Superman of Malegaon

4.0
Supermen of Malegaon
「Supermen of Malegaon」

 南デリーはヴァサント・クンジのDLFアンビエンスモールにある超高級映画館PVRディレクターズカットは、ニッチなインド映画が好きな人には天国のような場所だ。チケット代は通常のマルチプレックスの3倍はするが、通常のマルチプレックスでも上映しないような超マイナーな作品を時々上映してくれる。先日は白黒映画「Kshay」(2012年)を鑑賞した。そのときに流れたトレーラー(予告編)で興味を惹かれたのが「Superman of Malegaon」であった。

 マーレーガーオンと言えば、マハーラーシュトラ州北西部にある、一見何の変哲もない田舎町であるが、独自の映画産業(「モリウッド」と呼ばれる)が発展していることで全国的に有名である。マーレーガーオンを舞台にし、一般市民をキャスティングし、そして地元の言語(マラーティー語ミックスのヒンディー語)で台詞をしゃべる、ヒンディー語映画やハリウッド映画の低予算パロディーを何本も作り続けており、そのカルト性からインド映画ファンによく知られている。「Superman of Malegaon」は、マーレーガーオン在住の映画監督が、「Malegaon Ka Superman(マーレーガーオンのスーパーマン)」という「スーパーマン」のパロディー映画を制作する過程を追ったドキュメンタリー映画で、元々はテレビ放送用に作られた。NHKを含むアジアの公共放送局が共同で立ち上げたドキュメンタリー番組制作共同プロジェクト「アジアン・ピッチ」の栄えある第一陣(2008年)の一本で、既に日本ではNHK BS1にて放映されたようである。その後世界中の映画祭を巡回し絶賛されており、デリーでもオシアン映画祭で公開されたようなのだが、僕は見逃していた。今回、2012年6月29日にPVRディレクターズカットで一般公開されることになり、この機会を逃してはならないと、チケット代の安い平日に映画館へ足を運んだのだった。

監督:ファイザー・アハマド・カーン
制作:ジュンイチ・カタヤマ、ファイザー・アハマド・カーン、チュンヨン・ペク、スィッダールト・タークル、ガールギー・トリヴェーディー
音楽:スネーハー・カンワルカル、ヒテーシュ・ソーニク
出演:シャキール・バーラティー、ファローグ・ジャーファリー、アクラム・カーン、シャフィーク、シェーク・ナズィール
備考:PVRディレクターズカットで鑑賞。

 マーレーガーオン在住のシェーク・ナズィールは、「Malegaon Ke Sholey」という、伝説的映画「Sholey」(1975年)のパロディー映画を作ったことで地元では名が知られる映画監督であった。彼が今回テーマに選んだのはスーパーマン。ヒンディー語映画界に喧嘩を売った次にはハリウッドだということで、地元出身のスーパーマンをグリーンスクリーンを使ってマーレーガーオン中飛ばせることを第一の売りと考えていた。主役として白羽の矢が立ったのは、機織工場で働くシャフィーク。やせっぽちの臆病者だったが、野望だけは大きく、アミターブ・バッチャンのような俳優になることを夢見ていた。しかし、シェーク・ナズィールの前には様々な困難が立ちはだかる。予算、キャスト、ロケ地など。しかもシャフィークの結婚が決まってしまい、その日までに映画を完成させなくてはならなくなった。最大のピンチだったのは、撮影中にハンディカムを河に落としてしまったことだ。ナズィール監督はインドールまで行ってハンディカムを修理してもらう。奇跡的にハンディカムは直り、撮影は続行される。何とか「Malegaon Ka Superman」は完成し、ビデオパーラーで上映される。こんな内容である。

 「Malegaon Ka Superman」自体がコメディータッチの映画であり、そのしょうもないギャグやチープな作りだけでも思わず笑ってしまうのだが、それを制作する過程はさらに微笑ましい哀愁に満ち溢れており、ファイザー・アハマド・カーン監督のカメラはその様子をよく捉えていた。映画を作るための何の施設もない田舎町から、映画を作りたいという情熱だけで一本の映画が仕上って来る様子はただただ感動的だ。もちろん、何から何まで自前で調達しなければならない。そのためにインド人ならではの「ジュガール(間に合わせのもので何とかすること)」がフルで発揮されており、思わず感心してしまうシーンもいくつかある。特に即席のグリーンスクリーンをトラックの側面に垂らし、その前で撮影を行って、スーパーマンを「飛ばす」ことに成功したシーンは、原始的なことなのに、じ~んと来てしまう。それは、映画の原点がそこにあるからだと思う。映像マジックを使って観客を驚かせ、楽しませたい。そんな純粋な気持ちがこの映画には詰まっている。そして、映画好きな人々が映画のために、時には滑稽ながらも、一生懸命動く姿を見るのは、一人の映画好きとして、「やっぱり映画っていいものだなぁ」と思わせてくれる。「映画」という芸術または娯楽に対する果てしないオマージュがこの「Superman of Malegaon」には詰まっていた。

 しかしながら、どうしても気になったのはファイザー・アハマド・カーン監督の存在だ。彼女の姿は見えないのだが、時々インタビューをする声が聞こえて来るし、中途半端に存在感がある。シェーク・ナズィール監督がカメラを河に落っことしたときも冷静に彼が慌てふためく様子を追っていた。その際、ナズィール監督から、彼女が使っているカメラを使わせてくれと頼まれなかったのだろうか?また、結局この一連のスーパーマン・プロジェクトでもっとも名を売ったのはファイザー・アハマド・カーン監督の方であり、シェーク・ナズィール監督の方はその踏み台にされてしまったような感もある。映画撮影の過程をドキュメンタリー映画にするというのは、何とも複雑な行為だと感じた。もっとも、当初はファイザー・アハマド・カーン監督の「Superman of Malegaon」の方は映画として制作された訳ではないようだが。

 映画の製作過程だけではなく、マーレーガーオンの様子が垣間見えたのも面白かった。町の中心には河が流れており、一方にはイスラーム教徒が、もう一方にはヒンドゥー教徒が住んでいる。両者の仲は良くないと言う。お互いがお互いの居住区に足を踏み入れることは滅多にない。マーレーガーオン全体の人口比はイスラーム教徒が75%を占めており、マーレーガーオンの映画産業の担い手もほとんどがイスラーム教徒。ただ、映画に対する熱狂に宗教の別はなく、両者が映画を楽しんでいる。マーレーガーオンは今でこそ独自の映画産業で全国的に名を知られることとなったが、元来は織物業で有名な町で、映画中にも機織り機の音が効果的に使われていた。ただ、映画の冒頭に気になる一文があった。どうやら「Malegaon Ka Superman」でスーパーマンを務めたシャフィークは2011年に亡くなってしまったらしい。その死因は喉頭がんだと言う。機織工場に蔓延する埃と関係あるのではないかと思ってしまった。彼は自分の映画が大スクリーンで公開されることを夢見ていたそうで、今回このドキュメンタリー映画が映画館で公開されたことで、死後ながら、それが実現したと言える。

 この映画を観て、インド映画好きとして、マーレーガーオンは一度は行かなければならない町だと改めて感じた。マーレーガーオンの一連の作品群も一度ざっと観てみたいものだ。ちなみに、PVRディレクターズカットで上映されていたものには英語字幕が付いており、理解の役に立った。全体的には台詞はヒンディー語だが、マラーティー語の影響であろう、訛りが入っており、聴き取りやすいものではない。

 「Superman of Malegaon」は、映画の原点を再認識させてくれる優れたドキュメンタリー映画だ。映画が好きな人に是非観てもらいたい。NHKが制作に加わっていることにも注目したい。この映画を生んだアジアンピッチにはインド人監督が多数参加しており、今後も優れたドキュメンタリーを送り出してくれるのではないかと期待している。