Manto

4.5
Manto
「Manto」

 サアーダト・ハサン・マントー(1912-55年)はウルドゥー語小説作家の巨匠である。英領インドに生まれ、ボンベイで作家として名声を獲得し、1947年の印パ分離独立後にパーキスターンに渡った。社会の闇や人間の暗黒面を赤裸々に描写する作風であり、存命中は猥褻の容疑で何度も裁判沙汰となった。一般にはパーキスターン人作家として知られるが、元々インドで執筆活動を行っていたこともあり、印パ両国に今でも根強いファンがいる。2018年9月21日に一般公開されたインド映画「Manto」は、マントーの生涯に迫った伝記映画である。

 「Manto」の監督は女優のナンディター・ダースである。彼女は「Firaaq」(2008年)で監督デビューしており、本作が長編映画2作目となる。主人公マントーを演じるのはナワーズッディーン・スィッディーキー。ラスィカー・ドゥガール、ターヒル・ラージ・バスィーン、リシ・カプール、パレーシュ・ラーワルなどが脇役として出演している。また、劇中には、マントーと親交のあった文学者や映画人、それにマントーの作品に登場するキャラクターなどが多数登場しており、彼らを著名な俳優たちが演じている。ジャーヴェード・アクタル、ランヴィール・シャウリー、イーラー・アルン、ディヴィヤー・ダッターなどである。

 マントーの伝記映画といっても、マントーの誕生から死までを一貫して描写した映画ではない。主な時間軸・舞台となっているのは、1946年のボンベイと1948年のラホールである。この間には1947年の印パ分離独立があり、イスラーム教徒のマントーは、住み慣れたボンベイからラホールへの移住を余儀なくされた。ラホールに移住したマントーは次第に酒浸りの毎日を送るようになり、彼の小説が猥褻物として刑事罰の対象となったことで、彼の精神状態はさらに悪化する。裁判で有罪が決まった後、彼の死がテロップで表示されて、映画は終わる。

 パーキスターンで生涯を終えた作家をインド人監督がインド側からの視点で描いたためか、マントーはラホールにいても常にボンベイに恋い焦がれる設定となっていた。事実、彼はインドの分離独立には反対で、マハートマー・ガーンディーも敬愛していた。彼はボンベイという街を愛していたが、彼のボンベイ愛には2人の具体的な姿があった。1人は俳優のシャームである。「Dillagi」(1949年)などで知られる俳優で、実際にマントーはシャームと親交があった。もう1人はインド人ウルドゥー語作家イスマト・チュグタイーである。彼女はイスラーム教徒であったが、印パ分離独立後もインドに残ることを選択し、ウルドゥー語文学界の重鎮であり続けた。劇中では、マントーとチュグタイーの間の恋愛感情を仄めかす交流が示唆されていた。ラホールで新たな生活を始めたマントーの精神を蝕んで行ったのは、まずは大好きなボンベイを失い、ボンベイで出会った友人たちと離れ離れになってしまったことであった。

 マントーはラホールでも積極的に執筆活動を行い、多くの名作を生み出した。だが、彼の作風は社会にすんなりとは受け入れられず、猥褻の容疑を掛けられ、裁判となる。彼は社会の暗部を正直に作品にして世に送り出しているだけであり、彼にとって、彼の小説が猥褻であったら、社会が猥褻であることを意味した。小説は社会の鏡であり、もし鏡に映る社会の姿が醜いならば、その責任は鏡にはない。彼は懸命に自己弁護するが、結局有罪となってしまう。

 だが、彼にとってもっともショックだったのは、裁判の中で証人として召喚された文学者ファイズ・アハマド・ファイズの言葉だった。彼は、マントーの小説を猥褻とは認めなかったが、文学として二流と評価した。マントーは、作家として当然ではあるが、自身の作品にプライドを持っており、猥褻罪で有罪になろうとどうでも良かったが、ファイズのような文学者から認められなかったことには大いに失望していた。このことも、彼をアルコールへ向かわせた。

 小説家を主人公にした映画である上に、最後はアルコール中毒で死亡したこともあって、劇中では、マントーが書いた5つの短編小説――「Khol Do(開け)」、「Thanda Gosht(冷たい肉)」、「Toba Tek Singh(トーバー・テーク・スィン)」、「10 Rupaya(10ルピー)」、「100 Watt Bulb(100ワットの電球)」――が、現実と空想が入り交じる形で織り込まれる。そして、小説の映像化シーンでは、著名な俳優が小説のキャラを演じる。

 主演のナワーズッディーン・スィッディーキーは近年飛ぶ鳥を落とす勢いであり、今回もマントーをこれ以上にないほど好演した。ナンディター・ダースの監督も見事であった。ナルギス、アショーク・クマール、ナウシャード、Kアースィフ、イスマト・チュグタイー、クリシャン・チャンダル、ファイズ・アハマド・ファイズなど、当時の著名人が端役でサラッと出演するのも粋で、文学やインドのクラシック映画が好きな人にはたまらない。

 「Manto」は、ウルドゥー語小説家サアーダト・ハサン・マントーの伝記映画であり、ナンディター・ダースの監督作品である。主演ナワーズッディーン・スィッディーキーの好演が光る他、印パ分離独立時の混乱やパーキスターンへの移住を余儀なくされたイスラーム教徒の心情がよく描写されており、単なる伝記映画に留まっていない。さらに、マントーの作品をストーリーに織り込む工夫が凝らされており、様々な角度から楽しむことのできる逸品である。