Article 15

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 インドではカーストは廃止されておらず、カーストによる差別が禁止されている。それを定めたのがインド憲法第15条(Article 15)で、以下のように記されている。

15. 宗教、人種、カースト、性別、出身地に基づく差別の禁止
(1) 国は、宗教、人種、カースト、性別、出身地に基づいて、いかなる市民をも差別してはならない。
(2) 市民は、宗教、人種、カースト、性別、出身地に基づいて、以下のことで不利を被ったり、義務を負わされたり、制限されたり、条件付けをされたりしてはならない:
(a) 店舗、公共レストラン、ホテル、公衆娯楽の場への入場;または
(b) 国の資金によって完全にまたは部分的に維持されている井戸、貯水池、沐浴ガート、道、公衆行楽地の利用。
(3), (4)は省略

 だが、インド社会の日常にカースト差別は根強く残っている。それを解消しようと努力する人々もいるが、それを維持しようとしたり、利用しようとしたりする人々もそれ以上におり、カーストが完全に消えてなくなる日はまだまだ遠いと言わざるを得ない。むしろ、独立後、インド社会により強固に定着してしまった感もある。

 2019年6月28日公開の「Article 15」は、カースト差別をストレートに扱った映画である。監督は「Ra.One」(2011年)などのアヌバヴ・スィナー。主演はアーユシュマーン・クラーナー。他に、サヤーニー・グプター、ナーサル、マノージ・パーワー、クムド・ミシュラー、イーシャー・タルワール、ムハンマド・ズィーシャーン・アユーブ、ロンジニー・チャクラボルティーなどが出演している。

 インド警察官僚(IPS)のアヤーン・ランジャン警視補(アーユシュマーン・クラーナー)は、ウッタル・プラデーシュ州のラールガーオン署に赴任した。ブラフマダット・スィン警部(マノージ・パーワー)やキサーン・ジャータヴ副警部補(クムド・ミシュラー)などの部下が彼を出迎えた。また、学生時代の友人サテーンドラとも再会する。ところが、ランジャンはすぐにラールガーオンの雰囲気に異変を感じる。

 ラールガーオンでは、不可触民の少女3名が行方不明になっていた。その内の1人プージャーの姉ガウラー(サヤーニー・グプター)などが捜索を願い出ているにも関わらず、警察は動こうとしなかった。翌日、3名の内2名が木から吊り下げられ死亡しているのが発見された。ブラフマダットは親による名誉殺人だと決め付ける。

 不可触民の活動家でガウラーの恋人ニシャド(ムハンマド・ズィーシャーン・アユーブ)は警察のジープを燃やし抗議する。ランジャンは、2名の少女が集団強姦された後に殺されたことを突き止め、犯人を地元政治家の息子アンシュ・ナハーリヤ――と特定する。ところが、この事件の捜査は中央情報局(CBI)の管轄に移行され、ラールガーオンにCBIのパーニカル(ナーサル)がやって来る。パーニカルは最初から名誉殺人として事件をまとめようとしており、ランジャンは捜査から外される。

 しかし、ランジャンは行方不明になっていたサテーンドラを見つけ出して真相を聞き出し、レイプの現場から証拠を集めることにも成功する。なんと強姦にはブラフマダットなどの警察官も加わっていた。また、ランジャンはプージャーの捜索を続け、沼地の奥の森の中で彼女を無事に発見する。

 インド社会においてカースト制度がいかに根強く残っているかをよく描出していた映画だった。人口の7割を占める低カースト者が3割を占める高カースト者に差別を受けているばかりか、各階層の中でも細かい上下が存在し、自分よりも下のカーストの者を差別することで相対的に自分の地位を高く見せようとする。不可触民の中にすら上下がある。そんな複雑な状況が重苦しく映し出されていた。

 その一方で、人々が自分のカーストについてあっけらかんと語り合うシーンもいくつかあった。インドの政治はカーストが票田となっており、有権者は自分の属するカーストに利益になる政党を支持する傾向にある。そんな内容の会話も飛び出しており、かなり踏み込んだ映画だと感じた。

 「Article 15」には主に4種類の不可触民が登場したと言える。ひとつめはひたすら差別され続ける人々。集団強姦の末に殺された2名の少女たち、名誉殺人の濡れ衣を着せられるその親たち、そして彼女たちと同じ村に住む人々。また、素手で下水道の清掃を行うマニュアル・スカベンジャーと呼ばれる最下層の不可触民の様子も少しだけ触れられる。彼らは、差別や抑圧を当たり前のものとして受け容れ、抵抗すらしようとしない。

 ふたつめの不可触民は、社会的な地位の向上に成功した者である。主人公アヤーン・ランジャンの部下には様々なカーストの者がいたが、その中でもキサーン・ジャータヴ副警部補は不可触民チャマール(皮革業者)の出身で、父親は学校で掃き掃除をしていた。だが、学業に励み、警察に就職したことで、不可触民の中では恵まれた地位にいる。しかしながら、同僚の警察官からは下に見られている。

 みっつめの不可触民は、自身の出自を政治力に変換して政治家となった者である。「Article 15」では、不可触民の出身ながら、ブラーフマン政治家と手を結び選挙を戦うシャーンティ・プラサードという政治家が登場した。ウッタル・プラデーシュ州においてブラーフマン政治家と不可触民政治家が共闘、と聞くと、インド人民党(BJP)と大衆社会党(BSP)の選挙協力を想起せざるを得ない。2002年にはこの2党が州議会の連立与党となった。ブラーフマンと不可触民は対局の存在だが、この2者が手を組むことがあるというのが、インド政治の面白い点である。

 よっつめの不可触民は活動家である。ニシャドは、不可触民の置かれた状況を改善すべく活動家の道を選び、警察を襲撃したり、選挙を妨害したりしている。元々はシャーンティ・プラサードの下で政治活動をしていたが、結局は政治では自分たちの地位の向上は望めないと気づき、地下に潜った。

 このように、ラールガーオンはカーストにより分断され、カーストにより奇妙な安定を保つ地域であった。だが、その安定は社会の下層に置かれた不可触民の犠牲の上に成り立っていた。主人公のランジャンはそんな古めかしく不平等な秩序を打破すべく、殺された不可触民の少女2名に関する捜査と、依然行方不明の少女プージャーの捜索をする。映画の終盤では、プージャーの捜索のために、ランジャンを始めとした警官たちが沼の中に入るシーンがある。この沼はスーアルタール(豚の池)と呼ばれており、村人たちからは非常に穢れていると考えられていた。だが、沼の辺からプージャーのサンダルが見つかり、この沼地にプージャーの手掛かりがあると考え、ランジャンは警官を動員して捜索する。その甲斐あってプージャーは発見される。捜索に参加した警官たちは疲れて道端に座り込み、不可触民のお婆さんが作った食事を一緒に食べる。不可触民の少女を探すために、あらゆるカーストの人々がスーアルタールに入ったことで、カーストの区別が消え去り、差別もなくなった、そんな瞬間だった。これら一連のシーンに、インドのカースト問題を解決するヒントが示されていたように感じた。

 「Article 15」はカースト問題を真っ向から取り上げた意欲作であり、評論家からの評価も高く、興行的にも成功した。着想からストーリーテーリングまで、完成度の高い映画だったことは確かだ。しかしながら、スリルやサスペンスという点ではいまひとつだった。例えば、タブーに踏み込むランジャンを力尽くで止めようとする悪の勢力が劇中に存在せず、ランジャンが全く命の危険にさらされなかったことは、この種の映画では珍しく感じた。もちろん、CBIの介入があり、ランジャンは捜査から外されたが、ランジャンの身に危険が及ぶことはなかった。もっとドラマチックに演出するならば、ランジャンにもう少し血を流させても良かったのではなかろうか。ランジャンは終始無傷のままだった。

 「Article 15」は基本的にフィクションであるが、ストーリーの大部分は、2014年に起こったバダーユーン集団強姦事件に酷似している。低カーストの少女たちが遺体で発見され、当初は強姦殺人の疑いが報じられたものの、名誉殺人の可能性も取り沙汰されるようになった。その後、CBIが介入し、自殺として結論づけたが、疑問を投げ掛けられている。

 変わった映画に好んで出演するアーユシュマーン・クラーナーは、今回はかなり抑え気味のシリアスな演技であった。ガウラーを演じたサヤーニー・グプターもかなり体当たりの演技であった。ナーサル、マノージ・パーワー、ムハンマド・ズィーシャーン・アユーブなど、演技に定評のある俳優たちが揃っていたし、クムド・ミシュラーの演技も光っていた。

 カースト差別の禁止を謳うインド憲法第15条を題名に掲げた映画「Article 15」は、カースト制度の問題に果敢に切り込んだ意欲作で、完成度の高い傑作である。実際に起こった事件をベースに、インド社会にいかにカースト差別が残っているかをリアルな切り口で描き出すことに成功している。非常に有意義な作品である。