Sadiyaan

1.5

 現在、インディアン・プレミアリーグ(IPL)開催中のため、2010年4月2日も中小規模の映画が大量に公開されている。その中では俳優陣が豪華な「Sadiyaan」を観ることにした。監督は「Andaaz」(2003年)や「Humko Deewana Kar Gaye」(2006年)のラージ・カンワル。俳優出身政治家シャトルガン・スィナーの息子ラヴ・スィナーと、カシュミール人モデルのファラーナー・ワズィールが同時デビューを果たすことでも話題だが、それよりもむしろ、レーカーとヘーマー・マーリニーという往年の名女優の共演が注目されている。二人が共演したのはこれが初めてではないはずで、例えば「Gora Aur Kala」(1972年)という映画で共演しているようだが、やはり永遠の美女と賞されるこの二人が時代を超えて共演することは、往年のヒンディー語映画ファンにとっては格別な出来事であろう。彼女たちに加えて、やはり往年の名優リシ・カプールやパーキスターン人男優ジャーヴェード・シェークも出演している。

監督:ラージ・カンワル
制作:ラージ・カンワル
音楽:アドナーン・サーミー
歌詞:サミール、アムジャド・イスラーム・アムジャド
出演:ラヴ・スィナー(新人)、ファラーナー・ワズィール(新人)、レーカー、ヘーマー・マーリニー、リシ・カプール、ジャーヴェード・シェークなど
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。

 1947年、印パ分離独立に伴い、パンジャーブは東西に分割された。インド側に住んでいたイスラーム教徒はパーキスターンへ逃げ出し、パーキスターン側に住んでいたヒンドゥー教徒・スィク教徒はインドへ逃げ出した。その混乱の中アムリトサルにやって来たヒンドゥー教徒一家、ラージヴィール(リシ・カプール)とアムリト(レーカー)は、イスラーム教徒が住んでいた空き家に住むことになった。

 逃亡中にアムリトは一人息子のイシャーンを失っており、深い悲しみに沈んでいた。そのとき、アムリトはその家で一人の赤子を発見する。元の家の主の子供であろう。混乱の中置き去りにされたに違いない。ラージヴィールは赤子を連れてイスラーム教徒難民キャンプへ行き、親を探すが見つからなかった。仕方なくラージヴィールとアムリトはその赤子を自分の息子として育てることにした。子供はイシャーンと名付けられた。

 成長したイシャーン(ラヴ・スィナー)は大学のスポーツクラブのキャプテンを務める精悍な青年になっていた。スポーツクラブではカシュミール地方のシュリーナガルへ合宿に行くことになった。そこでイシャーンはチャーンドニー(ファラーナー・ワズィール)という美しい女性と出会い、恋に落ちる。しかもチャーンドニーはアムリトサル在住であった。アムリトサルに帰ったイシャーンは両親にそのことを話し、早速縁談がまとめられることになった。アムリトもチャーンドニーを気に入り、あとはチャーンドニーの両親の承諾を得るだけであったが、ひとつ重大な問題が発生した。実はチャーンドニーはイスラーム教徒であった。しかも、地元の名士であった。今まで二人は宗教のことを全く気に掛けていなかったが、宗教の違いが発覚したことで、路頭に迷うことになる。とりあえずイシャーンはチャーンドニーの両親に会いに行くが、結婚の条件としてイスラーム教徒への改宗を迫られる。イシャーンは返事を保留して家に帰る。

 その話を聞いたラージヴィールとアムリトは、イシャーンがチャーンドニーと結婚できるように、彼の出生の秘密を明かすことにする。だが、イシャーンはその話が全く信じられなかった。チャーンドニーの両親も作り話だと考え、証拠を求めた。そこでラージヴィールとアムリトは役所へ行って、元の家の主を探す努力をする。その結果、元の家の主パルヴェーズ(ジャーヴェード・シェーク)とベーナズィール(ヘーマー・マーリニー)が現在パーキスターンのラホールに住んでいることが分かる。早速連絡を取り、二人がアムリトサルに来ることになる。イシャーンがイスラーム教徒の子供であることが分かり、縁談はとんとん拍子に進む。ベーナズィールは、死んだと思っていた子供が生きていたこと、そして再会を果たせたことに大喜びする。だが、イシャーンはただでさえ自分のアイデンティティーの混乱に当惑しており、突然現れた真の母親を簡単に受け容れることはできなかった。しかも、結婚後はパーキスターン人としてラホールに住むことにされ、パーキスターン大使館から書類も発行されていた。イシャーンは悩むが、アムリトに恥をかかせてはならないと考え、チャーンドニーとの結婚とラホール行きを受け容れることにする。

 イシャーンとチャーンドニーの結婚式は盛大に行われ、その後二人はパルヴェーズとベーナズィールと共にラホールへ向かうことになった。ところがベーナズィールはアムリトの悲しみを感じ取り、やはりイシャーンはアムリトサルに住むべきだと主張し出す。チャーンドニーの両親はそれに反対するが、ベーナズィールの強い気持ちに押され、結局二人がアムリトサルに留まることを許す。

 ストーリーは古風ではあったがとても感動的だった。印パ分離独立時の悲劇を土台にした映画は多いが、当時こういう話は本当にあったのだろうと考えると、深い感慨を覚える。レーカー、ヘーマー・マーリニー、リシ・カプール、ジャーヴェード・シェークや、その他の脇役たちの演技もしっかりしたものであったばかりでなく、オーラを感じるほど魅力的であった。惜しむらくは本作でデビューを果たした若手2人である。特にラヴ・スィナーを戦犯に指名したい。名優シャトルガン・スィナーの息子であるが、そこらの道端をぶらついているインド人の方がまだ俳優に適しているのではないかというぐらい、全くスター性がない。多少ユニークな顔立ちのファラーナー・ワズィールも演技がぎこちなかったが、彼女の方がまだ将来性がある。カシュミール人の彼女は早くも「第二のカトリーナ・カイフ」と注目されており、今後作品に恵まれれば上を目指せるだろう。

 一応恋愛映画ではあったが、主人公のイシャーンに恋愛映画の主人公としての格はなかった。なぜなら、恋人チャーンドニーとの間に宗教の壁が立ちふさがったとき、彼はそれを打破しようとしなかったからである。チャーンドニーと結ばれることになったのは、結局彼の出生の秘密と、両親の努力のおかげで、本人は愛を勝ち取るために何の勇気ある行動も採っていない。よって真の意味での恋愛映画ではない。

 二人の母親を中心とした映画と考えると、「Sadiyaan」は何とか評価できる作品になる。一人息子イシャーンを動乱の中で失ったアムリトは、偶然見つけた赤子をイシャーンの生まれ変わりだと信じ、イシャーンと名付けて大切に育てた。一方、その赤子の本当の母親であるベーナズィールは、息子を失った悲しみと共にラホールで暮らしていた。息子が生きていることを知ったベーナズィールはすぐにアムリトサルにやって来て息子と再会する。その奇跡的な喜びの中で、彼女は当然のように息子を嫁と共にラホールに連れ帰ろうとするが、別れ間際にアムリトの悲しみを感じ取り、やはりイシャーンはアムリトサルのアムリトの元に留まるべきだと考え直す。「Sadiyaan」のストーリーは、クリシュナの神話が下敷きになっていると考えてもいい。クリシュナには、実の母親であるデーヴァキーと育ての母親であるヤショーダーがいるが、ヒンドゥー教の神話の中ではヤショーダーの方がクリシュナと強い関係で結ばれている。ベーナズィールはこの神話を引用して、育ての母親であるアムリトにイシャーンを託すのであった。一人の息子を巡る二人の母親の愛情は「Sadiyaan」の核であり、これがあるからこそこの作品は何とか物語として成立していた。

 音楽はアドナーン・サーミー。音楽もこの映画の大きな欠点だ。歌手として名高いアドナーン・サーミーは時々映画音楽の作曲も手掛けているが、彼の作曲した曲はそれほど質が高くない。「Sadiyaan」でも大した曲はなかったし、ラヴ・スィナーの踊りがいけていないことから、ダンスシーンも退屈なものばかりであった。

 映画の多くのシーンはカシュミール地方で撮影されていた。「地上の天国」とされるカシュミールの美しさは、いかにつまらない映画の背景となっても格別で、息を呑むような絶景がいくつもあった。

 「Sadiyaan」は、昔からヒンディー語映画を観て来ている人の目には、キャストを見ただけで魅力的な作品に映るかもしれない。確かにレーカーとヘーマー・マーリニーの共演はすさまじい迫力があった。だが、貧相なラヴ・スィナーのおかげで映画は台無しになっており、満足感が得られる作品になっていない。ラヴ・スィナーには目をつむって、純粋に豪華脇役陣の演技を楽しめる自信があるなら、観てもいいのではないかと思う。