Bullet Raja

2.0
Bullet Raja
「Bullet Raja」

 ティグマーンシュ・ドゥーリヤー監督とは「Paan Singh Tomar」(2012年)で一緒に仕事をしたことがあり(大袈裟だが・・・)、ヒンディー語映画監督の中では、なるべく客観性を保ちつつ評価したいと思いつつも、どうしても一番思い入れのある人物になる。短い間だったが、彼の撮影スタイルを間近で観察し、また多少会話もした。ただ、彼の名は僕の出演した「Paan Singh Tomar」前後から世間によく知られるようになったと言っていいだろう。僕自身も、ヒンディー語映画には詳しいぞ、と自負していながら、実は撮影当時、彼のことをよく知らなかった。そういう偏見のない目で見た彼の監督振りは、はっきり言って駄目監督の部類に入るものだった。現場で強力な指導力を発揮している訳でもなく、綿密な計画の下にスタッフを動かしている訳でもなく、だらだらと撮影が進行している印象を受けた。多分ヒットしないだろうな、と思いつつロケに臨んでいた。しかしながら、「Paan Singh Tomar」はよく出来た映画だったし、彼が「Gangs of Wasseypur」(2012年)で見せた演技も大したものだった。他に彼が監督した「Saheb Biwi aur Gangster」(2011年)や「Saheb Biwi aur Gangster Returns」(2013年)なども重厚な良作であった。

 ただ、2013年11月29日公開の「Bullett Raja」は、ドゥーリヤー監督の近年の作品の中ではフロップに終わった失敗作として記録に残っている。作曲はサージド・ワージド、作詞はカウサル・ムニール、サンディープ・ナート、シャッビール・アハマド、ラフタール。主演はサイフ・アリー・カーンで、他にソーナークシー・スィナー、ジミー・シェールギル、チャンキー・パーンデーイ、ラヴィ・キシャン、グルシャン・グローヴァー、ラージ・バッバル、ヴィデュト・ジャームワール、シャラト・サクセーナー、ヴィピン・シャルマー、ディープラージ・ラーナー、ガウラヴ・ジャーなど。また、マーヒー・ギルがアイテムガール出演している。

 ちなみに、題名の中の「Bullett」は、「弾丸」という意味と、ロイヤルエンフィールド社製バイクのモデル名が掛けてあり、「Raja」は、「王」という意味と、主人公の名前ラージャーが掛けてある。それらを全て盛り込んで訳すとすれば、「ブレットに乗った射撃王ラージャー」となるだろう。

 ウッタル・プラデーシュ州の田舎町に住むラージャー・ミシュラー(サイフ・アリー・カーン)は、些細な喧嘩からゴロツキに目を付けられ、逃げる内に、地元の顔役プルショーッタム(シャラト・サクセーナー)の娘の結婚式に忍び込む。そこで、プルショーッタムの甥ルドラ(ジミー・シェールギル)と出会い、意気投合する。折しも、プルショーッタムの家に居候していたラッラン・ティワーリー(チャンキー・パーンデーイ)が、プルショーッタムの政敵アカンドヴィール(ガウラヴ・ジャー)と結託して、プルショーッタムを殺すために襲撃を掛けた。ラージャーとルドラは協力してラッランを撃退し、プルショーッタムの命を救う。プルショーッタムは二人を気に入りるが、二人はアカンドヴィールから命を狙われるようになった。そこでプルショーッタムは二人を刑務所へ送り、ウッタル・プラデーシュ州の政界を獄中から支配するシュリーワースタヴ(ヴィピン・シャルマー)に紹介する。ところが、プルショーッタムはアカンドヴィールの策略に掛かって殺されてしまう。シュリーワースタヴは、復讐に燃える2人をラーム・バーブー・シュクラー大臣(ラージ・バッバル)の切り込み隊長とする。一方、元々その地位に甘んじていた射撃手スメール・ヤーダヴ(ラヴィ・キシャン)は失業する。

 ラージャーとルドラはラッランとアカンドヴィールを殺し、瞬く間にウッタル・プラデーシュ州の裏政界を握る。また、彼らは庶民から絶大な人気を集めることになった。あるとき、シュクラー大臣は二人をバジャージ(グルシャン・グローヴァー)というビジネスマンに引き合わせる。彼は政界と癒着しており、絶大な財力を持っていた。ところがラージャーとルドラはバジャージとそりが合わなかった。二人は仕返しとしてバジャージを誘拐し、身代金をせしめて逃走する。その中でラージャーはミターリー(ソーナークシー・スィナー)という女優の卵と出会い、恋に落ちる。三人は一緒にムンバイーに身を潜める。

 一方、バジャージはラージャーとルドラに復讐するため、スメール・ヤーダヴを雇う。ラージャーとルドラはラージャーの妹の結婚式のために故郷に戻って来ていたが、そこをスメール・ヤーダヴに襲撃され、ルドラは命を落とす。早速ラージャーは反撃に出て、バジャージを殺す。しかし、州内の政治家の財源だったバジャージを殺したことで、ラージャーはシュリーワースタヴやシュクラーから追われる身となる。彼らはラージャーを殺すため、敏腕警官アルン・スィン・ムンナー(ヴィデュト・ジャームワール)を招聘する。ラージャーは一旦、ミターリーの実家であるコールカーターに逃げる。しかし、ルドラを殺した張本人がスメール・ヤーダヴであることが分かると、ラージャーはウッタル・プラデーシュ州に取って返す。

 スメール・ヤーダヴは安全のため刑務所に入っていたが、ラージャーをおびき出すために彼を解放する。早速ラージャーが現れてスメールを殺すが、そこにアルンが駆け付ける。ラージャーは戦いの中でアルンの命を助け、立ち去る。一方、シュクラー大臣はラージャーの腹心を勧誘して仲間に引き入れ、ラージャーを殺そうとする。だが、ラージャーはそれを察知した上に、彼らがアルンの命をも奪おうとしていることを知る。そこでラージャーはアルンと連絡を取り、2人でラージャーの偽の死を演出する。アルン、ラージャー、ミターリーは共に新天地へ向けて出発する。

 近年のヒンディー語映画界では北インドを舞台にした映画作りがトレンドとなっている。それらをいくつかのジャンルに分類することができるが、その中でも特に大きな存在感を示しているのが、「Gangs of Wasseypur」に代表されるギャング映画である。北インド舞台のギャング映画は、ムンバイーを舞台にした従来のギャング映画とは一味違った雰囲気がある。やはり西部劇に似た乾いた雰囲気を出せるのが特徴であろうか。ティグマーンシュ・ドゥーリヤー監督自身も「Saheb Biwi aur Gangster」や「Paan Singh Tomar」でギャング映画を撮っており、「Bullett Raja」はその延長線上の作品だと言える。ただ、その味付けは今までのドゥーリヤー監督作品に比べてかなり娯楽映画寄りであり、同監督にとってはひとつの挑戦であった。ただ、既にドゥーリヤー監督には「ハトケー(違った)」映画を作る監督という評判が定着してしまっているため、いざ通常の娯楽映画を作ると、期待外れということになってしまう。興行成績が振るわなかった理由のひとつはそれであろう。

 ただ、純粋に映画としてもグリップ力が弱かったのは否めない。伝説的名作「Sholay」(1975年)を引き合いに出しながら、ラージャーとルドラという二人組を提示したのはいいのだが、何の訓練も受けていないはずの彼らがいきなり相当な戦闘力を発揮し、その上、絶妙なコンビネーションを見せるというのは、呑み込むのに抵抗がある。この二人が、目の前に立ちはだかる敵を次から次へ殺して行ってしまう展開も単調だ。ラストでアルンと手を取り合うシーンも唐突すぎる。脚本段階でかなり問題があった映画だと言える。

 ウッタル・プラデーシュ州だけでなく、ムンバイーやコルカタのシーンも出て来るのは、汎インド性を出して北インド一辺倒にしないマーケティング上の工夫だったかもしれないが、作品の質という点では、前半で醸し出すことに成功していた西部劇風のドライな雰囲気に水を差す結果となってしまっていたように感じた。若干、政治劇の要素もあったが、あまりに短絡化し過ぎで、その点でも取り柄がなかった。題名にもなっているブレットも、物語に是非必要なアイテムではなかった。全てがチグハグだ。

 「Bullett Raja」で唯一興味深かったのは、政治家がゴロツキを護衛や暴力関連の仕事用に雇う様子が比較的よく描かれていた点である。インドの政治では、各政治家が私兵とも言える集団を抱えている。ラージャーとルドラも、シュクラー大臣の強力な後ろ盾を得ることで、悪名を轟かすことになる。また、部分的に財界との癒着も描かれていた。この映画で特に争点となっていたのはケシの花栽培だ。インドでは医療目的でケシの花が栽培されている地域があるが、当然、違法に悪用することで莫大な資金源となる。アカンドヴィールがプルショーッタムを殺したのも、ラージャーとルドラがグローヴァーと出会うことになったのも、全てケシの花関連だった。もし、この点に集中して映画を作っていたら、もっとスリムな映画になっていたのではないかと感じた。

 演技の面で、サイフ・アリー・カーンやジミー・シェールギルなどは安定した仕事をしていた。ソーナークシーについては、今回は大した役ではなかった。一人、気になったのはヴィデュト・ジャームワールだ。アクションに関して彼はトップクラスの運動神経を誇っているのだが、演技がさわやか過ぎて、映画の雰囲気に合っていなかった。既に「Commando: A One Man Army」(2013年)などで主演を張っている男優だが、使いどころは難しい俳優かもしれない。

 ティグマーンシュ・ドゥーリヤーは決して才能のない監督ではない。ただ、彼の立ち位置は微妙だ。重厚なギャング映画を撮らせたら「Gangs of Wasseypuru」などのアヌラーグ・カシヤプ監督には敵わないし、娯楽要素を詰め込んだギャング映画を撮らせたら「Omkara」(2006年)などのヴィシャール・バールドワージ監督の方が何枚も上手だ。この中間に彼の居場所があるのだが、毎回異なった映画を作りながらこのテリトリーを維持するのは非常に難しい。

 「Bullett Raja」は、ティグマーンシュ・ドゥーリヤー監督が珍しく娯楽映画方向に振ったギャング映画に挑戦した作品だ。興行的に成功しなかったのは、彼が異色のジャンルに手を出したこともあるが、それよりも脚本以下あらゆる点で生焼けだったことが影響している。次回作に期待、である。