Ek Ladki Ko Dekha Toh Aisa Laga

4.0

 インドでは英領時代に制定されたインド刑法(IPC)377条により、同性愛は最高刑が無期懲役の重罪であった。実際にこの条文のために罰せられた者はいないとされているが、インドの同性愛者たちは潜在的な犯罪者として肩身の狭い生活を送らざるを得なかった。この条文が最高裁判所によって撤廃されたのが2018年9月のことである。ヒンディー語映画界はかねてより同性愛を主題にした映画をいくつも送り出して来たが、同性愛合法化を受けて、今後ますます同性愛映画が作られて行きそうだ。インド刑法377条撤廃前後を時間軸に設定した同性愛映画「Shubh Mangal Zyada Saavdhan」(2020年)も作られている。

 2019年2月1日公開の「Ek Ladki Ko Dekha Toh Aisa Laga」も同性愛を主題にした映画である。製作が始まったのは、まだインド刑法377条が有効だったときのことだ。題名は、「1942: A Love Story」(1994年)の挿入歌から取られている。「ある女の子を見たらこう思った」という意味である。「Ek Ladki Ko Dekha Toh Aisa Laga」が扱うのは、同性愛の中でも女性同士の同性愛だが、過去には「Fire」(1996年)、「Girlfriend」(2004年)、「Dedh Ishqiya」(2014年)があった。

 監督は新人のシェリー・チョープラー・ダール。プロデューサーはヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー。主演はラージクマール・ラーオとソーナム・カプール。他に、アニル・カプール、ジューヒー・チャーウラー、アビシェーク・ドゥハン、レジナ・カサンドラ、マドゥマールティー・カプール、スィーマー・パーワーなど。

 有名な映画プロデューサーの息子ながら、デリーで劇作家をして下積み生活をしているサーヒル・ミルザー(ラージクマール・ラーオ)は、パンジャーブ州モーガーで衣料品工場を経営するバルビール・チャウダリー(アニル・カプール)の娘スウィーティー(ソーナム・カプール)と出会い、恋に落ちる。だが、スウィーティーは兄のバブルー(アビシェーク・ドゥハン)に連れられて行ってしまう。

 サーヒルはスウィーティーのことが忘れられず、地方で演劇ワークショップをすることを口実にモーガーを訪れる。自称女優のチャトロー(ジューヒー・チャーウラー)も同行した。サーヒルはスウィーティーをワークショップに誘う。サーヒルとスウィーティーは友達になるが、彼女は大きな秘密を打ち明ける。実はスウィーティーには好きな女の子がいた。つまり、スウィーティーの性的対象は女性だった。スウィーティーのガールフレンドは、デリー在住のクーフー(レジナ・カサンドラ)であった。バブルーは子供の頃からスウィーティーの性的指向に気付いており、家の名誉を守るために、彼女を監視して来たのだった。

 サーヒルはスウィーティーとクーフーをくっ付けるため、モーガーでレズを題材にした演劇を公演することを思い付く。主演としてスウィーティーとクーフーを起用し、バルビールもスウィーティーの父親役に仕立てあげた。だが、バブルーがサーヒルの意向を察知し、父親に全てを打ち明け、演劇の公演を辞めさせようとする。だが、スウィーティーの強い意志もあり、演劇は公演された。それを見たバルビールは改心し、スウィーティーとクーフーの仲を認める。

 典型的なインドのロマンス映画は、愛し合う男女が、彼らの結婚に反対する親などの障害を乗り越えて結ばれるというものである。結婚に反対する理由としてよく使われるのが、宗教、カースト、社会的地位、経済力などである。「Ek Ladki Ko Dekha Toh Aisa Laga」では、サーヒルとスウィーティーの恋愛において宗教の差があった。サーヒルはイスラーム教徒であるのに対し、スウィーティーはスィク教徒である。そして、スウィーティーの父親バルビールは異宗教間の結婚に当初は大反対であった。だが、これはこの映画の本質ではなかったし、映画の中でもあっさりと解決されていた。

 「Ek Ladki Ko Dekha Toh Aisa Laga」の真のカップルは、スウィーティーとクーフーという2人の女性であった。それが明かされるのは中盤で、それまで観客は通常のロマンス映画のつもりで鑑賞していることであろう。意外な展開であった。

 サーヒルは好青年で、スウィーティーの性的指向を知ると、彼女がクーフーと結ばれるように協力し出す。最終的に彼が思い付いたのは、演劇の力を使ってバルビールに自発的な理解を促す作戦である。とても分かりやすい展開だった。

 同性愛者にとって、人生で一番大切な瞬間は、家族から同性愛者としての自分をありのままに認めてもらう瞬間だとされる。疑似同性愛映画ながら同性愛者から高い評価を受けた「Dostana」(2008年)にはその大切な瞬間が描かれていたことが大きかったとされる。「Ek Ladki Ko Dekha Toh Aisa Laga」でも、父親から認めてもらう瞬間が結末に用意されており、同性愛映画の王道と言えた。ただ、兄のバブルーは最後までレズビアンとしてのスウィーティーのことを認めておらず、課題として残ることになった。

 LGBT映画の特徴であろうが、「普通」が一体何なのかということが問題提起されていた。異性愛者は異性愛を「普通」と考えるが、同性愛者は同性愛を「普通」と考える。どうしても異性愛者の方が多数派であるため、世間では多数派の「普通」がまかり通ってしまいがちだが、少数派の「普通」も尊重されるべきだということが主張されていた。

 「Ek Ladki Ko Dekha Toh Aisa Laga」が扱う表のジェンダー問題はスウィーティーとクーフーの同性愛であったが、裏のテーマもあった。それはバルビールの趣向である。シングルファーザーのバルビールは異性愛者であり、チャトローにゾッコンになっていたが、彼には料理の趣味があった。だが、母親は「料理は女のすること」と考えており、「男が台所に入っていいのはガスシリンダーを交換するときのみ」と言い張っていた。よって、バルビールは母親に隠れて料理をしていた。バルビールは、スウィーティーの性的指向を認めると同時に、自分の趣味を前面に押し出すことも決意し、昔から本当にやりたかったこと――レストランの開業――をする。インドではまだまだ「男は男らしく」という考えが強いが、同性愛を認めて行くと同時に、このようなジェンダーの押しつけについても考え直す時期が来ていることが示されていた。

 また、本作にはもうひとつ重要な変化が見られた。それはサーヒルの人生観である。サーヒルの父親は有名な映画プロデューサーであり、望めば彼は易々と映画界でデビューすることができた。だが、サーヒルはそれを潔しとせず、自分で苦労して身を立てる道を選び、デリーで劇作家をしていた。2020年、スシャーント・スィン・ラージプートの自殺をきっかけに、ヒンディー語映画界の縁故主義が取り沙汰されたことがあった。この映画の公開後の出来事ではあるが、それを予見する設定である。親の七光りを利用せず、独立独歩で自分のやりたいことに没頭する生き方も尊重されるべきだという主張も感じられた。

 ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラーのプロデュース作品らしく、歌と踊りが魅力的な映画でもあった。題名にもなっている「Ek Ladki Ko Dekha Toh Aisa Laga」のリメイクを始めとして、過去の名曲が効果的に使われていた他、リズムカルなパンジャービー・ソングがあり、映画を楽しい雰囲気にしていた。

 ラージクマール・ラーオの演技は良かった。気分屋で演技にムラのあるソーナム・カプールは、今回は実の父親アニル・カプールと共演ということもあり、いつもよりも気合いが入っていた。どちらかというと入りすぎで、オーバーアクティングに見えるシーンはいくつかあった。安定感のない女優である。むしろ、南インド映画界で活躍しているレジナ・カサンドラの方が、出番は少ないながらも、重みのある演技をしていた。

 言語は基本的にヒンディー語だが、中盤から舞台がパンジャーブ州モーガーに移ることもあって、パンジャービー語混じりのヒンディー語が支配的である。また、バルビールがサーヒルに、やたら難解な語彙を織り交ぜたウルドゥー語をたどたどしく話すシーンもあった。

 「Ek Ladki Ko Dekha Toh Aisa Laga」は、インド刑法377条撤廃後に公開された同性愛映画である。ただ、映画の製作は撤廃前から始まっており、このタイミングはたまたまだった。きれいにまとまっており、インド映画らしい歌と踊りと幸せに満ちた作品だ。観て損はない。