Mujhse Fraaandship Karoge

3.5
Mujhse Fraaandship Karoge
「Mujhse Fraaandship Karoge」

 ここ10年間ヒンディー語映画を観ていると、最新コミュニケーションツールを果敢に映画のストーリーに取り込んで来たと感じる。インドで携帯電話が爆発的に普及し始めた頃、「Company」(2002年)という映画が公開され、海外から携帯電話を使ってインドに住む手下を動かすマフィアの姿が描かれた。また、「Munna Bhai M.B.B.S.」(2003年)では、主人公のムンナーバーイーは医科大学を受験するにあたって携帯電話を駆使して答えを入手し、試験をパスしていた。「No One Killed Jessica」(2011年)ではSMSによる大衆社会運動の広がりがストーリーのターニングポイントとして描かれた一方、「Dev. D」(2009年)や「Ragini MMS」(2011年)ではビデオ付き携帯電話とMMSによる自家製ポルノ動画の流出問題が描かれた。これらは最新技術がストーリー上重要な役割を果たした例であるが、他にも脇役としてEメール、グーグル・サーチ、ユーチューブ、チャット、ビデオチャット、SNSなどの最新コミュニケーションツールが劇中に登場する作品はヒンディー語映画にとても多い。特に近年ビデオチャットの登場機会が増えており、最近の例だけ挙げても、「3 Idiots」(2009年)ではクライマックスの出産シーンでビデオチャットが活用され、「Mere Brother Ki Dulhan」(2011年)ではビデオチャットでお見合いが行われた。

 2011年10月14日より公開の「Mujhse Fraaandship Karoge」は、ポスターのデザインからも分かるように、フェイスブックを題材にしたロマンス映画である。プロダクションは、大手ヤシュラージ・フィルムスの若手育成部門Yフィルムス。ヤシュラージ・フィルムスの過去の映画に「Mujhse Dosti Karoge」(2002年)という映画があったが、題名はそれと全く同じ意味になる。「Friendship(友情)」が「Fraaandship」になっているのは若者言葉だと考えればいいだろう。監督は新人の女性で、キャストも若い無名の俳優ばかり。しかし予告編を見て光るモノを感じたので映画館に足を運んだ。

監督:ヌープル・アスターナー(新人)
制作:アーシーシュ・パテール
音楽:ラグ・ディークシト
歌詞:アンヴィター・ダット・グプタン
振付:プリヤーンジャリ・ラーヒリー
衣装:アーディル・シェーク
出演:サーキブ・サリーム(新人)、サバー・アーザード(新人)、ニシャーント・ダーヒヤー(新人)、ターラー・デスーザ、ケーシャヴ・スンダル、プラバル・パンジャービーなど
備考:DTスター・プロミナード・ヴァサントクンジで鑑賞。

 ムンバイーの大学に通うヴィシャール・バット(サーキブ・サリーム)は、フェイスブックを使って悪戯をするお調子者だったが、詩才があり、大学のロックスター、ラーフル・サリーン(ニシャーント・ダーヒヤー)に内緒で歌詞を提供していた。ヴィシャールは、ラーフルのコンサートで同じ大学に通うマールヴィカー・ケールカル(ターラー・デスーザ)という美人と出会い、恋に落ちる。早速フェイスブックを使ってマールヴィカーを探し、彼女に友達申請を行う。だが、念のためにラーフルのアカウントからも勝手に彼女に友達申請を行っていた。

 マールヴィカーはプリーティ・セーン(サバー・アーザード)とルームメイトだった。プリーティは写真部の部長であったが、勝ち気な性格で、何かとヴィシャールとは対立していた。プリーティは密かにラーフルに恋していた。マールヴィカーのフェイスブック・アカウントにラーフルから友達申請が来たことを知り、勝手に承認し、チャットを始めてしまう。こうしてヴィシャールはマールヴィカーと、プリーティはラーフルとフェイスブック上でチャットをしていると思い込んでいたが、実際にはヴィシャールとプリーティがチャットをしていたのだった。

 あるときフェイスブックのチャットの結果、ラーフルとマールヴィカーは会うことになってしまう。慌てたヴィシャールはラーフルに頼み込む一方、プリーティはマールヴィカーに頼み込み、二人は顔を合わす。お互い簡単に会話をした後、別れる。その後ももう一度ナイトクラブで会うことになったが、そのときはラーフルとマールヴィカーがそれぞれ気を利かし、ヴィシャールとマールヴィカー、ラーフルとプリーティが共に時間を過ごす。

 ところでヴィシャールとプリーティは、大学の創立25周年記念イベントの出し物のために、大学で出会って結婚した25組の夫婦の取材をしなければならなかった。2人は喧嘩をしながら、卒業生夫婦の取材を続けて行く。そして家に帰ると、ラーフルに扮したヴィシャールとマールヴィカーに扮したプリーティはフェイスブック上で親しげにチャットをする奇妙な毎日を送っていた。しかしながらプリーティは徐々にラーフルを退屈だと感じるようになり、ヴィシャールを気にするようになって行く。またヴィシャールの方もプリーティに肩入れするようになる。ところがヴィシャールの友人が悪戯でアップロードしたプリーティのジョーク動画を、プリーティはヴィシャールの仕業だと考え、ヴィシャールを避けるようになる。一方、ヴィシャールはマールヴィカーに、本当はラーフルになりすましてチャットをしていたのは自分だと告白することにする。それと平行して、ラーフルとマールヴィカーは距離を縮めつつあった。

 ラーフルの誕生日パーティーの日。ヴィシャールはプリーティと仲直りするものの、ラーフルとマールヴィカーがキスをしているのを見て憤慨する。そして怒りに任せてマールヴィカーに、ラーフルになりすましてチャットをしていたのは自分だと告白する。するとそれを聞いていたプリーティは、マールヴィカーになりすましていたのは自分であること、またヴィシャールに恋してしまったことを明らかにし、混乱した2人はまた喧嘩状態となってしまう。

 大学創立25周年記念イベントの日。ヴィシャールとプリーティは25組の卒業生カップル発表の司会をすることになっていた。そのときまで2人はほとんど口を利くことがなかったが、壇上でヴィシャールはプリーティに愛の告白をする。

 実生活では犬猿の仲の二人が、お互いに正体を隠したネット上でのコミュニケーションでは意気投合し、最後には正体を明かし合った上で恋仲になるというプロット。Eメールが世の中を変えつつあった頃にハリウッドで作られた、トム・ハンクスとメグ・ライアン主演「ユー・ガット・メール」(1998年)をかなり下敷きにしていると思われるが(BGMも似ていた)、ストーリー自体はオリジナルで、フェイスブックの機能も存分にストーリーに活かされていた。無名の監督、無名のキャストだったが、現代のインド人大学生のライフスタイルや行動様式もよく再現されており、フレッシュなロマンス映画となっていた。もっと踏み込んで言えば、今年最高のロマンス映画の一本に数えてもいいくらいである。展開や結末は大方予想できるのだが、それでもって映画の質が損なわれていることは決してない。

 「Jab We Met」(2007年)で知られるイムティヤーズ・アリー監督は、現代的なロマンス映画を作らせたら現在ピカイチである。彼が過去の作品で訴え続けて来たのは、「顔を見ただけで心臓がドキドキする人」よりも、「一緒にいて何となく居心地のいい人、落ち着く人」、「一緒にいると素の自分になれるような人」こそが「運命の人」であるというメッセージである。一目惚れした人を必死になって追い掛けるよりも、いつも側にいてくれる人との関係を再評価することに重点を置いたロマンス映画がここ最近のヒンディー語映画の主流になりつつあり、「Mujhse Fraaandship Karoge」もその一例だと言える。そしてそれだけに留まらず、登場人物の心情の変化がとても丁寧に描かれており、揺れ動く若い心をよく捉えていた。

 かつてインド映画では、恋した人の名前を知るだけでも一苦労であった。そして苦労して知ったその人の名前を毎日狂ったように唱えるのが、恋に落ちたヒーローやヒロインの典型的な姿であった。ただ、名前を知っただけではそれ以上のことは不可能である。しかし現在、もし相手の名前を知ることができれば、フェイスブックでサーチして、その人の詳細情報や写真を簡単に手に入れることが出来る。それだけでなく、相手の電話番号を聞くよりも先に友達申請まで出来てしまう。もし承諾してもらえれば儲けモノだ、チャットも出来るし、友人以外には非公開のプロフィールも読めたりする。このように、「Mujhse Fraaandship Karoge」は、フェイスブックが恋愛の手順をガラリと変えてしまったことをよく表現していた。

 しかしながら、「Mujhse Fraaandship Karoge」はフェイスブック礼賛の映画ではなかった。むしろ、フェイスブックのようなSNSを使って、顔の見えないバーチャルな恋愛に没頭する現代の若者への強烈なアンチテーゼとなっていた。主人公のヴィシャールは、散々フェイスブックを使って小手先の恋愛ゲームをした後、最終的にはヒロインのプリーティの前に跪き、「I Love You」と古典的な愛の告白をする。そういう原点回帰があったからこそ、「Mujhse Fraaandship Karoge」は一段上のロマンス映画に収まることに成功していたと言える。

 僕が昔から「インド映画の良心」と呼んでいるいくつかの要素があるが、この映画にもその内のひとつが見られた。それは「嘘は必ず自ら明かす」ことである。ヒンディー語映画では多くの場合、嘘を付いていたことを自ら明かそうとしたときに別の方面からそのことが相手にばれてしまってさあ大変という筋書きが多いのだが、この映画ではそういうことはなかった。しかしながら、相手を騙しつつハッピーエンドを迎えるような、何かスッキリしない終わり方を採っていなかっただけでも良かった。この映画での嘘は、フェイスブックで他人のアカウントを使ってチャットをしていたことである。正直言って、ヴィシャールがそのことをマールヴィカーに明かし、プリーティがそれをヴィシャールに明かし、そして同時にプリーティがヴィシャールにどさくさに紛れて愛の告白までするシーンは、意外に急転直下、しかも急ぎ足過ぎて拍子抜けだったのだが、センチメンタルなシーンをサッと切り上げるところにも監督の並々ならぬセンスを感じた。

 若い俳優陣は皆それぞれに最適の演技をしていたが、一番光っていたのはプリーティを演じたサバー・アーザードである。写真が趣味の、ちょっとオタクっぽい気むずかしい女の子であるが、徐々に女の子らしさを開花させて行き、土壇場でヴィシャールに一方的に告白をしてしまってからは、サバサバとした面も見せていた。どのシーンも力一杯演じており、とても好感が持てた。マールヴィカーを演じたターラー・デスーザは「Mere Brother Ki Dulhan」(2011年)でも脇役出演していた女優であり、知名度を上げている。主演を張れるだけのオーラは今のところ感じないが、少なくとも「Mujhse Fraaandship Karoge」の中での演技はとても良かった。

 主演のサーキブ・サリームは、多少野暮ったい顔をしているが、やはりフレッシュな演技が良かった。ロックスター、ラーフルを演じたニシャーント・ダーヒヤーがもっとも鈍い演技をしていたが、「ハンサムだが話してみると意外に退屈な男」という役柄なので、よく合っていた。新人俳優のみの起用だったものの、絶妙なキャスティングでその穴を埋めていた印象である。

 音楽はカルナータカ州のシンガーソングライター、ラグ・ディークシトの作曲である。ラグ・ディークシトがヒンディー語映画の音楽監督を担当したのはこれが初のことだ。2時間ほどの映画の中に多くのダンスシーンが含まれていたが、ヴィシャールとプリーティがそれぞれお互いに恋に落ちたことを悟ったときの挿入歌「Uh-Oh Uh-Oh」が非常に良かった。他にも若者らしいパーティーソングが多く、全体的には元気な曲の詰まったサントラCDとなっている。

 ところでこの映画の中にはサムスンの電子機器がたくさん登場した。ノートPC、スマートフォン、一眼レフカメラなどである。おそらく全面的にタイアップしたのだろう。映画がいい出来だっただけに、この点は日本人として残念な光景であった。

 「Mujhse Fraaandship Karoge」は、スターパワーは全くないものの、フェイスブックを題材にしたフレッシュなロマンス映画である。展開はベタであるが、ロマンス映画のイロハをよく抑えてあり、楽しい鑑賞となるだろう。今年最高のロマンス映画の一本と評しても差し支えない。世間は来週公開の超話題作「Ra.One」一色で目立たないが、観て損はない。