Vishwaroop

3.5
Vishwaroop
「Vishwaroop」

 ここ数週間、大いに世間を騒がせていたのはカマル・ハーサン制作・監督・主演の「Vishwaroopam」および「Vishwaroop」であった。タミル語・テルグ語版のタイトルが前者で、ヒンディー語版タイトルが後者となる。この映画はいくつかの新しい試みに挑戦している。タミル語・テルグ語・ヒンディー語の3言語公開や俳優がプロデューサーや監督を兼任することは既に目新しいものではなくなっているが、DTH(Direct-To-Home)による先行テレビ有料公開は初の試みだ。また、オーロ3Dという最新の音響技術を用いて作られており、インド映画では初のオーロ3D映画となると言う。しかしながら、この映画はそのような先進的な試みによって話題になっていた訳ではない。

 とりあえずの問題はDTH関連であった。元々この映画の映画館での封切り日は2013年1月11日で、その前日の1月10日にDTHによる有料のテレビ公開が開始されるはずであった。しかしながら、タミル・ナードゥ州の映画館業者組織が劇場公開前にテレビ公開をすることに反対の声を上げたため、大いに紛糾した。結局、劇場公開後にテレビ公開されることになったが、それでも、映画公開の新たな形を提示することには成功したと言える。

 それよりも大きな問題となったのはイスラーム教徒団体による上映禁止の要求であった。彼らの訴えによると、「Vishwaroopam/Vishwaroop」はイスラーム教やイスラーム教徒を偏見に満ちた視点で描写しており、上映は許可されるべきでないとのことであった。タミル・ナードゥ州では、同映画上映予定の映画館が襲撃を受けたりして、大きな社会問題となった。

 タミル語・テルグ語版「Vishwaroopam」の新たな公開日は1月25日であったが、イスラーム教団体による反対運動のせいで、この日タミル・ナードゥ州を含むいくつかの州では上映されなかった。特にタミル・ナードゥ州では、州政府が公開の2週間延期を命令し、裁判所の介入が必要となった。しかしながら、ヒンディー語版「Vishwaroop」は2月1日に公開され、タミル・ナードゥ州での公開も2月7日から可能となるようである。

 デリーではヒンディー語版「Vishwaroop」が公開されており、僕が鑑賞したのもヒンディー語版である。ちなみにヒンディー語版はオリジナルに比べて5分ほどカットが入っているとの情報もある。

監督:カマル・ハーサン
制作:プラサード・V・ポトルリ、Sチャンドラ・ハーサン、カマル・ハーサン
音楽:シャンカル・エヘサーン・ロイ
歌詞:ジャーヴェード・アクタル
振付:パンディト・ビルジュ・マハーラージ
出演:カマル・ハーサン、プージャー・クマール、アンドレア・ジェレミヤー、ラーフル・ボース、ジャイディープ・アフラーワト、シェーカル・カプール、ナーサル、サムラート・チャクラボルティー、ミレス・アンダーソン、アトゥル・ティワーリー
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。

 ニューヨークで原子力の研究をするドクター・ニルーパマー(プージャー・クマール)は、夫でカッタク・ダンサーのヴィシュワナート(カマル・ハーサン)が浮気をしているのではないかと疑っていた。ただ、彼女も上司のディーパーンカル(サムラート・チャクラボルティー)とただならぬ関係にあった。ニルーパマーは探偵ピーター・パルワーニー(アトゥル・ティワーリー)を雇い、ヴィシュワナートを尾行させる。ピーターはヴィシュワナートがヒンドゥー教徒ではなくイスラーム教徒であることを察知し、それをニルーパマーに伝える。確かに彼の本名はヴィサーム・アハマド・カシュミーリーで、イスラーム教徒であった。ところがそれよりも大きな秘密を彼は抱えていた。ピーターはその秘密に迫ってしまったために、アルカーイダのアジトに遭遇してしまい、翌日遺体で発見される。

 ピーターの持ち物から、ピーターの雇い主がニルーパマーであることがアルカーイダのテロリストに知れてしまう。実はディーパーンカルもテロリストの一味であった。ディーパーンカルはテロリストを引き連れてヴィシュワナートとニルーパマーの家に押しかけ、二人を拉致する。

 二人が連れて行かれたのは、病人がたくさん暮らす倉庫であった。また、このテロリスト集団のボスはオマル(ラーフル・ボース)という人物で、その場にはおらず、電話でテロリストに指示を出していた。オマルは、ヴィサームの写真を見て顔色を変え、倉庫へ向かう。ところがヴィサームは一瞬の内にテロリストたちを殲滅し、オマルが到着するまでに脱出していた。

 実はヴィサームとオマルは旧知の仲であった。かつて2人はアフガニスタンでムジャーヒディーンたちを率い、米軍との戦いを繰り広げていたのであった。だが、ヴィサームは真のムジャーヒディーンではなく、インドの対外諜報機関RAWのエージェントであった。テロリスト組織に潜入し、拉致された米国人やウサーマ・ビン・ラーディンを探していたのだった。ヴィサームはウサーマ・ビン・ラーディンを目撃するが、米軍による襲撃を受け、それ以来オマルはヴィサームを見失っていた。しかしながら、ヴィサームの方はオマルのテロ計画を監視し続けていたのだった。

 オマルは腹心のサリーム(ジャイディープ・アフラーワト)と共に、ニューヨークで核爆弾を爆発させる計画を立てていた。ニルーパマーが勤める原子力研究機関からセシウムが盗み出されており、それがテロに使用される恐れがあった。しかし、既にニューヨーク中に微量のセシウムを付けた鳩が飛び交っており、放射線量が上がっていた。この混乱の中で核爆弾を爆発させるのがオマルの計画であった。ヴィサームは、ジャガンナート(シェーカル・カプール)やアシュミター(アンドレア・ジェレミヤー)らRAWエージェントたちと共にその阻止に動き出す。彼らの正体を知らないFBIに逮捕されてしまう一幕もあったが、インド大使館の介入もあって自由行動を許される。彼らはアッバースィーというアフリカ人が核爆弾を持っている疑いを持ち、彼の家に突入する。

 そのときオマルとサリームは飛行機でニューヨークを去るところであった。アッバースィーに連絡をし、爆弾を爆発させようとしていたが、その電話に出たのはヴィサームであった。ヴィサームは爆発を阻止し、オマルとの対決姿勢を明らかにする。

 最近、インドの対外諜報機関RAW(Research & Analysis Wing)のエージェントを主人公にした映画が増えている。長らくRAWはインド映画の中では無視された存在だったのだが、「国産MI6」として急に注目を浴びるようになり、「Ek Tha Tiger」(2012年)をはじめとして、アクション映画の中の設定として頻繁に取り込まれるようになった。「Vishwaroop」の主人公もRAWエージェントであった。

 主人公のヴィサーム・アハマド・カシュミーリーはRAWエージェントで、ヴィシュワナートを名乗り、ニューヨークでインド古典舞踊カッタクの教師をしていた。そしてその覆面の身分で彼は原子力学者のニルーパマーと結婚していた。おそらく、ニューヨークに核爆弾テロを仕掛けようとするテロリストのボス、オマルの監視のために彼女を選んだのだろうが、彼女の方はグリーンカードを目的にヴィシュワナートと結婚していた。また、ヴィシュワナートの周辺人物――叔父のジャガンナート、教え子のアシュミターなど――も、RAW関係者であった。つまり、ヴィシュワナートの正体を知らなかったのはニルーパマーだけであった。この映画は、そのニルーパマーが過去を回想する形式で語られる。

 今まで密かにオマルの動きを内偵していたヴィサームがオマルと対峙することになったきっかけは、ニルーパマーが夫の浮気調査のために雇った探偵ピーターがテロリストのアジトに入り込んでしまったことであった。それによってヴィサームはニルーパマーと共に拉致されてしまう。物語が動く重要な部分であるが、後から考えてみると、ヴィサームがなぜわざわざピーターをテロリストのアジトに連れて行ったのか謎である。

 また、ヴィサームとオマルの過去の因縁については、ヴィサームによる過去の回想という形で重箱式に語られる。ヴィサームはかつてインド生まれのムジャーヒディーンとしてターリバーンの組織に潜入しており、そのときオマルの信頼を得ていたのだった。このときヴィサームはオマルから、ニューヨークやロンドンなどの都市に核爆弾テロを決行する計画を聞いていた。その阻止のためにヴィサームは身分を偽ってニューヨークに潜伏していたのだった。

 どうやらカマル・ハーサン演じる主人公がイスラーム教徒であることは偽のIDではないようで、つまりこの映画はイスラーム教徒の主人公がイスラーム教徒のテロリストと対峙する構造になっている。つまり、イスラーム教徒を完全に悪として描いている訳ではない。イスラーム教徒によるテロを、敬虔なイスラーム教徒が阻止する内容だ。そういう意味で、イスラーム教団体による上映禁止要求は早とちりだったと言っていい。

 しかしながら、ターリバーンを正当に描写していたかと言うとそういう訳でもなく、米国を毛嫌いし、血も涙もない完全な悪役として決めつけているところがある。あくまでアクション娯楽映画であり、テロの問題に深く切り込んだ作品とはなっていない。しかし、アクションシーンには気合いが入っており、特に拉致されたヴィシュワナートが突然テロリストに反撃するシーンは素晴らしい。アフガニスタンで米軍の襲撃を受けるシーンも迫力があった。

 ニルーパマーは夫が実はRAWのエージェントであったことを割とすんなりと受け容れているが、ヴィサームが彼女に対してした仕打ちは人道的にはあまり認められないのではないかと思う。ヴィサームが演じていたヴィシュワナートは同性愛者の毛色があり、どうやら2人の間に夫婦関係はなかったようである。そしてそれが彼女にとって長年のトラウマとなっていた。いくらRAWのエージェントだからと言って、それは正当化されるものではないだろう。ニルーパマーはもっと怒っていいはずである。その辺りが曖昧なので、全体的にはあまり現実感のない展開であった。

 「Vishwaroop」はオマルによるニューヨーク核爆弾テロを阻止するところで終わっているが、まだ続編があるようで、その予告編が最後に流れる。どうやら続編の舞台はインドになるようである。「Vishwaroop」ではヴィサーム、ニルーパマー、アシュミター、ジャガンナート、オマル、サリームなど主要登場人物が死んでおらず、続編でもそのまま彼らが登場すると思われる。

 今回カマル・ハーサンは制作・監督・主演を一人で務めている。元々ひとつの作品で何役もこなすのはお手の物であるが、今回は特にヴィシュワナートからヴィサームへの切り替えが素晴らしかった。ニルーパマーを演じたインド系米国人女優。一方、アシュミターを演じたアンドレア・ジェレミヤーは南インド映画界で活躍する女優・ダンサーである。ラーフル・ボースの悪役は意外なキャスティングと言える。彼は「ミスター・ヒングリッシュ」の異名を持ち、英語映画を主な活躍の場として来た。彼なりに頑張ってはいるが、果たして悪役としての貫禄があったかどうかは疑問だ。他にシェーカル・カプールの出演が特筆すべきだ。「Bandit Queen」(1994年/邦題:女盗賊プーラン)や「エリザベス」(1998年)などで有名な、国際的に活躍中のインド人映画監督である。銀幕への登場は20年振りとなる。

 音楽監督はシャンカル・エヘサーン・ロイである。ヒンディー語の歌詞はジャーヴェード・アクタルが書いている。基本的に娯楽映画の作りでありながら、歌や踊りが意味なく入ることはなかった。むしろ特筆すべきはコレオグラフィーをカッタクの巨匠パンディト・ビルジュ・マハーラージが担当していることだ。序盤でカマル・ハーサンが踊るカッタク・ダンスをマハーラージが振り付けた。カマル・ハーサン自身が若い頃のマハーラージを彷彿とさせた。

 「Vishwaroop」は、いくつかの新しい試みに挑戦し、無意味に論争に巻き込まれ注目を浴びているものの、内容はいたって普通のアクション娯楽映画である。イスラーム教徒の尊厳を侵害するような作品でもない。ヒンディー語映画界ではテロは既に目新しいテーマでもなく、この問題について綿密なリサーチに基づいた深みがある訳でもないが、観て損はない娯楽映画である。