Zanjeer (2013)

1.0
Zanjeer
「Zanjeer」

 1970-80年代のヒット映画のリメイクがヒンディー語映画界でトレンドになったのは、「Don」(2006年)のヒットがきっかけだった。この映画は1978年の同名映画のリメイクだったが、原作を知る観客の先入観を逆手に取ったサプライズがあり、リメイク映画の方向性を示した作品だった。しかしながら、その後リメイク映画の進歩はほぼ停滞してしまったと言っていい。何本ものリメイク映画が作られたが、興行的に成功を収めた作品は皆無である。唯一、「Karz」(1980年)のルーズなリメイクと言える「Om Shanti Om」(2007年)が大ヒットとなったぐらいだ。また、よほど慎重にやらないと、著作権やリメイク権の係争に巻き込まれることが多々ある。ただ、当時その時代の映画を観て育って来た層が現在映画を作る側に回っていることもあって、自分の好きな映画を作り直そうとするプロデューサーや監督は後を絶たない。

 2013年9月6日公開の「Zanjeer」は、1973年公開の同名映画のリメイクである。オリジナル版の監督はプラカーシュ・メヘラー、主演はアミターブ・バッチャンで、ヒロインは彼の妻ジャヤー・バドゥリーが務めている。ただし、このときアミターブは売り込み中の若手俳優であり、業界ではジャヤーの方が先輩格だった。アミターブが「アングリー・ヤングマン」を演じた1973年の「Zanjeer」は大ヒットとなり、この映画をもって彼の時代が始まったと一般に考えられている。よって、ヒンディー語映画史において非常に重要な映画である。その「Zanjeer」を40年後に作り直すということで、チャレンジとしては「Don」以上の努力を必要とする。

 リメイクに挑戦したのは、「Shootout at Lokhandwala」(2007年)や「Mission Istaanbul」(2008年)のアプールヴァ・ラキヤー監督。作曲はミート・ブロス・アンジャーン、チランタン・バット、アーナンド・ラージ・アーナンド、作詞はマノージ・ヤーダヴとシャッビール・アハマド。興味深いのは主演をテルグ語映画俳優のラーム・チャランが務めていることである。彼にとってヒンディー語映画デビュー作となる。大ヒット映画「Magadheera」(2009年)の主演男優として有名だ。ヒロインはプリヤンカー・チョープラー。他に、サンジャイ・ダット、プラカーシュ・ラージ、マーヒー・ギル、アトゥル・クルカルニーなどが出演している。なお、ラーム・チャランが主演をしている関係か、テルグ語版も制作された。テルグ語版は「Toofan」という題名で、一部キャストに違いがある。ちなみに「Zanjeer」とは「鎖」、「Toofan」とは「嵐」という意味である。

 ヴィジャイ・カンナー警部(ラーム・チャラン)は正義感の強い警官で、それが周囲との軋轢を生み、今まで何度も転勤を余儀なくされて来た。とうとう彼はハイダラーバードからムンバイーに州を越えて転勤となった。また、ヴィジャイ警部は夜な夜な馬の出て来る悪夢にうなされていた。

 ちょうどその頃、ムンバイー近郊で石油密売の現場を撮影していた県徴税官プラカーシュ・サーテーがマフィアに焼き殺されるという事件が発生する。ヴィジャイ警部はこの事件の担当となり、第一通報者であるニューヨーク在住NRIの女性マーラー(プリヤンカー・チョープラー)を事情聴取する。彼女は友人の結婚式に出席するためだけにムンバイーに来ていた。最初は事件に巻き込まれることを面倒がっていたマーラーであったが、被害者や遺族の状況を目の当たりにし、ヴィジャイ警部に協力する決意を固める。マーラーの証言により実行犯としてカタリヤーが浮上する。ヴィジャイ警部は、アンダーワールドに通じる機械工シェール・カーン(サンジャイ・ダット)の助けを借り、カタリヤーの居所を突き止めて逮捕する。

 石油密売を裏から牛耳っていたのは実業家のテージャー(プラカーシュ・ラージ)であった。テージャーはカタリヤーの逮捕により事件を放置しておけなくなり、ヴィジャイ警部をパーティーに招待し、愛人のモナ(マーヒー・ギル)を使って懐柔しようとするが、ヴィジャイ警部には利かなかった。一方、ヴィジャイ警部はジャーナリストのジャイデーヴ(アトゥル・クルカルニー)から垂れ込みを受け、石油密売の拠点を次々に潰して行く。テージャーは本格的にヴィジャイ警部を敵視し始める。

 まず標的になったのはマーラーであった。マーラーは裁判所での証言を待たずにニューヨークへ帰ろうとするが、テージャーの部下たちに襲われる。だが、タイミングよくヴィジャイ警部が現れ、彼女を救う。行き場を失ったマーラーはヴィジャイ警部の家に居候することになる。このことがきっかけでヴィジャイ警部とマーラーは徐々に接近し、やがて恋仲となる。

 マーラーの証言によりカタリヤーが有罪判決を受け、またテージャーの悪事が暴かれるはずであったが、牢屋に入れられていたカタリヤーが裁判の直前に死亡する。死因はヴィジャイ警部による過度の尋問とされてしまい、ヴィジャイ警部は停職処分となる。また、ヴィジャイはシェール・カーンの開いたパーティーの帰りにテージャーの手下に襲われ重傷を負う。また、シェール・カーンはカタリヤーを殺した犯人を自ら見つけ出し、警察に突き出す一方、ジャイデーヴはテージャーの過去を調査し、ヴィジャイとの接点を発見するもテージャーの手下に殺されてしまう。

 復活したヴィジャイはテージャーのアジトに乗り込み、死闘を繰り広げる。その中で彼は、自分の父親を殺したのがテージャーであることに気付く。怒ったヴィジャイはテージャーをガソリン缶の山の中にぶち込み、火を付けて爆死させる。疑いの晴れたヴィジャイは復職し、今度は麻薬密輸組織の撲滅に乗り出す。

 1973年の「Zanjeer」は名作に数えられる作品でファンも多い。この作品をアプールヴァ・ラキヤー監督がどのように現代の観客向けに作り直すのか興味があったが、驚くほど凡庸なリメイクであった。登場人物の設定に多少の変更はあったものの、大まかなプロットは変わらず、結末についても2006年の「Don」のようなサプライズは全くなかった。テルグ語映画俳優を主演に起用し、テルグ語版を同時制作していることの影響か、多少南インド映画色があったのは特筆すべきであるが、それが映画の質向上に何らかの寄与をしていたかと言えば否である。ラーム・チャランは演技が単純でヒンディー語映画界で受けそうな気配がしないし、近年、演技派女優として脱皮したプリヤンカー・チョープラーも全く活かされておらず、単なる添え物扱いであった。なにを考えて「Zanjeer」をリメイクしたのか、その狙いが分からない。とにかく酷評したくなる映画だ。「Zanjeer」を観るならば、絶対にオリジナルの1973年版の方がいい。40年前の映画であることを差し引いても、である。

 さらに、リメイク映画の中で原作の映像を使っているシーンがあり、驚いた。テージャーと愛人のモナが1973年版の「Zanjeer」を鑑賞し、モナがテージャーに対し、映画の中のテージャーはあなたにそっくりだ、ということを言うのである。これはどういう効果を狙ったジョークであろうか。登場人物の名前はほとんど変わっていないのだから、2013年版の「Zanjeer」の世界において1973年版の「Zanjeer」が存在しているということ自体、かなり矛盾を抱えることになる。原作に忠実なリメイク映画においてこれは禁じ手であろう。

 ただ、リメイクであるが故に時代性が表れている映画ではあった。2010年代前半のヒンディー語映画のキーワードは、社会活動家アンナー・ハザーレーの汚職撲滅運動やアルヴィンド・ケージュリーワールの庶民党躍進などの影響で、「汚職」である、または「汚職」であった、というのが持論であるが、この「Zanjeer」からもその匂いがした。ヴィジャイのキャラは、単に原作でアミターブ・バッチャンが演じたアングリー・ヤングマンだけでなく、汚職撲滅の戦士としての色合いも濃かった。また、石油密売組織、いわゆるオイル・マフィアの実態を暴こうとしていたのは、そもそも県徴税官のプラカーシュ・サーテーであった。公務員が政府の汚職を暴くという構造は、元々国税局の役人(IRS)だったアルヴィンド・ケージュリーワールのプロフィールとかぶる。このように、リメイクとしては失敗だったものの、時代を映す鏡としては、記憶に留めておく価値のある作品だと感じた。

 「Don」のように、もし原作を知る観客をあっと言わせるようなサプライズを用意するとすれば、ヴィジャイとテージャーの関係に一捻りを加えることに他ならなかっただろう。1973年版の「Zanjeer」において、テージャーはヴィジャイの両親の仇である。これは多くのインド人観客が前知識として持っていることだ。2013年版の「Zanjeer」では、冒頭でこの因縁を説明する映像がカットされており、もしかして何か変更点があるのかと期待させられるが、結局最後のクライマックスでヴィジャイの両親を殺したのはテージャーだったという原作通りの事実が明かされ、肩すかしされる。もったいぶっておいて、この結末はあんまりである。

 2013年に公開された「Zanjeer」は、1973年の同名映画のリメイクである。原作はインド映画史に残る名作であるが、そのリメイクの方は、原作の足下にも及ばない駄作であった。このような何の工夫もないリメイク映画は今後慎んでもらいたいと切に思う。