Well Done Abba

3.5

 インド映画界において、シャーム・ベーネーガルは一目置かれた映画監督である。デビュー作「Ankur」(1973年)以降、メインストリームの娯楽映画と一線を画した芸術路線の映画を作り続け、インドのニューウェーブシネマの旗手の一人として数えられるようになった。21世紀に入って「Zubeidaa」(2001年)を送り出した後はしばらく休養期間に入っていたのだが、2005年には突然「Netaji Subhas Chandra Bose: The Forgotten Hero」という駄作を引っさげて復活し、「どうしちゃったの?」と心配された。しかし、その後は初心に戻ったのか、インドの農村部を舞台にした映画に取り組むようになり、「Welcome to Sajjanpur」(2008年)というコメディータッチの娯楽作品を作った。ベーネーガル監督は、最近のヒンディー語映画が余りに農村部の人々を無視した作風になっており、それがボージプリー語映画などのニッチな映画産業の隆盛の原因にもなっていると考えているようだ。かつてニューウェーブシネマというパラレルな映画の潮流を作り出したベーネーガル監督は、現在では娯楽映画の方向性を農村に戻す努力をしていると言える。その新生ベーネーガル監督の第2弾が本日(2010年3月26日)公開された。「Well Done Abba」である。この映画の舞台はハイダラーバード近郊の架空の村チーカトパッリ。ベーネーガル監督がハイダラーバード出身であることを考慮すると、正にホームグラウンドへの回帰である。変則的だが、この映画の原作となっている小説は3本あり、ジーラーニー・バーノー著「Narsaiya Ki Bawdi」、サンジーヴ著「Phulwa Ka Pul」、ジャヤント・クリパーラーニー著「Still Water」をベースにしていると言う。主演の名優ボーマン・イーラーニーが一人二役をするのも見所だ。

監督:シャーム・ベーネーガル
制作:リライアンス・ビッグ・ピクチャーズ
原作:ジーラーニー・バーノー著「Narsaiya Ki Bawdi」、サンジーヴ著「Phulwa Ka Pul」、ジャヤント・クリパーラーニー著「Still Water」
音楽:シャーンタヌ・モーイトラー
歌詞:イラー・アルン、アショーク・ミシュラー、スワーナンド・キルキレー
出演:ボーマン・イーラーニー、ミニーシャー・ラーンバー、サミール・ダッターニー、イラー・アルン、ラジト・カプール、ラヴィ・キシャン、ソーナーリー・クルカルニー、ヤシュパール・シャルマー、ラヴィ・ジャンカール
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。

 ムンバイーで若い実業家の専属運転手として働くアルマーン・アリー(ボーマン・イーラーニー)は、1ヶ月の休暇を取って村に帰ったものの、帰って来たのが3ヶ月後になったことで、職を失いそうになっていた。そこでアルマーンはボスに、3ヶ月の間村で何が起こったかを語り出す。

 故郷のチーカトパッリ村では、娘のムスカーン(ミニーシャー・ラーンバー)を、双子の弟レヘマーン(ボーマン・イーラーニー)とその妻サルマー(イラー・アルン)に預けていた。だが、レヘマーンは真面目な兄と正反対の性格で、しょっちゅう問題を起こしていた。今回は水泥棒をして妻と逃げ回っており、しばらく家に帰って来ていなかった。よって、家にはムスカーンが一人で暮らしていた。

 アルマーンは、そろそろ娘の結婚相手を探さなければならないと考えていた。折りしも村では水不足が深刻であった。そこで井戸を掘って金を稼ぐことを思い付く。まずは銀行にローンをもらいに行くが、申請の過程で、政府のキャンペーンにより、貧困ライン以下の人々には無料で井戸が支給されることが分かる。アルマーンは、貧困ライン以下であることを証明するための書類を作成してもらい、無料井戸の申請を行う。ところが、関係する役人からいちいち賄賂を求められ、それを承諾して行ったら、手元に残った金では井戸が掘れない状態になっていた。仕方がないので、井戸が完成したという証明も賄賂を払って作ってもらった。こうして、井戸はないのに井戸が出来たという書類だけが手元に残った。

 しかし、ムスカーンは父親と違ってしたたかな女の子であった。彼女は父親と共に警察署を訪れ、シュリーカント・レッディー警部補(ラジト・カプール)に対し、井戸が盗難に遭ったと被害届を出す。レッディー警部補は最初まともに取り合わないが、ムスカーンは地元の機械工アリーフ・アリー(サミール・ダッターニー)の協力を得て、井戸盗難の問題を村全体の問題へと拡大する。村には同じような問題を抱えた人々がたくさんいた。彼らは州政府の灌漑大臣を訪ね、井戸盗難被害を訴える。折りしも選挙が迫っており、大臣も村人たちの話に耳を傾けざるをえなくなる。大臣はチーカトパッリ村を訪れ、井戸を作らせることを約束する。それでも信じられないアルマーンは、自分の井戸の水しか飲まないと宣言し、絶水を始める。メディアの注目も集まるようになり、大臣は急いで井戸を作らせる。

 井戸が出来た後、アルマーンの心配事はムスカーンの結婚のみであった。当初は中東の富豪に嫁がせようと考えていたが、先に嫁いだ近所の娘が酷い目に遭っていることを知り、ムスカーンと恋仲にあったアリーフを花婿に選ぶ。こうして、ムスカーンとアリーフは結婚し、アルマーンがしなければならなかったことも片付いたのであった。

 これらの話を聞いてボスも幾分怒りを和らげる。だが、そのような大事件になったのに彼はテレビでそのニュースを見たことがなかった。それを聞かれたアルマーンは、「忙しすぎてテレビを見る暇もなかったんでしょう」と答える。

 井戸の盗難という、普通では考えられないような事件を中心にして、役人の腐敗を面白おかしく風刺した優れた社会派コメディー映画であった。「Welcome to Sajjanpur」の続編のような雰囲気の映画だが、社会問題への問題意識はさらに深まっているし、映画としての完成度もさらに高まっている。どんなに崇高なメッセージがあっても、映画自体がつまらなくては意味がない。まずは観客を楽しませることが映画の至上目的であり、そこに自然に納得できるメッセージを乗せることが優れた監督の仕事である。「Well Done Abba」は、「3 Idiots」(2009年)の大成功を受け継ぐ新娯楽映画だと位置付けることができる。

 書類上では完成していることになっているはずの井戸が、役人の腐敗のせいで実際には出来ていないという滑稽な状況が映画では描写されていたが、これはインドにおいて決して珍しい出来事ではない。何かを建造するために用意された公共資金が、間に入る役人や請負業者が10%、20%と不正に取り分を取って行き、私腹を肥やすせいで、最終的には資金が全く足りなくなってしまい、実際には何も工事が始まっていないのに完成したというレポートのみが上層部に届く。そして今度はその状況を隠すために、それを取り壊す命令が出る。最初から何も出来ていないので、取り壊しのためには特に何もしなくていい。取り壊しの資金は出るので、それが再び関係者の間で分配され、取り壊したという報告書が上層部に送られる。こうして、何も起こっていないところから多額の儲けが役人などの懐に入る仕組みがあると言う。ダムのような大型公共事業でもこのような小手先の詐欺行為がまかり通っていると聞くが、果たして本当のことであろうか?

 映画中では、無料で井戸を掘削する政府のキャンペーンに応募して、村では75の井戸が掘られたことになっていた。しかし、そのほとんどが書類のみの産物であった。もし現実にもこういうことが様々な場所で起こっているとすると、政府が公式に発表するデータはかなり信頼できないものとなる。

 また、井戸の盗難と共に、劇中では貧困ラインの問題に言及されていた。貧困ライン以下の生活レベルで暮らしていることが公式に証明されると、数々の生活保護が受けられ、結果的に下手すると貧困ライン以上で生活するよりも裕福な生活が出来るようになる。このような状態であるため、人々はこぞって自分を貧困ライン以下だと申告する。インドからなかなか貧困が撲滅されないのは、貧困ライン以下であることが一種のステータスとなっていることにも大きな原因があるのではないかということが示唆されていた。実際よりも多くの人々が貧困者としてカウントされている可能性がある。

 他には、中東からアラブ人大富豪がインド人の妻を娶りにやって来る描写があり、目新しい印象を受けた。劇中では、ヒロインのムスカーンの親友が中東に嫁いで行ってしまうのだが、暴行を受けてインドに送り返されて来るというシーンがあった。説明不足ではあったが、これも現実に起こっていることの一端なのかもしれない。また、最近では女性枠のおかげでサルパンチ(村長)に女性がなることが多くなったのだが、実権は結局その夫が握っているという実態があり、その問題にも劇中では簡単に触れられていた。このように、「Well Done Abba」では、触れられる限りの農村の問題に触れており、社会問題てんこ盛り状態になっていた。一方で、情報開示を求める法律「Right to Information Act」にも触れられており、権利をうまく行使して行けば、役人に立ち向かえることも啓蒙されていた。

 ちなみに、最後のシーンで、アルマーン・アリーがボスに語った内容は全て作り話である可能性も示唆されていた。また、言うまでもないが、題名の「Well Done」には、「Welldone(よくやった)」という意味と、「Well Done(井戸が出来た)」という意味が掛け合わされている。

 既にボーマン・イーラーニーの説明はいらない。「Munna Bhai M.B.B.S.」(2003年)で注目を浴びて以来、すっかりヒンディー語映画の顔となっている。コメディー役、悪役、父親役など、様々な役を魅力的に演じることのできる俳優である。「Well Done Abba」では主演であり、しかも一人二役を演じていた。やはり素晴らしい俳優である。だが、「Well Done Abba」で人一倍輝いていたのはヒロインのミニーシャー・ラーンバーだ。清純派路線からキャリアを始めて、突然セクシー路線に行ってみたりして多少迷走気味であったが、ここに来てやっと実力を試される役に恵まれ、それを上手にこなしていた。難があったのは学生役だったことだ。年齢的にちょっと苦しいように思ったが、そこを突っ込むのは野暮であろう。他にはイラー・アルンの暴走っぷりが凄かった。ボージプリー語映画のヒーロー、ラヴィ・キシャンと、一昔前にアクティブだった女優ソーナーリー・クルカルニーは多少意味不明の役回りであった。

 音楽はシャーンタヌ・モーイトラー。ストーリーの邪魔にならない程度にダンスシーンが入っていたが、基本的にはストーリー重視で、歌や踊りの出番は限定的であった。

 言語はヒンディー語のデカン方言、つまりダッキニー語である。アーンドラ・プラデーシュ州が舞台であるため、テルグ語・テルグ文字も見られたのだが、言語はほとんどダッキニー語だった。標準ヒンディー語とは微妙に違った言葉遣いやイントネーションになっているため、聴き取りは困難な部類に入るだろう。例えば「ハーン(はい)」のことを「ハウ」、「ナヒーン(いいえ)」のことを「ナッコー」などと言う。

 「Well Done Abba」は、インドの農村を舞台にし、インドの行政システムの欠陥をはじめ、様々な社会問題を可能な限り詰め込んだ映画であるが、その作りは娯楽映画の文法に則ったもので、楽しみながらインドが抱える問題を考えることができる。今後のヒンディー語映画が向かうべき、新娯楽映画の傑作だと言える。