Masaan

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Masaan
「Masaan」

 近年、ウッタル・プラデーシュ(UP)州でロケが行われたヒンディー語映画が増加している。ともすると、ヒンディー語圏外に位置するムンバイーに偏りがちだったヒンディー語映画界が、真のヒンディー語圏である北インドに関心を向けるようになったのが一番の理由だが、その一方で、アキレーシュ・ヤーダヴ政権が映画ロケの誘致を積極的に推し進めていることも無視出来ない。映画ロケ申請の手続きの簡素化や助成金の用意など、全面的なバックアップが得られるようで、特に低予算映画のチームにとってはとても励みになっているようだ。

 インドで2015年7月24日に公開されたヒンディー語映画「Masaan」は、ヴァーラーナスィーで撮影された。ガンガー(ガンジス)河で有名なヴァーラーナスィーは北インド有数の聖地であり、バックパッカーに人気の観光地であったが、最近はもっと様々なことで話題に上るようになった。最もインパクトが強かった出来事は、ナレーンドラ・モーディー首相の選挙区となったことだ。そういうこともあって、2015年末に安倍晋三総理大臣が訪印した際、モーディー首相は安倍総理大臣をヴァーラーナスィーに招待している。映画のロケ地としてもヴァーラーナスィーは人気で、「Bunty aur Babli」(2005年)、「Banaras」(2006年)、「Dharm」(2007年)、「Raanjhanaa」(2013年)など、多くの映画がヴァーラーナスィーで撮られている。

 「Masaan」の監督はニーラジ・ガーイワーン。元々映画の批評をしており、短編映画を撮り始め、アヌラーグ・カシヤプ監督のアシスタントなどをして経験を積んだ人物で、これが長編映画デビュー作となる。アヌラーグはプロデューサーも務めている。音楽はインディアン・オーシャンが担当。キャストは、リチャー・チャッダー、ヴィッキー・カウシャル(新人)、サンジャイ・ミシュラー、シュエーター・トリパーティー(新人)、パンカジ・トリパーティー、バグワーン・ティワーリーなど。

 題名の「Masaan」とは火葬場のこと。ヴァーラーナスィーのガート(河岸)にはいくつか火葬場があり、観光地のひとつとなっている。ヴァーラーナスィーの火葬場では1日におよそ80体の死体が火葬されるとされる。火葬を行うのはドームと呼ばれるコミュニティーで、彼らは不浄とされる不可触民である。「Masaan」の主人公の一人は、ドームに属する青年である。また、この映画はフランスのプロデューサーからの資金援助を受けており、「Fly Away Solo」という英題も持っている。

 ヴァーラーナスィーに住み、コンピューター関連の仕事をしていたデーヴィー・パータク(リチャー・チャッダー)は、恋人のピーユーシュとホテルで密会していたところをミシュラー警部補(バグワーン・ティワーリー)以下、警察に踏み込まれる。動転したピーユーシュは自殺し、デーヴィーは逮捕された。その後、ピーユーシュが死亡したことで、デーヴィーはさらなる深刻な状況に置かれることになる。ミシュラー警部補は、30万ルピーを払えば何とかすると、デーヴィーの父親で元サンスクリット学者ヴィディヤーダル・パータク(サンジャイ・ミシュラー)に提案する。ヴィディヤーダルは、娘の身勝手な行動に激怒しながらも、名誉を守るため、まずは何とか10万ルピーをかき集めてミシュラー警部補に渡す。残りの20万ルピーを2ヶ月以内に工面しなければならなかった。

 ヴァーラーナスィーの火葬場ハリシュチャンドラ・ガートで火葬をするドームのディーパク・チョウドリー(ヴィッキー・カウシャル)は大学卒業後にエンジニアになろうとしていた。ディーパクは、シャールー・グプター(シュエーター・トリパーティー)という文学好きの女の子と恋に落ちる。シャールーはヴァイシャ(商人)カーストに属しており、ディーパクとは雲泥の差であった。当初彼はシャールーに自分のカーストを明かさなかったが、彼女との仲が深まったところで、自分の出自を明かす。シャールーは、両親は自分たちの結婚を認めないと考えるものの、駆け落ちすることも厭わないとディーパクに言う。ただ、ディーパクが職に就き、稼げるようになることが条件だった。ディーパクはよりいっそう勉強に精を出し始める。ところが、シャールーは一族郎党でバドリーナートへ巡礼の旅に出たのだが、乗っていたバスが崖下に落下し、シャールーは死亡する。シャールーの火葬を行ったのがディーパク自身だった。以後、ディーパクはふさぎ込み、就職活動にも身が入らなくなる。また、ディーパクは、シャールーが身に付けていたルビーの指輪をしばらく持っていたが、あるときそれをガンガー河に投げ捨てる。

 デーヴィーは、事件後しばらく仕事を休んでいたが、ミシュラー警部補に払う金を少しでも稼ぐため、大学の受付で働き出す。そこはすぐに辞め、今度は鉄道の切符売りの仕事を得る。そこで同僚となったのがサディヤ(パンカジ・トリパーティー)であった。サディヤは父親と2人で住む温厚な人物で、デーヴィーが切符売りの仕事を辞める際に彼女に告白しようとするが、デーヴィーはそれを拒否した。

 ヴィディヤーダルは大学退職後、ガンガー河のほとりで小さな祭祀用品店を営んでいた。そこの手伝いとして雇っていたのが少年ジョーンターであった。ジョーンターは泳ぐのが得意だった。ガートでは、子供たちに河の中に投げ込んだコインを競って拾わせる賭け事が行われており、ヴィディヤーダルはジョーンターをそれに参加させた。ジョーンターは誰よりも強かった。金に困っていたヴィディヤーダルは、マハーシヴァラートリ祭の日、思い切ってジョーンターに大金を賭ける。だが、ジョーンターは溺れてしまう。ヴィディヤーダルは自分のしていたことを後悔し、必至にジョーンターを看病する。意識を取り戻したジョーンターはヴィディヤーダルに謝る。それと同時に、川底から見つけたルビーの指輪を渡す。ヴィディヤーダルはそれを売ることで、ミシュラー警部補に払う金を何とか揃えることが出来たのだった。

 デーヴィーは、イラーハーバードにあるピーユーシュの家を訪ねる。そして彼の両親に、ピーユーシュが自殺したとき一緒にいた女は自分だと明かす。当然、歓待はされなかった。その後、デーヴィーはガンガー河のほとりで、ピーユーシュからもらった贈り物を流す。一方、ディーパクは、シャールーを失った悲しみを何とか克服し、鉄道工事関連のエンジニアになる。彼はイラーハーバードに勤務になっていた。デーヴィーとディーパクはイラーハーバードの川岸で出会い、一緒にサンガムを遊覧するボートに乗る。

 「火葬場」という題名から、「死」がテーマになっている映画であろうことは容易に想像が付く。実際に、「Masaan」のストーリーには死が付きまとう。だが、「死」にもいろいろな側面がある。「Masaan」の主人公たちが直面するのは、自身の死ではなく、最愛の人の死である。そして、それをいかに乗り越えるかが、物語の主な焦点となっている。

 ストーリーはオムニバス形式になっており、複数のストーリーが並行して進行する。「死」というテーマを重視するならば、「Masaan」は3つのサブストーリーから構成されていると言える。

 ひとつはデーヴィーの物語。自殺したピーユーシュとのことを精算するまでの苦悶を描いた話だ。デーヴィーは、ピーユーシュの父親に謝ろうとし、何度も電話するが、まともに話をすることができなかった。だが、自分のせいで父ヴィディヤーダルが負うことになった借金を少しでも働いて返すことで、彼女は禊をし、完済後、ようやくピーユーシュの両親に向き合うことが出来た。そして、ピーユーシュのことを吹っ切るように、生前に彼から贈られたプレゼントをガンガー河に流す。その贈り物はおそらくプロポーズの指輪であったが、彼女は開けようとしなかった。

 ふたつめはディーパクの物語。カーストの差を越えて結ばれたシャールーの死を乗り越える話だ。ディーパクはアウトカーストのドーム、シャールーは上位カーストのヴァイシャ。成就するはずのない恋愛だったが、シャールーは彼のカーストを知った後でも彼と結婚することを決める。だが、その直後に事故死してしまう。ディーパクは一時自暴自棄になるが、やがて悲しみを吹っ切り、シャールーの形見であるルビーの指輪をガンガー河に投げ捨てる。そして就職活動を再会し、鉄道会社に就職する。

 みっつめは、上記ふたつを比べるとやや曖昧であるが、デーヴィーの父親ヴィディヤーダルの物語とするのがいいだろう。ヴィディヤーダルは10年以上前に妻を病気で亡くしているが、娘からは、「母親を見殺しにした」と責められていた。ヴィディヤーダルは、妻が病気になったときに、大したことないだろうと考えて特に何もしなかったが、その直後に病死してしまったのだった。ヴィディヤーダルはそれをトラウマとして抱えていた。だが、彼は、小間使いのジョーンターがガンガー河で溺れたのを助けたことで、無意識の内に禊を済ます。そのご褒美なのか、ジョーンターは川底からルビーの指輪(ディーパクが投げ捨てたシャールーの形見であろう)を見つけ、そのおかげでミシュラー警部補に支払う賄賂の残金を完済する。

 デーヴィー、ディーパク、ヴィディヤーダル、3人とも、何らかの形で、最愛の人の死を乗り越える。そして、その克服を媒介するのが、共通してガンガー河である点は、当然狙い澄まされたものであろう。デーヴィーがガンガー河に手を入れるし、ディーパクはシャールーの指輪を探すためにガンガー河に潜る。ヴィディヤーダルは、ガンガー河で溺れたジョーンターを抱えて走ることで、ガンガー河の水滴に触れる。象徴的には、それらが彼らの心から、死の悲しみを取り除いたと受け止めることができる。

 また、劇中にも何度か登場するイラーハーバードのサンガムは、ガンガー河、ヤムナー河、サラスワティー河、3つの聖なる河が合流する場所である。ガンガーは「行」、ヤムナー河は「止」、サラスワティー河は「知」を象徴するとすれば、ガンガー河がディーパク、ヤムナー河がデーヴィー、サラスワティー河がヴィディヤーダルの物語を表していると言え、これらがサンガムのように合流することで、ひとつの物語を作り出していると言える。

 3つのサブストーリーの中でも特によく描けていたのはディーパクとシャールーの恋愛だ。インドの地方都市に住む男女の初々しい恋愛の様子が生々しく表現されており、小恥ずかしくなるほどだ。特に、ドゥルガープージャーのシーン、ディーパクが風船を上に飛ばしたのを見て、シャールーも同じように風船を上に飛ばし、そのことで、彼の気持ちを受け容れたことを暗に示す場面が白眉であった。ヴァーラーナスィーのような街でも、Facebookが恋愛の必須ツールとなっていることも示唆されていた。

 ディーパクを通して、ドームの仕事や生活の様子を垣間見られるのも、ディーパクの物語をより興味深いものにしている。また、ドームであっても、大学まで進学し、まともな職業に就職することが出来る様子を示すことで、決して不可触民にも社会的な地位を向上させるチャンスがない訳ではないことが分かる。その点で、インドの発展を少しだけアピールしていると言っていい。

 「Masaan」は、ヒンドゥー教の聖地ヴァーラーナスィーを舞台に、主に3人の主人公の視点から、最愛の人の死を克服する過程を追った、オムニバス形式の映画である。一般的な娯楽映画のフォーマットではなく、踊りはない。新人や若い俳優が多く、スター性もない。それでも、しっかりと丁寧に作り込まれており、各俳優の演技も素晴らしい。ヴァーラーナスィーで実際にロケが行われているため、臨場感もバッチリだ。批評家から高い評価を得ており、2015年必見の映画に数えられている。是非観るべき作品である。