Ferrari Ki Sawaari

4.0
Ferrari Ki Sawaari
「Ferrari Ki Sawaari」

 かつてスポーツ映画はタブーとされて来たヒンディー語映画界であるが、「Lagaan」(2001年)の大ヒットにより、「スポーツ映画」というジャンルを確立できるぐらいスポーツを題材とした映画が出て来た。その中でも「Iqbal」(2005年)や「Chak De! India」(2007年)などが成功例で、批評家から高い評価を得た「Paan Singh Tomar」(2012年)も十分スポーツを題材とした映画に含められる。お国柄を反映して、やはりクリケットを題材にした映画が多いが、他にもサッカー、ホッケー、ボクシング、陸上競技、モーターレースなど、守備範囲は意外に広い。

 2012年6月15日より公開の新作ヒンディー語映画「Ferrari Ki Sawaari」は、題名とは裏腹にクリケット映画の1本である。「マスターブラスター」の異名を持つ、インドを代表するクリケット選手サチン・テーンドゥルカルはカーマニアとしても有名だが、彼が所有するフェラーリこそが、この映画の中心となっている。驚くべきことにサチン所有の本物のフェラーリが映画中で使用される。

 また、主人公がパールスィー(拝火教徒)一家である点にも注目である。パールスィーはムンバイーに多く、ヒンディー語映画の中心がムンバイーであるためか、またはヒンディー語映画界にパールスィーの映画人が多いためか、ヒンディー語映画にはパールスィーのキャラクターが度々登場する。「Being Cyrus」(2006年)、「Parzania」(2007年)、「Little Zizou」(2009年)などがパールスィーを主人公とした代表例で、他にも拝火教徒のキャラクターが断片的に登場する映画は少なくない。デリーに住んでいるとパールスィーと出会う機会は皆無に近いので、文化的差異を多少感じる部分である。

 監督はラージェーシュ・マプスカル。「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)や「3 Idiots」(2009年)でラージクマール・ヒラーニー監督のアシスタントを務めて来た人物であり、本作で監督デビューとなる。これらはどれも大ヒットとなった作品であり、ヒラーニー監督はヒンディー語映画界の売れっ子監督の一人だ。彼のDNAを受け継ぐ映画作りが期待される。また、プロデューサーは同2作と同様にヴィドゥ・ヴィノード・チョープラーである。主演はシャルマン・ジョーシー、ボーマン・イーラーニーなど。現在飛ぶ鳥を落とす勢いの女優ヴィディヤー・バーランがアイテムナンバー出演している点も注目である。

監督:ラージェーシュ・マプスカル
制作:ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラー
音楽:プリータム
歌詞:スワーナンド・キルキレー、アミターブ・バッチャーチャーリヤ、グル・タークル、サティヤーンシュ・スィン、デェーヴィヤーンシュ・スィン
振付:スタンリー・デスーザ
衣装:シェヘナーズ・ヴァーンヴァッティー
出演:シャルマーン・ジョーシー、ボーマン・イーラーニー、リトヴィク・サホーレー、パレーシュ・ラーワル、ディーパク・シルケー、スィーマー・パーハワー、サティヤディープ・ミシュラー、アーカーシュ・ダバーデー、ニーレーシュ・ディーヴェーカル、ヴィジャイ・ニカム、ヴィディヤー・バーラン(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞、満席。

 ムンバイー在住の拝火教徒ルスタム(シャルマン・ジョーシー)は、信号無視すると自ら警察のところへ行って罰金を支払うような、馬鹿正直な人物であった。ルスタムの父親デーブー(ボーマン・イーラーニー)は家で1日中テレビを見ていた。妻は既に亡く、息子のカーヨーズ(リトヴィク・サホーレー)はクリケットに夢中の少年だった。カーヨーズはヴィラーヤト(サティヤディープ・ミシュラー)の教えるクリケット塾でクリケットの練習をしていた。カーヨーズは誰もが認める才能を持っていたが、デーブーは大のクリケット嫌いだった。

 デーブーがクリケットを嫌いになったのは、過去に不幸な事件があったからであった。実はデーブーは将来を有望された若きクリケット選手であった。ディリープという名の親友と共に切磋琢磨していた。しかし二人の内一人しか代表に選抜されないことになったとき、友人から裏切りを受け、チャンスを奪われてしまった。ディリープはインドを代表するクリケット選手となり、引退した現在はボンベイクリケット協会の会長を務めていたが、デーブーは無名のまま終わり、家でテレビ三昧の毎日を送っていたのだった。ルスタムもクリケットの才能があったが、デーブーは決して彼にクリケットをさせなかった。カーヨーズがクリケットをすることにも反対であった。

 ある日カーヨーズの通うクリケット塾に英国からスカウトがやって来て、ロンドンの名門ローズ・クリケットグラウンドで行われるキャンプの参加者を選抜するためのテストを行うとアナウンスする。インド代表のクリケット選手になることを夢見るカーヨーズにとってまたとないチャンスだったが、キャンプ参加費用は15万ルピーと高額で、下位中産階級のルスタムにとってすぐに用意できる金額ではなかった。しかしルスタムは息子に夢を実現して欲しいと願っており、応募することを決める。

 ルスタムは何とか15万ルピーを工面しようと奔走し出す。しかしどの銀行もルスタムにローンを出そうとしなかった。そこで従業員積立基金(EPF)へ行こうとする。その手続きのために警察署を訪れたところ、そこで偶然ルスタムはEPFに務めるバッブー(スィーマー・パーワー)と出会う。バッブーは政治家ターティヤー(ヴィジャイ・ニカム)の会計士も務めていたのだが、彼女は大きなトラブルに巻き込まれていた。ターティヤーの息子パーキヤー(ニーレーシュ・ディーヴェーカル)の結婚式パレードにフェラーリを用意すると言ってしまったのだ。ターティヤーもパーキヤーもそのアイデアを気に入るが、後で調べてみたところ、インドでフェラーリを入手するのは難しかった。ルスタムは、サチン・テーンドゥルカルがフェラーリを持っていると教える。ルスタムの父親がかつてクリケット選手だったことを知ったバッブーは、サチンを説得してフェラーリを借りて来るように頼む。その暁には15万ルピーを報酬として支払うことを約束する。馬鹿正直な公務員だったルスタムは、贈り物を受け取ることには大きな躊躇があったが、息子のためにはそれも曲げなければならなそうだった。

 しかし、クリケット嫌いの父親にどうやってそんなことを頼べばいいのか、考えあぐねていたところに電話でバッブーがデーブーとその件について話をしてしまう。デーブーは冗談で「サチンのところへ言ってワシの名前を出せば快く貸してくれるだろう。クリケットの絆は強いんだ」と言うが、ルスタムはそれを信じてしまい、サチンの住むマンションを訪れる。偶然にもマンションのガードマンがおらず、ルスタムはサチンの部屋の前まで誰にも止められず行くことが出来た。思い切って呼び鈴を押すと、ドアが少しだけ開き、手が伸びて来て、自動車の鍵の束を渡された。どうやら運転手と間違われたらしい。ルスタムは急いで返そうとするが、ちょうど電話をして来たバッブーからそのままフェラーリに乗って来るように指示され、ルスタムはそのようにしてしまう。マンションを出るときも全く止められなかった。

 ところが、ターティヤーの方では状況が変わっていた。新聞に、息子の結婚式のために多額の浪費をしようとしていると報じられ、豪華な結婚式は止めて、社会福祉事業の一環として集団結婚を執り行い、その中でパーキヤーの結婚も済ますことを考える。パーキヤーはそれに反対する。ターティヤーとパーキヤーで口論が始まるが、バッブーが間に入り両者に妥協させる。結婚式の前日にフェラーリを使ったパレードを行い、結婚式は集団結婚方式にするというものだった。

 ルスタムが乗って来たフェラーリは大量の花で飾られ、盛大なパレードが行われる。ルスタムは15万ルピーを受け取り、フェラーリのダッシュボードの中にしまう。そして翌早朝フェラーリをサチンに返しに行く。ところがサチンのマンション周辺は警備が厳重になっており、容易にフェラーリをマンション内に入れることが出来そうになかった。近くに駐車し様子をうかがっていたところ、フェラーリは駐車違反でレッカー移動されることになってしまった。お金はまだダッシュボードの中だった。

 一方、サチンの下で働くモーハン(アーカーシュ・ダバーデー)は、フェラーリがないことにショックを受けていた。テーンドゥルカル夫妻はムンバイーにおらず、モーハンが留守番を預かっていたのだが、ルスタムに誤って鍵を渡してしまったのは彼だった。また、ルスタムがマンションを訪れた際に警備をしていた警備員(ディーパク・シルケー)も大きな責任を負っていた。二人はフェラーリ盗難を警察には報告せず、街中を探し始める。

 ルスタムは泥棒をしてしまった上に目的も果たせず、深く落ち込む。デーブーもそのことを知ってルスタムを叱る。だが、ルスタムはカーヨーズの夢と才能を理解しない父親の態度に憤り、夜中父親をカーヨーズとクリケットで対決させる。年老いて、クリケットから長らく遠ざかっていたと言えど、デーブーの投球は確かだった。ところがデーブーの投げる球は片っ端からカーヨーズに打ち返されてしまった。一転してデーブーもカーヨーズの才能を認め、15万ルピーを工面することを引き受ける。

 翌日は選抜テストの日だった。ルスタムはスタジアムまでカーヨーゼーを送って行く。その間、デーブーはボンベイクリケット協会へ行く。そう、かつて自分を裏切ったディリープ・ダルマーディカーリー(パレーシュ・ラーワル)に会いに行ったのだった。ディリープは表面上デーブーを歓待するが、15万ルピーを貸して欲しいと頼まれると急に席を外し、そのまま帰って来なかった。

 15万ルピーが用意できそうにないことを知ったルスタムは、サチンのフェラーリが保管されている場所へ行く。そこには野次馬が集まっており、警察官が苦労していた。そこでルスタムは手伝う振りをし、まずはフェラーリを覆うカバーを買って来る。そしてフェラーリにかぶせると同時に車中に入り、ダッシュボードにしまった15万ルピーを取り出す。ところがそのときデーブーもそこに来ていた。デーブーはボンベイクリケット協会から派遣されて来た振りをし、レッカー車と共にフェラーリを持ち出すことに成功する。

 一方、カーヨーズは合格し、ロンドン行きが決定した。ちょうどルスタムも15万ルピーを手に入れたところで、カーヨーズは大喜びだった。ところがその夕方ボンベイクリケット協会で行われた会議で、テスト合格者リストの中にデーブーの孫の名前を見つけたディリープは、カーヨーズの祖父は15万ルピーを支払えないと伝えにやって来たと言って、彼を外そうとする。それを見たヴィラーヤトはルスタムに電話をし、すぐに金を持って協会まで来るように言う。ルスタムはカーヨーズを連れ、急いで協会へ向かう。途中ルスタムとすれ違ったデーブーは、フェラーリを積んだままレッカー車でルスタムの後を追う。

 協会に着いたルスタムとデーブーはディリープに15万ルピーを見せる。ディリープは「既に決定した」と言って断ろうとするが、選考委員会から反対意見が出たため、カーヨーズを選抜者として認めざるを得なくなった。ルスタムとカーヨーズはフェラーリに乗って家に帰るが、そこではパーキヤーが待っていた。

 彼は結婚式前日にフェラーリに乗ってパレードをした訳だが、フェラーリを隙間なく花で飾り過ぎたため、フェラーリに乗っていることが分からなくなってしまっていた。怒ったパーキヤーは結婚式当日もフェラーリに乗ると言い出し、ルスタムの家まで来ていたのだった。パーキヤーはルスタムからフェラーリの鍵を奪い、走り去る。その際、止めようとしたデーブーは怪我を負ってしまう。また、カーヨーズにはルスタムがサチンからフェラーリを盗んで来たことを知られてしまう。突然の展開の中、ルスタムはカーヨーズを家に残し、怪我をした父親を病院に連れて行く。ところが、父親が泥棒をしたことにショックを受けたカーヨーズは姿をくらましてしまう。

 カーヨーズが行方不明になったことを知ったルスタムは、パーキヤーが連れ去ったと考え、結婚式場へ押し掛ける。そこではパーキヤーがフェラーリで乗り付けたところで、ターティヤーと舌戦を繰り広げていた。ルスタムはパーキヤーに馬乗りになるが、パーキヤーはカーヨーズの行方など知らなかった。ただ、彼の手下が海の方へ歩いて行ったのを見たと言ったため、ルスタムはカーヨーズが自殺したと早とちりしてしまう。集まったメディアの前でルスタムは大泣きする。

 ところがカーヨーズはヴィラーヤトの家に来ていた。テレビでルスタムがカーヨーズを探していることを知ったヴィラーヤトはカーヨーズを連れて結婚式場まで来る。ルスタムはカーヨーズが生きていたことに大喜びする。同時に彼はバッブーに15万ルピーを返す。また、その場にはモーハンと警備員も来ており、ルスタムは彼らにフェラーリの鍵を返す。

 デーブー、ルスタム、カーヨーズが家に帰ると、近所の人々が集まっていた。バッブーの提案により彼らはカーヨーズのために15万ルピーの寄付金を集めていた。こうしてカーヨーズはロンドンへ行けることになった。

 派手さには欠けるものの、「Munna Bhai」シリーズや「3 Idiots」とよく似た雰囲気の心温まる作品だった。インド映画の美しい要素がいっぱい詰まっていたが、中心となっていたのは、正直に正々堂々と生きることの大切さを説くメッセージである。何らかの問題に直面した際、インドの社会ではどうも、神頼みを抜きにすれば、頭を使って切り抜けることが奨励されているところがあり、それはトンチのようなもののときもあるが、方便的な嘘や詐欺に近い方法も意味する。日本では対照的に精神論が強調されるところがあり、この違いは個人的にとても興味深いと思っている。社会の鏡であるインド映画でも、恋愛映画も含めて、主人公が嘘や欺瞞によって問題を解決しようとする姿がよく描かれる。だが、インド映画には「良心」があり、観客を道徳の道へと導く傾向が強い。多くの場合、後悔があり、改心があり、禊があり、そしてエンディングで正しい道への移行や回帰が描かれる。「Ferrari Ki Sawaari」は正にこのパターンに乗った王道のインド映画である。説教臭いところもあるのだが、このパターンの大きな利点は、後味が非常に良くなるところにある。「Lage Raho Munna Bhai」も完全にこのパターンの映画であり、ヴィドゥ・ヴィノード・チョープラーがプロデュースする映画の多くは共通してこの方程式を採っている。

 もうひとつの軸はクリケットだ。「Lagaan」を見るとクリケットのルールがある程度分かるが、「Ferrari Ki Sawaari」を見るとインド人がいかにクリケットを愛しているかが分かる。クリケットの試合シーンはないのだが、インド人のクリケットへの愛情、そしてクリケット選手への尊敬がひしひしと感じられる映画だった。同時に、「ゲームの裏のゲーム」と揶揄されていた、クリケット管轄団体の汚職にも踏み込んでいたし、金持ちの子供しかクリケット選手になれない構造についても暗示的に触れられており、その点で単なるクリケット映画を越えていた。

 しかしながら、この映画でもっとも感動要素が強いのは、祖父、父、息子、3代の男の絆、そして3代を掛けて夢を追い掛ける姿である。献身的に息子の夢を応援する父親はそれだけで微笑ましいし、祖父も最初はクリケットに反対なのだが、最終的には孫の才能を認め、一転して心強い味方となる。彼はかつて自分を裏切った人物に金を無心に行くという屈辱にも耐える。家族の中に一人も女性がいないという異例の家族像ではあるが、インド映画の基本は家族であることを思い出させてくれる作品である。

 観客を楽しませるという、娯楽映画として忘れてはいけない点も抜かりなく、作品全体を通してライトなコミックシーンに満ちており、全く退屈しなかった。特にルスタムがフェラーリを持ち出すシーンなどは絶妙である。

 主演のシャルマン・ジョーシーは本当にいい役がもらえた。「3 Idiots」で株を上げたシャルマン・ジョーシーだったが、引く手あまたかと思いきやそれほど活躍の場は広がらなかった。ようやく代表作と呼ぶことの出来る主演作が出来た。元々持っていた「いい人」っぽいイメージを膨らませた役作りで、うまく演じ切っていた。

 ボーマン・イーラーニーも絶妙な演技だった。特に前半、テレビ三昧のフラストレーション溜まった祖父像は、彼が得意とする「自然なオーバーアクティング」で、本当にうまい演技だった。名前から分かる通りボーマンは拝火教徒で、今回はそのままパールスィー役を演じたことになる。

 カーヨーゼーを演じた子役リトヴィク・サホーレーも好演。他に重要な場面でパレーシュ・ラーワルが憎い演技をする。デーブーとディリープの再会シーンは、ボーマンとパレーシュの迫真の演技がぶつかり合う、この映画のクライマックスのひとつである。その他のキャストについてはあまり馴染みのない顔ぶれだったのだが、おそらくマラーティー語映画や演劇をフィールドとする俳優であろう。特にインド版「オバタリアン」と形容しても差し支えないであろうスィーマー・パーワーの存在感は圧倒的であった。

 音楽はプリータム。そのままクリケット応援歌として使えそうな「Mara Re」が劇中で3回使われていた他、ヴィディヤー・バーランをアイテムガールとして迎えたバーラート(結婚式パレード)曲「Mala Jau De」が強烈である。一応ヒロイン女優なのだが、まるで本物の場末ダンサーのような雰囲気を醸し出しているのが凄い。ここのところ彼女の主演作は当たりに当たっているが、アイテムガール出演のみのこの作品にも幸運を呼び込みそうだ。

 「Ferrari Ki Sawaari」は、「Munna Bhai」シリーズや「3 Idiots」が好きな人なら誰でも楽しめる作品だ。クリケットが中心的なテーマであるが、クリケットの試合シーンはないので、クリケットのルールを知っているか否かはあまり映画の理解に影響しない。だが、サチン・テーンドゥルカルを知っているか否かはかなり影響する。よって、完全に万人向けの映画とは言い切れないのだが、今年ベストの一本と断言できる出来。オススメの映画である。