Matru Ki Bijlee Ka Mandola

3.5

 近年のヒンディー語映画界の新しい潮流の中で、ヴィシャール・バールドワージ監督は間違いなくその中心にいる人物である。シェークスピア作品を翻案した「Maqbool」(2003年)や「Omkara」(2006年)、子供向け映画「Makdee」(2002年)や「The Blue Umbrella」(2005年)、言語障害のある双子を主人公に据えた「Kaminey」(2009年)など、常に変わった映画を撮り続けており、ヒンディー語映画のフロンティアを開拓している。そんなバールドワージ監督の最新作「Matru Ki Bijlee Ka Mandola」が本日(2013年1月11日)公開となった。今年最初の期待作となる。今回バールドワージ監督は初めてコメディーに挑戦とのことだが、単なるドンチャン騒ぎのコメディー映画ではなく、やはり彼らしいユニークな作品となっていた。

 主演はイムラーン・カーン、アヌシュカー・シャルマー、パンカジ・カプールの3人。若手世代を代表するイムラーンとアヌシュカーは今回初共演。他にシャバーナー・アーズミーも出ている。バールドワージ監督は元々音楽監督として映画界に入った人物であり、音楽も自分の手で手掛けている。作詞は盟友のグルザール。題名からして興味をそそられる作品である。

監督:ヴィシャール・バールドワージ
制作:ヴィシャール・バールドワージ、クマール・マンガト・パータク
音楽:ヴィシャール・バールドワージ
歌詞:グルザール
振付:サロージ・カーン、ボスコ・シーザー
衣装:パーヤル・サルージャー
出演:イムラーン・カーン、アヌシュカー・シャルマー、パンカジ・カプール、シャバーナー・アーズミー、アーリヤ・バッバル
備考:DTスター・プロミナード・ヴァサントクンジで鑑賞。

 ハリヤーナー州マンドーラー村。地主のハリー・マンドーラー(パンカジ・カプール)は重度のアルコール中毒で、酒を飲むと人格が全く変わってしまう。彼のお気に入りはグラーボーという地酒だった。最近雇った運転手フクム・スィン・マトルー(イムラーン・カーン)と共に、ドライデー(禁酒日)に酒屋にリムジンで突入するなど、酒に渇したときの行動力は異常であった。マンドーラーは禁酒をするが、禁断症状でピンクの牛の幻覚を見るようになり、すぐにまた飲んでしまうのだった。

 ところでマンドーラーは村の農地を経済特区(SEZ)にする夢を抱いていた。そのために娘のビジュリー(アヌシュカー・シャルマー)を、地元政治家チャウダリー・デーヴィー(シャバーナー・アーズミー)の息子バーダル(アーリヤ・バッバル)と結婚させようとしていた。ビジュリーはデリーやロンドンで勉強して来た才女で、マトルーとビジュリーは幼馴染みであった。

 しかし、村では「マオ」と名乗る謎の人物が、農民たちに、政府に土地を売り渡さないように警告していた。そのおかげで土地買収がスムーズに進んでいなかった。また、チャウダリー・デーヴィーが現地視察に来て見てみると、SEZ建設予定地は、荒れ地と聞いていたのに一面小麦畑となっていた。これでは土地買収により多くの補償金を支払わなくてはならなくなる。だが、チャウダリー・デーヴィーも自分の選挙区にSEZを建設し、政治力を増すと同時に結婚によってその莫大な利益を手中に収めようと考えており、どうしても土地買収は成功させなければならなかった。

 そこでバーダルは、過剰に散布すると作物を枯らしてしまう農薬を使って小麦畑を壊滅させようとする。だが、マオに主導された農民たちによってその計画は阻止されてしまう。バーダルは何とかマオの正体を突き止めようと深夜集会に潜入するが失敗する。だが、実はマオはマトルーであった。マトルーは左翼勢力の強いジャワーハルラール・ネルー大学(JNU)を卒業した青年活動家で、マンドーラーの運転手を装いながら、出身の村の運動を密かに率いていたのだった。

 小麦が収穫の時期を迎えた。マンドーラー村の農民たちは市場で作物を売ろうとするが、当局の邪魔が入り、誰も買い手が付かなかった。作物を売って借金を返さなければ、農地は差し押さえられてしまう。そこでマトルーはデリーまで出向き、食料会社シャクティボーグを経営する大学時代の旧友にマンドーラー村の小麦を買い取るように頼む。旧友もそれを快諾する。前金を受け取った農民たちは借金を返済することが可能となる。

 農民たちが資金を手に入れたニュースはチャウダリー・デーヴィーやマンドーラーの耳にも届いた。マンドーラーは、今後一切酒は飲まないと誓う。すると途端に豪雨が降り出し、作物が全て水浸しになってしまう。こうして農民たちは土地を売らざるを得なくなってしまう。マトルーの敗北であった。

 また、バーダルとビジュリーの結婚式の準備が進められていた。マトルーはデリーに帰ろうとするが、このときまでにビジュリーとの間には恋愛関係が芽生えていた。マトルーはビジュリーの結婚を止めようと画策し、村中の牛をピンク色に塗って結婚式に忍び込ませる。式場でマンドーラーはピンクの牛を見て慌てふためくが、決して酒に触れようとはしなかった。一方、ビジュリーはマトルーと結婚できない悲しみから酒を飲み酔っ払ってしまう。彼女は酩酊状態のままマンダプ(結婚の儀式が行われる壇上)に上がる。聖火の回りを7回回る儀式はなかなか進まなかった。

 マンドーラーはまだSEZの契約書にサインをしていなかった。冷静に考えた結果、彼はSEZ建設案を破棄することにし、ピンクの牛に乗って式場に殴り込んでチャウダリー・デーヴィーたちを追い出す。そしてビジュリーをマトルーと結婚させる。

 コメディー映画を銘打っており、確かにブラックコメディーとして秀逸ではあるが、決して単に笑っておしまいの作品ではない。現在インドが直面する「発展」や「開発」の問題を農民の視点に立って描いた作品だ。その点では「Shanghai」(2012年)のテーマとも似通っているのだが、意外なことにコメディータッチで描いたこの「Matru Ki Bijlee Ka Mandola」の方が「発展」の実態をより明確にしていた。「発展」の名の下に農民たちから農地が奪われて行くが、それは政治家の野心や富豪の金儲けのためであり、決して貧者救済や国家発展のためではない。一方で農民にとって土地は魂であり、農地を失った農民は尊厳をも失う。そして急速にインフレが進むインドにおいて彼らは社会・経済の弱者・貧者に位置づけられ、一生底辺の生活を送ることになる。それを防ぐため、政府に土地を売却しないようにと農民たちに呼び掛ける活動家たちが活躍する。西ベンガル州シングルのターター・ナノ工場建設予定地、ウッタル・プラデーシュ州のヤムナー・エクスプレスウェイ沿線の土地など、この構造の対立は過去にいくつも起こって来た。「Matu Ki Bijlee Ka Mandola」の舞台はハリヤーナー州であるが、首都デリーに近いこともあり、あちこちで農地が工業団地や住宅地にされている。マーネーサルのスズキ工場で起こった暴動も、この問題と無関係ではない。あまりにも性急な「発展」が社会に大きな歪みをもたらしている。「Matru Ki Bijlee Ka Mandola」はそれに警鐘を鳴らす真剣な作品であった。

 農村は近年のヒンディー語映画のトレンドである。ヴィシャール・バールドワージ監督はそのトレンドセッターの一人だと言っていい。「Maqbool」や「Omkara」などで農村を舞台にし、土臭い作品を作り上げた。だが、今回彼が新たに提示したのは、都市部や海外で教育を受けた若者が生まれ故郷の農村に帰って来て、その村のために献身する様子である。もちろん「Swades」(2004年)で既にそれはあったのだが、より政治的かつ自然な形で提示できていたと思う。マトルーはデリーのJNUで左翼思想の洗礼を受け、自分の村がSEZに呑み込まれないように密かに戦う。「マオ」を名乗って農民を組織し、農地を強制的に接収しようとする政府に立ち向かわせる。一方、地主の娘ビジュリーはデリーとロンドンで学んで来ており、典型的な「村娘」ではない。彼女の立場は複雑だが、曲がったことが大嫌いな性格であり、農民たちを騙し討ちにして土地をせしめようとする動きが出て来たところで彼女は農民たちの側に回る。今までの農村映画ではあまり見られなかったキャラクターであり、ヒンディー語映画の前進を感じさせられた。

 バールドワージ監督の映画の言語は非常に写実的なことが多い。この映画でも基本はハリヤーンヴィー語であり、かなり癖がある。特にパンカジ・カプール演じるマンドーラーのしゃべる言葉はほとんど聴き取れない。ハリヤーナー州の人々(農民には「ジャート」と呼ばれるコミュニティーが多い)はかなり粗雑なしゃべり方をすることで知られている。罵詈雑言に分類される言葉を平気で交ぜて話すのだ。だが、その中に不思議なユーモアもあったりして、バールドワージ監督はそれを映画の中で再現することに苦心したようである。その点パンカジ・カプールは本当にうまい。まるで本物のジャートのようだ。イムラーン・カーンも現地に滞在して彼らの言動を学んだようで、いつもの洗練された身のこなし方ではなかった。叔父のアーミル・カーンに似た演技力である。

 個人的にもっとも感心したシーンは、マトルーがデリーまで行って作物を売ろうとするところである。彼は大学時代のコネを使って、食品会社の女性経営者に直談判する。詳しく描写されていないのだが、その女性はおそらくマトルーの大学時代の恋人かそれに近い関係の人物であろう。JNUはインドでトップの教育機関であると同時に左翼の牙城であり、マトルーのように革命を志す左翼活動家として地下活動をする卒業生もいれば、政治家になったり実業家になったりして表舞台で活躍する卒業生もいる。だが、どんな人生を歩もうともJNUの仲間は仲間であり、そのコネが後々まで生きて来る。また、たとえ左翼のイデオロギーとは全く逆方向の道を歩むことになっても、心のどこかでJNU時代に育まれた左翼的思想が残っており、機会があればそれに協力したくなってしまう。そんなJNUのセンチメントをうまく捉えていたように思える。また、農民たちに裏切られ敗北したマトルーが、デリーに帰って大学で教えようとするところもJNUの卒業生らしい進路である。

 主演イムラーン・カーン、アヌシュカー・シャルマー、パンカジ・カプールの演技は一級であった。特に酔っ払ったときのマンドーラーを演じるパンカジ・カプールは絶品だ。加えてシャバーナー・アーズミーも「Makdee」などを思わせるエキセントリックな演技。バーダルを演じたアーリヤ・バッバルはラージ・バッバルの息子で、プラティーク・バッバルの異母弟になる。

 音楽はヴィシャール・バールドワージ、歌詞はグルザール。ハリヤーナー州の田舎の雰囲気がよく出た音楽と歌詞である。いくつかは民謡のようだ。しかも突然アフリカ音楽「Nomvula」がある。これはストーリー中にもアフリカ人のダンサーが出て来て踊っているからであるが、その荒技を平然とやってのけてしまうところがバールドワージ監督の凄いところだ。昨今のアンチ汚職政治家・官僚・警察ムードを反映した歌「Chor Police」もあれば、農民応援歌のような「Lootnewale」もある。非常に多様なサントラとなっており、出色の出来だ。

 「Matru Ki Bijlee Ka Mandola」は、ブラックコメディーに分類される映画であるが、それよりもむしろその内容のシリアスさ・切実さに圧倒される作品だ。「Shanghai」でもっとクローズアップして欲しかった「発展」の裏側がこの映画でよく取り上げられており、考えさせられる。日本企業もハリヤーナー州を初めとしてインドにおいてこの映画のような状況を作り出しているので、日本人も無関係なテーマではない。ただ、言語は非常に写実的なハリヤーンヴィー方言で、聴き取り超困難である。ヒンディー語ができる人でも字幕と共に鑑賞することをおすすめする。