Radio

2.0
Radio
「Radio」

 かつてインド中でヒメーシュ旋風なるものが吹き荒れたことがあった。ヒメーシュ・レーシャミヤーは、音楽監督や歌手として人気を集め、遂に俳優業にまで進出したマルチタレントの人物である。赤いキャップ、泥棒髭、黒いロングコートという独特の出で立ちにして、マイクを逆さに持ち、鼻にかかった歌声で熱唱する姿が大流行した。とは言っても、彼の作る歌はどれも同じに聞こえるという大きな欠点を抱えており、冷静に見たら決して天才的な音楽家ではない。むしろ、ヒメーシュ旋風絶頂期には、「ケッ、またヒメーシュか。こんな歌のどこがいいんだ」とけなしていたぐらいである。しかし、けなしながらもなぜか気付くとヒメーシュの歌をうっかり口ずさんでいるという不思議な現象が繰り返された。ヒメーシュは決して天才ではないかもしれないが、彼の作る歌には、聴く者の脳裏にしがみついて離れない何かがあることは確かである。

 ヒメーシュの音楽については様々な角度から議論する余地があるが、彼の演技については一言で断言できる。はっきり言って大根役者である。ヒメーシュはこれまで、「Aap Kaa Surroor」(2007年)、「Karzzzz」(2008年)と主演して来た。「Aap Kaa Surroor」の方は、その大根役者振りが批判の的となったものの、ヒメーシュ旋風の勢いに乗ってヒットとなった。2作目の「Karzzzz」では、思い切ってトレードマークだった帽子を捨て、ヘンテコな髪型をして登場した。演技に一応の進歩が見られたものの、過去の大ヒット作の単純なリメイクだったこともあり、こちらはフロップに終わった。この頃にはヒメーシュ旋風もだいぶ落ち着いて来ており、彼の新作を耳にすることもめっぽう少なくなった。

 2009年12月4日、そのヒメーシュが久々にスクリーンに登場することになった。主演3作目となる「Radio」を引っさげて。「Karzzzz」で帽子を捨てたヒメーシュだが、今度はなんと鼻声を捨て、さらなるイメチェンを図っており、大きな話題となっている。噂では鼻の手術を受けたらしい。確かに先行発売された「Radio」のサントラCDを聞くと、声が変わっている。CDのジャケット自体に「ヒメーシュの新声」と書かれている。

監督:イシャーン・トリヴェーディー
制作:ラヴィ・アガルワール
音楽:ヒメーシュ・レーシャミヤー
歌詞:スブロート・スィナー
振付:ロンジネス・フェルナンデス
衣装:プレールナー・ジャイン
出演:ヒメーシュ・レーシャミヤー、シェヘナーズ・トレジャリーワーラー、ソーナール・セヘガル、パレーシュ・ラーワル、ザーキル・フサイン、ダルシャン・ジャリーワーラー
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。

 ヴィヴァーン・シャー(ヒメーシュ・レーシャミヤー)はラジオジョッキーで、リスナーの悩みを聞いては気の利いた助言をし、人気を集めていた。だが、ヴィヴァーン自身の人生は非常に混乱していた。ヴィヴァーンは、5年連れ添った妻プージャー(ソーナル・セヘガル)から一方的に離婚を突き付けられ、裁判所からも離婚を認められてしまった。その日にヴィヴァーンは、シャナーヤー(シェヘナーズ・トレジャリーワーラー)という女の子と出会う。シャナーヤーと仲良くなったヴィヴァーンは、最近低迷していたラジオ番組を活性化させるため、シャナーヤーをラジオに登場させる。ヴィヴァーンとシャナーヤーの間に恋が芽生えていることにし、二人の会話によってリスナーの関心を引き寄せた。瞬く間にシャナーヤーも人気ラジオジョッキーの仲間入りする。

 シャナーヤーの父親ディングラー(ザーキル・フサイン)は警察官僚の大物であった。ディングラーは最初、ヴィヴァーンと娘の仲を疑う。ヴィヴァーンも、番組のために恋人の振りをしているとは言えず、プロデューサー(ダルシャン・ジャリーワーラー)の圧力もあって、シャナーヤーと付き合っていると語る。一転してディングラーはヴィヴァーンを受け容れ、以後彼は家族の一員のような扱いとなる。二人の恋愛はメディアによって大きく取り上げられ、ヴィヴァーンとシャナーヤーの公開結婚式がテレビ中継された。

 一方、プージャーは自分から希望して離婚したものの、やはりヴィヴァーンがいなければ寂しいことに気付く。ヴィヴァーンとプージャーは何となくまた会うようになる。シャナーヤーもヴィヴァーンが離婚したことを知っており、プージャーと面識になる。こうしてヴィヴァーン、プージャー、シャナーヤーは三人で会うようになり、奇妙な三角関係が生まれる。プージャーはヴィヴァーンへの思いを再燃させており、ヴィヴァーンとシャナーヤーがいちゃつく様子に嫉妬する。一方、シャナーヤーはヴィヴァーンとの仲が作られたものであることに次第に不満を感じるようになって来る。だが、プージャーとシャナーヤーの仲は良好であった。

 シャナーヤーは次第にストレスをため込むようになる。ヴィヴァーンもシャナーヤーが家族に秘密をばらしたと思い込み、彼女を避けるようになる。とうとう絶え切れなくなったシャナーヤーはラジオ番組を降板することを決める。シャナーヤーの最後の出演を、ヴィヴァーンとプージャーは一緒に聞いていた。偶然シャナーヤーのところには、リスナーから恋愛の三角関係に関する質問が来ていた。シャナーヤーは、もし好きな人が別の人を好きなら、潔く身を引くべきだと答える。

 それを聞いたプージャーは、自分がヴィヴァーンとシャナーヤーの仲の障害になっていることに初めて気付き、思い切ってヴィヴァーンを突き放す。晴れて自由な立場で考えることができるようになったヴィヴァーンは、シャナーヤーに今まで言えなかった愛の告白をする。

 映画はいくつかのチャプターに分かれており、主人公ヴィヴァーン自身のナレーションによって進行して行く。プロットにはいくつか盛り上がる部分があるものの、大半の重要な展開がチャプター分けとナレーションによって説明されており、映画的な面白味に欠けた。最後の告白のシーンにしても、あまりに説明的で、雰囲気を台無しにしていた。映像で語れば十分なことをわざわざ言葉で語り直すため、野暮ったい恋愛映画になってしまっていた。ヒメーシュの演技も相変わらずで、彼の下手な演技をカバーするために編集を工夫してこのようにせざるをえなかったのではないかと邪推してしまった。もし、大根役者ヒメーシュが真っ当な演技をしているように見えるように工夫して作った映画ということなら高い点数をあげたいが、一般のロマンス映画として土俵に立つなら、失敗作の烙印以外は押せない。

 ストーリー自体はそんなに悪くない。離婚したはずだがなかなか腐れ縁の切れない妻と、仕事上の都合から付き合っていることになってしまった女性との間に板挟みになる男性が主人公ながら、お決まりのドロドロとした三角関係フォーミュラにはギリギリのところで乗せず、かなり新鮮な関係に持って行っていた。すなわち、元妻と偽恋人が仲良くなってしまうのである。また、主人公自身も一方的に離婚されたときのショックが残っており、正常に人間関係を分析する能力を失っていた。だから、元妻とよりを戻せばいいのか、偽恋人とこのまま本当の恋人になって結婚すればいいのか、理解できなかった。この混乱状態をもっと丁寧に描写することが出来たら、一級のロマンスになっていたのではないかと思う。

 しかし、映画はチャプターに分割されたせいでぶつ切れ状態となっており、チャプターが変わるごとにせっかく出来た流れが途切れてしまっていた。それに加えてナレーションによってストーリーが進んだり、登場人物の心情が事細かに解説されてしまうことが多く、まるで映画のオリジナルを見ているのではなく、ダイジェスト版を見ているようなつまらなさを感じた。

 主演のヒメーシュは音楽畑出身の俳優であり、主演作では必ず音楽とメインボーカルを務めているため、彼の今までの主演作は、その背景を活かせるように、職業はミュージシャンという設定であった。今回はラジオジョッキーということで、少し気色の違った役柄だと思ったが、劇中でミュージシャン・デビューをしてしまい、今までとそう変わらない状態となってしまっていた。それでも、ヒメーシュが自ら作曲した「Radio」の曲の数々は、いつもの鼻声がないものの、ヒメーシュ節は健在で、いいものが揃っている。「Mann Ka Radio」や「Teri Meri Dosti Ka Aasmaan」などが名曲である。

 ヒロインはシェヘナーズ・トレジャリーワーラーとソーナル・セヘガルの二人。両人ともそれほど知名度の高い女優ではない。だが、元気溌剌のシェへナーズに影のあるソーナルの対比は良く、キャスティングはうまく行っていると感じた。他には、パレーシュ・ラーワルが、ラジオで一発ギャグをかます「ジャンドゥー・ラール・ティヤーギー」としてカメオ出演していたのが特筆すべきである。

 「Radio」は、「ヒメーシュ映画」というひとつの独立したジャンルの映画だと考えた方がいいだろう。ヒメーシュ・レーシャミヤーのファンなら文句なく必見である。音楽も悪くないし、ヒメーシュの新声を聞いてみるのもいい。だが、映画としての出来は中の下で、一般の観客には退屈に思えるだろう。


https://www.youtube.com/watch?v=ijmYTezztzU