New York

3.5

 2月公開の「Delhi-6」(2009年)以来、実に4ヶ月振りの大型新作映画リリース!ヒンディー語映画界最大のコングロマリット、ヤシュラージ・フィルムス制作の「New York」が本日(2009年6月26日)公開となった。題名やポスターを見ると、「Kal Ho Naa Ho」(2003年)や「Kabhi Alvida Naa Kehna」(2006年)などと同じ雰囲気のニューヨークを舞台にしたNRI映画に見えるが、基本的にロマンス映画であったそれらとこの新作が大きく異なるのは、911事件後に在米南アジア人が被った差別というシリアスなテーマに挑戦していることだ。同様のテーマを扱った作品には、「Yun Hota Toh Kya Hota」(2006年)や「Hope and a Little Sugar」(2006年)、また、パーキスターン映画になるが、「Khuda Kay Liye」(2007年)などが挙げられるが、ヒンディー語のメインストリーム映画でポスト911を中心に据えたのは初のことであろう。

監督:カビール・カーン
制作:アーディティヤ・チョープラー
音楽:プリータム
歌詞:サンディープ・シュリーワースタヴァ
出演:ジョン・アブラハム、カトリーナ・カイフ、ニール・ニティン・ムケーシュ、イルファーン・カーンなど
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞、満席。

 米国在住のインド人オマル(ニール・ニティン・ムケーシュ)は、ある日突然テロリストの容疑をかけられてFBIに連行され、南アジア系捜査官ローシャン(イルファーン・カーン)によって取り調べを受ける。FBIのターゲットは、オマルの大学時代の親友サミール、通称サム(ジョン・アブラハム)であった。ローシャンの話によると、サムはテロリストグループを率いているとのことであった。だが、オマルはサムがそのようなことをする人物だとは信じられなかったし、そもそも大学卒業以来サムと連絡を取ったことすらなかった。オマルはサムとの出会いを語り出す。

 オマルが故郷デリーからニューヨークにやって来たのは1999年のことであった。奨学金を支給され、初めての海外がニューヨーク州立大学への留学だった。そこでオマルはサム、そしてマーヤー(カトリーナ・カイフ)と出会う。米国で生まれ育ったサムは大学の人気者で、とにかく目立ちたがり屋な性格であった。マーヤーはインド生まれだったが幼少時に両親と共に米国へ移住して来ていた。3人はすぐに仲良くなり、大学生活の2年間はあっと言う間に過ぎ去った。オマルはマーヤーに恋していたが、彼女にその想いを伝えることはできなかった。

 大学卒業の日、オマルはとある事件から、マーヤーがサムを愛していることを知ってしまう。ショックを受けたオマルは土壇場で彼女に想いを伝えようとするが、そのときちょうど911事件が発生する。そのままオマルは大学を去り、フィラデルフィアへ去って行ってしまった。以降、サムやマーヤーとは連絡が途絶えていた。

 以上がオマルの話であった。それを聞いたローシャンはオマルにひとつの提案をする。それは、FBIのスパイとなってサムの様子を探るというものであった。当初オマルは友情を裏切ることを潔しとせず、それを断るが、後に、サムと自分の無実を証明するためにその仕事を引き受ける。

 サムとマーヤーは結婚し、二人の間にはダーニヤールという男の子も生まれていた。オマルはまず偶然を装ってマーヤーと再会し、二人の家に居候するようになる。サムとマーヤーの家庭はごく普通で、オマルにはサムがテロリストだとは思えなかった。だが、最終的にサムは自分からテロリストグループを率いていることを告白し、彼を仲間に引き入れる。サムは、なぜテロリストになったかを語り出す。

 911事件の後、サムはワールドトレードセンターの写真を撮っていたことと、事件前後に航空券のチケットを購入したことから、テロリストの容疑をかけられ、留置所に入られて連日拷問を受けた。9ヶ月後に証拠不十分から釈放されたが、拷問がトラウマとなって通常の生活に戻れなかった。だが、マーヤーは彼を温かく迎え入れ、彼女の方から結婚を申し出る。二人は結婚する。サムは職探しに奔走したが、なかなか採用されなかった。そんな中、留置所で出会った人物から聞いた言葉を思い出し、ブルックリンのとあるパン屋を訪れる。そこでアラブ人テロリストグループと接触を持ち、テロの道へと入って行く。

 サムはテロリストになったことをマーヤーに伝えようと思っていたが、ちょうどそのとき彼女が妊娠したことが分かり、このことは家族には内緒にすることを決める。サムは表向きビルの清掃業を営みながら、裏でテロを計画する二重生活を送っていた。一方、マーヤーは人権団体に所属し、不当な拘禁を受けた人々のケアを担当していた。

 サムは携帯電話爆弾を使った爆破テロを計画していた。だが、いつどこでテロを起こすかは誰にも話さなかった。そんな中、マーヤーが担当していた被害者が警官を殺し、自殺するという事件が発生する。それをきっかけにサムはテロ計画を延期する。また、マーヤーは偶然オマルがFBIのスパイであることを知ってしまう。オマルは彼女に真実を話す。実はマーヤーもサムがテロリストであることに勘付いていたが、いつか現実の世界に戻って来てくれることを信じ、知らない振りをしていたのだった。オマルはマーヤーをローシャンに紹介し、サムがテロを起こさないように協力することを約束させる。

 ところが、サムはテロ計画を諦めていなかった。マーヤーがFBI本部でローシャンと会っている間、サムはFBI本部そのものに爆弾を仕掛けていた。オマルはそのことを知ると、ローシャンに連絡し、ビルから人々を脱出させる。また、オマルは爆弾を起爆させようとするサムを止め、自分がFBIのスパイであること、そしてマーヤーがこのビルにいることを伝える。既にスナイパーが待機しており、サムに標準が合わせられていた。そこへマーヤーも駆けつける。サムはオマルの裏切りに失望しながら、爆弾の起動装置を手放す。その瞬間、サムは銃撃される。同時に、駆け寄ろうとしたマーヤーにも銃弾が浴びせられる。その場で二人は絶命した。

 6ヶ月後・・・。オマルはダーニヤールを引き取っていた。ダーニヤールは子供野球の試合に出場し、大活躍をしていた。そこへローシャンが訪れる。オマルはローシャンの仕打ちに腹を立てており、話そうとしなかった。だが、911事件後に生まれた世代のために、差別のない自由な社会を作って行かなければならないというローシャンの言葉に、彼も少し心を動かされる。

 911事件後、FBIが過剰で差別的な捜査を行い、その結果多くの南アジア人、特にイスラーム教徒が不当に拘禁され、過酷な拷問を受けた。拷問を受けた人々は心に大きなトラウマを抱えることになり、通常の生活に戻るのは困難であった。それを克服するためにある者は米国に対して報復的なテロを計画することになった。つまり、本当のテロリストになってしまった。映画の表向きの主題は、疑心暗鬼がさらにテロリストを生むこの負のサイクルであった。映画の最後でも、911事件後におよそ1,200人の外国人が不当に拘束された旨が説明されており、この映画が完全なるフィクションではないことが提示されていた。

 だが、決して南アジア人の視点から米国を糾弾するだけの作品ではなかった。南アジア系FBI捜査官ローシャンは、主人公オマルに対し、また同時に観客に対し、「イスラーム教徒のテロリスト容疑者の捜査のために、イスラーム教徒である私が担当者に任命されることが、米国の素晴らしいところだ」、「イスラーム教徒への疑いを晴らすには、我々イスラーム教徒がテロを防がなければならない」、「誰にでも、どの国にも間違いはある。だが、米国の素晴らしいところは、テロリストの息子をこうやって受け容れるところだ」など、全く逆の視点を提示しており、それがこの映画の真のメッセージとなっていた。よって、結局米国を礼賛する内容になっていた。それは「Khuda Kay Liye」にも部分的に共通するメッセージである。インド映画は通常インドを賞賛する内容が多いのだが、「New York」ではインドはほとんど関係ない上に、むしろ米国の寛容性を賞賛する傾向の方が強く、少し奇妙にも思えた。

 インド映画の中で必ずと言っていいほど描かれる家族の描写も、この映画では皆無であった。もちろん、サムとマーヤーの家庭は描かれていたが、サム、マーヤー、オマルの実家が描かれることはなかった。マーヤーの母親や、デリーのラージパトナガルに住むオマルの家族のことは、台詞の中で触れられていただけである。海外のインド人社会を舞台にしたNRI映画ではたまにそういう傾向があることは否めないが、それも「New York」がインド映画の典型から外れている点だと言える。

 この映画で重要な要素は主人公のオマルとサムがイスラーム教徒であるという点である。だが、不思議なことに「New York」では「イスラーム」や「ムスリム」と言った言葉が出て来ず、「マズハブ(宗教)」という言葉のみがそれを象徴していた。おそらく監督が神経を使ったのであろうが、重要な点なのでもう少しはっきりさせても良かったのではないかと思う。

 また、贅沢を言ってしまえば、数ヶ月に渡る新作不足を打ち破る大作だったため、できることならもう少し気楽に見られる映画であって欲しかった。拷問のシーンや、悲しいラストなどは、観客の心をかなりヘビーにさせた。だが、それでも「New York」は今年の名作の1本に数えられる出来であることには違いない。

 この映画の最大のサプライズはカトリーナ・カイフである。今や人気ナンバー1の彼女であるが、カトリーナが今まで演じて来たのはほとんどただかわいいだけのヒロイン役で、演技力が要求されるようなことは皆無に近かった。彼女自身も意図的にそういう役を楽しんで演じている感じで、それが彼女の人気の最大の秘密だと思っている。売れて来ると急に演技派ぶってファンをガッカリさせる女優は多い。今回もカトリーナはそういう感じなのではないかと勝手に思っていたが、意外や意外、彼女はシリアスな役を真剣に演じていた。はっきり言って、現時点で彼女がここまでハイレベルの演技をこなすことができるとは思っていなかった。微妙な表情を適宜使い分けている部分がいくつかあったし、凄惨な死のシーンまで演じていた。それでいて、今までの彼女のトレードマークであったキュートな魅力も存分に発揮されており、結果として「New York」はカトリーナの潜在能力をかなり引き出す映画になっていた。

 しかし、他のキャストも劣っていない。まずはニール・ニティン・ムケーシュ。まだデビューしたての彼にとって、ジョン・アブラハムとカトリーナ・カイフという若手スターとの共演は力不足と思っていたが、実際に二人の間の強い絆の前に屈服する憐れな役だったので問題はなかった。彼特有の青白くおどおどした表情もオマルのキャラクター作りに一役買っており、キャスティングの妙であった。祖父ムケーシュ譲りの(?)歌声も披露していた。ジョン・アブラハムもカリスマ性たっぷりにテロリスト、サムを演じていた。拷問シーンでは彼が全裸で狭い独房に閉じ込められているシーンが見られる。個性派の名優イルファーン・カーンも言うまでもなく素晴らしかった。

 音楽はプリータム。ストーリー中心の映画で、ダンスシーンは存在しなかったが、BGMとして楽曲が流れ、映画を盛り上げていた。古き良き大学時代を象徴する「Hai Junoon」が名曲である。

 米国が舞台のため、台詞の中には英語が多い。重要な英語の台詞にはヒンディー語字幕が付いていた。だが、この映画は英語も理解する都市在住マルチプレックス層向けで、いくら字幕を付けようとも地方ではヒットしないだろう。

 「New York」は、一見するとニューヨークを舞台にした青春ロマンス映画に見えるが、911事件後の米国在住インド系米国人やインド人が被ったトラブルやテロリズムを扱っており、全体の雰囲気はかなりヘビーである。よって、通常の娯楽映画を求める層には適さないかもしれない。だが、今年公開の映画の中では完成度の高いメインストリーム映画であり、一見に値する。