Golmaal 3

3.0
Golmaal 3
「Golmaal 3」

 インドにおいて、連休、祝祭、ジンクスなどの影響で、1年の内に話題作や大作が公開されやすい時期というのは何回かあるのだが、ヒンドゥー教の大祭ディーワーリーは伝統的に1年の内でもっとも重要な作品が公開される時期となって来ており、「今年のディーワーリー公開作品は何か」ということが毎年話題になる。今年のディーワーリー週となる2010年11月5日公開のヒンディー語映画は主に2本。ローヒト・シェッティー監督の人気コメディーシリーズ「Golmaal」の最新作「Golmaal 3」と、アクシャイ・クマールとアイシュワリヤー・ラーイ・バッチャン共演の「Action Replayy」である。まずは「Golmaal 3」を観ることにした。

 「Golmaal」シリーズは本作で3作目となる。ヒンディー語映画界において続編映画やシリーズ物映画の制作は比較的新しいトレンドで、2006年頃から突如続編映画が次々と公開されるようになった。「Krrish」(2006年)、「Dhoom: 2」(2006年)、「Phir Hera Pheri」(2006年)、「Lage Raho Munna Bhai」(2006年)などが代表例である。だが、シリーズ第3作というのは「Golmaal 3」が初のようだ。

 しかし僕は第1作目からこのローヒト・シェッティー監督の才能と「Golmaal」シリーズのヒットを認めていない。コメディーとして見ても、映画として見ても、とてもじゃないが高い水準の作品ではなく、通常の日本人には決して勧められない映画だというスタンスを変えていない。それでもインド人の多くは「Golmaal」シリーズが大好きであり、その成功によってローヒト・シェッティー監督はヒンディー語娯楽映画を代表する監督の一人に数えられるようになって来ている。よって、好こうが嫌おうが、「Golmaal」シリーズは現在のヒンディー語映画と関わる限り避けては通れない作品となっている。

 「Golmaal」シリーズの特徴は、まずシリーズを通してほぼ共通の設定の主人公たちが毎回独立したドタバタ劇を繰り広げることである。つまり、シリーズ物ながら各作品間にストーリー上のつながりはない。単に主なキャラクターが共通して登場するのみである。第1作目「Golmaal」(2006年)の主演はアジャイ・デーヴガン、アルシャド・ワールスィー、シャルマン・ジョーシー、トゥシャール・カプールだったが、第2作目「Golmaal Returns」(2008年)ではアジャイ・デーヴガン、アルシャド・ワールスィー、トゥシャール・カプールまでは同じだが、シャルマン・ジョーシーが抜けてシュレーヤス・タルパデーが入った。「Golmaal 3」では前作の4人に加えてクナール・ケームーが加わり、5人となった。ヒロインは「Golmaal」ではリーミー・セーンのみだったが、「Golmaal Returns」ではマルチヒロインとなり、カリーナー・カプール、セリナ・ジェートリー、アムリター・アローラー、アンジャナー・スカーニーなどが出演した。だが「Golmaal 3」では再びソロヒロイン制に戻り、カリーナー・カプールが唯一のヒロインとして登場する。このままカリーナー・カプールが「Golmaal」シリーズの正ヒロインの座を獲得するかもしれない。その他、脇役陣の多くも共通して登場し、お約束の笑いを提供する。

 ローヒト・シェッティー監督の持ち味は、とにかく馬鹿馬鹿しいまでの派手な映像によるコメディー劇である。細かいことは気にせず、力技で観客を笑わす傾向が強い。シリーズを重ねるごとに「Golmaal」の馬鹿馬鹿しさもパワーアップしており、「Golmaal 3」の予告編は、観覧車の上に人が乗ったり、バイクの上で無意味に一回転したりと、とにかく馬鹿としか言いようのないものになっていた。さて、「Golmaal 3」はどんな仕上がりになっているだろうか?

 ちなみに、「Golmaal 3」ではややこしいことにラクシュマンという名前のキャラクターが2人登場する。1人はシュレーヤス・タルパデーが演じ、もう1人はクナール・ケームーが演じる。以下のあらすじでは、前者をラクシュマン1、後者をラクシュマン2とする。

監督:ローヒト・シェッティー
制作:ディリン・メヘター
音楽:プリータム
歌詞:クマール
振付:チンニー・プラカーシュ、ガネーシュ・アーチャーリヤ、ラージーヴ・シュルティー、スィーマー・デーサーイー
出演:アジャイ・デーヴガン、カリーナー・カプール、アルシャド・ワールスィー、トゥシャール・カプール、シュレーヤス・タルパデー、クナール・ケームー、ミトゥン・チャクラボルティー、ラトナー・パータク・シャー、ジョニー・リーヴァル、サンジャイ・ミシュラー、ヴラジェーシュ・ヒールジー、ムケーシュ・ティワーリー、ムラリー・シャルマー、ヴィジャイ・パトカル、アシュヴィニー・カールセーカル、プレーム・チョープラー(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 ゴーパール(アジャイ・デーヴガン)とラクシュマン1(シュレーヤス・タルパデー)の兄弟は、ゴアで母親のギーター(ラトナー・パータク・シャー)と共に暮らしていた。ゴーパールは、他人の指を見ると折りたくなる衝動に駆られる癖があった。また、ラクシュマンはどもり症であった。ゴーパールにはダブー(カリーナー・カプール)という孤児の女の子と仲が良く、彼らは家族ぐるみの付き合いをしていた。ゴーパールらはワスーリー(ムケーシュ・ティワーリー)から金を借りて、ゴアの海岸で海の家を経営していた。

 一方、マーダヴ(アルシャド・ワールスィー)、ラッキー(トゥシャール・カプール)、ラクシュマン2(クナール・ケームー)は、スクールバスの運転手をして生計を立てる父親プリータム(ミトゥン・チャクラボルティー)と共にゴアで暮らしていた。三人はいんちきをして手っ取り早く金儲けしてばかりおり、プリータムを困らせていた。三人が作った借金のため、プリータムは借金取りに悩まされており、家を手放さなくてはならなくなりそうだった。

 あるとき、健忘症のマフィアのドン、パッピー(ジョニー・リーヴァル)は、部下のダーガー(サンジャイ・ミシュラー)とテージャー(ヴラジェーシュ・ヒールジー)と共に、5千万ルピーの価値のある女王のネックレスを盗み逃走する。だが警察に追われることになり、パッピーはたまたま立ち寄ったプリータムの家に忍び込んで、彼のスーツケースにネックレスを隠して立ち去る。だが、忘れっぽいパッピーはどこにネックレスを隠したのか忘れてしまう。

 ゴーパールとラクシュマン1の兄弟は、マーダヴ、ラッキー、ラクシュマン2の兄弟と事あるごとに邪魔をしあうようになる。遂にその抗争は親にまで届き、プリータムは直談判しに赴く。だが、ゴーパールとラクシュマン1の母親がギーターであることを知り驚く。実は2人はかつての恋人同士であった。だが、ギーターの父親プレーム・チョープラー(プレーム・チョープラー)は、ディスコダンサーだったプリータムを蔑んでおり、二人の結婚を認めなかった。プリータムはプレームに経済力を証明するために一旦ギーターのもとを離れるが、その間にプレームは事業で失敗して死去し、ギーターは行方不明になってしまっていた。だが、プリータムはずっとギーターのことを想い続けていたのだった。マーダヴ、ラッキー、ラクシュマン2も本当は彼の子供ではなかった。たまたま務めていた孤児院の院長が急死したため、残った孤児を引き取ったのだが、それがその三人だった。

 実はゴーパールとラクシュマン1もギーターの実子ではなかった。父親の死後、ギーターは執事の孫を引き取って育てることにしたが、それがその二人だった。ギーターもずっとプリータムのことを待ち続けていた。つまり、プリータムもギーターも、子供はいたものの、結婚はしておらず、お互いのことを想い合っていたのだった。ただ、プリータムの子供もギーターの子供も、自分たちが親の実の子ではないことは全く知らなかった。

 その話を盗み聞きしたダブーは、プリータムとギーターを結婚させるために動き出す。プリータムとギーターを説得するのは容易だったが、問題は彼らの子供たちだった。ゴーパールとラクシュマン1の兄弟と、マーダヴ、ラッキー、ラクシュマン2の兄弟はお互いに反目し合っていた。ダブーは、子供たちを引き合わせるのを避けて、何とか縁談をまとめ、二人の結婚を実現させる。真実を知った5人は早速取っ組み合いを始め、プリータムとギーターは困ってしまう。

 プリータムはギーターの家に住むようになるが、父親と共にマーダヴ、ラッキー、ラクシュマン2もギーターの家に転がり込んで来る。毎日ゴーパールとラクシュマン1の兄弟とマーダヴ、ラッキー、ラクシュマン2の兄弟の間でつばぜり合いが散発し、そのとばっちりをなぜかいつもプリータムが受けていた。これらの兄弟の間でとうとう大喧嘩が勃発し、プリータムとギーターの結婚が槍玉に挙げられる。ところがそのとき、五人は自分たちの出生の秘密をダブーから聞いて知ってしまう。

 五人は、実の子でない自分たちを愛情いっぱいに育ててくれた親に感謝し、仲良く暮らすようになる。五人は共に玩具屋を開き、開店式にワスーリーやパッピーを呼ぶ。ところがプリータムを見たパッピーは、彼のスーツケースに女王のネックレスを隠したことを思い出し、それを追求する。プリータムは、そんなものは持っていないと言って、ゴーパールらと共に逃げ出す。家ではパッピーが待ち伏せしており、女王のネックレスも見つかるが、パッピーははめられて警察官のダンデー(ムラリー・シャルマー)を呼び寄せてしまい、御用となる。

 僕が「Golmaal」シリーズを高く評価していない理由のひとつに、身体障害をネタにした笑いを常套手段としていることがある。「Golmaal」シリーズには共通して、トゥシャール・カプール演じるラッキーというキャラクターが登場するが、このラッキーはシリーズを通して唖であり、「アウアウ」言いながら身振り手振りで面白おかしく意思表示し、笑いを取っている。「Golmaal 3」でもラッキーは健在で、前作、前々作と同様に、唖をネタとしたギャグで笑いの中心となっていた。「Golmaal 3」では身体障害者ネタがパワーアップしており、ラッキーだけでなく、他にも障害を抱えた人物が2人登場する。1人はシュレーヤス・タルパデー演じるラクシュマン2である。ラクシュマン2はいわゆるどもり症で、何か言おうとすると「タタタタタ・・・」のようになかなか次の言葉が出て来ない。また、ジョニー・リーヴァル演じるパッピーは、「Ghajini」(2008年)でアーミル・カーンが演じた順行性健忘症のパロディー的な、事あるごとに直前の記憶を失ってしまう障害を持ったキャラクターを演じていた。このように、人の欠点につけ込むような笑いで大部分のコメディーを進めているため、良識を持った観客は決して気分良く見られないだろう。

 それでも、「Golmaal」シリーズで培って来たゴージャスでナンセンスな笑いには磨きがかかっており、全体的には満足行くまで笑うことのできる娯楽映画となっていた。細かい部分を見て行けば突っ込みたくなる部分は少なくないのだが、この種のコメディー映画に対してそれらをいちいちあげつらうのは野暮であろう。

 「Golmaal」シリーズと言えば「1にコメディー、2にコメディー、3、4がなくて5がコメディー」と言った感じだが、意外にも「Golmaal 3」では、ミトゥン・チャクラボルティーとラトナー・パータク・シャーが演じる老年の純愛がいい効果を生んでおり、ホロリとさせられる場面もいくつかあった。また、下ネタやいんちき商売を含めた様々な汚い笑いを経ながらも、最終的には家族愛の大切さで話をまとめており、インド映画の良心が生きていた。灯火と花火の祭典ディーワーリーにふさわしいファミリー・エンターテイメントだと言えよう。

 アジャイ・デーヴガン、カリーナー・カプール、アルシャド・ワールスィー、トゥシャール・カプール、シュレーヤス・タルパデーからは既に家族のような結束が感じられ、とにかく楽しんで演じているのが分かって良かった。ただ、「新入り」のクナール・ケームーはまだ溶け込みが足りなかったし、演技においても少し素人っぽさが残っていると感じた。場違いだったと表現してもいい。シャルマン・ジョーシーを復活させることは出来なかったのだろうか?

 庶民から絶大な支持を受けるミトゥン・チャクラボルティーは、最近ではさすがに脇役出演が多くなってしまったが、今回に限ってはかなり存在感があった。何しろ彼の出世作「Disco Dancer」(1982年)を自己パロディーするシーンまで用意されているのだ。その「Disco Dancer」自己パロディーシーンを含め、どこか情けないシーンが多かったのだが、だからこそ様々なミトゥンの姿を見ることができ、近年稀に見るファン垂涎の作品となっている。

 他に「Golmaal」シリーズでお馴染みの脇役もしっかり登場する。ワスーリー役のムケーシュ・ティワーリー、コブラ拳の使い手テージャー役のヴラジェーシュ・ヒールジーなど。それに加えてコメディー俳優の大先輩ジョニー・リーヴァルが大暴れする。

 音楽はプリータム。「Golmaal Golmaal Everything is Golmaal…」という歌詞が繰り返されるテーマソングは既に定番となっている。ただ、派手なイメージとは裏腹に、映画の挿入歌はそこまで多くなかった。冒頭の「Golmaal」と終盤の「Desi Kali」ぐらいが派手なダンスナンバーとなっている。他にミトゥン・チャクラボルティー主演映画「Disco Dancer」中の挿入歌「Disco Dancer」と「Yaad Aa Raha Hain」も使用される。

 「Golmaal 3」についてはどう評価したらいいのか未だに迷うが、おそらく通常の日本人には不用意に勧められない作品だと言える。この一作でインド映画を評価してもらうのが一番困る。それだけ癖のあるコメディー映画だと言える。ある程度インド映画に親しみ、インド人の笑いの壺を理解する自信のある人向けだ。しかし、3作目に突入した「Golmaal」シリーズは既に円熟期を迎えており、とにかく派手で楽しい作品となっていることは確かだ。「Golmaal」は「Golmaal」だと念頭に置いた上で、深く考えずに鑑賞するのが一番だろう。