Baby

3.5
Baby
「Baby」

 2011年5月2日にパーキスターンのアボッターバードでアルカーイダの司令官ウサーマ・ビン・ラーディンが米国海軍特殊部隊による急襲によって殺害される事件が起こった。9/11事件の首謀者とされる人物の死は世界中に大きな衝撃を与えたが、パーキスターンからの越境テロに悩む隣国インドに与えた影響も計り知れなかった。パーキスターンを拠点とするテロ組織ラシュカレ・タイイバの司令官ハーフィズ・サイードやザキーウッレヘマーン・ラクヴィー、そしてかつてムンバイーのアンダーワールドを支配し現在はカラーチーに住むとされる、マフィア組織「Dカンパニー」のドン、ダーウード・イブラーヒームなど、インドは何人ものパーキスターン在住テロリストを指名手配しているが、パーキスターン政府はノラリクラリとかわすのみで、彼らの捜索・処罰・引き渡しなどにおいて一向に進展がない。ならば米国のように、パーキスターンでの隠密作戦でそれらのテロリストを拉致したり暗殺したりできないものか、と考え出すのも無理はない。ニキル・アードヴァーニー監督の「D-Day」(2013年)はそのような映画だった。

 2015年1月23日、共和国記念日の週に公開された「Baby」も、ウサーマ・ビン・ラーディン暗殺をそもそもの発想源とした作品だ。監督はニーラジ・パーンデーイ。「A Wednesday!」(2008年)、「Special 26」(2013年)と、硬派なスリラーを作り続けて来ている才能ある監督だ。作曲はMMカリームとミート・ブロス・アンジャーン、作詞はマノージ・ムンタシール。

 「Baby」の主演はアクシャイ・クマール。他に、ダニー・デンゾンパ、アヌパム・ケール、ラーナー・ダッグバーティ、タープスィー・パンヌー、ケー・ケー・メーナン、スシャーント・スィン、マドゥリマー・トゥリー、ミカール・ズルフィカール、ムラリー・シャルマー、ラシード・ナーズなど。また、イーシャー・グプターがエンドクレジット曲「Beparwah」にアイテムガール出演している。

 2008年11月26日のムンバイー同時多発テロを受け、能動的にテロを阻止する組織として、5年の期限付きで「ベイビー」という諜報部隊が秘密裏にインド政府内に設置された。その司令官を務めるのがフィーローズ・カーン(ダニー・デンゾンパ)で、実働部隊のリーダーを務めるのがアジャイ・スィン・ラージプート(アクシャイ・クマール)であった。アジャイには妻アンジャリ(マドゥリマー・トゥリー)と2人の子供がいたが、家族には仕事のことを一切語っておらず、任務第一の生活をしていた。ベイビーはこれまで数々のテロ計画を水際で阻止して来た。

 アジャイはトルコのイスタンブールで、かつての部下ジャマールを捕まえる。ジャマールは寝返ってテロ組織のために働いていた。ジャマールは、デリーで大規模な爆破テロ計画があることを明かす。早速デリーではベイビーのジャイ・スィン・ラートール(ラーナー・ダッグバーティ)が動き、テロを未然に防ぐ。

 印パ国境地帯に住むテロ組織の首謀者マウラーナー・ムハンマド・サイード・レヘマーン(ラシード・ナーズ)は、インドで大規模なテロを計画しており、そのために、現在インドの刑務所に収容されているテロリスト、ビラール・カーン(ケー・ケー・メーナン)を必要としていた。マウラーナーの手引きによりビラールは護送中に逃亡し、インドを高飛びする。

 一方、アジャイは垂れ込みから、ムンバイーのムスリム指導者でパーキスターンの諜報機関ISIのエージェントでもあるタウフィークが国際的テロ組織とつながっていることを突き止める。アジャイはタウフィークを尋問し、パーキスターン人テロリストのジャーヴェードがムンバイー入りしていることを知る。アジャイはチームと共にジャーヴェードの隠れ家を急襲するが、ジャーヴェードは自爆し、アジャイ以外は死亡する。

 ジャーヴェードが所有していたPCのデータ復元に成功し、ネパールにもテロ組織のリンクがあることが分かる。表向き旅行代理店を営むワスィーム・カーン(スシャーント・スィン)は、テロ組織に資金を提供していた。アジャイはベイビーの女性隊員プリヤー・スーリヤヴァンシー(タープスィー・パンヌー)と共にカトマンドゥ入りし、ワスィームを拉致してインドに帰還する。ワスィームの尋問から、UAEのサウーディー・アルデーラーでビラールが仲間たちと会議をすることが分かる。

 フィーローズは、アジャイ、ジャイとIT専門家オーム・プラカーシュ・シュクラー(アヌパム・ケール)をウーディー・アルデーラーに送る。現地では現地エージェントのアシュファーク(ミカール・ズルフィカール)が彼らを迎えた。シュクラーの助けにより、アジャイとジャイはビラールの宿泊するホテルに忍び込む。アジャイは首尾良くビラールを暗殺するが、そこにたまたま居合わせたのは、テロ組織の首謀者マウラーナーであった。アジャイは咄嗟の判断でマウラーナーを連れ帰ることにする。

 アジャイは、マウラーナーを睡眠薬漬けにし、一旦入院させて、インドへの医療ヴィザを用意させる。準備が整ったところでアジャイはマウラーナーを飛行機で輸送する。現地警察の思わぬバックアップもあり、彼らはマウラーナーをインドの地に連れ込むことに成功する。マウラーナーの尋問により、テロ組織の全容が解明され、多くのテロを防ぐことができた。また、ベイビーは5年の試験期間の後に恒久的な組織に改編され、フィーローズの下、アジャイ、ジャイ、プリヤー、シュクラーが引き続き任務に当たることになった。

 テロはインドが長年悩まされて来ている問題であり、その解決のために、映画界までもが空想上での方策を模索しているところである。一昔前のヒンディー語映画では、悪役がテロリストに置き換わる形での勧善懲悪的アクション映画が一世を風靡した。ヒーローが幾多の困難を乗り越えながらテロリストの親玉を殺し、インドを救う、そんな筋書きの映画だ。しかし、現実世界ではテロリストの親玉を殺すだけではテロはなくならないことが次第に明らかになりつつある。それは、ウサーマ・ビン・ラーディン亡き今でもテロはなくならないことや、イデオロギーの拡散によってアメーバのように勢力を増すイスラミック・ステート(IS)のような、新たな脅威が誕生したことからも分かる。

 先に挙げた「D-Day」と共に、「Baby」が提示したユニークな解決策は、国外からテロを主導するテロ組織の首謀者を拉致してインドに連行するというものだ。テロ組織の徹底的な壊滅のためには、組織の根底からテロの芽を根絶やしにしなければならない。そのためには、首謀者を殺すだけではなく、首謀者から有益な情報を搾り取れるだけ搾り取るのが一番だ。ただ、ダーウード・イブラーヒームをモデルとするマフィアのドン、ゴールドマンをインドまで連行した「D-Day」では、正規の諜報機関であるRAWが作戦を実行したために、ゴールドマンの裁きを司法の手に委ねる必要があった。そして、司法に信頼がないために、せっかく苦労して連行したゴールドマンを殺さなければならなかった。一方、「Baby」では、非公式の諜報機関ベイビーが作戦を実行したために、インドまで連行したマウラーナーを秘密裏に収容し尋問することができた。これらはつまり、インドの現行法では、まともにやったらテロを完全に防止することは不可能だと言っているに等しい。それだけインドの社会が焦燥感を抱いているということであろう。

 「D-Day」にしろ、「Baby」にしろ、ストーリーの見せ場は、連行した人物をいかにインドまで連れ帰るかの部分だ。ただ悪の親玉を殺して終わりというエンディングを選ばなかっただけあって、この部分が非常に重要になって来る。「Baby」では、睡眠薬で眠り続けるマウラーナーの髭をそり落とし、一旦入院させて、インドの医療ヴィザを取得して搬送しようとする。この辺りの細かい動きは、今までのヒンディー語映画にはなかったもので新鮮だった。

 もうひとつ、この映画が示唆する重要な点は、内なるテロリストの存在である。今までインドは、パーキスターンなどの隣国から越境して来る外国人テロリストの脅威に怯えていた。だが、11/26事件でインド出身のテロリスト、アブー・ジンダルが関与した疑いが強まると、インド人が海外で軍事訓練を受けるなどしてインドでテロを行っている実態に注目が集まった。「Baby」でもイスラーム教徒の若者がスカウトされる形で軍事訓練を受けている様子が描かれていた。

 「Baby」は基本的に男の映画であったが、2人の女も登場する。一人は主人公アジャイの妻アンジャリだ。アジャイのプライベートを描こうとしたのだろう。インド映画は伝統的に家族志向が強く、アンジャリの存在もそれを念頭に置いたものだと考えられる。だが、どう見ても文脈から外れており、ない方がよかった。もう一人はネパールのシーンでアジャイと行動を共にするプリヤーだ。戦闘シーンも用意されており、アンジャリよりも圧倒的にインパクトがあった。

 「Baby」は世界各地でロケが行われた。インドではニューデリーとムンバイーが主に舞台になり、実際にロケも行われていたが、他にトルコのイスタンブール、ネパールのカトマンドゥ、UAEのアブダビで撮影が行われた。特にカトマンドゥ・ロケのシーンでは、2015年4月末の大地震によって崩壊したダルバール広場などが映っており、今となっては貴重な映像となってしまった。

 硬派な映画で、インド映画が誇るダンス&ソングは極力抑えられていた。エンドクレジットにアイテムソング「Beparwah」があった他は、途中、アジャイとアンジャリの心情描写として「Main Tujhse Pyaar Nahin Karta」が挿入されただけであった。だが、アジャイとアンジャリのシーン自体が余計だったために、この歌の存在も違和感があった。

 「Baby」は、「A Wednesday!」や「Special 26」のニーラジ・パーンデーイ監督が初めて大規模な予算と共に撮った作品だ。世相を反映する要素がいくつか見られたこと、また世界各地でロケが行われ、その中には先日の大地震で大きな被害を受けたカトマンドゥのシーンも含まれていることなど、特筆すべき点もあるが、今一歩足りないところがあり、興行的にもまずまずであったようだ。既に続編の計画も持ち上がっているみたいだが、さらなる完成度を期待したい。