It’s a Wonderful Afterlife (UK)

3.5
It's a Wonderful Afterlife
「It’s a Wonderful Afterlife」

 海外を拠点とするインド人女性映画監督は現在主に3人いる。ニューヨーク在住のミーラー・ナーイル、カナダ在住のディーパー・メヘター、ロンドン在住のグリンダル・チャッダーである。あまり好き嫌いで映画監督を評価していないが、今まで観て来た彼女たちの作品を基準に自分の中での高評価順に並べると、上記の順になる。グリンダル・チャッダー監督は、代表作「Bend It Like Beckham」(2002年)が「ベッカムに恋して」の邦題と共に日本で公開されたこともあり、日本でも一定の知名度がある監督ではあるが、彼女の作る映画にはインド映画らしさがあまり感じられず、何か不気味な波動を受け取ることが多いのである。彼女は、英国のインド人コミュニティーを題材にした映画を作り続けているのだが、そのことをインド映画らしさの欠如としている訳ではない。インド映画らしさというのは端的に言えば社会の枠組みを守ろうとする保守的な価値観である。NRI(在外インド人)を主題にした映画では、インド文化の束縛からの解放か、インド文化の美点の再確認とそれへの回帰か、どちらかが主題となることが多いのだが、チャッダー監督の映画は極端に前者に偏っている。チャッダー監督の映画では、インド人女性と白人男性の国際結婚を積極的に推奨するようなメッセージが受け止められ、他の一般のインド映画にはないラディカルさがある。もし英国で彼女の映画を観たら違った感想を持つかもしれないが、インドの地において彼女の映画を観ると、インドの文化を蹂躙されているような、何とも言えない不快感を感じるのである。それは単にインドかぶれの外国人の偏愛に満ちた視点なのかもしれないが、おそらくそれがチャッダー監督の映画を個人的にもっとも低評価する原因になっているのではないかと思う。

 2010年5月7日からグリンダル・チャッダー監督の最新作「It’s A Wonderful Afterlife」が公開された。英国では既に4月21日に公開されているが、評価は良くないようだ。インドでは、英語版とヒンディー語版が公開されている。英語版の題名は「It’s a Wonderful Afterlife」だが、ヒンディー語版は「Hai Marjawaan(ああ、死んでしまう)」になっている。英語版とヒンディー語版の同時公開は、チャッダー監督の前作「Bride & Prejudice / Balle Balle! Amritsar to L.A.」(2004年)でも試行されたが、当時はヒンディー語版の制作を予め予定していなかったようで、不都合もあったようだ。今回は最初からヒンディー語版の制作も計画に組み込んで制作したため、どちらを観ても満足行く仕上がりになっているとのことである。どちらを見ようか迷ったが、「国際版」とも言える「It’s a Wonderful Afterlife」でこの映画を評価することに決めた。

監督:グリンダル・チャッダー
制作:シャラン・カプール
出演:シャバーナー・アーズミー、ゾーイ・ワナメイカー、ジミー・ミストリー、サリー・ホーキンス、センディル・ラーマムールティ、ゴールディー・ノーティー、マーク・アッディー、サンジーヴ・バースカル
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。

 ロンドンのアジア人街サウスオールで、インド料理やインド料理用調理器具でインド系の人々が次々と殺される奇妙な連続殺人事件が起こっていた。ロンドン警察サウスオール署に配属されたインド系警察官DSムールティ(センディル・ラーマムールティ)は「カレー連続殺人事件」の捜査を開始する。既に4人の被害者が出ていた。その中で偶然、旧知のセーティー夫人(シャバーナー・アーズミー)と出会う。

 セーティー夫人は、夫を亡くし、2人の子供を抱えていた。弟の方はどうでもよかったが、心配の種だったのは姉のルーピー(ゴールディー・ノーティー)の結婚だった。セーティー夫人は何度も見合いをさせたが、ルーピーが太りすぎだったために誰も彼女と結婚しようとしなかった。セーティー夫人はとうとう頭に来て、ルーピーを拒絶した男やその家族を次々と殺して行ったのだった。そう、実はセーティー夫人がカレー・キラーだったのである。

 ある日、セーティー夫人のもとに4人の幽霊が現れる。彼らは彼女に殺された人々であった。だが、セーティー夫人は「ルーピーを拒絶したあんたたちが悪い」と物怖じしなかった。幽霊たちはいつまでも幽霊でいられないため、早く成仏して輪廻転生したかった。だが、殺された人の魂は、殺した人が死ぬまでは成仏できないようであった。幽霊たちはセーティー夫人に自殺を促す。一旦は自殺を決めたセーティー夫人だったが、考え直し、娘を結婚させるまでは死ねないと言い出す。そこで幽霊たちはルーピーの婿探しに協力することになる。

 警察の捜査が進む中で、殺された4人のインド人がルーピーとお見合いをした人、またはお見合いをした人の家族であることが分かり、ルーピーが容疑者として浮上する。そうこうしている内に手違いでセーティー家の隣に住むゴールドマン夫人(ゾーイ・ワナメイカー)が、セーティー夫人が自殺しようとして作った毒入り団子を食べて死んでしまった。ますますルーピーに疑惑がかかる。ムールティは、ルーピーの嫌疑を晴らすために彼女に近付き、やがて付き合うようになる。ムールティは、ルーピーの言動に怪しさを感じず、彼女は犯人ではないと考える。また、ゴールドマン夫人も幽霊となってルーピーの婿探しに協力することになる。

 ところで、ルーピーにはリンダ(サリー・ホーキンス)という親友がいた。リンダはインドに旅行してインドかぶれになってしまっており、ギーターリーと改名までしてしまった。しかも、前世からの縁があるというデーヴ(ジミー・ミストリー)というインド人男性と電撃結婚を決める。ところが、リンダとデーヴの婚約式において、デーヴは突如ルーピーに「実は君のことが好きになってしまった」と告白する。また、ルーピーはムールティが自分をスパイしていたことを知ってしまう。これらの混乱の中で、常々霊感があったリンダは、大麻のパコーラー(天ぷら)を食べてその力を増幅させ、デーヴの裏切りによって驚異的な超能力を発揮し、会場をカレーまみれにしてしまう。

 後日、ムールティは改めてルーピーの家と訪れ、彼女にプロポーズする。だが、ルーピーはまだ怒っており、それを拒絶する。ムールティの上司スミス(マーク・アッディー)はその様子を物陰からうかがっていたのだが、セーティー夫人に見つかってしまう。スミスは足を滑らせてセーティー夫人が構えていたハサミに突き刺さってしまい、絶命する。セーティー夫人はルーピーに、ムールティは彼女をスパイしていたのではなく、彼女の嫌疑を晴らそうとしていたのだと説得する。ルーピーはムールティを追いかけ、プロポーズを受け容れる。

 ルーピーとムールティの結婚式の日、セーティー夫人は倒れる。実はセーティー夫人は癌に冒されており、もはや死期が迫っていた。セーティー夫人は、家族と幽霊に見守られながら息を引き取る。そして魂となった彼女は、幽霊たちと共に天に召される。

 今まで観て来たチャッダー監督の作品の中で、初めて高く評価できる映画であった。「結婚」というインド映画の王道をテーマにしているが、普通の映画と違うのは、年頃の娘を抱えた母親が主人公であることと、娘が美人ではないことである。インド映画では散々結婚をテーマにした映画が作られ続けているが、ほとんどの場合、花嫁となるべきヒロインは絶世の美女である。少なくとも美貌の欠如が理由でお見合いや結婚が破談になるようなことはありえないと言っていい。だが、全ての女性が絶世の美女という訳ではないし、はっきり言ってしまえば、美人ではない人の方が多いのである。母親としては、そういう娘も何とか嫁に出さなければならず、頭を悩ます訳である。そのような現実を見据えた上でストーリーが構築されており、インド人コミュニティーの正直な現状が描写されていて、他の「結婚」映画とは一線を画していた。

 しかし、現実的なのはここまでで、ここからはファンタジーとなる。何しろ幽霊が出て来るのである。とは言え、ホラー映画的な世にも恐ろしい幽霊ではなく、あくまで人間味のある幽霊だ。そもそもインド人の幽霊である。生のインド人と接していても、こんな考え方をするのか、と感心してしまうことが多い。死んだインド人なら、もっと突拍子もない行動や考え方をしてもおかしくはない。ホラー映画では、誰かに殺された幽霊が、自分を殺した人に「恨めしや」と復讐をするのが常識となっているが、この映画を観ると、こんな幽霊もいるかもしれないな、いや、むしろこっちの方が普通かもしれない、と思わせられてしまう。「It’s a Wonderful Afterlife」の幽霊は、恐ろしくプラクティカルな考え方を持っている。死んでしまったのだから、今から誰かを道連れにしたりしても仕方ないと考えている。そしていかにもインド人的に輪廻転生の信仰を持っており、早く幽霊姿を捨てて転生したいと考えている。ところが、成仏するには殺人者の死を待たなければならない。もし殺人犯が逮捕されてしまったら、死刑が廃止されている英国では死が延期されてしまう。だからそれだけは避けなければならない。しかも、来世でよりよい人生を送りたかったら、果報を積まなければならない。ここで自分を殺したセーティー夫人の娘の花婿探しに協力すれば、いいポイント稼ぎになる。そんな訳で、幽霊たちはセーティー夫人の協力者となるのである。

 しかし、幽霊たちが具体的にセーティー夫人を助けるシーンは非常に限られている。彼らは口々に言いたいことを言ってばかりで、あまりセーティー夫人の助けにはなっていない。幽霊のおかげで助かったシーンと言えば、セーティー夫人が警察の尋問を受ける場面だ。セーティー夫人も取り調べを受けるのだが、幽霊たちがいろいろアドバイスをくれたおかげで、パーフェクトに答弁することができ、アリバイを証明することに成功する。幽霊が、自分を殺した殺人犯が警察に逮捕されるのを避けるために、必死に協力するというのがこの映画の最大のコメディーになっていると言っていいだろう。もし世の中(外?)が本当にこんな構造になっているとしたら、犯罪の中でももっとも重い罪である「殺人」を巡って奔走する警察や司法は滑稽な存在でしかなくなる。それでも、幽霊がルーピーの「婚活」において大して重要な役割を果たしていないことで、結局幽霊が出て来なくてもこの映画は成り立ったのではないかという疑念も生じる。また、幽霊をコミカルに登場させてしまったことで、個人的な理由で次々に人を殺したセーティー夫人が全く罰を受けていないことになり、道義的に心にしこりが残る展開でもある。基本はコメディー映画ではあるが、心地よく笑うことができない映画になっていた。腹からカレーが噴出したり、婚約式会場がカレーだらけになったりと、食べ物を粗末にするようなグロテスクなシーンもあった。

 主演はシャバーナー・アーズミーである。彼女のイメージは常に凛とした強い女性という感じなのだが、今回は体重を増やし、思いっきり老けメイクで、どこにでもいそうな心配性のお母さんという大胆なイメージチェンジをしていた。それでもやっぱりうまい女優であり、好演であった。他には英国で活躍している俳優ばかりで、ほとんど面識がないのだが、ルーピー役のゴールディー・ノーティー、ムールティ役のセンディル・ラーマムールティなどの演技に欠点は見られなかった。

 上映時間は100分ほどで、インド映画レベルからしたらかなり短い映画なのだが、音楽も多数使われていた。英国で活躍するインド系ミュージシャンの楽曲が多く、パンジャービーMC、ステレオ・ネイションのターズ、バリー・サグーなどが参加している。

 英語版「It’s a Wonderful Afterlife」はほとんどの台詞が英語であった。ヒンディー語やパンジャービー語なども少しだけ聞こえて来たが、ほとんど誤差のレベルである。英語のみで全体を理解できるだろう。チャッダー監督のインタビューでは、インド人の間の台詞はヒンディー語版「Hai Marjawaan」の方が生き生きとしたものになっているとのことである。

 「It’s a Wonderful Afterlife」は、「結婚」がテーマのNRI映画ではあるが、その一言解説から想像される映画とは全く違う出来となっている。この映画では、コメディータッチのストーリーの中で「死」があまり重いものと受け止められておらず、インド人独特の死生観の片鱗がうかがわれ、面白い。だが、やはり真面目に考えたら、死を茶化しすぎな部分もあり、そこで評価が分かれるかもしれない。食べ物関連のグロテスクなシーンもあり、注意が必要だ。それでも、チャッダー監督の今までの作品の中では一番共感できる映画であった。