Love Story 2050

1.5

 「Koi… Mil Gaya」(2003年)は、インド版「E.T.」とでも言うべき映画で、ヒンディー語映画初のSF映画であった。SF映画をインド映画風にアレンジしたらどんなゲテモノになるかと恐れていたが、案外宇宙人モノの映画とインド映画は相性がよく、「Koi… Mil Gaya」は大ヒット作となった。その後、超能力映画「Rudraksh」(2004年)、スーパーヒーロー映画「Krrish」(2006年)などが公開され、ヒンディー語映画界にSF映画というジャンルが定着して来た。そして2008年7月4日、遂にインド版「タイムマシン」が公開された。題名は「Love Story 2050」。その名の通り、2050年の未来への旅行をテーマにしている。SFの定番であるタイムマシンを、インド人はどのように味付けしたのだろうか?今年の期待作の一本である。

監督:ハリー・バウェージャー
制作:パンミー・バウェージャー
音楽:アヌ・マリク
歌詞:ジャーヴェード・アクタル
振付:レモ、アハマド・カーン、ヴァイバヴィー・マーチャント
衣装:プージャー・サリーン、ティヤー・ボーマンベヘラーム
出演:ハルマン・バウェージャー(新人)、プリヤンカー・チョープラー、ボーマン・イーラーニー、アルチャナー・プーラン・スィン、ダリープ・ターヒル(特別出演)、アマン(子役)、ルシター(子役)
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。

 シドニー在住のカラン(ハルマン・バウェージャー)は母親を失って以来、仕事のことしか頭にない厳格な父親(ダリープ・ターヒル)に育てられ、孤独を感じていた。その孤独を満たすため、カランは危険なスポーツに興じていた。あるとき、カランはサナー(プリヤンカー・チョープラー)という女の子と出会い、一目惚れする。カランの必死のアプローチにサナーも心を許すようになり、紆余曲折を経て二人は恋仲となる。サナーの母親(アルチャナー・プーラン・スィン)や、弟のラーフル(アマン)、ティヤー(ルシター)もカランのことを気に入る。

 ところでカランにはヤティンダル・カンナー(ボーマン・イーラーニー)という科学者の叔父がいた。ヤティンダル博士は過去15年間タイムマシンの開発に没頭していた。ヤティンダルの家を訪れたカランとサナーは、冗談半分でタイムマシンを動かそうとする。サナーは2050年のムンバイーを行き先として選んだが、タイムマシンは動かなかった。まだ完成していなかったのである。

 ところがある夜、サナーは交通事故で命を失ってしまう。大事な人を失ったカランは落ち込んでしまう。だが、そのときヤティンダルはタイムマシンを完成させた。ヤティンダルはカランと共に過去へ行ってサナーを連れて来ることを提案する。カランは半信半疑ながらヤティンダルと共に過去へ行こうとする。ところがタイムマシンの行き先は、サナーが設定した2050年ムンバイーになっていた。カランは、何かの運命を感じ、そのまま未来へ行くことにする。タイムマシンのスイッチが押された。

 カランとヤティンダルは2050年のムンバイーへやって来た。ラーフルとティヤーも黙って二人に付いて来てしまったので、四人が未来へタイムスリップすることになった。2050年のムンバイーは高層ビルが建ち並ぶ大都会となっており、空中を自動車が飛び交っていた。カランは倉庫でQTという女性型ロボットを見つけ、ヤティンダルに修理してもらう。QTは彼らの道案内人になる。カランたちは、30日以内に元の世界に戻らなければならなかった。

 カランは、2050年の世界でトップスターとして君臨するザイシャー(プリヤンカー・チョープラー)という女性歌手がサナーとそっくりであることを発見する。カランはザイシャーとコンタクトを取ることを試みる。ザイシャーもカランに何かを感じる。二人は出会いを重ねるごとに親しくなって行く。カランの直感通り、ザイシャーはサナーの生まれ変わりであった。だが、マネージャーのマナーはカランを仕事の支障と考えていた。また、未来人には各々IDが登録されていたが、カランは偽のIDを埋め込んでいた。カランのIDが偽物であることが分かり、ザイシャーはカランの素性を疑い始める。だが、カランはサナーを求めて未来までやって来たと話し、何とか信じてもらおうとする。ザイシャーは混乱するが、カランが落として行ったサナーの日記を読み、彼を信じる気になる。

 ところで、2050年の世界はドクター・ホーシーという不気味な科学者によって裏から支配されていた。ドクター・ホーシーは、タイムマシンを開発したヤティンダルの助手であったが、ヤティンダルが死に、タイムマシンが破壊されてしまったため、タイムマシンの開発も頓挫してしまった。彼だけではタイムマシンをもう一度作ることはできなかった。そこでドクター・ホーシーは、ヤティンダルとカランが2050年にタイムトリップして来たときにタイムマシンを手中に収めようと待ち構えていたのである。ドクター・ホーシーはまず、ヤティンダルとカランを捕まえようとする。

 ヤティンダルはドクター・ホーシーに捕らえられてしまった。それを知ったカランはドクター・ホーシーの要塞に救出に向かう。カランそっくりのサイボーグが迎え撃つが、カランはそれを撃退し、ヤティンダルを救出する。そしてドクター・ホーシーをビルから落とし、ザイシャーの家へ向かう。ザイシャーはカランと一緒に過去の世界へ行くことを決める。カランはザイシャーを飛行バイクの裏に乗せてタイムマシンへ向かうが、ドクター・ホーシーが尾行していた。カランは追っ手を振り切り、ドクター・ホーシーを爆死させ、ヤティンダル、ラーフル、ティヤー、そしてQTとザイシャーと共にタイムマシンに乗って、2008年に戻って来る。

 前半は単なるボーイ・ミーツ・ガール的な展開で頭を掻きむしりたくなるほど退屈だが、2050年のムンバイーが舞台になる後半はある程度楽しい。だが、いろいろな点で詰めの甘い部分が散見され、お粗末な内容となってしまっている。インド版「タイムマシン」を作るという着想までは非常に野心的で賞賛に値するが、その実現過程においていくつもの失敗をしており、結果的にとんでもない駄作となっていた。とても残念である。

 アイデアの段階でひとつ面白かったのは、タイムトリップにインドならではの輪廻転生の概念がミックスされていたことである。不慮の死を遂げた恋人サナーを復活させるために主人公カランはタイムマシンを利用するのだが、過去のサナーが生きている時点まで戻るのではなく、未来の世界のサナーの生まれ変わりを現在に連れて来ようとするところで、インド特有のユニークな展開となっていた。一見荒唐無稽なストーリーだが、一応伏線は敷かれていた。科学者と同時に占星術師でもあるヤティンダル・カンナーが、「思いを遂げられずに死んだ人は、来世で全く同じ顔で生まれ変わる」と語る場面があり、交通事故で死んだサナーが、2050年の世界で全く同じ顔で生まれ変わって生きていることへの説明がそれでなされていた。また、サナーがタイムマシンの行き先をロックしてしまったため、未来にしか行けなくなってしまったことも一応説明されていた。しかし、それらをひっくるめても、死んだ恋人を再び手に入れるために未来へ行くのは普通に考えたら回りくどすぎる手段で、なかなか咀嚼できない。しかも、未来の世界で生まれ育ったザイシャー(サナーの生まれ変わり)がホイホイと2008年にやって来てしまうのは、いくらカランのことを愛していたとしても、なかなかあり得ることではない。正常な思考力を持った観客なら、「なんだこりゃ」の一言でも言いたくなる終わり方であった。

 インド人ならではの未来観が見られるのはプラスポイントであろう。とは言え、全体的な未来像は、ハリウッドで描写されるものとそれほど大差はない。超高層ビル群、空飛ぶ自動車、ロボット、立体映像、バーチャル・ゲームマシンなどなど。だが、ロボットのパーン屋があったり、ロボットの蛇を操る蛇遣いがいたりして、未来でもインドがインドっぽさを失っていないことをアピールしていた。このような未来的インドをもっと前面に押し出せたら、少し違った映画になっていたかもしれない。また、未来の世界へ来ても子供たちがすっかりくつろいでしまっていたりしており、インド人の脳天気さがよく現れていた。

 2050年のムンバイーをスクリーン上で再現するための技術的な努力はよく行われていたと思う。CGやセットのレベルは決して低くなかった。女性型ロボットQTのデザインは変だったが、愛嬌があってよかった。プリヤンカーの友人の熊型ロボット「ブー」もいい味を出していた。

 主演のハルマン・バウェージャーは本作がデビュー作。「Love Story 2050」の監督ハリー・バウェージャーと、プロデューサーのパンミー・バウェージャー夫妻の子供であり、この映画は完全にバウェージャー一家の作品となっている。ハルマンは、リティク・ローシャンの偽物みたいな外見とダンススタイルで、オリジナリティーが感じられなかったが、今後の出演作次第では中堅くらいの俳優になれるだろう。

 プリヤンカー・チョープラーはそのサイボーグ的美貌のためかSF映画ともっとも相性のいい女優であり、インド映画版「タイムマシン」でも当然のごとくヒロインの座をゲット。彼女の最高の演技ではなかったが、まずまずの活躍を見せていた。ちなみに現在ハルマンとプリヤンカーはこの映画での共演がきっかけで付き合っているようだ。

 音楽はアヌ・マリク。しかし耳に残る曲はない。未来を舞台にした映画なのでもっと未来っぽい音楽にすべきだったのではないかと思う。

 「Love Story 2050」は、インド版「タイムマシン」という野心的SF映画である。技術的な面では努力が感じられたが、脚本に難があり、駄作と言っても差し支えのない作品になっていた。ただ、子供向け映画として考えれば、荒唐無稽な展開も一定の評価ができそうだ。