Tumhari Sulu

4.0
Tumhari Sulu
「Tumhari Sulu」

 インド人女性は伝統的に、幼少時には父親に、結婚後は夫に、夫の死後は息子に依存する人生を送ることになっている。つまり、人生の全ての段階において男性家族の付随物であり、自立の余地がない。インド映画においても、女性キャラは主に娘か妻か母親に限られ、自立した女性は娼婦くらいで、好意的に描かれることは少なかった。だが、21世紀に入り、それもだいぶ変化した。その中で、主婦にも焦点が当てられるようになっている。ガウリー・シンデー監督の「English Vinglish」(2012年)は、英語のしゃべれない主婦がニューヨークで英語を学び始めるというプロットの映画で、主婦の尊厳をテーマとしていた。2017年11月17日公開の「Tumhari Sulu(君のスル)」も、主婦がラジオジョッキー(RJ)になるという、主婦をテーマにした映画である。

 監督はスレーシュ・トリヴェーニー。主演はヴィディヤー・バーラン。他に、マーナヴ・カウル、ヴィジャイ・マウリヤー、ネーハー・ドゥーピヤー、RJマリシュカーなどが出演している。また、アーユシュマーン・クラーナーがカメオ出演している。

 舞台はムンバイー。高校中退のスル(ヴィディヤー・バーラン)は、熱しやすく冷めやすい性格で、今まで始めたことを長続きさせたことがなかった。小さな縫製会社で働く夫のアショーク・ドゥベー(マーナヴ・カウル)と一人息子のプラナヴと共に慎ましい生活をしていた。

 ある日スルはラジオ局を訪れ、そこでRJ募集の広告を目にし、RJを目指す。ラジオ局の局長マリア(ネーハー・ドゥーピヤー)はまともに取り合わないが、考えを変え、主婦のスルを深夜番組のRJに起用する。スルのセクシーな声と機転の利いたトークはたちまち人気となる。だが、アショークは妻が家を留守にすることが多くなったことでフラストレーションを抱え、プラナヴは学校で悪さをして停学処分となる。家族がバラバラになりつつあるのを目にし、スルはRJを辞めることを決心する。このような物語である。

 夫が外で働き稼ぎ頭となる一方、妻が主婦として家庭を支えるという家族の在り方はインドでも一般的である。ドゥベー家の生活は決して豊かではなかったが、夫婦仲は睦まじく、幸せな家庭であった。だが、スルがRJの仕事をし始めると、家族関係に綻びが生じ始める。このようなプロットを聞くと、主婦が外で仕事をすることを批判する内容に思われるが、決してそうではなく、エンディングも明るいものとなっている。ただ、インドにおいて、主婦が深夜番組のRJのような仕事を始めると、家族からなかなか理解が得られない上に、家庭に何かあると彼女のせいにされる問題は指摘されていた。

 もっとも印象的なシーンは、スルが、向かいの家に住むキャビンアテンダントたちに挨拶するシーンだ。学歴が低く仕事をしていないスルは、働く女性たちに憧れを持っており、それが彼女をRJに向かわせたひとつの原動力となった。単なる主婦だったスルはキャビンアテンダントたちに恐る恐る挨拶するしかなかったが、RJとなったスルは幾分自信を持って挨拶をすることができていた。一瞬のシーンであったが、仕事を持つことが自信につながる様子がよく表現されていた。

 ドゥベー家の在り方は特殊であった。スルの双子の姉が彼女の家庭内問題に積極的に介入していた。インドでは基本的に女性が結婚すると夫の家族の一員となるため、妻の実の姉や父との関係は夫の家族と比べたら薄くなるはずだが、「Tumhari Sulu」で描かれていた家族関係は夫の家族の存在感が全くなかった。それについて映画のどこかで説明はなかったと思われる。ただ、近年のヒンディー語映画では女性が強くなる一方で相対的に男性が弱くなっており、本作でもアショークはどこか頼りない夫として描写されていて、それを強調するための設定であったのかもしれない。

 「Tumhari Sulu」は第一にヴィディヤー・バーランの映画である。彼女がRJを演じたのはこれで2度目。1度目は「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)であった。「Lage Raho Munna Bhai」のときには、インドのラジオ局Red FMでRJを務めるマリシュカー・メンドーサから手ほどきを受けたが、「Tumhari Sulu」では彼女も映画に出演し、共演となった。ヴィディヤーは、いつも新しいことに興味を持つ行動的な主婦をキュートに演じ切っていた。夫のアショークを演じたマーナヴ・カウルもいい俳優であり、気弱な夫をよく表現していた。

 「Tumhari Sulu」は、主婦がRJになって活躍するという、ライトなノリのファミリードラマである。仕事を持ち働くことが人間の尊厳につながることを主張すると同時に、まだまだインドでは主婦が仕事をすることに対しての理解が低いことが指摘されていた。ヴィディヤー・バーランやマーナヴ・カウルの好演が光る作品だ。