Sonchiriya

4.5

 2000年代のヒンディー語映画界には、ラーケーシュ・オームプラカーシュ・メヘラー監督、アヌラーグ・カシヤプ監督、ヴィシャール・バールドワージ監督、ディバーカル・バナルジー監督のような、強烈な作家性を持った若い監督たちがきら星の如く登場した。彼らの多くはデリー出身もしくはデリーで教育を受けてからムンバイーに乗り込んでおり、僕は彼らを「デリー派」と勝手に呼んでいる。

 2010年代にも多くの有能な監督たちが登場したが、上に挙げた監督たちの弟子であることが少なくない。「Ishqiya」(2010年)で監督デビューしたアビシェーク・チャウベー監督は、ヴィシャール・バールドワージ監督の弟子である。「Udta Punjab」(2016年)などの退廃的な傑作を作っており、近年のヒンディー語映画界では最も技巧的な監督の一人に数えられる。

 2019年3月1日公開の「Sonchiriya(金の鳥)」は、アビシェーク・チャウベー監督の持ち味が十分に活かされた盗賊映画である。キャストは、スシャーント・スィン・ラージプート、ブーミ・ペードネーカル、ランヴィール・シャウリー、アーシュトーシュ・ラーナーなどで、マノージ・バージペーイーが特別出演している。渋い演技派の俳優を取り揃えた感じだ。

 時は非常事態宣言が発令された1975年。チャンバル谷に跋扈する、タークル(ラージプート)カーストの盗賊集団の首領マーン・スィン(マノージ・バージペーイー)は、結婚式に強盗に入ったところを、ヴィーレーンドラ・スィン・グッジャル警部補(アーシュトーシュ・ラーナー)ら警察特殊部隊の待ち伏せに遭う。必死に応戦するが、マーン・スィンをはじめ多くの部下たちが命を落とす。ラクナー(スシャーント・スィン・ラージプート)、ヴァキール(ランヴィール・シャウリー)などが命からがら逃げ出す。マーン・スィン亡き後、ヴァキールが盗賊団の首領となった。

 荒野を行軍していたところ、子連れの女性インドゥマティ(ブーミ・ペードネーカル)と出会う。連れの少女ソーンチリヤーが病気で、病院に行く途中だと言う。ヴァキールは女性を連れて逃げることに反対するが、ラクナーは盗賊の義務を果たすべきと主張し、彼女たちも同行することになる。

 彼らは村の診療所に着くが、警察の襲撃を受け、さらに仲間を失う。ヴァキールは運が落ちていると感じ、女神の祠へ向かう。その祠はインドゥマティの村の近くだった。ヴァキールは彼女の家族に使いを送り、呼び寄せる。インドゥマティは家族から逃げていたところだったため、抵抗する。それを見たラクナーは反旗を翻し、ヴァキールとは別になってインドゥマティとソーンチリヤーを連れて逃げる。

 ラクナーは、インドゥマティとソーンチリヤーをドールプルの病院に送り届けた後、自首しようとしていた。道中、女盗賊プリヤーと合流し、ドールプルを目指すが、ヴィーレーンドラが包囲網を敷いており、警察に取り囲まれてしまう。しかし、そこにヴァキールの一団も駆けつけ、激しい銃撃戦が起きる。ラクナーはインドゥマティとソーンチリヤーを連れて逃げ、何とかドールプルに辿り着く。ソーンチリヤーが担架で運ばれて行くのを見届けた後、彼は追いついたヴィーレーンドラに撃たれ、死亡する。

 チャンバル谷は、ヤムナー河の支流であるチャンバル河一帯のことを指す。この辺りは、ラージャスターン州、マディヤ・プラデーシュ州、ウッタル・プラデーシュ州の州境が複雑に入り交じっている上に、不毛の渇いた荒野が広がっており、昔から多くの盗賊が暗躍する舞台となって来た。「Bandit Queen」(1994年/邦題:女盗賊プーラン)にもなった女盗賊プーラン・デーヴィーや、「Paan Singh Tomar」(2012年)の主人公で、陸上競技選手から盗賊に転身したパーン・スィン・トーマルも、このチャンバル谷を縄張りにしていた。「Sonchiriya」も、チャンバル谷の盗賊が主人公になっている。

 米国の西部劇にも似た雰囲気の映画だが、インド特有なのは、盗賊がカーストによって分かれていることである。物語の中心となるマーン・スィンやラクナーの属する盗賊団はタークルで構成されていた。「タークル」と呼ばれるカーストの実体は地域によって異なるのだが、チャンバル谷近辺で「タークル」と言えば、ラージプートのことである。地主や領主の階級であり、世界史で習うバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの中ではクシャトリヤにあたる。一方、劇中にはグッジャルとマッラーの盗賊団も登場した。グッジャルは基本的には農耕・牧畜民であり、ラージプートの下に位置するが、王国を築くに至ったグッジャルもおり、彼らの地位は比較的高い。「Sonchiriya」で盗賊を執拗に追うヴィーレーンドラ警部補もグッジャルであった。マッラーは船頭・漁民カーストであり、シュードラまたは不可触民に分類される、最下層に近いコミュニティーである。プーラン・デーヴィーもマッラー・カーストに属しており、「Sonchiriya」には彼女をモデルにしたと思われるプリヤーという女盗賊率いるマッラーの盗賊団も登場した。また、少女ソーンチリヤーは清掃人カーストであり、やはり不可触民である。

 もうひとつ、インドの盗賊に特有だと感じたのは、「ダルマ」という言葉が頻繁に使われていたことだ。「ダルマ」は一言で「宗教」と訳されるが、もっと深い意味を持った言葉であり、「義務」とか「使命」と言ったニュアンスで捉える方がしっくり来る。マーン・スィンは特に「盗賊のダルマ」を重視する盗賊であった。若輩者のラクナーは、「盗賊のダルマ」とは何かと首を傾げるが、映画を観ている内に段々と分かって来る。例えば、マーン・スィンは決して無駄な殺生はしようとしなかった。彼は、ライバル盗賊団の殺害や金品の巻き上げのみを自身のダルマだと考えており、一般市民、特に女性には決して手出しをしようとしなかった。日本人が「盗賊」と聞いて思い浮かべるイメージとはだいぶ違う。それ故に、あるときマーン・スィンは誤って子供を殺してしまったことを悔いていた。

 マーン・スィンが盗賊団の中でカリスマ性を持っていたのもダルマを遵守する彼のその芯の通った行動理念にあったのだが、彼の死の原因もこのダルマにあったと言える。彼は、情報提供者ラッチューの裏切りを知りながら、敢えて結婚式の強盗に入った。ラッチューの父親が警察に人質に取られていたのである。彼は、自分の庇護下にある者を守ることをダルマだと考えており、警察の待ち伏せがあると知りながら、結婚式に乗り込んだ。そこで命を落としてしまうのだが、彼はわざと死んだようにも取れる。少女を殺した罪を償うため、彼は尊い死に方をすることで、解脱を求めたのである。

 当初はマーン・スィンの生き方を理解しなかったラクナーも、ソーンチリヤーという名の少女を病院に送り届ける中で、盗賊のダルマを実感する。彼はその使命を果たした直後にデーヴェーンドラ警部補に撃たれて死んでしまうが、彼にとってもこれは解脱であった。

 映画の最後では、デーヴェーンドラ警部補が部下に撃たれるシーンが追加されている。撃った部下はタークルであり、撃たれたデーヴェーンドラはグッジャルであった。警察の中での地位はデーヴェーンドラの方が高かったが、カーストではデーヴェーンドラの方が下だった。この捻れが、最後のこの唐突な殺人につながっている。そして、「ネズミは蛇に食われ、蛇はハゲワシに食われる」という自然の摂理をもっともらしく説明するナレーションが入る。これは、カーストの上下関係が容易には崩されないことを示していると言えるだろう。

 演技派の俳優たちばかりが総出演しており、演技は豪華だ。登場人物はブンデーリー方言のヒンディー語を話し、写実性が最重要視されている。マノージ・バージペーイー、スシャーント・スィン・ラージプート、ブーミ・ペードネーカル、ランヴィール・シャウリーなどの一級の演技は、この映画の最大の見所だ。

 「Sonchiriya」は、現在のヒンディー語映画界で飛び抜けた才能を持つアビシェーク・チャウベー監督の盗賊映画である。装飾を極限までそぎ落とした、乾燥した大地で繰り広げられる演技派俳優たちの競演は、この上なく豪華だ。一見、西部劇のように見えるが、カーストやダルマなど、インド特有の価値観が盛り込まれており、極度にインドらしい映画に仕上がっている。必見の映画である。