Tubelight

4.0

 サルマーン・カーン主演のヒンディー語映画「Bajrangi Bhaijaan」(2015年)は「バジュランギおじさんと、小さな迷子」の邦題と共に日本でも公開され好評を博した。「Bajrangi Bhaijaan」のカビール・カーン監督は世界を舞台にしたスケールの大きな娯楽作を得意としている。彼の監督最新作である「Tubelight」は、1962年の中印国境紛争を時代背景とした娯楽作だ。2017年1月23日に公開された。

 主演は「Bajrangi Bhaijaan」に続きサルマーン・カーン。他に、サルマーンの弟ソハイル・カーン、映画の公開直前に死去したオーム・プリー、モハンマド・ズィーシャーン・アユーブ、ヤシュパール・シャルマー、中国人女優の朱珠、ブリジェーンドラ・カーラー、マーヤー・スィン・タルワールなどが出演している。サプライズとしてシャールク・カーンが特別出演している。

 題名になっている「Tubelight」とは蛍光灯のことである。蛍光灯はスイッチをオンにしてから点灯するまでに時間が掛かることから、理解の遅い人間に対する悪口に使われる。映画の中でも、サルマーン・カーン演じる主人公のあだ名が「チューブライト」である。

 舞台は現在のウッタラーカンド州東部クマーウーン地方ジャガトプル。時はインド独立前。ラクシュマン(サルマーン・カーン)は理解が遅く、周囲から「チューブライト(蛍光灯)」とあだ名されていた。ラクシュマンの弟バラト(ソハイル・カーン)は勇敢な少年で、常に兄を守り続けた。

 ある日、ジャガトプルをマハートマー・ガーンディーが訪れる。ガーンディーは子供たちに信じることの大切さを説く。インドは独立、ラクシュマンとバラトの両親は死に、ガーンディーも暗殺された。二人はバンネー叔父さん(オーム・プリー)に育てられた。

 1962年、印パ国境地帯で緊張が高まっていた。ジャガトプルで新兵の募集が行われ、バラトは入隊することになる。ラクシュマンも入隊を希望したが、理解力や運動能力が劣ったため、不合格となった。だが、バラトはジャガトプルの防衛をラクシュマンに任せ、中国との国境に旅立って行く。

 ラクシュマンはジャガトプルに中国人の女性と子供が来たことに気付く。彼らはインド生まれの中国系インド人であった。子供の名前はグオ、母親の名前はリリンと言った。カルカッタに住んでいたが、戦争が始まり、父親が逮捕されてしまったため、ジャガトプルに逃れて来ていたのだった。リリンの夫は既にいなかった。ラクシュマンは二人と友人になる。

 遂にインドと中国の間で戦争が始まった。バラトは前線で活躍するも負傷し、中国人民解放軍の捕虜となってしまう。ジャガトプルから出兵して行った若者たちの多くも遺体となって帰って来ていた。

 ラクシュマンは、バラトを取り戻すため、またリリンの父親を解放するため、信じる力を使って戦争を終わらせようとする。毎日、東の方角に向かって念を送り続けた。遂に戦争は終わり、リリンの父親が帰って来るが、バラトが解放されたとのニュースは入って来なかった。そして遂にバラトの死が伝えられる。

 悲しみに沈むラクシュマン。しかもグオはカルカッタに帰ると言う。弟を失い、小さな親友も去って行く中、ますますラクシュマンは打ちひしがれる。そこへ、実はバラトは生きていたことが知らされる。ラクシュマンはバラトと感動の再会を果たす。

 1962年の印中国境紛争を主題にした映画と言うと「Paltan」(2018年)があるが、「Tubelight」は戦争の描写が主体の映画ではなかった。むしろ、弟が戦争に出兵し、後に残された純朴な兄が、故郷の村でガーンディーの教えを実践し、「信じる力」を信じ続けるという感動作に仕上げられていた。

 歴史的な出来事を私的な物語に組み込む手法は「フォレスト・ガンプ」(1994年)に近く、映画の中でサルマーン・カーンが演じた主人公ラクシュマンのキャラクターは「Barfi!」(2012年)のランビール・カプールを想起させた。マハートマー・ガーンディーの教えを現代に蘇らせようとする努力は、「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)に通じるものがある。

 映画の中で重要なキーワードとなっていたのは、「ヤキーン」という言葉だ。「信じること」という意味で、ラクシュマンはこの言葉を様々な人々から聞く。最初はマハートマー・ガーンディーであった。次に、シャールク・カーン演じる魔術師ゴーゴー・パーシャーからこの言葉を聞く。ラクシュマンとバラトの間の合い言葉でもあった。バンネー叔父さんもこの言葉をラクシュマンに教え、そして中国系インド人リリンも彼に信じることの大切さを説く。

 何でも真に受けてしまうラクシュマンは、信じる力を真剣に信じた。ゴーゴー・パーシャーの前で彼は手を触れずに瓶を動かして見せたが、これはゴーゴーの手品だったとしよう。だが、その後、彼は公衆の面前で山に念を送り、地震を引き起こす。これも偶然の自然現象だと説明できるが、人々の多くはラクシュマンの力だと信じ込んだ。そして彼は中国のある東に向けて毎日念を送り続ける。戦争が終わるように、信じる力を込めながら。

 1962年10月20日に始まった中印国境紛争は、約1ヶ月後の11月21日に終わった。戦争はいつかは終わるものであるが、以前に地震を起こして見せたラクシュマンの力を信じる者は多く、この戦争もラクシュマンの力によって終わったと信じられた。新聞に「ラクシュマン・レーカー(ラクシュマンの線)」という言葉が使われていたのもをそれを助長した。これは叙事詩ラーマーヤナの中に出て来る言葉で、ラームの弟ラクシュマンが、ラームの妻スィーターを守るために引いた線のことを指す。戦争においてラクシュマン・レーカーと言えば、停戦ラインのことを指す。だが、ジャガトプルの人々は、この言葉をジャガトプルのラクシュマンと結びつけて考えたのである。

 中印国境紛争を時代背景としたにも関わらず、反中的な主張の込められた映画ではなかった。インド人がパーキスターン人の少女の母親を探すためにパーキスターンに密入国する物語「Bajrangi Bhaijaan」でも反パーキスターン色がほとんどなかったことと共通している。カビール・カーン監督の説妙なバランス感覚が活きていた。

 とは言え、中印国境紛争時のインド人庶民の感情は事実として再現されていた。やはり当時、中国人に対する敵意が生じたようで、街中の中華料理レストランは憎悪のターゲットにならないように、軒並み日本料理レストランになったと言われている。一見、日本料理レストランに見えて、メニューを見るとほとんど中華料理というレストランが今でも散見されるのは、これが理由である。インドに住んでいた中国系の人々も、敵性国民ということで予防拘禁された。これは劇中でも描かれていた通りである。インドにはカルカッタに中華街があり、「Tubelight」で登場するリリンやグオも、インド生まれの中国人という設定だった。

 サルマーン・カーンは、役柄に入り込むタイプの俳優ではない。どの映画でもサルマーンの個性が出るのが持ち味だ。「Tubelight」のラクシュマン役は、役柄に入り込むタイプの俳優が演じた方が良かっただろう。理解力が劣り、運動能力も低い青年役を演じるには、サルマーンは不適格であった。ただ、実の弟ソハイル・カーンとのコンビは、「Veer」(2010年)などでも見られたが、バッチリだ。

 サルマーン・カーン主演の映画としては異例なのだが、ヒロインらしいヒロインが見当たらない映画だった。イーシャー・タルワールがマーヤー役を演じていたが、いまいち彼女がラクシュマンやバラトとどういう関係にあるのか分からなかった。彼らの妹か、従妹だろうとは思うが、そうだとしても、ほとんど出番がなかった。

 「Tubelight」の公開が2017年1月23日だったが、その2週間前の1月6日にオーム・プリーが死去している。よって、「Tubelight」は彼の遺作の一本となった。映画の冒頭ではオーム・プリーに敬意が表されていた。40年以上に渡ってインド映画界で活躍して来た、押しも押されぬベテラン俳優であった。

 近年、中国市場でインド映画が人気を博していると聞く。一番人気はアーミル・カーンのようだ。「Tubelight」には中国人女優の朱珠が出演し、ダンスナンバー「Radio」では踊りも披露している。映画の時代背景が中印国境紛争であるし、当時インドに住んでいた中華系の人々に対する迫害にも触れられていたので、必ずしも中国公開向けの映画ではないと感じるが、アーミルに続き中国市場をも攻略しようとするサルマーンの意気込みを感じる。

 序盤にシャールク・カーンが友情出演するのは大いなるサプライズだ。シャールクとサルマーンは1990年代に「Karan Arjun」(1995年)などで共演しているが、21世紀に入ってからは、特別出演くらいでしかお互いの映画に顔を出さない。直近ではシャールク主演の「Om Shanti Om」(2007年)にサルマーンが特別出演したくらいだった。シャールクの「Tubelight」における特別出演に対する返礼として、サルマーンはこの後、シャールク主演映画「Zero」(2018年)に特別出演した。

 「Tubelight」は、「Bajrangi Bhaijaan」のカビール・カーン監督とサルマーン・カーンが再びタッグを組み、1962年の中印国境紛争を時代背景にして作られた感動作である。サルマーンの演技に疑問符は付くが、映画らしい空想力の飛躍が小気味よくストーリーに練り込まれてあり、楽しめる作品である。シャールク・カーンのサプライズ出演にも注目である。