Notebook

4.0

 一目惚れから始まる単純なボーイ・ミーツ・ガール的ロマンス映画もインドではまだ根強く作られているのだが、その一方でインド人好みなのが、男女が結ばれないか、究極的には全く顔を合わせずに終わるような淡い恋愛である。「The Lunchbox」(2013年/邦題:めぐり逢わせのお弁当)はその好例であった。2019年3月29日公開の「Notebook」も、お互いに顔も見たことがない男女がダイアリーを通じて交流し、恋に落ちるロマンス映画である。タイ映画「すれ違いのダイアリーズ」(2014年)の翻案である。

 監督は「Filmistaan」(2014年)のニティン・カッカル。プロデューサーはサルマーン・カーン。大部分のキャストが新人という思い切ったキャスティングで、主演は新人ザヒール・イクバールと新人プラヌータン・ベヘル。両人ともサルマーンの友人の子供で、彼らのローンチのためにサルマーンが一肌脱いだような形である。他に、ファルハナー・バット、ミール・サルワール、モズィーム・バットなどが出演している。

 カビール・カウル(ザヒール・イクバール)はインド陸軍の大尉で、カシュミール地方に駐屯していたが、越境して来た子供を死なせてしまったトラウマにより、軍を辞めて、学校の先生になった。赴任したのは、シュリーナガルのダル湖の真ん中にあるウーラル・パブリック・スクールであった。この学校は、彼の父親が創設した学校であった。しかし、現在、登校する子供は5人しかおらず、最初は関係を築くのに苦労するが、やがてカビールは子供たちの心を勝ち取る。

 カビールは教卓から、前任者の女性教師フィルダウス(プラヌータン・ベヘル)のダイアリーを見つける。それを読んでいる内に彼は顔も知らないフィルダウスに恋心を抱くようになる。フィルダウスは、イムラーンという聡明な子供が、父親ヤクーブ(ミール・サルワール)の無理解から学校を辞めなければならなかったことに対する悔しさを書き綴っていた。カビールはイムラーンに会いに行き、彼を学校に呼び戻す。ヤクーブは長いこと留守にしていたのだった。

 しかしながら、イムラーンは進級テストで不合格となってしまう。カビールの教え方が良くなったようであった。イムラーンは教師を辞めさせられてしまった。また、イムラーンはフィルダウスがもうすぐ結婚することを知り、ショックを受ける。

 フィルダウスは、デリー・パブリック・スクール・シュリーナガル校で教えていた。だが、幼馴染みで許嫁のジュナイド(モズィーム・バット)の懇願でそうしており、本心ではウーラル・パブリック・スクールで教えたいと思っていた。ジュナイドとの結婚式で、彼が浮気をしていたことを知り、フィルダウスは結婚を取り止める。そして、ウーラル・パブリック・スクールに戻って来る。

 フィルダウスは、教卓のダイアリーが書き足されているのに気付く。それを読み、今度はフィルダウスがカビールに恋するようになる。また、イムラーンが学校に戻って来ているのを見て喜ぶ。フィルダウスは、いつかカビールが学校を訪れると信じ、待っていた。だが、そこへやって来たのはヤクーブだった。彼はイムラーンを連れ戻そうとしていた。そこへちょうどカビールもやって来る。

 実はヤクーブは分離派テロリストであり、銃を持っていた。カビールとヤクーブは対峙し、ヤクーブは銃を取りだして彼を殺そうとするが、その銃は落ちてしまい、それをイムラーンが拾う。イムラーンは銃口を父親に向けるが、カビールはそれを辞めさせる。それを見たヤクーブは学校を去って行く。

 教卓にしまわれたダイアリーを通して、顔も見たことのない男女が時間を越えて交流し合い、恋心を抱き合うという、淡いロマンス映画が基本線としてあった。これは、原作となっている「すれ違いのダイアリーズ」をなぞっている。だが、映画の舞台は、印パ間の紛争の火種となっているカシュミール地方。この場所を舞台にして、普通の映画で収まるはずがない。お約束通り、分離派テロリストがストーリーに絡んで来る。恋愛のプロットラインとカシュミール問題のプロットラインは別々に評価するべきであろう。

 まずは恋愛について。「The Lunchbox」では、弁当箱に入った手紙を通して、異なる場所にいる男女がメッセージを送り合っていた。それに対して「Notebook」では、男女が顔を合わせずに交流するのに加えて、時間を越えた交流があった。まずはフィルダウスが1年間ダイアリーを書きためて学校の教卓の引き出しに入れておき、次の1年間は代って赴任したカビールがダイアリーを読んでフィルダウスに恋すると同時に、そこにメッセージを書き足して置いておいた。今度は再びフィルダウスがその学校に赴任し、書き足されたダイアリーを発見する。フィルダウスはそれを読んで、カビールに対して想いを巡らすようになる。

 湖上の学校という隔離された環境において、場所と子供とダイアリーを共有する男女2人。だが、時間はずれている。カビールはフィルダウスのダイアリーを参考にして子供たちの心を勝ち取ると同時に、子供たちからフィルダウスのことを聞き出そうとする。また、学校のあちこちにはフィルダウスの足跡があり、カビールはそれを見て、彼女に対する想いを募らせていた。次にフィルダウスが学校に戻って来ると、同じように場所と子供とダイアリーを通してカビールと時間を越えた交流をする。とてもロマンチックな展開だった。

 最後まで2人が顔を合わさずに終わっても、美しい物語になったと思うが、「Notebook」では最終的に2人が顔を合わす瞬間を用意している。一瞬、カビールが死んだのではないかと思わされるシーンもあるのだが、それはサスペンスを作り出すための引っ掛けであった。

 エンディングでは、カシュミール問題への解決が提示されており、結局はこれがこの映画のもっとも伝えたいメッセージとなっていた。それを演出するためには、2人が顔を合わす必要があったのかもしれない。キーとなっていたのはイムラーンという子供の存在だった。彼は学校で一番聡明な子供だったが、分離派テロリストの父親ヤクーブからは、学校教育を受けても仕方ないと、学校を辞めさせられてしまっていた。フィルダウスは彼を学校に連れ戻すことができなかったが、カビールは、父親が留守だったこともあって、イムラーンを連れ戻すことに成功する。カビールの後に、再びフィルダウスが学校に赴任して来た後、ヤクーブがイムラーンを連れ戻しに学校まで乗り込んで来る。そこにはカビールも駆けつけ、ヤクーブに何とかイムラーンを学校に通わすように懇願する。ヤクーブは拒否するが、最終的には折れ、学校を立ち去る。

 その心変わりのきっかけとなったのが、イムラーンの行動であった。彼は、父親の落とした拳銃を拾って、父親に渡さずに銃口を向けた。だが、カビールは銃を下ろすように言う。カビールは元々軍人であり、カシュミール地方に駐屯していたため、かつては武力によってカシュミール問題を解決する立場だった。だが、学校の先生になったことで、彼は教育によってカシュミール問題を解決する道を歩み始めたと言える。もしイムラーンが銃を持ち、父親を殺してしまったら、それは暴力によって暴力を打ち消す行為であり、インド陸軍と変わらなくなってしまう。それはカビールの敗北でもあったし、フィルダウスの敗北でもあった。イムラーンは、先生たちの気持ちを尊重し、銃を下ろす。教育がカシュミール問題解決の第一歩を作り出した瞬間だった。

 もちろん、学校でフィルダウスやイムラーンが暴力を否定するような教育をしているシーンはない。主に数学を教えているだけだ。そういうシーンが1つでもあれば、もっと説得力があったと思う。だが、言いたいことは十分に伝わり、非常に前向きなメッセージを発信する映画になっていた。

 実はカビールとフィルダウスの父親は旧友同士だったことも分かる。カビールの父親はカシュミーリー・パンディトである。カシュミーリー・パンディトとは、カシュミール地方にルーツを持つヒンドゥー教徒ブラーフマン(バラモン)であり、ブラーフマンの中でも最高位とされる。インド初代首相ジャワーハルラール・ネルーもカシュミーリー・パンディトの家系だ。だが、1989年にカシュミール分離独立派によるテロ活動がカシュミール地方で活発化し、カシュミーリー・パンディトが標的となったため、多数のカシュミーリー・パンディトが難を逃れてカシュミール地方を立ち去ることになった。カビールの幼少時の思い出の中で、シュリーナガルを去ってジャンムーへ行くシーンがあるが、これはこのときのことを指していると考えていいだろう。一方、カビールが父親と共に住んでいた家は、彼の友人であるイスラーム教徒が守っていた。おそらくイスラーム教徒でありながらカシュミーリー・パンディトを守ったことで殺されたのだろう。その娘がフィルダウスという訳である。

 中盤で、ウーラル・パブリック・スクールが嵐に遭ってバラバラになってしまうシーンがある。シュリーナガルにそのような嵐が来るのかどうかは分からない。少なくともサイクロンなどが来るような場所ではないと思う。シュリーナガルと言えば冬の雪景色も有名だが、「Notebook」では1回も雪を見なかった。おそらく撮影時期の問題なのだろうが、少し違和感を感じた点であった。

 新人2人の演技は悪くなかった。ただ、ザヒール・イクバールは、あまりヒーロー顔をしていないので、今後ヒーロー男優を続けて行くには余程の運に恵まれていないと苦しいかもしれない。プラヌータン・ベヘルについてはよりチャンスがありそうだ。

 ちなみに、「パブリック・スクール」とは、インドでは公立学校のことではなく、逆に基本的には私立学校である。物語中でも説明のあったように、ウーラル・パブリック・スクールは、カビールの父親によって創設された学校である。だが、今では政府系の学校になっているとのことだった。一方、「デリー・パブリック・スクール」という学校も出て来たが、こちらは完全な私立学校である。「デリー」とあるが、デリーにある訳ではなく、「Notebook」に出て来たのはシュリーナガル校だ。「デリー・パブリック・スクール」という名称がブランドになっており、インド中に同じ名前の学校が存在する。

 基本的に言語はヒンディー語だが、カシュミール地方が舞台となっていただけあり、カシュミーリー語の台詞も少しだけ出て来る。特にウーラル・パブリック・スクールに通う子供たちは時々カシュミーリー語を話していた。

 「Notebook」は、タイ映画「すれ違いのダイアリーズ」を原作にし、カシュミール地方の主都シュリーナガルを舞台にインド映画化した作品である。新人2人が主演を務めているが、サルマーン・カーンがプロデュースしていることもあり、注目される。ダイアリーを通して時間を越えて交流する男女のロマンス映画だが、カシュミール問題を教育で解決する意気込みが伝わって来て、単なるロマンス映画に留まらない、スケールの大きな映画に仕上がっている。