Marjaavaan

3.5

 ヒンディー語映画界において、良質の音楽とセットの映画作りを心掛けているのがTシリーズである。元々音楽配給会社だったこともあり、映画を売る際の音楽の重要性をどこよりも理解している会社で、Tシリーズの関わる映画には音楽に並々ならぬ力が注がれる傾向にある。その典型例が「Aashiqui 2」(2013年)だが、他にも音楽中心の名作映画が多数作られている。また、インド人は狂おしい歌詞の曲が好きで、それに合わせてストーリーも狂おしい恋愛モノが多くなる。

 2019年11月15日公開の「Marjaavaan(死んでしまう)」も、Tシリーズ製作の狂おしい恋愛を描いたロマンス・アクション映画である。監督は「Jaane Kahan Se Aayi Hai」(2010年)などのミラープ・ミラン・ザヴェーリー。主演はスィッダールト・マロートラー。悪役をリテーシュ・デーシュムクが演じているが、この組み合わせは「Ek Villain」(2014年)でも見られた。ヒロインはターラー・スターリヤーだが、特別出演扱いのラクル・プリート・スィンも実質上のセカンドヒロインであった。また、タミル語映画俳優ナーサル、ボージプリー語映画俳優ラヴィ・キシャンが出演しており、汎インド的なキャスティングを感じる。他に、シャード・ランダーワーが脇役ながら印象的な役を演じている。

 アイテムガール出演は2人。序盤の景気づけアイテムソング「Ek Toh Kam Zindagani」では現在ヒンディー語映画界のトップ・アイテムガールとなっているノラ・ファテーヒーがアイテムガール出演をする。また、ヌスラト・バルチャーが「Peeyu Datt Ke」でスィッダールト・マロートラーらと踊りを踊るのだが、この曲は劇中では未使用だった。純粋にプロモーションのために作られたと思われる。

 ムンバイーの水を牛耳るマフィア、アンナー(ナーサル)の養子ラグ(スィッダールト・マロートラー)は、アンナーの忠実な部下として腕力で彼の仕事を支えていた。だが、アンナーの実子で小人のヴィシュヌ(リテーシュ・デーシュムク)はラグが父親から寵愛を受けていることに嫉妬していた。

 ラグにはダンスバーの踊り子アールズー(ラクル・プリート・スィン)という愛人がいたが、ある日、スラム街の子供に音楽を教える活動をする唖の女性ゾーヤー(ターラー・スターリヤー)と出会い、恋に落ちる。ヴィシュヌはラグの弱みにつけ込み、ゾーヤーの活動の妨害をする。ヴィシュヌがライバルマフィアを殺害する場面をたまたまゾーヤーが目撃してしまったことで、アンナーはラグにゾーヤーの殺害を命じる。ゾーヤーに促され、ラグはゾーヤーを殺すことになる。

 アンナー逮捕を画策するラヴィ・ヤーダヴ警視監(ラヴィ・キシャン)はラグを逮捕し、アンナーが犯して来た犯罪の証人となるように説得する。だが、ゾーヤーを失ったラグは抜け殻となっていた。一方、ヴィシュヌはラグの復讐を怖れ、自分のアジトを要塞化していた。ラグは終身刑となる見込みだったが、このままでは一生ラグの復讐を怖れ続けて生きることになると考えたヴィシュヌは、わざと証人に証言を翻させ、ラグを無罪放免にさせる。

 拘置所から出て来たラグは、すぐには復讐に動かなかった。張り合いを失ったヴィシュヌは、父親のアンナーを殺し、自らマフィアのドンとなる。だが、全てはラグの策略だった。ダシャハラーの日、ラグは復讐に乗り出す。ラグはヴィシュヌを燃えるラーヴァン像の下敷きにするが、自らも致命傷を受け、息を引き取る。

 映画の冒頭にヒロインの死を持って来て、そこから6ヶ月前に遡り、どういう経緯でそうなったかを描いたのが前半、ヒロインの死の6ヶ月後を描いたのが後半という構成だった。ヒロインが死ぬという展開は、インド映画に皆無ではないが、あまり好んで採用されないものだ。だが、主人公も最後に死んでしまうアンハッピーエンドのため、狂おしい恋愛を実現するためには、必要な展開だったと言える。

 無敵を誇る主人公と、言葉がしゃべれないヒロイン。そしてマフィア内の抗争に巻き込まれ命を落とす二人。主人公が強すぎるため、ご都合主義なアクションシーンが続くのだが、愛情と憎悪、友情と裏切り、復讐と自己犠牲など、様々な感情が渦巻く、典型的なインド映画の作りで、潔さも感じた。このような映画ばかりになってしまうと困るのだが、たまにはこういう映画がないとインド映画が心の拠り所を失ってしまうような寂しさを感じる。娯楽に徹した映画であることが分かったため、好意的に受け止めることができた。ストーリーは単純ながら、台詞回しには工夫が見られ、主人公ラグや悪役ヴィシュヌなどがしゃべる、いかにも映画的な台詞回しを楽しむ映画でもあった。

 そして何より音楽がいい。狂おしいバラード「Tum Hi Aana」と「Thodi Jagah」はいかにもTシリーズらしい曲だし、ノラ・ファテーヒーの踊るアイテムソング「Ek Toh Kam Zindagani」もアクセントになっていた。「Marjaavaan」の曲はヒットしている。

 主演のスィッダールト・マロートラーはしっかりヒーローを演じていた。既にヒンディー語映画界の中堅を担うスターとして揺るがない地位を確立している。だが、今回スィッダールト以上にインパクトを残していたのは悪役のリテーシュ・デーシュムクだ。「Zero」(2018年)でシャールク・カーンが特殊効果を使って小人を演じたが、「Marjaavaan」ではリテーシュがやはり同様に特殊効果を使って小人を演じた。しかも、父親の愛情に飢え、養子のラグに嫉妬を燃やす、精神的に歪んだ悪役であった。リテーシュは既に第一線のスターからは脱落しているため、悪役に新境地を見出そうと努力しているものと思われる。そしてそれは「Marjaavaan」では成功していた。もちろん、ベテラン俳優ナーサルのサポートも功を奏していた。

 ヒロインのターラー・スータリヤーは「Student of the Year 2」(2019年)でデビューした女優で、今回が2作目である。言葉のしゃべれない音楽教師役で、手話を覚えて撮影に臨んだとのことである。ただ、浮世離れしたシーンが多く、あまり持ち味を活かせていなかった。今後に期待である。

 メインテーマではないが、インドの宗教問題にも少しだけ触れられていた映画だった。悪役のアンナーやヴィシュヌはヒンドゥー教徒で、ヒロインのゾーヤーやラグの親友マズハルはイスラーム教徒である。ラグは、名前から察する限りはヒンドゥー教徒だが、側溝に捨てられていたところをアンナーが拾って育てたとのことなので、両親の宗教は不明だ。ラグ自身は、右手にヒンドゥー教、イスラーム教、スィク教、キリスト教のシンボルをタトゥーにしており、どの宗教も信じる存在として描かれていた。全体的に、ヒンドゥー教とイスラーム教に関する宗教モチーフがよく登場する映画であった。

 クライマックスはダシャハラー祭だった。ダシャハラーはヒンドゥー教の祭りで、毎年10月頃に祝われる。悪に対する正義の勝利を祝う祭りであり、この日を勧善懲悪アクション映画のクライマックスに持って来る映画は多い。

 そういえば「ゾーヤー」という名前がウルドゥー文字で表示され、物語のキーとなっていた。だが、インド人の大半はウルドゥー文字が読めない。拘置所に入ったラグが地面にウルドゥー文字で「ゾーヤー」と書くシーンなどもあった。近年のヒンディー語映画で、ここまでウルドゥー文字が前面に押し出された映画は稀である。

 台詞の中で気になったものがあった。ラグがゾーヤーの墓の前で「バドラーはしないがインティカームはする」と宣言するシーンがあった。「バドラー(बदला)」も「インティカーム(इंतिक़ाम)」も「復讐」という意味だと思うが、何か細かいニュアンスの違いがあるのだろうか。

 「Marjaavaan」は、Tシリーズ製作の、音楽重視、狂おし系ロマンス・アクション映画である。主演のスィッダールト・マロートラーも良かったが、悪役リテーシュ・デーシュムクの吹っ切れた演技が最大の見所である。最後はアンハッピーエンドではあるが、典型的なインド映画で、古き良き伝統を感じさせてくれる佳作である。