Jannat

3.5

 インド映画は伝統的に必ずハッピーエンドで終わると言われているが、それは100%正解とは言えない。元々アンハッピーエンドの映画は作られて来たし、最近は特に、悲しさ、狂おしさ、どうしようもなさをエンディングに持って来た、胸を締め付けられるような映画も十分観客に受け入れられるようになって来た。それはただのアンハッピーエンドではない。アンハッピーエンドの映画なら、「Devdas」(2002年)など、ちょっと古風な悲劇を挙げることができるが、それとは全く違った狂おしさのある映画がヒンディー語映画界の一種のトレンドになりつつある。近年では「Gangster」(2006年)がその代表例である。そして本日(2008年5月16日)公開の「Jannat」も、狂おし系映画の一種であった。表向きのテーマはクリケットの八百長。だが、真のテーマは、命を懸けた狂おしい恋愛である。

監督:クナール・デーシュムク
制作:ムケーシュ・バット
音楽:プリータム
歌詞:サイード・カードリー
出演:イムラーン・ハーシュミー、ソーナル・チャウハーン(新人)、ジャーヴェード・シェークなど
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。満席。

 アルジュン(イムラーン・ハーシュミー)は、嘘とはったりと度胸だけ人一倍ある男で、トランプ賭博で一獲千金を狙うが、最後で失敗し、多額の借金を抱えてしまう。その金は、パテールというマフィアのもので、アルジュンは親友のヴィシャールと共に命の危険にさらされていた。だが、アルジュンは2つの理由から自信を持っていた。

 ひとつは自分の「姫」を見つけたこと。アルジュンはある日偶然、ゾーヤー(ソーナル・チャウハーン)という女の子と出会い、一目惚れしていた。コールセンターで働くゾーヤーは、アルジュンに冷淡な態度を取るが、それでもアルジュンは諦めなかった。アルジュンは、パテールに返すはずの金を使って、ゾーヤーが欲しがっていたダイヤモンドの指輪を購入し、彼女にプレゼントしようとする。だが、ゾーヤーはそれを受け取ろうとしなかった。アルジュンは、いつか彼女が受け取ってくれるときが来ると思い、以後その指輪を持ち歩いていた。

 もうひとつは、自分の隠れた才能に気付いたこと。アルジュンはクリケットの試合の動向を読む能力に優れており、それを使って一儲けできそうな気分になっていた。金を取り立てに来たパテールに対し、アルジュンは死ぬ前の最後の望みと称して、クリケット賭博をする。見事百発百中の勘を発揮し、パテールに借りた額の金を一瞬にして手にしただけでなく、ゾーヤーを口説くため、自動車を購入する金まで稼いだ。これを機に、アルジュンはクリケット賭博師に転向する。

 ゾーヤーは、必死に愛を表現するアルジュンに次第に心を許すようになり、やがて2人は相思相愛の仲になる。だが、ゾーヤーはアルジュンがどんな仕事をしているのか詳しく知らなかった。アルジュンの父親は、アルジュンが子供の頃から嘘を付くことに長けていたとゾーヤーに話し、注意を喚起する。ゾーヤーは不安になりながらも、アルジュンを信じることにする。

 クリケット賭博師アルジュンの噂は南アフリカ共和国まで届いていた。南アを拠点として世界の武器密輸を牛耳るアブー・イブラーヒーム(ジャーヴェード・シェーク)はアルジュンを南アに呼び寄せ、マッチフィクサー(八百長試合調停者)として採用する。アルジュンは選手を買収し、アブーが最大限利益を上げられるように自在に試合を操った。また、アルジュンはゾーヤーを南アに呼び寄せ、一緒に生活し始める。

 だが、二人の生活は幸せなものではなかった。アルジュンは家にほとんど帰って来ず、ゾーヤーは孤独な毎日を過ごした。また、ある日ヴィシャール・マロートラー警視監がゾーヤーを訪ねて来た。マロートラー警視監はアルジュンを昔から知っており、マッチフィクサーとして暗躍していることを突き止めていた。マロートラー警視監からアルジュンの本当の仕事を知ったゾーヤーは、アルジュンをわざとおびき出して警察に逮捕させる。ゾーヤーに裏切られたアルジュンはショックを受ける。

 アブーの力によってアルジュンはすぐに刑務所から出て来たが、彼はアブーの仕事そっちのけでゾーヤーを探し始める。しばらくアルジュンはゾーヤーを見つけられないでいたが、たまたま立ち寄ったダンスバーでゾーヤーはダンサーをして生活費を稼いでいた。アルジュンはゾーヤーの裏切りを責めるが、ゾーヤーはアルジュンに、彼を愛しているからこそ、彼に真っ当な道を歩んで欲しかったからこそ、逮捕に協力したのだと説明する。ゾーヤーのことを愛していたアルジュンは、彼女の言葉に従ってマッチフィクサーの仕事を辞め、堅気の仕事を始める。だが、一度一獲千金の味を知ってしまったアルジュンは、クリケットの試合を見るたびにうずうずしていた。一方、ゾーヤーは妊娠していた。

 その頃、南アではクリケットのワールドカップが開催されようとしていた。アブーにとって大金を手にするチャンスであった。アブーはアルジュンに接近し、最後に一仕事をするように説得する。アルジュンもそれを受け入れる。だが、それを知ったゾーヤーはアルジュンを突き放してしまう。

 試合の日。アルジュンは某国代表の主将と密談し、マッチフィックスを行う。だが、現場を監督に見られてしまう。もみ合いの末、監督は暴発した銃によって死んでしまう。すぐにマロートラー警視監率いる警察が駆けつけるが、アルジュンは隙を見て逃げ出す。

 親友ヴィシャールの助けを得て何とか警察を振り切ったアルジュンは、ゾーラーを呼び出す。ゾーラーはテレビで監督が殺されたことを知り、アルジュンがやったのではないかと恐れる。だが、アルジュンはそれを否定し、一緒に逃げようと言う。ところが二人は警察に囲まれてしまう。アルジュンは投降することを決め、持っていた銃を捨てるが、そのときポケットに入れておいた指輪を落としてしまう。指輪を拾おうとしたところ、銃を拾おうとしたと勘違いされ、警察から集中射撃を受け、絶命してしまう。だが、そのときやっとゾーヤーはアルジュンから指輪を受け取ったのだった。

 狂おし系のインド映画を理解するには、インド人の恋愛観を理解しなければならない。大半のインド人にとって、恋愛は一生に一度の出来事である。「失恋の数だけ強くなれる」とか「また新たな春が来る」とか、そういう考えはない。一度恋に落ちたら、それを何とか成就させるか、一生引きずって生きるか、それとも死を選ぶしかない。生きるか死ぬかの恋愛を理解しなければ、「Jannat」の狂おしさはもしかしたら理解できないかもしれない。だが、それを理解する人は、この映画を低く評価することはできないだろう。きっと大半のインド人観客にも受け入れられる作品となると思う。ちょうどクリケットが盛り上がっている時期に公開されたのも好材料となりそうだ。

 「Jannat」で扱われていたのは、クリケットのマッチフィックシング。裏社会ではクリケットの試合や各選手の成績をネタに賭博が行われており、賭博を牛耳るマフィアは儲けを最大にするために試合操作も行おうとする。俗に「紳士のスポーツ」と言われるクリケットだが、昔から選手の買収や八百長試合が度々問題になる。買収疑惑によって永久追放された選手もいる。だが、それが映画で本格的に描かれたのはおそらく初めてであろう。

 クリケットチームの監督が死んでしまう下りは、2008年に西インド諸島で開催されたクリケット・ワールドカップにおける、パーキスターン代表ボブ・ウーマー監督の変死がモデルになっている。ボブ・ウーマー監督はクリケットのマッチフィックス撲滅に尽力していた人物で、それに関連した事件に巻き込まれて殺されたのではないかと噂されていた(真相は不明)。クリケットのマッチフィクサーを主人公に据えた「Jannat」の着想は、この事件にあったようである。

 だが、それらは映画の外装に過ぎない。中身はやっぱり男女の恋愛がメインであった。そして特に「Jannat」で強調されていたのは、金と愛に対する男女の考え方の違いだった。主人公のアルジュンは、まずはとことんヒロインのゾーラーにアタックする。だが、ゾーラーは貧乏なアルジュンに見向きもしない。この時点で金にこだわっていたのはむしろゾーラーの方だった。例えそれが冗談であったとしても、「車を持っていなければデートしてあげない」というニュアンスの言い方をされたら、男は何が何でも車を手に入れようとする。元々賭博癖のあったアルジュンだったが、愛しい人の愛を手に入れるためにますますギャンブルに精を出す。結局その中で、アルジュンはマッチフィクサーとしての才能を開花させる。ゾーラーもやっとアルジュンに心を開く。だが、一度相思相愛になってからは、2人の間ですれ違いが生まれる。ゾーラーはまず、自分をほったらかしにして仕事に没頭するアルジュンの姿に不満を持つ。そして、アルジュンの本当の仕事を知ってからは、いくら大金が手に入っても、悪いことに手を染めて得た金は使えないと主張し、彼にマッチフィックシングの仕事を辞めさせようとする。一方、アルジュンは、欲しいものを買ってもらえなかった自分の幼年時代のトラウマから、ゾーラーや生まれてくる子供に、お金の不足をひと時も感じさせたくなかった。ゾーラーも子供も、何でも欲しいものを買えるような強靭な経済力を築き上げたかった。それがアルジュンの夢であり、愛であった。また、例え自分の仕事が法律に触れていようと、死の商人の手助けをしていようと、自分がもっとも得意なことをして金を稼ぐことの方が彼にとって重要だった。結局アルジュンは一度足を洗ったマッチフィックスに戻ってトラブルに巻き込まれ、命を落としてしまう。ゾーラーの愛はアルジュンを救うことはできなかったし、アルジュンの愛はゾーラーと生まれてくる子供を幸せにすることはできなかった。題名の「Jannat(天国)」を使って表現するならば、男と女の思い描く「天国」の違いが生んだ悲劇と言えるだろう。

 だが、映画の最後に、アルジュンの死から数年後のシーンが出て来た。それは、ゾーラーと子供がスーパーで買い物をするシーンだった。子供は我がままを言って玩具を買ってもらおうとするが、レジでゾーラーの所持金が足りないことが分かる。そのとき子供は、自ら玩具を諦め、母親に配慮する。アルジュンが願ったように、お金に困ることのない家庭は築けなかったが、子供は我慢を知る立派な子に育っていたのだった。主人公の死によるアンハッピーエンディングだったものの、この最後の1シーンのおかげで、悲しみの中にも救いのある余韻が生まれていた。

 アルジュンのポケットにずっと入ったままになっていた指輪も、映画のひとつの重要なキーとなっていた。アルジュンが初めてゾーラーに出会ったとき、彼女はショッピングモールのショーウィンドウで指輪を物欲しげに眺めていた。アルジュンはその指輪を何とか手に入れ、彼女に渡そうとするが、ゾーラーは受け取ろうとしない。その後も何度か指輪を渡そうとしたシーンがあったが、その都度指輪はアルジュンの手元に残ってしまう。だが、最後、アルジュンが警察から集中砲火を浴びて絶命するとき、ゾーラーは初めて彼の手から指輪を受け取る。命を懸けた愛がダイヤモンドの指輪に象徴されていた。

 現代のヒンディー語映画において、狂おしき恋愛の主、破滅的恋愛の主を演じさせたら、イムラーン・ハーシュミーの右に出る者はいない。イムラーンは愛のために笑って死を受け入れるタイプの男を演じるのに長けており、それがインド人のハートをガッチリと掴んでいるようである。90年代にシャールク・カーンは恋に狂った気味の悪いストーカー男を演じて一躍有名になったが、イムラーンは、それとはまた違った21世紀のストーカーである。一途だがスマートで、強引だが母性本能をくすぐる不思議な魅力に溢れた男として、ヒンディー語映画界において異色の存在感を放っている。「Jannat」のイムラーンは今までで彼の演じて来たキャラクターの集大成であり、ベストの演技だと言っていいだろう。

 ヒロインのゾーラーを演じたソーナル・チャウハーンは、本作がデビュー作。ミス・インディアの候補者であり、2005年にはミス・ワールド・ツーリズムの栄冠に輝いた。モデルとして活躍していたが、「Jannat」で映画デビュー。「連続キス魔」イムラーンと共演したため、キスシーンも披露している。女優のオーラは感じないが、悪くない演技をしていた。

 イムラーン・ハーシュミーの映画は、映画音楽がヒットするというジンクスがある。「Jannat」の音楽も現在ヒットチャートの上位にある。音楽監督はプリータム。映画の雰囲気に合わせて狂おしさを前面に押し出した音作りで、特に「Zara Sa」や「Jannat Jahan」が素晴らしい。

 最近、インドとパーキスターンの間で映画を通した信頼醸成措置が進んでいるが、その一環として「Jannat」のプレミア上映がパーキスターンで行われた。プロデューサーのムケーシュ・バットや、その兄弟のマヘーシュ・バットは昔からパーキスターンの映画界や音楽界と太いパイプを持っており、ヒンディー語映画界の中で印パ映画・音楽交流にもっとも積極的である。そのひとつの理由は彼らの家庭環境にありそうだ。ムケーシュ&マヘーシュの父親はヒンドゥー教徒、母親はイスラーム教徒である。

 「Jannat」は、インド人の恋愛の究極の形をよく表現した映画になっており、胸を締め付けられるような余韻が得られる傑作になっている。インド映画の新しい潮流を体験したかったらお勧めだ。クリケットのマッチフィックシングという問題にも踏み込んでおり、それだけでも興味深い。折りしも、新発足のクリケットリーグ、インディアンプレミアリーグ(IPL)が開催中であり、インド人の間でクリケット熱が高まっているときなので、タイミングもいい。今年3月に公開された「Race」(2008年)以来のヒット作になりそうな予感である。