Once Upon a Time in Mumbaai

3.5
Once Upon a Time in Mumbaai
「Once Upon a Time in Mumbaai」

 偶然だろうが、今年のヒンディー語映画は、過去のムンバイーの暗部、つまりスラムやアンダーワールドを題材にした映画の公開が続いている。1980年代のスラムを舞台とした「Striker」(2010年)、1982年の繊維工場ストライキを題材にした「City of Gold」(2010年)などである。「Badmaash Company」(2010年)でも、部分的に90年代のムンバイーが出て来た。

 本日(2010年7月30日)より公開の「Once Upon a Time In Mumbaai」も、1970年代のムンバイー(ボンベイ)を舞台にした映画である。映画は、当時ボンベイの密輸業を牛耳っていたハージー・マスターン(1926-94年)の人生と、その下で働き、後にボンベイのアンダーワールドを支配することになったダーウード・イブラーヒーム(1955年-)の半生をベースにしているとされており、ハージー・マスターンの家族からもその件についてクレームが出ているが、映画制作者はそれを否定している。映画冒頭にもわざわざ「この映画はハージー・マスターンとは無関係です」と告知が出ていた。しかし、実際に映画を観た感想では、「Once Upon a Time In Mumbaai」は、完全にハージー・マスターンの伝記映画とは言えないまでも、彼の人物像や人生をかなり意識して作ったことは否定できない。それでも、ハージー・マスターンの存在をかなり肯定的に捉えてヒーロー化していると言え、マフィア映画の中では割と異色であった。

監督:ミラン・ルトリヤー
制作:ショーバー・カプール、エークター・カプール
音楽:プリータム
歌詞:イルシャード・カーミル
振付:ラージュー・カーン、レモ
出演:アジャイ・デーヴガン、イムラーン・ハーシュミー、カンガナー・ラーナーウト、プラーチー・デーサーイー、ランディープ・フッダー、ガウハル・カーン、イムラーン・ハスニー、アヴタール・ギル、ナヴェード・アスラム、サンジーヴ・ウィルソン、メフル・ボージャク、アルバーズ・アリー・カーン、ラヴィ・カーンウィルカル
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 子供の頃からボンベイの港で日銭を稼いで育ったスルターン・ミルザー(アジャイ・デーヴガン)は、いつしかボンベイの密輸業を牛耳る大物マフィアとなっていた。彼は密輸を生業としてはいたものの、政府が輸入を規制した一般的商品などの輸入を専門にしており、酒や麻薬など、ボンベイの人々に悪影響を与える業務には手を出さず、常に施しを忘れなかったため、貧しい人々から慕われていた。その上、ボンベイ中のマフィアのドンをひとつに団結させる政治力も持っていた。

 映画好きのスルターンは、トップ女優リハーナー(カンガナー・ラーナーウト)に惚れていた。ある日偶然撮影現場を通りがかったスルターンは、リハーナーに話しかける。2人は徐々に接近して行くようになり、やがて公式に付き合い始める。スルターンはリハーナーの出演作に出資するようにもなる。

 一方、ボンベイのアンダーワールドの一掃を使命としていたアグネル・ウィルソン警視監(ランディープ・フッダー)は、スルターンとリハーナーの仲に注目する。アグネル警視監はリハーナーのロケを妨害し、スルターンを刺激する。だが、スルターンはアグネル警視監を収賄事件に陥れ、反撃する。

 ところで、アグネル警視監の部下にカーンという警察官がいた。カーンの息子ショエーブ(イムラーン・ハーシュミー)は昔から反抗的で軽犯罪を繰り返しており、カーンの悩みの種であった。カーンは思い切ってショエーブのことをスルターンに相談する。ショエーブはスルターンの下で働くようになり、すぐに頭角を現し始める。だが、ショエーブの恋人ムムターズ(プラーチー・デーサーイー)は彼の行く末を心配していた。

 ある日、リハーナーが急に不調を訴える。検査の結果、彼女の心臓に穴があることが発覚し、余命あと僅かだと診断される。スルターンはリハーナーにプロポーズすると同時に、別の人生を歩むことを決める。スルターンは、ボンベイの仕事をしばらくショエーブに任せ、単身デリーへ向かう。そこで内相(アヴタール・ギル)と会い、次の選挙で立候補することを決める。

 ところが、スルターンの留守中にショエーブは大胆な行動に出ていた。野心家のショエーブはボンベイを一気に手中に収めようとし、今までスルターンが守っていたアンダーワールドの秩序を乱し始める。ボンベイに戻って来たスルターンはすぐにショエーブを叩き出す。行き場を失ったショエーブは、ライバルマフィアのドン、ワルダン(ラヴィ・カーンウィルカル)と組んで、スルターン暗殺を画策し出す。

 スルターンの立候補を受け、ボンベイで政治集会が開かれることになった。内相も駆けつけ、スルターンの応援演説をした。ショエーブはその場でスルターンを暗殺しようとする。だが、ムムターズからその話を聞いたカーンは、アグネル警視監に報告する。アグネル警視監はすぐに会場を巡回し、暗殺者2人を逮捕する。それを見たショエーブは自ら銃を持って暗殺に乗り出す。そして壇上で演説を終えたスルターンに発砲する。スルターンはリハーナーに抱かれながら絶命する。その後実権を握ったショエーブの攻撃的な行動のせいで、ボンベイはマフィア同士の抗争の舞台となってしまった。

 1993年、ボンベイ暴動の発生後、アグネル警視監は自殺未遂をする。彼には、スルターンとショエーブの内から1人を選ぶ選択肢があった。彼は結局ショエーブを野放しにし、ボンベイの秩序を裏から支えていたスルターンを捨ててしまった。その責任を感じ、アグネル警視監は自殺未遂をしたのだった。

 「友になれるなら敵になるより友になる道を選ぶ」、「愛するボンベイを汚す商売には手を出さない」という信条を持ち、そのおかげでマフィア同士の均衡を保ち、人々の尊敬を勝ち得ることに成功していたスルターンと、手段を選ばず周囲の敵を蹴散らして全てを独占し、誰も到達できないような高みを目指すと野心を持っていたショエーブ。二人とも一般社会の中では悪人ではあったが、そのタイプは全く違った。そしてムンバイーの法と秩序に与える影響も全く違った。この二人の男を中心にした重厚なドラマであった。アジャイ・デーヴガンとイムラーン・ハーシュミーの男臭さ全開の演技は共に素晴らしく、お互いを高め合っていた。

 ところが、それにメロドラマの要素を無理に加えてしまったために、多少焦点のぼやけた映画になってしまっていたようにも思う。スルターンとリハーナーの恋愛、ショエーブとムムターズの恋愛が同時並行的に描かれる。ホロリとさせられるのはこのメロドラマの部分なのだが、マフィア映画に純愛の要素をうまく調合するのは難しい。どちらかというとムムターズよりもリハーナーの方がキャラが立っていたが、スルターンの方がよりリハーナーに一途な恋愛をしているため、彼女の存在がスルターンのキャラを人間的にもしていたが、マフィアのドンとして弱い存在にしてしまってもいた。逆にショエーブの方は、他の女性と寝ているシーンもあり、必ずしもムムターズに一途ではない。ムムターズの人物設定の弱さもあった。だが、ショエーブの方がどこか現実的なマフィア像を体現できていたように感じた。スルターンとショエーブだけだったら文句なく素晴らしいハードボイルドな映画だったが、二人の女優の存在が映画を悪い方向に溶かしてしまったような印象を受けた。

 しかし、リハーナーを演じたカンガナー・ラーナーウトの演技はやはり圧倒的であった。「Fashion」(2008年)などで演技力を実証済みのカンガナーは、独特の美貌と色白さとオーラも併せ持っており、劇中で演じたトップ女優役も難なくこなしていた。カンガナーに比べると、「Rock On!!」(2008年)でヒンディー語映画デビューした元TV女優プラーチー・デーサーイーはまだ小者であるし、彼女が演じた役もあまりよくなかった。二人の女優の顔が似たタイプだったのもマイナスだった。それでも、プラーチーは自分の能力の中で真摯な演技をしていたと言える。

 ところで、スルターン・ミルザーとハージー・マスターンの共通点はいくつか挙げられる。子供の頃からボンベイの港で働き、密輸業のノウハウを吸収したこと、映画産業に関わり、女優と結婚したこと、白い服を好み、高級車を乗り回したこと、海に思い入れを持っていたこと、政界に進出したことなどである。ハージー・マスターン全盛期の当時、映画情報誌「スターダスト」などの編集長をしていた作家ショーバー・デーが映画のストーリーやスルターンのキャラクタースケッチに関与しているようで、何だかんだ言って生のハージー・マスターンに迫った作品になっていると思われる。ダーウード・イブラーヒームの黎明期を扱った映画としても貴重だ。ハージー・マスターンに比べ、ダーウード・イブラーヒームを題材にした映画はとても多い。「Company」(2002年)、「D」(2005年)、「Black Friday」(2007年)など、近年のヒンディー語映画界は好んでダーウードと彼の組織「Dカンパニー」を題材にして来ている。

 ただ、時代考証の点では、他の「ボンベイ物映画」(過去のムンバイーを舞台にした映画をこう呼ぼうと思う)に比べて力が入れられていた訳ではなかった。女優陣のファッションは70年代の流行を採り入れていたと思うし、自動車のためにも今で言うクラシックカーが用意されていたが、他の部分で70年代を感じさせるような要素が特になかった。ムンバイーのスラムが当時とそれほど変わっていないということもあるかもしれないが、もう少し努力することも出来たのではないかと思った。

 アジャイ・デーヴガン、イムラーン・ハーシュミー、カンガナー・ラーナーウト、プラーチー・デーサーイーの他、特別出演扱いではあったが、ランディープ・フッダーも重要な役で出演しており、存在感を示していた。

 音楽はプリータム。基本的にはハードボイルドなクライム映画ではあるが、意外にも「Pee Loon」や「Tum Jo Aaye」など、いいラブソングが多い。アイテムナンバーの「Parda」は、「モ~ニ~カ~、オ~マイダ~リン~」で有名な「Apna Desh」(1972年)の「Duniya Mein Logon Ko」や「Piya Tu Ab To Aaja」のリメイクとなっている。

 言語はヒンディー語。台詞回しが演劇的で、かっこいい台詞の応酬が続くシーンが多かった。インド映画の人気を決定付ける要素のひとつとして台詞回しの格好良さがあるが、その点では「Once Upon a Time In Mumbaai」は観客を魅了するものがあった。

 「Once Upon A Time In Mumbaai」は、アジャイ・デーヴガンとイムラーン・ハーシュミーの熱演が光るドラマである。カンガナー・ラーナーウトも素晴らしいが、メロドラマの部分は多少蛇足に感じた。ダーウード・イブラーヒームやボンベイ暴動はムンバイーのトラウマであり、ヒンディー語映画も散々題材に取り上げて来ている。だが、その前にハージー・マスターンという一人の偉大なマフィアがいたことを教えてくれる作品であり、ヒンディー語犯罪映画の系譜上、重要な映画と言えるかもしれない。