Yeh Saali Zindagi

2.5

 メインストリームから多少外れてはいるが、コンスタントに渋い良作を作り続けている監督にスディール・ミシュラーがいる。最近では「Chameli」(2003年)や「Hazaaron Khwaishein Aisi」(2005年)などが重要な作品である。そのスディール・ミシュラー監督の最新作「Yeh Saali Zindagi」が本日(2011年2月4日)より公開となった。いつも通りキャストは渋いチョイスだ。ヒンディー語映画界でもっとも信頼できる演技派男優イルファーン・カーン、寡作だが確かな演技力と存在感を持つチトラーンガダー・スィン、そして最近数本の作品に出演し注目を浴びている若手男優アルノーダイ・スィンなどが主演である。

監督:スディール・ミシュラー
制作:プラカーシュ・ジャー
音楽:ニシャーント・カーン
歌詞:スワーナンド・キルキレー
出演:イルファーン・カーン、チトラーンガダー・スィン、アルノーダイ・スィン、アディティ・ラーオ・ハイダリー、サウラブ・シュクラー、スシャーント・スィン、ヤシュパール・シャルマー、プラシャーント・ナーラーヤナン、ヴィピン・シャルマー、ヴィプル・グプター
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 グルガーオン在住金融マンのアルン(イルファーン・カーン)は、闇社会とつながりを持つ金融会社経営者メヘター(サウラブ・シュクラー)の仕事を無理矢理手伝わされることになった。同じ日に彼は恋人のプリーティ(チトラーングダー・スィン)が別の男と浮気していることを知りショックを受ける。だが、アルンはプリーティのことを忘れられずにいた。プリーティはシンガーで、ゴアのレストランで歌を歌っていたが、そのレストランが多額の負債を抱えてしまい、経営者は自殺してしまう。その案件を扱っていたのがアルンで、そのときから彼はプリーティのことを知っていた。後にプリーティはデリーに来てアルンと暮らすようになるが、お互い仕事が忙しくてすれ違うようになり、やがてプリーティは別の男に心を奪われてしまったのだった。

 その男は、実業家スィンガーニヤーの息子シャーム(ヴィプル・グプター)であった。シャームは、ヴァルマー内相の娘アンジャリーとの結婚が決まっていたが、プリーティを口説いていた。

 一方、オールドデリー育ちで地元のゴロツキの頭領を務めるクルディープ(アルノーダイ・スィン)は、ボスのバレー(ヤシュパール・シャルマー)と共にティハール刑務所にいた。クルディープは借金の取り立てや誘拐など、バレーの実働部隊として働いていた。クルディープはシャーンティ(アディティ・ラーオ・ハイダリー)と結婚し、1人の息子もいたが、シャーンティは何度も刑務所を行ったり来たりする夫に困り果てており、何とか更正して欲しいと強く願っていた。

 ところでバレーにはチョーテー(プラシャーント・ナーラーヤナン)という弟がいたが、彼はグルジアに潜伏中で、デザイナーを気取っていた。チョーテーはバレーが世界のあちこちに分散して所有する多額の金を狙っており、政権の交代により後ろ盾を失い刑務所に入れられてしまったバレーを助けようとしなかった。

 刑期を終えたクルディープは娑婆に戻ることになり、犯罪からも手を洗うことを決める。だが、バレーやチョーテーと密通する悪徳警官のサトビール(スシャーント・スィン)はクルディープの弱みにつけ込み、最後の犯罪をさせようとする。クルディープも背に腹は代えられず、再び仲間を集めて最後の一仕事に乗り出す。ターゲットは、ヴァルマー内相の娘アンジャリーと、その許嫁シャームであった。

 ところが、手違いからシャームと共にプリーティが誘拐されてしまう。たまたまプリーティの後を付けていたアルンは現場に出くわし、クルディープら誘拐犯たちを追跡する。クルディープはハリヤーナー州の農村にシャームとプリーティを連行して監禁する。ヴァルマー内相を脅してバレーを釈放させようという魂胆であったが、すぐに人違いだったことが分かり、作戦を変更することになる。プリーティがアンジャリーに会いに行き、シャームが誘拐されたことを伝えることになった。だが、既にアンジャリーはシャームに愛想を尽かせており、協力的ではなかった。ヴァルマー内相はプリーティを自宅に呼んで話を聞くが、やはり何も手助けをしようとはしなかった。

 このままだとシャームが殺されてしまう。そこでプリーティは、後を追って来ていたアルンに助けを求める。アルンは、メヘターの会社の金を全てヴァルマー内相の息子の口座に無断で振り込む。そしてヴァルマー内相に電話をし、バレーの釈放を認めさせる。アルンは同時にロンドンへ高飛びする準備を済ませる。異常に気付いたメヘターも既にインドにはいられなくなったため、アルンの勝手な行動に憤怒しながらもとりあえず逃亡することになる。

 深夜、人気のない森林でバレーは釈放される。だが、そこへ突然チョーテーがやって来てバレーを殺そうとする。クルディープの機転のおかげでバレーは間一髪逃げることに成功するが、銃弾を受け、最後には自殺してしまう。死ぬ前にバレーは、彼が海外に隠し持つ大金の在処をクルディープに託す。また、クルディープの父親を殺したのはチョーテーであることも分かる。今やバレーの裏資金の秘密を知ることとなったクルディープはチョーテーに狙われることになるが、同時にクルディープはチョーテーの命を狙うようになる。

 とりあえず資金が必要となったクルディープは、シャームの父親に身代金を要求しようとする。プリーティは機転を利かせてシャームの父親ではなくアルンに電話をする。そのときアルンは高跳びするために空港へ向かっていたが、急いで引き返してプリーティの元に駆けつける。アルンは身代金を持ち合わせていなかったものの、実は密かにプリーティの資産管理をしており、数千万ルピーが彼女の口座に入っていた。それを身代金としてクルディープに渡すことにする。それを恩に感じたプリーティは、シャームではなくアルンを解放するように言う。

 一方、悪徳警官サトビールは今度はチョーテーとつるんでクルディープからバレーの遺した大金を手に入れようとしていた。サトビールとチョーテーは、クルディープの妻シャーンティとその息子を人質に取る。ムンバイーの埠頭でクルディープはサトビールやチョーテーと会うことになる。だが、予めクルディープはサトビールを買収しており、チョーテーに5発の弾丸を食らわせて父親の仇を取る。だが、その弾丸のひとつが運悪く、プリーティを助けようとしていたアルンに当たってしまった。プリーティはすぐにアルンを病院に連れて行き、アルンは一命を取り留める。また、おまけとしてもうひとつの流れ弾がシャームの尻に当たっていた。それと、クルディープはシャーンティに、今度こそ犯罪から足を洗うことを誓うと同時に、バレーが遺していった数千万ルピーの金をそのまま懐に入れてしまうことを決める。

 理解するのが非常に困難な映画であった。その困難の原因のひとつは台詞の難解さである。難解な単語を使っているというよりも、極度に写実的な口語の台詞が多用されており、普段からヒンディー語圏各地のインド人(特に下層の人々)のしゃべり方に慣れておかないと、非ネイティブスピーカーにはなかなか太刀打ちできないレベルである。それに加えて筋が複雑で、ストーリーを追うだけでもかなり大変だ。一応自分なりの理解であらすじをまとめてみたが、細かい部分では自信がない。

 複雑なストーリーではあったが、ポイントとなる部分はシンプルである。主人公アルンは恋人のプリーティを愛していたが、すれ違いの多い生活をする内に、プリーティは実業家の息子シャームと付き合うようになる。ところがプリーティは人違いからシャームと共に誘拐されてしまい、プリーティはシャームを助けるために奔走することになる。その中で彼女はアルンに助けを求める。シャームが死ねばプリーティの心を再び掴むことが出来るかもしれなかったが、アルンは最終的に自らの命を危険にさらしてシャームを助けることを選ぶ。しかしシャームはプリーティのことを本気で愛しておらず、結婚する気もなかったし、彼女を置き去りにして逃げようともした。また、アルンは密かに彼女の資産を運用して大金にしていた。それを知ったプリーティはシャームを捨てアルンを選ぶ。そういう話である。

 これに平行して、クルディープとシャーンティの話が語られる。シャーンティに一目惚れしたクルディープは、アンダーワールドの仕事をしていることを隠して彼女と結婚するが、すぐに彼の本業は明らかとなり、刑務所を往復する生活となる。そんな不安定な生活が続き、生活費にも困窮するようになり、シャーンティは出所して来たクルディープにも冷たく当たる。クルディープは金が必要となり、最後に内相の娘とその許嫁を誘拐するという大仕事を引き受ける。だが、不運が重なり間違った女性を誘拐してしまい、バレーとチョーテーの内部抗争にも巻き込まれる。しかしながら最終的にはバレーの遺した資産を手にし、シャーンティとも今度こそ幸せな生活が暗示される。

 こうして見ると、アルンとプリーティ、クルディープとシャーンティの話や展開はかなり似ている。アルンとクルディープが、それぞれ失いかけていた愛を取り戻すことで映画はエンディングを迎えるのである。よって基本はロマンスなのだが、そのエンディングに至るまでにマフィア映画や犯罪映画の味付けがされており、この部分がかなり複雑かつ支離滅裂であるため、結果的に見通すのが苦痛な映画となっていると言える。メヘターの会社、アルンの職業、バレーとチョーテーの関係、サトビールの存在など、あらゆる要素が説明不足で、消化不良気味な映画であった。

 ただ、主演3人の演技は素晴らしかった。最近は国際的に活躍しているイルファーン・カーンはいつも通り名演であったし、チトラーンガダー・スィンも衰えていなかった。驚きだったのはアルノーダイ・スィンの好演である。映画の冒頭クレジットシーンで「Introducing」と書かれていたが、これがデビュー作ではなく、2009年に既に「Sikandar」でデビューしており、2010年にも「Aisha」と「Mirch」に出演している。だが、今回もっとも演技力を要する役に挑戦しており、俳優としての才能を遺憾なく披露していた。国民会議派政治家アルジュン・スィンの孫として紹介されることが多かったが、既に俳優として独り立ちしている。今後が楽しみな男優だ。シャーンティを演じたアディテイ・ラーオ・ハイダリーも清楚な雰囲気の女優で好感が持てたが、出番は上の三人に比べたら少なかった。他にサウラブ・シュクラー、スシャーント・スィン、ヤシュパール・シャルマーなど、ヒンディー語映画界でお馴染みの脇役俳優陣がいい味を出していた。

 舞台はほとんどがデリーとその周辺部であった。ティハール刑務所、メヘラウリー、カロールバーグ、リッジ、グルガーオン、ソーナー、ロータクなど、実在の地名がいくつも登場するし、オールドデリーのジャーマー・マスジドやプラーナー・キラーなども出て来て、デリー在住者にとっては数割増し楽しい映画となっている。しかし、最初と最後がムンバイーだったのは納得が行かなかった。それまでのストーリーと整合性がないし、せっかくデリー中心の映画になっていたのに、埠頭のありきたりな映像で映画が終わってしまって残念だった。

 ハードボイルドな映画だったが、インド映画の伝統的手法に則って、挿入歌がいくつかあった。ただしほとんどはダンスではなくBGMとしての挿入だった。どれも映画の雰囲気を損なうものではなかったが、楽曲のひとつひとつに大きな魅力はなかった。

 前述の通り、「Yeh Saali Zindagi」の台詞の難易度は最上級レベルである。ヒンディー語のもっとも難しい部分に触れている映画である上に、放送禁止用語や放送禁止スレスレの言葉も多く、ピーが入って想像で補わなければならない部分も少なくない。

 「Yeh Saali Zindagi」は、渋い映画作りをするスディール・ミシュラー監督の最新作である。ロマンス映画と犯罪映画の狂おしい融合と評したいところだが、台詞と筋が難解かつ複雑過ぎて、理解は難しい。一般受けもしないだろう。無理に観る必要はない。