Wake Up Sid

3.5
Wake Up Sid
「Wake Up Sid」

 2009年10月2日に「Do Knot Disturb」と共に封切られた新作ヒンディー語映画が「Wake Up Sid」であった。ヒンディー語映画界の重鎮カラン・ジョーハルのプロデュースで、デビュー以来順調に主演作を重ねて来ているランビール・カプールが主演。監督は新人のアヤーン・ムカルジー。今週はどうも「Wake Up Sid」の方が注目を集めているみたいである。

監督:アヤーン・ムカルジー(新人)
制作:ヒールー・ヤシュ・ジャウハル、カラン・ジャウハル
音楽:シャンカル・エヘサーン・ロイ
歌詞:ジャーヴェード・アクタル
衣装:プリヤーンジャリ・ラーヒリー、マニーシュ・マロートラー
出演:ランビール・カプール、コーンコナー・セーンシャルマー、アヌパム・ケール、スプリヤー・パータク、ナミト・ダース、シカー・タルサーニヤー、ラーフル・カンナー(特別出演)
備考:DTスター・サーケートで鑑賞、満席。

 ムンバイー。スィッダールト・メヘラー、通称シド(ランビール・カプール)は、シャワー部品会社の経営する父親ラーム・メヘラー(アヌパム・ケール)の資産のおかげで遊興にふけった大学生活を送っていた。怠け癖は卒業試験直前になっても直らず、親友のリシ(ナミト・ダース)、ラクシュミー(シカー・タルサーニヤー)らは合格するものの、シドだけは落第してしまう。

  ラームはシドを自分の会社に就職させようとしていたが、10日働いただけでシドは嫌気が指し逃げ出してしまう。ラームは遂にシドを家から追い出してしまう。

 ところでラームは卒業パーティーの日にアーイシャー・バナルジー(コーンコナー・セーンシャルマー)という女の子と出会っていた。アーイシャーはライターになることを夢見てコルカタから単身ムンバイーにやって来たばかりで、シドは彼女の家探しや部屋の準備などを手伝い、それがきっかけで仲良くなっていた。職探しをしていたアーイシャーはすぐにムンバイー・ビート誌に就職することが決まった。

 シドはアーイシャーに惹かれるようになるが、アーイシャーの好みはシドとは全く正反対であった。自立していて頼りがいのある男性が彼女の理想で、シドは子供すぎると思われていた。シドはそれ以上関係を進めようとはしなかった。

 落第が決まったとき、シドはリシと喧嘩をしてしまっており、家を追い出されてしまったシドは行き所がなかった。そこで仕方なくアーイシャーの家を訪ねた。アーイシャーは彼を住まわせるが、きれい好きの彼女は、すぐに物を散らかすシドに愛想を尽かしてしまう。叱られて反省したシドは以後、片付けなどをきちんとするようになり、料理も習い出す。

 シドは何か仕事をすることを決めた。アーイシャーは、シドの趣味である写真の腕に注目し、ムンバイー・ビート誌のチーフフォトグラファーに彼を紹介する。おかげでシドはインターンとして同誌で働くことになった。

 ところで、アーイシャーの上司のカビール(ラーフル・カンナー)は彼女の理想の男性像に近かった。だが、彼と接して行く内に、彼と趣味が合わないことに気付く。カビールから気持ちが離れたとき、彼女の心にいたのはシドであった。また、アーイシャーはかねてよりムンバイー・ビート誌にエッセイを連載するのが夢で、カビールに原稿を読んでもらおうとしていた。なかなかチャンスはなかったが、ある日カビールは原稿を読んで、その連載を決める。

 シドはインターン中に写真の腕を認められ、正式に社員として採用される。勘当となっていたシドであったが、それを報告しに父親ラームのところへ行く。ラームも息子の就職を喜び、応援する。勘当は解け、シドは家に戻れることになった。だが、それを聞いて悲しんだのがアーイシャーであった。いつしか彼女にとって、シドとの生活が人生の大切な一部となっていた。しかし、鈍いシドにそんな彼女の気持ちが分かるはずがなかった。シドはアーイシャーを残して去って行ってしまう。

 自宅に戻ったシドのところに、ムンバイー・ビート誌最新号が送られて来る。その号には彼が撮影した写真も掲載されていた。ページをめくってみると、アーイシャーの書いたエッセイも載っていた。そこで綴られていたのは、シドに対する愛の気持ちであった。そのときちょうどムンバイーにモンスーンが到来する。シドは、かつてアーイシャーと海を眺めたマリン・ドライブへ行く。そこにはアーイシャーも来ていた。2人は無言のまま抱き合う。

 21世紀に入り、有能な若手監督たちの台頭もあって、ヒンディー語ロマンス映画もかなり多様になって来た。一昔前まで主流だった、猪突猛進な主人公がヒロインにストーカー紛いのアプローチを繰り返す内に恋愛が進展して行くような単純なロマンス映画は影を潜めて来ている。それに関連し、今でもかなり大きな事件として記憶されているのが、婚前同棲・妊娠をテーマにした「Salaam Namaste」(2005年)であった。オーストラリアを舞台にしていたものの、未婚の主人公カップルが同棲し、果ては妊娠に至ってしまうようなプロットを堂々とストーリーに組み込んだ映画は、少なくともヒンディー語映画の中で記憶にある限り、これが初めてだった。

 「Wake Up Sid」は、「Salaam Namaste」に続いて、未婚の男女が同棲をするという筋のロマンス映画である。だが、「Salaam Namaste」と違い、恋人同士の同棲ではないし、妊娠のような極端な要素もない。単なる友人同士の男女の同棲であり、それが結局は恋愛に発展するというストーリーになっている。そのおかげで「Salaam Namaste」よりも爽やかなロマンスに仕上がってはいたが、逆に言えば、もっと物議を醸す可能性もある映画であった。普通に考えたら、単なる友人の男女が一緒に住むことはインドではあまり考えられない。しかし、むしろ日本人にはもう少し自然に受け容れられるだろうし、全体的にとても心地よく仕上がったロマンス映画であった。

 また、人生に何の目標もない自堕落な若者が徐々に社会の一員としての自覚に目覚めて行くというストーリーは「Lakshya」(2004年)と共通している。だが、主人公が軍隊に入隊して活躍する「Lakshya」が完全にインド万歳の愛国主義映画だったのに対し、「Wake Up Sid」はもっと地に足の付いた、ユニバーサルに共感できる映画であり、やはりこの点も日本人観客に自然に受け容れられる要素となりうる。しかも、シドはニートである上にゲームオタクでもあるしコミックオタクでもあるし車オタクでもあるし写真オタクでもある。つまり、日本人にもいそうなキャラであった。インド映画なのに、人物設定などに日本人として身近さを感じさせられたところが非常に新鮮で、そこにインド映画の新たな可能性を感じた。

 しかし、それでいてインドらしい情感を持った映画でもあった。キーワードはムンバイーとモンスーンである。ヒンディー語映画の多くはムンバイーで撮影され制作されていることもあり、ムンバイーを礼賛するような内容の映画は多いのだが、この映画からは特にムンバイーに対する強い愛情を感じた。ムンバイーっ子の憩いの場である「女王のネックレス」マリンドライブの魅力をとても力強く表現していた。曰く、「なぜムンバイーの人々は海が好きなのか。それは、目まぐるしく変わるムンバイーの中で、海だけは常に変化しないからだ。」そしてモンスーンのときのマリンドライブの素晴らしさも、映画中でシドの口から説かれていたし、それがクライマックスの伏線にもなっていた。モンスーン・・・それは、文学、音楽、映画など、インドのあらゆる文芸を理解する上でおそらくもっとも重要な要素である。モンスーンがインドの人々にとってどんな意味を持っているのか、それはインドに住んだ者でなければ、そして特に酷暑期をインドで越した者でなければ、到底分からないだろう。簡潔に表現するならば、モンスーンの雨は歓喜の象徴であり、恋愛の起爆剤であり、苦悩からの解放であり、あらゆるものを洗い流す自然の偉大な意志である。雨季の到来のシーンが印象的に使われた映画は数多いが、この「Wake Up Sid」もとても上手に描写されていた。モンスーン関連の名作の1本として数えられることになるだろう。

 2点だけ補足をしておく。物語の冒頭でシドが卒業試験を受けるところが描かれており、その結果が中盤、卒業からかなり後になって発表され、シドの落第が判明した。これはインドの大学では一般的なことである。試験と結果発表の間の時間的ギャップは、卒業試験のみではなく、通常の試験でも同じだ。進学できているかどうかがなかなか判明しないため、学生は新学年が始まるととりあえず新学年の授業を受講し、学年末試験の結果が発表された後に成績や単位の可否に従って受講科目を変更する。日本の大学に比べるとかなり不便なシステムである。また、「新卒」という制度のないインドでは、大学在学中に就職活動を始め、内定を取得する必要に迫られていない。大学卒業後にのんびり就職活動をしたり、次の進学先に向けて具体的に動き出す人も多い。だから卒業パーティーで友人同士「これからどうする?」と質問し合っているのである。これらの点は日本人には説明が必要であろう。

 物語は、怠け者のムンバイーっ子シドと、野心家の新参者アーイシャーを中心に展開する。題名から察するとシドが唯一無二の主人公のように思えるが、ストーリーはむしろアーイシャーの心情の方に比重が置かれていた。シドは終始何を考えているのか分からない不思議ボーイとして描かれているが、アーイシャーの方は、心情が刻一刻と変化する様子がとても繊細に描写されていた。特にアーイシャーがカビールに幻滅し、シドへの気持ちを自覚するまでの一連の流れは、映像を中心に上手に表現されており、とても良かった。よって、ロマンス映画として見た場合、ヒロイン中心のストーリーだと感じた。

 敢えて難点を挙げるとすれば、アーイシャーと家族との関係が不明だったことだ。アーイシャーは序盤でシドに「家族はいない」と話していたが、終盤で母親に電話をしていた。彼女の生い立ちや、ムンバイーに出て来た裏にも何か重いストーリーがありそうだったが、劇中で深く語られることはなかった。そこは観客の想像に任せられたのか、それとも上映時間の関係でカットされたのか?

 主演の二人の中では、ヒロインのコーンコナー・セーンシャルマーの方がキャリア的にも実力的にも先輩になるが、ランビール・カプールはそれを感じさせない自然な演技をしており、映画カーストとしての血統を感じた。二人のスクリーン上のケミストリーは必ずしも完璧ではなかったが(やはりコーンコナーの肌の黒さが気になる!)、脚本の完成度の高さもあり、二人とも好印象であった。アヌパム・ケールも要所要所で貫禄の演技。シドの友人を演じたナミト・ダースやシカー・タルサーニヤーも良かったし、母親役のスプリヤー・パータクも上手かった。ラーフル・カンナーは特別出演ではあったが、とても重要な役で、しかもなかなかの適役であり、今後につなげれそうな感じがした。

 「Wake Up Sid」は音楽も良い。シャンカル・エヘサーン・ロイが得意とする、モダンで耳障りのいい曲ばかりで、映画の雰囲気にもピッタリである。タイトル曲「Wake Up Sid!」、「Kya Karoon?」、「Aaj Kal Zindagi」、「Life Is Crazy」など、お互いに似通ってはいるもののとてもいい曲が目白押しだが、中でも白眉はスローテンポのバラード「Iktara」であろう。重要なシーンで登場人物の心情を代弁する使われ方をしていた。

 「Wake Up Sid」は、かなりユニバーサルなアピールのあるロマンス映画であり、それでいてインドらしい情感も健在で、日本人の観客にも自信を持ってオススメできる作品である。「Love Aaj Kal」(2009年)と並んで、今年の必見ロマンス映画だと言える。