Teri Meri Kahaani

2.0
Teri Meri Kahaani
「Teri Meri Kahaani」

 現在ヒンディー語映画界でロマンス映画を作らせたら右の出る者がいない監督はイムティヤーズ・アリーを置いて他にいない。「Jab We Met」(2007年)や「Rockstar」(2011年)など、彼はこれまで一貫してロマンス映画しか作っていないが、どの作品も新鮮であり、他の監督のロマンス映画に比べて別格、別次元であり、明らかに突出している。一方、「Hum Tum」(2004年)や「Fanaa」(2006年)のクナール・コーリー監督も一貫してロマンス映画を作り続けている映画監督である。十分ヒット作を作れる才能を持っているが、いかんせん上にイムティヤーズ・アリー監督がいるため、今のところ「ロマンスの帝王」の称号は与えられずにいる。しかしながら、この二人が切磋琢磨して行けばヒンディー語ロマンス映画はとても面白くなると期待している。

 そのクナール・コーリー監督の最新作が本日(2012年6月22日)公開の「Teri Meri Kahaani」である。主演はシャーヒド・カプールとプリヤンカー・チョープラー。この二人は元々付き合っていたのだが、2011年に破局している。撮影は破局後に開始されており、二人はプライベートを抜きにして、プロフェッショナルに仕事をしたようだ。1910年ラホール、1960年ボンベイ、2012年ロンドンを舞台にし、主演の二人が一人三役を演じるオムニバス形式の恋愛映画で、台湾映画「百年恋歌」(2005年)との類似も指摘されている。クナール・コーリー監督の巻き返しはあるか?

監督:クナール・コーリー
制作:クナール・コーリー、スニールAルッラー、ヴィッキー・バーハリー
音楽:サージド・ワージド
歌詞:プラスーン・ジョーシー
振付:レーカー・チンニー・プラカーシュ、チンニー・プラカーシュ、アハマド・カーン
衣装:マニーシュ・マロートラー、クナール・ラーワル
出演:シャーヒド・カプール、プリヤンカー・チョープラー、プラーチー・デーサーイー、ネーハー・シャルマー、ヴラジェーシュ・ヒージュリー
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 1960年ボンベイ。ボンベイに向かう列車の中で、ミュージシャンを目指すゴーヴィンド(シャーヒド・カプール)は人気女優ルクサール(プリヤンカー・チョープラー)と出会う。ルクサールはゴーヴィンドを気に入り、彼に連絡先を渡す。ボンベイに着いたゴーヴィンドはゲストハウスに宿泊するが、そこに滞在する女性マーヒー(プラーチー・デーサーイー)と出会う。ゴーヴィンドはルクサールと会いながら、マーヒーともデートを重ねる。ところがルクサールとマーヒーは同じ村から一緒にボンベイにやって来た仲だった。ルクサールとマーヒーは同じ男性を好きになってしまったことを知り、ショックを受け、ゴーヴィンドもそれを察知する。

 2012年ロンドン。大学で学ぶクリシュ・カプール(シャーヒド・カプール)は誕生日に恋人のミーラー(ネーハー・シャルマー)と破局したばかりで、しかも道端でぶつかった女性ラーダー(プリヤンカー・チョープラー)からスリだと勘違いされ、逮捕されてしまう。ラーダーは間違いに気付き、警察署まで行って彼を解放する。ラーダーは償いとしてクリシュにビールを奢り、それがきっかけで二人は付き合うようになる。ラーダーは別の大学に通っていたが、二人はフェイスブックで密接につながっていた。ミーラーはまだクリシュに未練があり、何とかクリシュと仲直りしようと努力するが、クリシュに新しいガールフレンドが出来たことを知ると、今度はフェイスブックにクリシュの恥ずかしい写真をアップし、復讐を始める。それを知ったクリシュは仕返しにミーラーの恥ずかしい写真をアップする。ラーダーは、クリシュが元恋人と破局した日に自分と付き合い出したことを知った上に、クリシュの元恋人に対する仕打ちに幻滅し、彼の元を去る。

 1910年ラホールはサルゴーダー。ジャーヴェード・カードリー(シャーヒド・カプール)は地元で有名な詩人でプレイボーイだった。まだ独立前で、町では英国人官吏が幅を利かせていた。ジャーヴェードは英国婦人とも火遊びをし、それがばれて逃げる途中、偶然アラーダナー(プリヤンカー・チョープラー)と出会う。二人は恋に落ちる。ところで、アラーダナーの父親は独立運動を先導していた。ジャーヴェードは格好付けるため志願し、デモに加わる。ところが英国軍に対峙した途端にジャーヴェードは恐れをなして逃げ出してしまう。アラーダナーは彼の臆病な行動に失望し、扉を閉ざす。自暴自棄となったジャーヴェードは単身英国人官吏を攻撃し、逮捕される。ジャーヴェードは刑務所に入れられるが、彼のことを見直したアラーダナーは頻繁に彼に会いに来るようになる。しかしジャーヴェードは刑務所内でも問題を起こし、3ヶ月間独房に入れられる。やっと釈放されたジャーヴェードがアラーダナーの家を訪れると、アラーダナーは既に結婚した後だった。

 ゴーヴィンドはマーヒーに別れを告げ、ボンベイを去る。すると、その列車にルクサールが乗り込んで来る。クリシュはシェークスピア祭のイベントにおいて、観衆の中にミーラーとラーダーがいる中、まずはミーラーに語り掛け、次にラーダーに改めて愛の告白をする。アラーダナーが結婚したことを知ったジャーヴェードは父親の決めた女性と結婚することに決める。しかし結婚の直前に彼は未亡人となったアラーダナーのところに駆け寄り、プロポーズをする。

 軽い。全てが軽い。そして浅い。全てが浅い。オムニバス形式にしてひとつひとつのストーリーに多くの力を注げなかったために、より軽さと浅さが目立ってしまった。残念ながら、クナール・コーリー監督の才能の底が知れてしまった作品と言える。特に3つのストーリーがスリリングに絡み合うこともない。異なる時代、異なる場所において、似たようなキャラクターが似たような人間関係を築くのを繰り返し鑑賞させられるだけの映画であった。似たような構成だがよりB級臭プンプンの「Dangerous Ishhq 3D」(2012年)の方がよっぽどか面白い作品だった。

 1960年ボンベイのストーリーは、まず1960年のボンベイを説得力のある形でスクリーン上に再現する必要があった。確かに当時のボンベイをイメージしたセットが組まれ、おそらくCGなども併用しながら、時代感を出そうと努力していた。また、意図的にコマ数を少なくし、チャップリン映画のようにコミカルな動きになるように工夫してあった。コメディーとしては面白い効果を醸し出していたが、果たしてそれだけでどれだけ笑いを引っ張ることが出来るだろうか?肝心のプロットは全く稚拙で、何の味もない。

 2012年ロンドンのストーリーは、PCやスマートフォンを使ったフェイスブックによるコミュニケーションが若者の生活と恋愛模様に浸透している様子が描かれていた。特にスマートフォンによる「いつでもどこでも」のコミュニケーションは新しかった。フェイスブックのみを取り上げ、スマートフォンを導入しなかった「Mujhse Fraaandship Karoge」(2011年)よりも一歩先に進んでいたと言える。また、元恋人への復讐にもフェイスブックが利用されていた。だが、やはりプロットは浅く、一本調子だった。現代を舞台にしており、ロンドンの大学でロケが行われていたため、セットに関しては問題なかった。

 だが、1910年ラホールのストーリーでは再びセットが大きな欠点となっていた。ラホールを再現したセットが組まれ、郊外のシーンではマハーラーシュトラ州ダウラターバードでロケが行われていた。ダウラターバードのシーンは問題ないのだが、セットでの撮影はあらゆる部分がわざとらしく、偽物っぽい雰囲気がプンプンしていた。1910年にラホールで独立運動が盛り上がっていたのかどうかも疑問である。パンジャーブ地方の独立運動の火付け役となったラーラー・ラージパト・ラーイがアクティブになるのは1920年代からであるし、マハートマー・ガーンディーがインドで影響力を持つのも1920年以降だ。時代考証に大いに疑問を感じた。そして言うまでもなくストーリーが薄っぺらかった。

 劇中で特に主人公の二人が、異なる時代、異なる場所に輪廻転生して、同じような出会いをし、同じような恋愛を繰り広げているようなことは明示されていなかった。暗示のみに留められていたと言える。しかし、そこで冒険しなかったところがこの映画をもっともつまらなくしていたと感じた。どうせならそれぞれのストーリーに関連性を持たせればインドらしい輪廻転生をテーマにしたロマンス映画になったことだろう。

 脚本や演出に難があるために、俳優の演技の評価も不利になる。シャーヒド・カプールは現代的なルックスをしているため、時代が下るごとに浮いた存在になる。それを演技力でカバー出来ていたかと言われれば、必ずしもそうとは言えないだろう。プリヤンカー・チョープラーも各ストーリーでキャラクターを演じ分けていたとは思えない。手を抜いていた訳ではないが、それぞれ二人のベストの演技が見られる映画とは言えないだろう。二人の間のケミストリーも感じなかった。プラーチー・デーサーイーやネーハー・シャルマーなど、サブヒロイン扱いの女優も出ていたが、彼女たちも出番はほとんど与えられていなかった。唯一、1960年の物語で記者を演じたヴラジェーシュ・ヒージュリーがアクセントになっていて良かった。

 音楽はサージド・ワージド。テーマ曲的に使われるのが「Mukhtasar」。「様々な出会い、言葉に出来ない物語・・・」という歌詞から始まり、正にこの映画の導入となっている。しかし音使いが古くさい。ここ数年ヒンディー語映画界ではずっとカッワーリーが流行しており、サントラには必ずカッワーリー的楽曲が含まれているが、「Teri Meri Kahaani」の場合は「Allah Jaane」となる。1910年のストーリーで使用される。「Humse Pyaar Kar Le Tu」もカッワーリー的であるが、イントロのみで、すぐにパンジャービー・ソングに移行する。「Jabse Mere Dil Ko Uff」は正に1960年代に流行したようなキャバレー・ソングで、1960年のシーンに使われる。一転して「That’s All I Really Wanna Do」は英語歌詞をサビに据えたモダンなラブソングで、予想通り2012年のシーンに使われる。総じて音楽はバラエティーに富んでいて悪くなかったが、それぞれのミュージカルシーンが冗長に感じた。

 「Teri Meri Kahaani」はロマンス映画で定評のあるクナール・コーリー監督の最新作であるが、彼の映画の質は作品を重ねるごとに下がって来ているように感じる。少なくともこの映画は彼のキャパシティーを越えていると評さざるを得ない。ここのところ渋めの映画やハードなロマンス映画が続いたため、「Teri Meri Kahaani」は息抜きになるかと思ったが、残念ながら薄っぺらい映画だった。オムニバス形式の構成もその完成度の低さを助長してしまっている。破局したカップル、シャーヒド・カプールとプリヤンカー・チョープラーのケミストリーも望めない。雨季到来直前のこの時期、納涼にはいいかもしれないが、スキップしても全く構わないだろう。