない」とシャクンタラーを諭すが、彼女は聞く耳を持たず、アヌパマーを奪って去って行ってしまう。そればかりか、その後も長いこと、アヌパマーが父親に会いたいと言っても絶対に会わせなかった。当然、シャクンタラーとアヌパマーの関係は悪化し、アヌパマーはシャクンタラーのようにはなりたくないと考えるようになる。

 アヌパマーもインテリアのビジネスを立ち上げており、結婚後や出産後もそれを続けていた。だが、仕事が軌道に乗り始め、忙しくなると同時に、自分がシャクンタラーのようになりつつあるのを感じ、仕事よりも子供を優先する人生に軌道修正しようとする。ここまでを見ると、女性が「母親であること」を放棄することが否定的に感じられる。ただ、その後彼女が最終的にどういう決断をしたのかは明確にされていなかった。

 だが、映画では「母親」に関する、達観した知恵の言葉も発せられていた。それは、「世の母親は皆悪い母親」という言葉だ。母親としての自信を失っていたアヌパマーにアーヤー(子守)の女性が掛ける言葉である。その意味するところは、「母が子に愛情を注げば、その子は甘えてダメになってしまう。母が子に愛情を注がなければ、その子はぐれてダメになってしまう。どちらにしても、母は子をダメにしてしまう」ということである。

 総じて、「Shakuntala Devi」は女性の映画であった。そして、母と娘の物語であった。実在する女性数学者の伝記映画ではあるのだが、その部分はオマケに思えた。ヒンディー語映画の2010年代は女性の10年だったが、それは何も女性が主人公の映画が増えたことだけを意味しない。母と娘のような女性同士の関係に焦点が当てられ、嫁姑のようなステレオタイプ以外の多様な関係の在り方が模索された。主演ヴィディヤー・バーランの演技は素晴らしかったし、サーニヤー・マロートラーも好演していた。彼女たちに比べると、男性キャラは弱かったし、それを演じていた男優たちも見せ場がなかった。一般の伝記映画を越えたメッセージ性を持つ傑作である。