Kya Dilli Kya Lahore

2.5
Kya Dilli Kya Lahore
「Kya Dilli Kya Lahore」

 俳優のヴィジャイ・ラーズが監督デビューしたと聞いて気になっていた。「Monsoon Wedding」(2001年)でテント業者を超個性的な演技で演じ、一躍有名となったヴィジャイは、その後も曲者俳優として数多くの作品に出演して来た。タイムポカン・シリーズに登場する悪役三人組のヤセた奴に似た怪しげな風貌をしており、いかにも悪役か、またはネガティブな脇役と言った感じなのだが、いくつかの映画で主役も演じたことがある。彼の主演作「Hari Om」(2004年)は「ハリオム」の邦題で東京国際映画祭で上映された。ドバイの空港で麻薬所持の疑いで逮捕されるというどん底も経験したことがある。最近では「Dedh Ishqiya」(2014年)で好演していた。何となく応援したくなる俳優である。そんな彼がどんな映画を撮るか興味があった。

 ヴィジャイ・ラーズの初監督作品「Kya Dilli Kya Lahore」は2014年5月2日公開。プレゼンターに作詞家グルザールの名前が掲げられており、作詞はもちろん彼である。制作はロンドンを拠点とするインド人プロデューサー、カラン・アローラー。作曲はサンデーシュ・シャーンディリヤー。ヴィジャイ・ラーズの人脈がよく分からない。ヴィジャイ・ラーズ自身が主演も務めており、他にマヌ・リシ、ラージ・ズトシー、ヴィシュヴァジート・プラダーンが出演している。1時間半ほどの短い映画である。題名の「Kya Dilli Kya Lahore」は、うまく訳すのが難しいのだが、「デリーもラホールもない」みたいに理解すればいいだろう。デリーはインドの首都、ラホールはパーキスターンの大都市である。

 印パ分離独立から間もない1948年。カシュミール藩王国の帰属先を巡って勃発した第1次印パ戦争がまだ続いていた頃。北西辺境州・カシュミール地域において対峙していた両軍は激しい銃撃戦を行い、その結果、大多数の兵士が死に絶えた。生き残ったパーキスターン軍兵士レヘマト・アリー(ヴィジャイ・ラーズ)は、負傷した上官のキャプテン(ヴィシュヴァジート・プラダーン)に命じられ、インド軍の見張り小屋から、ラホールまで掘られたと言う秘密のトンネルを記したファイルを奪って来ることになる。

 見張り小屋には、コックのサーマルト・プラタープ・シャーストリー(マヌ・リシ)が一人で援軍の到着を待ちわびていた。レヘマトとサーマルトは散発的に撃ち合うが決着は付かず、夜が明ける。お互い銃弾が残り少なくなる中で相手を制しようと行動し、最終的にはレヘマトがサーマルトを負傷させ、見張り小屋を占拠して、サーマルトを支配下に置く。レヘマトはサーマルトにパラーターを作らせ、腹ごしらえをする。そして、目的のファイルらしきものを抱え、サーマルトをパーキスターン軍の陣地まで連行しようとする。ところが、途中でサーマルトの上官バルフィー・スィン(ラージ・ズトシー)が現れ、一気に形勢逆転となる。レヘマトは捕虜となり、サーマルトもパーキスターン軍に協力した容疑で捕まる。バルフィーは本部と連絡を取り、パーキスターン軍兵士を捕らえたことを報告し、援軍の到着を待つ。しかし、その間、レヘマトは隙を見て銃を奪い、また形勢逆転となる。衰弱していたサーマルトは意識を失い、バルフィーは井戸に水を汲みに行くと言って逃げ出す。

 ところが、一発の銃声が聞こえ、そこにキャプテンがやって来る。キャプテンは、レヘマトが入手したファイルを見るが、それは目的のものではなかった。見張り小屋のあちこちを探すが、やはり見つからなかった。どうやら、この小屋に秘密のファイルがあるという情報自体が間違いだったようである。その間違いの情報のために小隊は全滅してしまった。と、そのとき、倒れていたサーマルトが意識を取り戻す。キャプテンはサーマルトを殺そうとするが、このときまでにサーマルトに親近感を覚えていたレヘマトはキャプテンを撃ち殺してしまう。そこへインド軍の援軍が駆けつけ、レヘマトも撃たれて絶命する。

 登場人物は4名のみ。舞台は主に国境地帯に建てられた見張り小屋。場面が大きく動くことはなく、主に俳優たちの台詞の応酬によってストーリーが進んで行く。つまり、舞台劇を映画にしたような作品であった。ただ、何らかの戯曲を原作とした映画ではなさそうである。ヴィジャイ・ラーズ監督の趣味なのかもしれないが、舞台劇をそのまま映画にしたような作品に対しては僕は基本的に高く評価をして来ていないため、この「Kya Dilli Kya Lahore」も、自ずと評価が低くなる。

 ただ、映画のメッセージは明確で、印パ分離独立という愚行を糾弾する内容だった。ミソとなっているのが、パーキスターン軍の兵士であるレヘマトの故郷がデリーで、インド軍のコックであるサーマルトの故郷がパーキスターンのラホールであるという設定である。両国の軍隊において、国境の向こう側から来た人々は疑いの眼差しで見られていた。レヘマトはキャプテンから「ムハージル」と呼ばれていたが、これは「移民」という意味で、「真のパーキスターン人」とは認められていなかった。一方のサーマルトも、ラホールから逃げて来た身の上に加えてパーキスターン軍兵士に協力したということで、バルフィーから裏切り者扱いされていた。印パ分離独立という歴史の悪戯によってアイデンティティーの危機に陥っていた2人が戦場で顔を合わせ、会話を交わす内に、お互いの境遇に共通点を見出し、親近感を覚えるようになる訳である。

 また、現場を知らない上層部が、本当かどうか分からない情報を元に作戦を立案し、それによって下っ端の兵士たちが無駄な血を流すことになる不条理さにも言及されていた。しかも戦っているのは、1-2年前には同じ国民だった人々である。そういう皮肉な状況をブラックユーモアと共に描いていた。国と国とが領土を巡って争う中で、末端の兵士である4人の登場人物が共通して求めるものが、生き物にとって最もなくてはならない物、つまり「水」であるという点も、国家という「想像の共同体」の欺瞞を暴いていると言える。

 意外なことに、ロケはフィジーで行われたようである。風景はだだっ広い丘陵地帯だったが、確かにカシュミール地方の風景とは異なっていた。それが原因であろうか、戦場なのにどこか牧歌的な安穏さがあり、緊迫感に欠けていた。フィジーでのロケがこの映画の質の向上に何らかの貢献をしたとは思えない。ただ、フィジーの人口の半分は歴史的経緯からインド系移民となっている。フィジー・ロケのインド映画はもっと増えてもいいのではないかと思う。

 「Kya Dilli Kya Lahore」は、曲者俳優ヴィジャイ・ラーズの監督デビュー作である。蓋を開けてみると、かなり硬派な社会派映画だ。映画として成功していたとは思えないが、印パ関係が再びきな臭くなる中で、重要なメッセージを発信する作品と言える。