Tumbbad

4.5
Tumbbad
「Tumbbad」

 ソーハム・シャーはヒンディー語映画界では変わり種の映画人である。ラージャスターン州に生まれ、不動産ビジネスで成功した後、コンテンツ重視の映画を作るためにムンバイーに乗り込んだ。彼がプロデュースし、主演も務めた「Ship of Theseus」(2013年)は高い評価を受けた。その彼がプロデューサーとして6年の歳月を掛けて作り上げた映画が「Tumbbad」である。2018年のヴェネツィア国際映画祭批評家週間でプレミア上映された後、同年10月12日に劇場公開された。「Ship of Theseus」もユニークな映画だったが、「Tumbbad」も、インド映画の一般的なレベルを凌駕したホラー映画であった。

 監督は新人のラーヒー・アニル・バールヴェー。主演はソーハム・シャー。他に、ムハンマド・サマド、ジョーティ・マルシェー、アニター・デート・ケールカル、ロンジニー・チャクラボルティーなどが出演している。

 富と食料の女神は1億6千万の神を生んだが、最初の子供ハスタルを特に可愛がっていた。だが、ハスタルは貪欲で、女神の持つ富と食料を全て奪おうとした。ハスタルは富を奪ったところで他の神々に攻撃された。女神は、ハスタルを人々の記憶から抹消することを条件に、彼の命を助けた。ハスタルは、女神の子宮の中で眠り続けた。

 1918年、インド中西部トゥムバード。ヴィナーヤクの母親は地主サルカールに仕えていた。サルカールの邸宅にはハスタルの像が祀られており、その石像には1枚の金貨が埋め込まれていた。ヴィナーヤクの家では、母親(ジョーティ・マルシェー)が怪物と化し幽閉された祖母の世話をしていた。ある日、ヴィナーヤクは留守中に祖母の世話を任されるが、祖母に殺されそうになる。だが、母親から教わった、「眠れ、さもなくばハスタルが来る」という呪文を唱えたことで助かった。サルカールは老衰のため死に、母親は金貨を盗み出して、トゥムバードを後にする。母親はヴィナーヤクに、二度とトゥムバードに戻らないことを誓わせる。

 1932年。成長したヴィナーヤク(ソーハム・シャー)はトゥムバードに戻り、祖母と再会する。祖母はハスタルに触れられたため不死身となっており、ずっと死ねずにいた。祖母はハスタルの秘密をヴィナーヤクに明かす。サルカールが住んでいた邸宅の地下には女神の子宮があり、そこにはハスタルがいる。ハスタルは空腹であり、小麦粉でできた人形を投げることで飛びつく。ハスタルの褌には金貨が詰まっており、隙を突いてその包みをほどけば金貨を手にすることができる。ヴィナーヤクは女神の子宮の中に入り、ハスタルから金貨を盗み取る術を身につける。その金貨のおかげでヴィナーヤクは富を築くことに成功する。友人のラーガヴは金貨の秘密を知るためにヴィナーヤクの後を付けるが、女神の子宮の中でハスタルに触れられてしまう。ヴィナーヤクは彼を焼き殺す。

 1947年。ヴィナーヤクの息子パーンドゥラング(ムハンマド・サマド)は、父親から女神の子宮に下りる訓練を受けていた。ある日、ヴィナーヤクは息子をトゥムバードに連れて行く。パーンドゥラングのミスのためにハスタルに触れられそうになるが、間一髪で助かる。インド独立により、トゥムバードの邸宅はインド政府の所有物となった。パーンドゥラングは、ハスタルの褌を盗めば無限の金貨が手に入ると提案する。ヴィナーヤクとパーンドゥラングはたくさんの小麦粉人形を持って女神の子宮に入るが、人形の数だけハスタルが現れた。ヴィナーヤクは自分を犠牲にしてハスタルを誘き寄せ、息子の命を救う。パーンドゥラングは、怪物と化した父親から褌を受け取らず、彼に火を付けて焼き殺す。

 映画の冒頭では、マハートマー・ガーンディーの以下の言葉が引用される。

The world has enough for everyone’s needs, but not everyone’s greed.
世界には各人の必要とするものが十分にあるが、各人の欲望を満たすものは十分にはない。

Mahatma Gandhi

 「Tumbbad」は、20世紀前半のインド中西部を舞台にし、架空の神話に沿って作られたホラー映画であるが、その根底において強調されているのは欲望の一点であった。イソップ童話の「金の卵を産むガチョウ」をホラー映画仕立てにしたと言っていいだろう。女神の寵児だったハスタルも欲望のために身を滅ぼし、崇拝されず、記憶からも消去された存在となった。そしてハスタルから金貨を奪い取ろうとする人間も、身の丈に合った欲望を持っている内はまだ良かったが、その欲望に歯止めが掛からなくなったとき、身を滅ぼすことになった。

 映画のハイライトは、女神の子宮の中に下りて行くシーンだ。そこではハスタルと対峙することになる。インド映画はおろか、他国の映画でも見たことのないおどろおどろしい演出だ。敢えて引き合いに出すならば、アッサム州にあるカーマキャ寺院を想起させる。インド全土に、シヴァ神の妻サティーの切り刻まれた身体の一部が落ちたとされるシャクティピートという聖地が散らばっているが、カーマキャ寺院は、女性器が落ちた場所とされている。この寺院の本堂は地下の奥深くにあり、この寺院の参拝は、まるで子宮に下りて行くような体験となる。よって、いかにもインドらしい発想という気もした。

 女神の子宮やハスタルは強烈な印象を残すが、「Tumbbad」でもうひとつ印象的なのは雨だ。映画のほとんどのシーンで大雨が降っている。意図的に雨の日に撮影をしたと言う。6年掛けて撮影されたが、雨のシーンは4回のモンスーンを使って撮られている。映画の中で晴れ間が見えるのは、ヴィナーヤクが殺された後くらいである。

 時代劇でもあり、衣装やセットにも力が入っていた。少年時代のヴィナーヤクや、息子のパーンドゥラングは、弁髪のような髪型をしているが、これはブラーフマンの身なりである。また、子宮の女神がある邸宅は、マハーラーシュトラ州の伝統的な邸宅建築で、「ワーダー」と呼ばれていた。

 主演のソーハム・シャーは気迫の演技をしていた。パーンドゥラングを演じた子役ムハンマド・サマドも素晴らしかった。なんと怪物と化した祖母を演じたのもムハンマド・サマドだと言う。

 「Tumbbad」は、変わり種のプロデューサー、ソーハム・シャーが6年の歳月を掛けて作り上げ、自ら主演を務める、渾身のホラー映画である。ヒンディー語映画界にホラーというジャンルが根付いてしばらく経った。この間、インド人が世界のホラー映画に何らかの寄与をしたことはほとんどなかったと言えるが、この映画だけは突然変異的な完成度の高さだ。必見の映画である。