My Friend Pinto

3.5
My Friend Pinto
「My Friend Pinto」

 最近、1週間に何本もの新作ヒンディー語映画が公開されている。しかもどれも決定的な話題作ではないことが多く、取捨選択が難しい。こういうときに僕が指標としているのは、どの映画がどれだけの上映回数を得ているかである。映画が一般公開される前に新作のことをもっともよく知っているのは映画館の人間であり、当然のビジネス戦略としてヒットの見込める映画ほど上映回数を増やす傾向にある。よって、逆に言えば上映回数の多い映画ほど面白い作品であることが多い。特に近所の映画館PVRプリヤーで何が上映されるかに注目している。この映画館は昔ながらの単館ながら、インド最大のマルチプレックス・チェーンであるPVRグループの発祥の地である。単館であるためにマルチプレックスのように全てを上映することはできず、厳選される。場所柄、上流層から下流層まで老若男女幅広い観客層にアピールする作品を選ぶ傾向にあり、この映画館の上映作品チョイスはかなり信頼が置ける。僕はPVRプリヤーで上映される映画を最優先で観ることにしている。今週はと言うと、ハリウッド映画「三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船」(2011年)が主な上映作品となっていたが、ヒンディー語映画も2本公開されている。本日(2011年10月14日)は同映画館で1回のみ公開の「My Friend Pinto」を観に行った。

 「My Friend Pinto」の監督はラーガヴ・ダルという新人である。だが、プロデューサーに名を連ねているのが大御所のロニー・スクリューワーラーとサンジャイ・リーラー・バンサーリーであり、期待が持てる。主演は「Dhobi Ghat」(2010年)などで知られるプラティーク・バッバルや「Dev. D」(2009年)のカルキ・ケクラン。純粋に期待の持てる布陣である。

監督:ラーガヴ・ダル
制作:ロニー・スクリューワーラー、サンジャイ・リーラー・バンサーリー
音楽:アジャイ・アトゥル
歌詞:アミターブ・バッチャーチャーリヤ、ディーパー・シェーシャードリー
衣装:シャビーナー・カーン、ダルシャン・ジャラン
出演:プラティーク・バッバル、カルキ・ケクラン、アルジュン・マートゥル、シュルティ・セート、マカランド・デーシュパーンデー、ラージ・ズトシー、ディヴィヤー・ダッターなど
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 ムンバイー在住のサミール(アルジュン・マートゥル)はスハーニー(シュルティ・セート)と結婚して2年経っていた。スハーニーとの関係は必ずしもうまく行っていなかった。大晦日の夜、突然故郷ゴアから電話が掛かって来る。電話の主は幼少時代よりお世話になった神父だった。神父はサミールに、ピントーが列車でムンバイーへ向かっていることを伝え、彼の面倒を見るように言いつける。ピントーはサミールの幼馴染みであったが、最近は全く連絡を取っていなかった。ピントーはたくさんの手紙を書いてよこしていたが、ムンバイーの忙しい生活に染まったサミールは封筒を開けもしなかった。また、スハーニーは、天然ボケで何かとトラブルを引き起こすピントーを嫌っていた。ピントーがいきなりムンバイーへ来るということでサミールは慌てるが、駅まで彼を迎えに行く。また、駅でピントーはたまたまマギー(カルキ・ケクラン)という女の子と出会う。

 サミールとスハーニーはニューイヤー・パーティーに出席する予定だった。二人はピントーを家に置いて勝手にパーティーへ行ってしまう。一人残されたピントーはベランダに出たところでオートロックの窓に閉め出されてしまう。ピントーは何とか脱出を図るが、失敗して下の階に突っ込んでしまう。そこでは男同士の痴話喧嘩が繰り広げられていた。ピントーは彼らに連れられてムンバイーの街へ繰り出すことになる。

 一方、ムンバイーでは誘拐事件が起こっていた。双子のマフィア、アジャイとヴィジャイは、大ボス(マカランド・デーシュパーンデー)には内緒で、中ボス(ラージ・ズトシー)の命令に従って金持ちの息子を誘拐し、多額の身代金をせしめてようとしていた。ところが身代金を受け取りに行ったマヘーシュが裏切ろうとする。マヘーシュは実はマギーの恋人で、身代金を持ち逃げしてマギーとデリーへ逃げようとしていた。しかしアジャイとヴィジャイに追われ、廃ビルから落っこちて宙ぶらりんになってしまう。その拍子に身代金の入ったバッグが開き、紙幣が街に降り注いで、辺りは大渋滞となる。この渋滞にサミールとスハーニーは巻き込まれてしまう。

 街に繰り出すことになったピントーは次から次へと個性的なキャラクターと出会う。まずピントーは楽器店でピアノを買いに来たマフィアの大ボスと出会う。大ボスはピントーの音楽の才能を認める。次にピントーはマギーと再会する。駅で会えずマヘーシュに裏切られたと考えたマギーは自殺しようとしていた。ピントーはマギーを優しくなだめる。次にピントーは、市局に連れさらわれそうになっていた仔犬を助けようとするストリートチルドレンたちに出会う。ピントーは100ルピーを渡して仔犬を助けるが、ストリートチルドレンはちゃっかりピントーの財布を盗む。次にピントーは1人のチンピラと出会う。チンピラはピントーを裏カジノの連れ込み大儲けをする。次にピントーはレーシュマー(ディヴィヤー・ダッター)と出会う。レーシュマーは大ボスの愛人であったが、振られたと思って自暴自棄になっていた。レーシュマーはピントーを家に連れ込み、悲しみと性欲に任せて逆レイプしようとする。

 ところで、中ボスはアジャイとヴィジャイを巻き込んで密かに大ボス暗殺計画を立てていた。アジャイとヴィジャイは大ボスとレーシュマーの家に潜み、機会をうかがっていた。レーシュマーがピントーをベッドに押し倒したとき、突然大ボスが帰って来てしまう。しかもアジャイ、ヴィジャイ、ピントーは見つかってしまう。咄嗟に3人はレーシュマーへのサプライズギフトとして仔犬を差し出し、踊り出す。大ボスもそれに乗って怒っていたレーシュマーをなだめる。

 気をよくした大ボスは、レーシュマーの他にアジャイ、ヴィジャイ、ピントーを連れて、主催のニューイヤー・パーティーへ行く。そのパーティーには、今までピントーが出会った人々が大集合していた。サミールとスハーニーもこのパーティーに来ていた。また、ピントーはここでマギーと再会する。大ボスに舞台に上げられたピントーは大ハッスルして観衆を興奮の渦に巻き込む。

 中ボスは、新年になった瞬間の暗闇を利用して大ボスを暗殺しようとしていた。しかしピントーのドタバタのおかげで大ボスは命を救われ、中ボスは取り押さえられる。大ボスはピントーを命の恩人と呼び感謝する。他にもピントーのおかげでいろいろな人に人生の転機が訪れた。サミールとスハーニーは仲直りし、アジャイとヴィジャイはマフィアから足を洗うと同時に逮捕され、野良犬だった仔犬はレーシュマーの愛犬となった。そしてピントーとマギーの間に恋が芽生える予感があった。

 サンジャイ・リーラー・バンサーリー監督は常に圧倒的な映像美と共に独特の世界観をスクリーン上に再現した重厚な作品を得意としており、彼がプロデュースしたこの映画には興味があった。だが、バンサーリー色は全くなく、ライトなノリの都会派コメディー映画であった。

 出足は割ともたつく。導入がうまくないし、俳優たちの演技もどことなくぎこちない。もしかしたら観て失敗したかと思うだろう。しかし物語が進行すると共に徐々にグリップ力が出て来て、最後はそれなりにまとまったコメディー映画となっていた。おとぼけ天然キャラの田舎者主人公が都会で繰り広げる騒動と、それによって登場人物が抱えていたそれぞれの問題の多くがなぜか円満に収まるという展開がプロットの核である。

 また、重要なテーマとなっていたのが、都会人の多忙な生活と田舎者の純粋さの対比である。サミールは田舎出身ながらムンバイーの生活に染まってしまい、自分勝手な性格になっていた。ピントーとは幼馴染みの親友であったが、彼とは長年連絡をしていなかった。フェイスブックには何百人もの「友人」がいたが、実生活での親友との久し振りの再会を喜ぶどころか、今回ピントーが1週間ほど彼の家に滞在するとのことで、サミールは「面倒くさいことになった」と考える。一方のピントーは牧師志望の純朴な田舎者で、人を疑うことを知らない。だが、そのぶん物事を次々と受け容れて行くだけの受容力があり、いろいろな事件に巻き込まれる内に人々から自然に愛されるようになって行く。また、天性の音楽の才能があり、それが随所で役立った。

 純朴な田舎者がひょっこり都会の知人の家に泊まりに来るというプロットや、現代の都会人の多忙さから来る冷たさを取り上げる姿勢は、「Atithi Tum Kab Jaoge?」(2010年)とよく共通している。だが、「My Friend Pinto」では多数の登場人物が複雑に絡み合ったプリヤダルシャン型コメディーで、しっかりした脚本がなければまとまらない作品である。その点では「My Friend Pinto」は、複雑ながらも分かりやすかった。

 ただ、俳優たちにオーバーアクティングをさせ過ぎているところが多々あり、それが前半の退屈さの大きな原因になっていた。特に悪役のキャラクターは、コメディー映画であることを差し引いても、皆極端で現実味がなく、映画の質を損なっていた。

 プラティーク・バッバルは、童顔と言うか、目がキラキラしていると言うか、何だかやたらと純朴なイメージがあるため、この映画におけるピントー役はとてもはまっていた。馬鹿になり切れていないところも若干あったと思うが、適役だったことで帳消しになっていた。サミール役のアルジュン・マートゥルは「Barah Anna」(2009年)などの演技が印象深い若手男優だ。プラティークに比べると限定的な出演になるが、やはり適役だと感じた。

 カルキは一応ヒロインということになるが、彼女の出番は意外に少ない。今回もインド人だか白人だかよく分からない役であった。もう一人のヒロインと言えるシュルティ・セートは今まで脇役でいくつかの作品に出演して来ている。今回も脇役の域を出ていないが、イライラした表情や態度の演技は非常に良かった。

 他にはラージ・ズトシーがいつになくハッスルしていたのが印象的だった。アジャイとヴィジャイという双子マフィアを演じた俳優も、演技はちょっと足りなかったが、キャラクターとしては面白い。マールカンド・デーシュパーンデーもクレイジーな演技が良かった。

 インド映画として途中いくつか挿入歌がある。全てピントー絡みである。最大の見所はピントーがクライマックスにおいてステージでパフォーマンスをするときに流れる曲であろう。ちなみにピントーがアボリジニーの楽器ディジュリドゥを吹くシーンなどもある。

 「My Friend Pinto」は、始まりこそ退屈であるが、我慢して見ていると徐々に引き込まれて来るコメディー映画だ。満点をあげられるほどの出来ではないものの、うまくまとまっており、佳作と評価できる。