Citylights

3.0
Citylights
「Citylights」

 夢を叶えるため、または出稼ぎのため、地方から都会に出て来た田舎者を主人公にした映画は少なくない。特に舞台が映画の都ムンバイーとなると、映画スターになることを夢見てやって来ることが多い。そして大体において純朴な田舎者は狡猾な都会の詐欺師にまんまと騙されることになる訳である。そのようなプロットの映画としては、「Main Madhuri Dixit Banna Chahti Hoon」(2003年)が良作として今でも強く印象に残っている。ただ、最近では、都会の発展が地方から流入した労働力によって支えられている事実を指摘する目的で作られた映画が目立ち、例えば「Peepli Live」(2010年)や「Liar’s Dice」(2013年)はその代表例と言える。

 「Citylights」は2014年5月30日に公開された映画である。この映画も、地方の人間が都会に出て来て体験する苦労を描いた作品だ。舞台はムンバイー。ただ、英国人監督ショーン・エリスの「Metro Manila」(2013年)のリメイクであり、原作で舞台となったフィリピンの首都マニラをムンバイーに置き換えた構造となっている。監督はハンサル・メヘター。「Shahid」(2013年)で国家映画賞を受賞した監督である。主演はラージクマール・ラーオ。「Kai Po Che」(2013年)などで頭角を現した男優で、ハンサル・メヘター監督の前作「Shahid」でも主演をしている。ヒロインとしてパトラレーカーという新人女優が出演しているが、彼女は元々アンヴィター・ポールとして知られていた女優で、ラージクマール・ラーオの恋人らしい。他にマーナヴ・カウル、サディヤー・スィッディーキー、クシュブー・ウパーディヤーイなどが出演している。

 ラージャスターン州パーリー県の片田舎に住むディーパク(ラージクマール・ラーオ)とその妻ラーキー(パトラレーカー)は、借金返済のための資金を稼ぐため、一人娘のマーヒーを連れてムンバイーに出稼ぎにやって来た。同郷者で、ムンバイーで運転手をしているオームカルという人物を頼っての上京であったが、電話がつながらず、オームカルとは会えず仕舞いだった。とりあえず住む場所を探すことにするが、詐欺師から1万ルピーを騙し取られ、一家はいきなり窮地に立たされてしまう。

 捨てる神あれば拾う神ありで、ダンスバーでダンサーを務めるソーナーリー(クシュブー・ウパーディヤーイ)が彼らに救いの手を差し伸べた。ソーナーリーは彼らに住居も斡旋する。それは建設途中の高級マンションで、完成するまで格安で住むことができた。

 ディーパクは仕事を探し始める。最初はなかなか見つからなかったが、遂に警備会社に就職が決まる。富裕層の金品を輸送する業務が彼の任務であった。ディーパクの指導役ヴィシュヌ(マーナヴ・カウル)は彼に仕事の手ほどきをする。また、ラーキーはソーナーリーの紹介でダンスバーで働き出す。

 ところで、ヴィシュヌはある秘密を抱えていた。彼は密かに多額の現金が入った箱を横領していた。その箱を開けるには鍵が要る。事務所に保管されたその鍵を手に入れるため、彼はディーパクをパートナーとして選んだのだった。この秘密を打ち明けられるまでにディーパクはヴィシュヌの借り上げた部屋に移って住んでおり、しかもその箱はその家に隠されているということで、共犯者になることを免れない状況に陥っていた。しかしながら、この計画を実行する直前にヴィシュヌはマフィアに殺されてしまう。ディーパクは殺人現場に居合わせたために警察の事情聴衆を受けるまで停職処分となった。また、ヴィシュヌの妻スダー(サディヤー・スィッディーキー)に夫の死を伝える役割も負わされた。

 最初の給料を手にする前にディーパクは停職となってしまい、またラーキーもダンスバーから追い出されてしまっていた。金に困窮したディーパクは、ヴィシュヌが遺して行った箱を開けて一獲千金を目指す。ディーパクは警備会社の事務所に押し入り、社長を人質に取って、鍵を盗み出す。しかし彼は逃げ切れず、射殺されてしまう。

 ラーキーの元にディーパクの遺品が届けられた。実はディーパクはわざと違う鍵を盗み出していた。彼は人質騒動の中で密かに本当に狙っていた鍵の型を取ってあった。その型は遺品としてラーキーに渡されていた。ラーキーはそれを使って合い鍵を作り、箱を開けることができた。ディーパクは失ったものの、大金を手にしたラーキーは、娘と共にラージャスターン州の村に戻る。

 原作がマニラを舞台にした映画ということで、この映画の解説もトリッキーになる。どこまでがインドでも通用する事柄なのか分からないからである。例えば、主人公ディーパクが務める警備会社について。この会社は富裕層の金品輸送を主な業務としているが、当然セキュリティーには多大な工夫をこらしている。金品の入った箱には鍵が掛けられており、その鍵は金品の持ち主の手元か警備会社の事務所にしか存在しない。無理矢理箱を開けようとすると爆発する仕掛けとなっている。まず、インドにもこういう業務を行っている会社があるのかどうか分からないし、あったとしても映画で説明されていたような管理システムが採用されているのかどうか分からない。新人の警備員にいきなり銃が渡される辺りも、インドではあまりないことなのではないかと感じた。

 ディーパク一家がムンバイーに着いた途端に詐欺師に有り金のほぼ全てを巻き上げられるという辺りはインドの日常風景だと言えるが、彼らが住むことになった場所についても慎重な解釈が必要となるだろう。彼らは建造中の高級マンションの一室に住むことになった。まだ外壁ができておらず、そこら中に材料が積み上げられている状態だ。その家賃は一泊100ルピーだと言う。果たしてこんなことがインドでもあるのだろうか。この点については、もしかしたらあり得るかも知れないと感じた。なぜなら新築のマンションのトイレが最初から汚ないということが結構あるからである。工事の人が使っているから、というのも考えられるのだが、完成前にもしかしたら誰かが住んでいるのかもしれない。

 また、ラーキーはダンスバーで働くことになる。かつてダンスバーはムンバイーのナイトライフの風物詩で、「Chandni Bar」(2001年)という映画もあったが、2005年に全面禁止となり、現在ではかつてのような形での運営は困難になっているようである。その点も「Citylights」で疑問に感じた部分だ。2005年以前の物語、ということならおかしくないが、そういう説明はなかったように思う。

 よって、田舎から出て来たディーパクとラーキーの夫妻が「ムンバイー」で経験する様々なトラブルについて、どこまで信憑性があるか、実際のムンバイーでも起こり得ることなのか、という点については疑問符を外せない内容だったのだが、この映画が伝えたかったのはそういうことではないだろう。やはり、夫婦が見知らぬ土地で協力し合って人生を切り開くその姿を描きたかったのだと思う。2人はかなり強い信頼関係で結ばれていたし、ディーパクはフラストレーションから妻に手を上げるようなこともなかった。彼らは、希望の光が見える度にどん底に突き落とされるという不幸を何度も経験するのだが、常に前に進み、助け合うことを忘れなかった。よって、最後にディーパクが自己を犠牲にしてラーキーの大金を入手させるのも素直に納得ができた。

 硬派な映画であったが、歌にも力が入っており、特に「Muskurane Ki」はヒットしたようだ。音楽が映画の質の向上に大きく寄与していたと言える。

 「Citylights」は、英国人監督によるフィリピンを舞台とした映画「Metro Manila」のリメイクである。オリジナルを観ていないので、どこまでが「Citylights」独自の脚色か判断できないのだが、大部分はマニラで成立するストーリーを無理にムンバイーに当てはめたように感じた。そのような考証の弱さが感じられたものの、原作が良かったのだろう、「Citylights」は硬派な佳作に仕上がっていた。最近急速に株を上げているラージクマール・ラーオの好演も見所であろう。