Mukkabaaz

4.0

 ヒンディー語映画の歴史においてスポーツ映画は長らくまともに作られて来なかったのだが、「Lagaan」(2001年)や「Chak De! India」(2007年)などの成功により、ジャンルとして確立し、現在に至る。インドで一番人気のスポーツはクリケットであり、スポーツ映画の主題となるのもクリケットが多いが、他のスポーツも比較的よく映画化されている。どちらかというと、インド国内であまり人気のないスポーツの方がドラマ性が増すという理由もあるのだろう。

 2018年1月12日公開の「Mukkabaaz(ボクシング)」はボクシングの映画である。ヒンディー語映画においてボクシングはよく映画になっているスポーツのひとつだ。今まで、「Apne」(2007年)、「Lahore」(2010年)、「Mary Kom」(2014年)などが作られて来た。「Mukkabaaz」の監督は、ヒンディー語映画界の風雲児、アヌラーグ・カシヤプ。彼がスポーツ映画を撮るのは初めてのはずである。他の監督とは次元の異なる映画を作り続けるカシヤプ監督がどのようにボクシングを料理するか、大きな見所だ。

 主演はヴィニート・クマール・スィン。カシヤプ監督の「Gangs of Wasseypur」シリーズ(2012年)などに出演していた俳優で、今回は主役に抜擢された。ヒロインは新人のゾーヤー・フサイン。さらに、ジミー・シェールギルが悪役で出演している。

 他に、ラヴィ・キシャン、サーダナー・スィン、ラージェーシュ・タイラングなどが出演している。また、ナワーズッディーン・スィッディーキーが特別出演している。

 ウッタル・プラデーシュ州バレーリーで生まれ育ち、ボクシングでキャリアを築こうとしていたシュラヴァン・クマール(ヴィニート・クマール・スィン)は、地元のボクシング界に多大な影響力を持つバグワーン・ダース・ミシュラー(ジミー・シェールギル)に歯向かってしまい、地区大会にも出場できなくなってしまっていた。また、シュラヴァンはバグワーンの姪で唖のスナイナー(ゾーヤー・フサイン)と恋仲にあり、ボクシングで成功して公務員となり、彼女と結婚したいと考えていた。

 バグワーンの妨害により、バレーリーでは大会出場すら叶わないため、シュラヴァンはヴァーラーナスィーから大会に出場することにした。そこで出会ったのが、ボクシングコーチのサンジャイ・クマール(ラヴィ・キシャン)である。サンジャイはシュラヴァンの才能を認め、彼を訓練する。シュラヴァンがヴァーラーナスィーから大会に出場することを知ったバグワーンは、それも阻止しようとするが、サンジャイは才能あるボクサーを伸ばすことを優先し、バグワーンの指示を断る。シュラヴァンは大会に出場して優勝し、インド鉄道に就職することになる。また、職を得たことでスナイナーとの結婚も実現した。もちろん、バグワーンの妨害があったが、バグワーンの兄ゴーパール・ダースは日頃からバグワーンの振るまいに不満を持っており、バグワーンに逆らってまで娘をシュラヴァンと結婚させる。

 結婚したシュラヴァンは、新しい仕事、新婚生活、そしてボクシングの練習をこなすことに精いっぱいとなる。バグワーンはシュラヴァンの台頭を防ぐため、様々な嫌がらせを始める。まずはゴーパール夫妻が家から追い出される。彼らはスナイナーを連れて母親の実家に身を寄せようとしたが、バグワーンに拉致されてしまう。また、サンジャイも暴行を受け、意識不明の重体となる。シュラヴァンは必死でスナイナーを探し回るが見つからなかった。

 それでもシュラヴァンは州大会に出場し、勝ち上がる。隙を見てスナイナーから連絡を受け、居所が分かると、彼はそこへ突入し、スナイナーと両親を助け出す。警察とバグワーンが駆けつけるが、シュラヴァンは警察の目の前でバグワーンを袋だたきにする。

 州大会の決勝戦でシュラヴァンは対戦相手に負けるが、それはスナイナーとの約束を果たしたからだった。

 ヒンディー語映画においてスポーツが取り上げられるとき、単にスポーツだけではなく、何らかの社会的なメッセージが込められることが多い。「Mukkabaaz」も単なるボクシング映画ではなかった。また、スポーツ映画は主人公が紆余曲折を経ながらも栄光の階段を駆け上がる様子を華々しく描くことが多いものだが、アヌラーグ・カシヤプ監督が王道を行くはずもなく、映画の主人公シュラヴァンは、ボクサーとして才能がありながら、ほとんど日の目を見ることがなく引退する。

 映画の最後に表示されるメッセージからも分かるように、カシヤプ監督が「Mukkabaaz」で主張したかったのは、インドのスポーツがなぜ長年低迷しているのか、という問題である。インドは中国に次ぎ世界第二の人口を擁する大国であるが、スポーツに関しては完全に後塵を拝しており、リオ五輪でも2個しかメダルを取ることができなかった。それはなぜか。カシヤプ監督がこの映画で語りたかったのは、シュラヴァンのような才能あるスポーツ選手が、国のために才能を発揮する前に潰されてしまう、インド社会の構造的な欠陥だと言える。

 シュラヴァンが才能を潰されたのは、第一には、地元ボクシング界を牛耳る政治家バグワーンの不興を買ってしまったからだった。個人の好き嫌いや私的な人間関係が、才能あるスポーツ選手の成長と台頭を阻害するのは良くないことだ。ただ、シュラヴァンがバグワーンから疎まれるようになったのは、単なる好き嫌いではない。その裏には根強いカースト意識もある。バグワーンはブラーフマン(僧侶階級)、シュラヴァンはクシャトリヤ(武士階級)で、バグワーンはシュラヴァンを下に見ていた。しかも、最近は偽のクシャトリヤが多いということで、シュラヴァンの出自がさらに下である可能性にも言及していた。バグワーンは、ボクシング界への影響力を利用して、ボクサー志望のシュラヴァンを使用人扱いしていた。血気盛んなシュラヴァンは遂にそれに反発し、バグワーンから敵視されるようになってしまったのである。

 他の場面でもカースト差別が見受けられた。シュラヴァンのコーチを買って出たサンジャイは、ハリジャン(不可触民)の出自であった。彼も壮絶な差別と戦いながら生きて来ており、自身はボクサーとして大成できなかったが、ボクシングジムを開き、貧しい若者に無料でボクシングを教えていた。サンジャイは、被差別階級が優遇される留保制度を使って身を立てることも潔しとしていなかった。非常に芯の通った不可触民像を体現したキャラだと感じた。サンジャイがバグワーンに呼ばれて会いに行くシーンがあるが、そこでバグワーンからカーストを問われ、それに答えると、露骨に差別をされていた。しかしながら、サンジャイはブラーフマンであるバグワーンの前で一歩も引かず、愛するボクシングのためにシュラヴァンのような才能あるボクサーにチャンスを与え続けることを誓うのだった。

 ただ、「Mukkabaaz」はあくまで娯楽映画であり、最後はロマンスでまとめられていた。最終的にシュラヴァンがボクシングを引退したのは、怪我のためでも、カースト差別に負けた訳でもない。スナイナーへの愛を貫いたからだった。シュラヴァンは彼女と結婚するとき、必要ならばボクシングをも捨ててスナイナーのために尽くすと誓った。バグワーンに拉致されたスナイナーを取り戻したシュラヴァンは、この世にスナイナー以上に大切なものはないと実感し、州大会決勝戦を最後にボクシングから足を洗う。決勝戦ではKO負けを喫するが、それもわざと負けた可能性が大である。シュラヴァンは、意識不明のまま回復することのなかったサンジャイの遺志を継ぎ、ボクシングジムのコーチとなって、次世代のボクサー育成に精を出すことにしたのだった。

 主役に抜擢されたヴィニート・クマール・スィンと、新人ながらヒロインに抜擢されたゾーヤー・フサインは、どちらもそれぞれの役を好演していた。ヴィニートは必ずしもメインヒーロー型の男優ではないのだが、ウッタル・プラデーシュ州の地方都市でボクサーを目指す下位中産階級の青年を演じるのは適役だ。ゾーヤーも、言葉がしゃべれないながらも、勉強して何かを成し遂げようとする純朴な女性を力強く演じていた。唖ということで全く台詞がなかったが、清涼感ある容姿と豊かな表情によってインパクトを残していた。

 主演の二人に加えて、悪役ジミー・シェールギルもまた深みのある演技をしていた。なぜか常に目が赤く、家の内外で封建領主のように威張り散らしている。兄よりも権力を持っているという設定はインド映画では珍しいが、現実ではそういうこともあるのだろう。圧巻の演技であった。

 「Mukkabaaz」は、鬼才アヌラーグ・カシヤプ監督によるボクシング映画である。カシヤプ監督が普通のスポーツ映画を撮るわけがなく、非常に多くの社会問題に触れながら、人物設定も凝っていて、一筋縄ではいかない作品に仕上がっている。興行的には失敗に終わったようだが、見応えのある作品である。