Katti Batti

3.0

 インド映画は常にハッピーエンドのイメージがあるが、実はインド人の大好物は狂恋・悲恋モノである。ハッピーエンドの典型例「Dilwale Dulhania Le Jayenge」(1995年)は一度しか作られていないが、アンハッピーエンドの典型例「Devdas」は20回以上作られている。

 2015年9月18日公開の「Katti Batti」は悲恋映画に分類される。監督は「Kal Ho Naa Ho」(2003年)などのニキル・アードヴァーニー、プロデューサーは、スィッダールト・ロイ・カプール。主演はイムラーン・カーンとカンガナー・ラーナーウト。他に、ヴィヴァーン・バテーナー、ミティラー・パールカル、スハース・アーフージャーなど。音楽監督はシャンカル・エヘサーン・ロイ。

 題名の「Katti Batti(कट्टी बट्टी)」とは、子供の間でよく使われる言葉で、日本語の「指切りげんまん」などと似ている。「Katti」は「絶交」を意味し、「Batti」は「仲直り」を意味する。

 ムンバイー在住のマーダヴ・カブラー、通称マディー(イムラーン・カーン)は、5年間同棲していた恋人パーヤル・アーフージャー(カンガナー・ラーナーウト)と別れたばかりで、その悲しみを引きずったままだった。折に触れて彼女との過去の思い出が思い出されて来て、それが彼を苦しめた。彼女は消息不明で、電話番号も変わっていた。

 マディーはパーヤルの友人から彼女の電話番号を盗み出し、彼女に電話を掛ける。パーヤルは電話に出るが、意外にあっけらかんとしていた。彼女は現在デリーにおり、マディーのことは忘れてしまっていたようだった。しかも、パーヤルは元恋人リッキー(ヴィヴァーン・バテーナー)と結婚しようとしていた。マディーはますます落ち込む。

 だが、マディーはパーヤルがまだ自分のことを好きだと信じ込み、デリーに乗り込む。そして、パーヤルとリッキーの結婚式に乱入し、式をぶち壊そうとする。マディーは警察に逮捕されるが、妹のコーヤル(ミティラー・パールカル)が釈放の手続きに来てくれる。

 コーヤルは遂にマディーに真実を話す。実はパーヤルは癌に冒されており、余命あと数ヶ月だった。

 ニキル・アードヴァーニー監督の出世作「Kal Ho Naa Ho」は、明るめに始まりながらも、後半に「不治の病」という要素が急に登場し、そのまま感動の結末に向かう作品だったが、この「Katti Batti」もそれとよく似たストーリーラインだった。前半は、別れた恋人パーヤルのことが忘れられない主人公マディーの乱れた心理状態が描かれる。マディーが思い出す形で、カットバックにより、パーヤルとの出会い、楽しい同棲生活、そして別れに至るまでなどが差し挟まれる。多くは楽しい思い出であり、そこだけは雰囲気が明るくなる。しかし、パーヤルが癌に冒されていることが分かり、マディーが彼女の最期の期間を「買う」と、そこからは涙の感動作に様変わりする。いかにもインド映画的な極端な展開だと感じた。

 パーヤルがマディーと急に衝突するようになり、破局に至ったのは、マディーに自分のことを忘れて欲しかったからである。マディーはパーヤルがいなければ生きて行けないほど彼女のことを愛していた。一度は病気のことを明かそうと思ったが、その日、マディーは最愛の母親を亡くし、彼の心の支えはパーヤルのみとなってしまう。マディーに病気や余命のことを明かすタイミングを失ったパーヤルは、とにかくマディーとの会話の中に喧嘩の理由を探し、彼が自分を嫌うように仕向けたのだった。マディーの周囲の友人たちも、パーヤルのその演技に協力していた。それを感動的にまとめていたのだが、普通に考えたらマディーに対して酷い行いだ。しかも、マディーが真実を知り、パーヤルと再び同棲するようになってからは、概ね幸せな部分だけにスポットライトが当てられていた。ならば最初からそうすれば良かったのではないかとも感じた。

 結婚前の男女が同棲することは、もはやヒンディー語映画でも珍しくなくなった。「Salaam Namaste」(2005年)で同棲が出て来たときは物議を醸したものだが、2010年代、少なくとも映画の中で男女が同棲をすることについて、もはや誰も何も言わなくなった。隔世の感がある。

 ストーリーに大きな魅力は感じなかったのだが、映像や編集は凝っていた。「Lip To Lip」という曲では、いわゆる「寝相アート」的な技法が使われていた。イムラーン・カーンとカンガナー・ラーナーウトをベッドの上に寝かせて上からコマ送りで捕り、動きを付けていた。全体的に遊び心のある映像だったのは、アードヴァーニー監督の作風であろう。

 イムラーン・カーンはそつなく演技をこなしていた。彼はこの映画を最後に銀幕から遠ざかっている。一方のカンガナー・ラーナーウトは、イムラーンより4歳年下だが、なぜかイムラーンよりも老けて見えた。終盤では癌に蝕まれ痩せ細って行く姿を演じていたが、病気が発覚する前から病気の伏線を張っていたとしたら、とんでもない演技力である。前半はイケイケギャルを演じており、既に確立した女優であるカンガナーがわざわざ出る必要はあるのかと疑問に感じていたが、難易度の高い役を好む彼女がこのパーヤル役を演じた理由は後半の演技があったからであろう。

 挿入歌の歌詞がとてもいい映画であった。特に失恋の歌「Sau Ansoon」は名曲だ。バラード「Ove Janiya」も映画中何度もリフレインされており、印象に残った。音楽監督シャンカル・エヘサーン・ロイと作詞家クマールのコンビがまたひとつ優れた映画音楽を作り出した。

 映画の舞台はアハマダーバード、ムンバイー、デリーを往き来する。いくつか印象的なロケーションがあった。まずはマディーとパーヤルが出会った大学。芸術大学のようなキャンパスで、アハマダーバードに位置することになっていたが、実際にはプネーにある私立フレーム大学で撮られたようである。また、パーヤルとリッキーの結婚式が行われた貯水池のほとりには中世の建築物が建っていた。かなり立派な遺跡に見えたが、有名な遺跡ではなく、場所の特定はできなかった。

 ニキル・アードヴァーニー監督の「Katti Batti」は、ジャンルとしてはラブコメになるだろうが、明るい作品を想像すると面食らう。明るい場面もあるのだが、全体的に暗鬱で、しかも結末では感動作に変わっている。2008年にデビューして以来、若手の有望株に目されていたイムラーン・カーンの(今のところ)最後の出演作となっている。カンガナー・ラーナーウトは終盤の演技に全力を注いでいるが、彼女のベストとは言えない。興行的には失敗に終わっている。無理して観る必要はない。