Laal Kaptaan

3.5
Laal Kaptaan
「Laal Kaptaan」

 時代劇はヒンディー語映画でも人気のジャンルで、コンスタントに過去の特定の時代の出来事が映画化される。その中でも特に英領インド時代の映画が作られる際、英国人に立ち向かったインド人の英雄が主人公になることが多く、そこには概して愛国主義的なメッセージが込められる。だが、2019年10月18日公開の「Laal Kaptaan(赤いキャプテン)」は、時代劇ながら愛国主義映画ではない。純粋な時代劇と言え、インド映画では意外に珍しい作りであった。

 「Laal Kaptaan」の時間軸は、1764年のバクサルの戦いと、その25年後の2つだ。バクサルの戦いとは、ムガル朝皇帝シャー・アーラム二世率いるインド連合軍と英国東インド会社との戦いである。インド連合軍は数で圧倒していたものの足並みが揃わず、東インド会社の圧勝に終わった。この戦いの結果、英国東インド会社はベンガル、ビハール、オリッサの徴税権を獲得し、植民地支配の足がかりを確保することになった。ただ、「Laal Kaptaan」は、バクサルの戦いそのものを描いた映画ではない。

 監督は「NH10」(2015年)のナヴディープ・スィン。「Raanjhanaa」(2013年)のアーナンド・L・ラーイがプロデューサーを務めている。主演はサイフ・アリー・カーン。他に、ディーパク・ドーブリヤール、ゾーヤー・フサイン、マーナヴ・ヴィジ、ニーラジ・カビー、アーミル・バシール、シモン・スィンなどが出演している。また、ソーナクシー・スィナーが特別出演している。

 1789年、ブンデールカンド。英国東インド会社のスィパーヒーが着る赤いジャケットを身にまとった流浪のサードゥ、ゴーサーイン(サイフ・アリー・カーン)は、レヘマト・カーン(マーナヴ・ヴィジ)を追っていた。レヘマトはアフガン系ローヒラー族の首長で、ブンデールカンドの王フクム・スィンの配下となって、ムネールガル城を守っていた。だが、レヘマトは英国に寝返り、フクム・スィンがマラーター族に支払う上納金をかすめ取って、アワド地方に向かっていた。

 ゴーサーインは空となったムネールガルに着き、そこである低カーストの女性(ゾーヤー・フサイン)と出会う。ゴーサーインは彼女を連れてレヘマトを追うが、その女の裏切りに遭い、捕まってしまう。実はその女はレヘマトの妾であった。正妻のベーガム(シモン・スィン)に子供ができず、彼女が息子を産むが、ベーガムにその子供を取られてしまっていた。女はその子供を取り戻すためにゴーサーインを使ったのだった。

 レヘマトはゴーサーインの正体を突き止めようとする。だが、ゴーサーインは口を割らなかった。彼らは遂にヤムナー河を渡って英国人と合流する。だが、マラーター族の追撃を受け、ゴーサーインは逃亡に成功する。態勢を整えたゴーサーインは、追跡者(ディーパク・ドーブリヤール)の協力を得てレヘマトに攻撃を加え、彼を捕らえる。そして、シェールガルで彼を吊し首にする。

 実はゴーサーインはレヘマトの弟だった。25年前、ゴーサーインの父親サダーウッラー・カーン(ニーラジ・カビー)はレヘマトの裏切りによって殺された。そのときレヘマトは弟も殺したはずだったが、サードゥに救われ、ゴーサーインとなったのだった。復讐を果たした彼は、レヘマトの息子を預かる。その子がやがてゴーサーインに復讐を果たす運命と知りながら・・・。

 「Laal Kaptaan」は2019年の大フロップに終わった作品である。だが、興行的に失敗したからと言って駄作とは限らない。実際、「Laal Kaptaan」はよく出来た映画であった。時代劇で、英国人も登場するにも関わらず、愛国主義的要素がなかったのが敗因と思われるが、何でもかんでも愛国主義映画にする風潮の方がおかしいのであって、「Laal Kaptaan」自体は真っ当な映画であった。

 まずはストーリーが非常に面白かった。バクサルの戦いに触れた映画は初めて観たが、この戦いがインド人の琴線に触れないのは、インド側の敗北に終わったからである。しかも、英国東インド会社を数で圧倒していたにも関わらず、内部抗争と裏切りによって敗北したため、インド人にとってはみっともない戦いのひとつだ。映画の中でもその様子が描かれており、インドのバラバラさが浮き彫りになっている。

 この戦いには、ナーガ派サードゥたちの軍勢もインド連合軍に加勢した。彼らはシヴァ神を信仰する修験者であり、クンブメーラーに素っ裸で押し寄せて沐浴をする人々である。そのサードゥの一人が主人公であり、仇であるレヘマト・カーンを追跡する。あらすじでは便宜上「ゴーサーイン」と呼んだが、これはナーガ派サードゥを指す一般名詞で、実際には彼の名前は劇中で全く明かされない。

 なぜゴーサーインはレヘマト・カーンを仇に思っているのか。それは終盤まで明かされず、映画のサスペンスのひとつとなっている。25年前の回想シーンでは、サダーウッラー・カーンが殺された後に少年も殺されており、ゴーサーインがその少年である可能性は否定されている。だが、その少年が成長した姿がゴーサーインであると考えるのが一番しっくり来る。では、少年は生き残ったのか。もしくは幽霊なのか。その疑問が観客の心を掴んで話さない。

 劇中では「世界は丸い」という諺が何度も出て来る。「因果応報」と同じ意味だ。レヘマトは自分のした行為の報いを受け、ゴーサーインもそうなることが暗示される。この循環性はインド哲学的な深みを映画に加えており、好意的に受け止められた。

 主演のサイフ・アリー・カーン、悪役のマーナヴ・ヴィジ、道化役のディーパク・ドーブリヤール、そして一応のヒロイン役ゾーヤー・フサインなど、俳優たちの演技は一級品だった。登場人物がしゃべる台詞は方言色が強くて癖があり、標準ヒンディー語ではない。また、実際にブンデールカンドで撮影が行われたようで、登場するいくつかの古城や荒涼とした風景に力があった。

 「Laal Kaptaan」は、バクサルの戦いとその25年後を時間軸とし、ブンデールカンドを主な舞台として展開する時代劇であり、復讐劇である。こういう映画にありがちな愛国主義的要素はない。実際の歴史的事件に触れられているが、基本的にはフィクションのはずである。興行的には大フロップに終わってしまったが、俳優たちの演技とロケーションに迫力があり、非常に引き込まれる映画だ。観て損はない。