Salakhain (Pakistan)

1.5

 先日、43年振りにパーキスターン映画「Khuda Kay Liye」(2007年)がインドで公開された。脚本が綿密に練り込まれていた上に、現代の国際社会におけるイスラーム教の意味について考えさせられ、素晴らしい作品だと感じた。パーキスターン映画に対する関心も自然に高まった。そう思っていたら、早くも第2弾のパーキスターン映画がインドで公開された。2004年にパーキスターンで公開され、74週連続公開されるほど大ヒットした「Salakhain」という映画である。だが、「Khuda Kay Liye」と違って「Salakhain」は完全な娯楽映画とのことだった。2001年にパーキスターンを旅行したとき、一本だけパーキスターンの娯楽映画を映画館で観たことがあるが、現在パーキスターンでどんな娯楽映画が観られているのかにも興味があったため、公開初日の2008年4月18日に早速観に行くことにした。

監督:シェヘザード・ラフィーク
制作:ハージャー・ラシード
音楽:Mアルシャド
出演:アハマド・バット、ミーラー、ザーラー・シェーフ、シャフィー・ムハンマド、ファールーク・ザミール、サージド・ハサン、サウド
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。

 ラホールの貧しい家庭に生まれ育ち、両親の期待を背負って勉学に励んでいたファイザーン(アハマド・バット)は、大学の試験会場で受験者が不正をし、監督官もそれに手を貸しているのを目撃して黙っていられなくなった。ファイザーンは告発しようとしたが周囲の受験者たちの暴行に遭い、その上試験を妨害したとされて逮捕までされてしまった。父親はファイザーンの無実を信じながらもショックのあまりに死んでしまい、母親は発狂してしまった。

 ファイザーンは牢獄で地元マフィアを束ねるズィーシャーンと出会う。ズィーシャーンは、試験不正の黒幕がザイガム(サウド)という男だということを教える。ザイガムはかつてズィーシャーンの仲間だったが、ザイガムが浮気をしたガールフレンドの顔に塩酸をかけたことで仲違いし、その後ライバル同士となった。ファイザーンは釈放されるとズィーシャーンの面倒を見る政治家の部下となり、ザイガムに対する復讐に乗り出す。ズィーシャーンのマフィアの中には、同じくザイガムに恨みを持つナターシャ(ミーラー)という女性がいた。悪徳試験官を射殺した後、ファイザーンはナターシャの家に身を隠すことになった。ファイザーンとナターシャは次第に心を通わすようになり、一生同じ道を歩むことを誓う。

 また、逮捕される前、ファイザーンは近所に住むサヴィター(ザーラー・シェーフ)という女の子と恋仲にあり、結婚を誓い合っていたが、マフィアに入ってしまったために、彼女に自分との結婚は諦めるように言う。そこでサヴィターは仕方なく親の意向に従ってお見合いをし、新任警察官僚の男と結婚する。

 ズィーシャーンとザイガムのライバルマフィア同士の抗争が激化し、ファイザーンも警察から追われる身になっていた。この抗争の中でズィーシャーンは慕っていた政治家にも裏切られて殺害されるが、ファイザーンはその後を継ぎ、ナターシャと共謀してザイガムや政治家を殺害する。

 ファイザーンとナターシャは警察から逃亡するが、この事件の担当になったのがサヴィターの夫であった。サヴィターはそれを知って現場に直行する。ファイザーンとナターシャが逃げ込んだ家には、ファイザーンの母親がいた。発狂した母親はしばらく精神病院に入院していたが、最近回復し、退院して看護婦の家に住んでいたのだった。ファイザーンと母親は束の間の再会を喜ぶが、既に建物は警察に囲まれていた。ファイザーンとナターシャは逃げ出す。ファイザーンは逃げながらも警察を指揮するサヴィターの夫を捕まえ、殺そうとするが、そこに駆けつけたサヴィターに、それが夫だと知らされる。そしてひるんだ隙に警察に撃たれてしまう。それを見たナターシャはサヴィターの夫を殺そうとするが、ナターシャはファイザーンに撃たれてしまう。こうしてファイザーンとナターシャは二人して死んでしまった。

 「Salakhain」が4年前の映画であることを差し引いても、パーキスターンの娯楽映画のレベルはインドとは比べ物にならないくらい低いと言わざるをえない。パーキスターンの娯楽産業は、映画よりもTVドラマの方が質が高いようで、映画だけを見てパーキスターンの娯楽産業全体を評価するのは早計であろう。だが、「Salakhein」はパーキスターンでロングラン・ヒットした映画であり、娯楽映画の中では最高レベルだと考えても差し支えないだろう。その「Salakhain」がこのような古めかしく低品質な映画だということは、やはりパーキスターンの娯楽映画には期待をしてはいけないと結論付けざるをえない。「Khuda Kay Liye」の完成度の高さが突然変異的なものだということも改めて認識できた。

 あらすじを簡単に言ってしまえば、悲劇のアングリー・ヤングマンが社会悪に暴力で立ち向かい、縦横無尽の活躍の後に悲壮な最期を遂げるというものだ。数十年前のヒンディー語映画で流行ったプロットとそう変わりない。途中でどんでん返しのようなものもなく、ストーリーは一直線に進んで行く。その癖、登場人物同士の関係はこれ以上にないほど複雑に、しかも凝縮されて絡み合っており、それによって無理矢理な感動を搾り出している。インド映画はしばしば「マサーラー映画」と呼ばれるが、「Salakhain」を見る限り、パーキスターン映画はマサーラーが利き過ぎである。撮影技術やカメラの性能もアマチュア以下で、台詞を話している人にピントが合っていないというレベルである。音響も最悪。こんな状態でダンスシーンが見られるものになるはずがない。アクションシーンも緊迫感に欠けるものが多い。特に銃撃戦シーンでは銃弾の命中率が低すぎて失笑せざるをえない。俳優も、一部を除いて台本棒読み役者かオーバーアクティング役者しかない。

 エンディングの解釈はとても難しい。もう一度人間関係をおさらいすると、ファイザーンとサヴィターは幼馴染みで恋仲だったが、ファイザーンがマフィアになったために結婚できなかった。サヴィターは警察官僚と結婚した一方、ファイザーンはナターシャと出会い、愛し合い、共に生きることを誓う。だが、ファイザーンとナターシャは警察に追われ、逃亡する。ファイザーンは警察官僚を殺すチャンスを得るが、ちょうどそこへ駆けつけたサヴィターに制止される。その警察官僚がサヴィターの夫だと知ったファイザーンは油断し、その隙に他の警察官たちに撃たれてしまう。それを見たナターシャは警察官僚を殺そうとするが、倒れたファイザーンが最後の力を振り絞ってナターシャを撃つ。ファイザーンは、サヴィターの夫であり、サヴィターの幸せであった彼を死なせたくなかったと同時に、ナターシャを道連れにした。「なぜ撃ったの?」と問うナターシャに対しファイザーンは、「共に生きることができないなら、せめて共に死のう」と言い、その瞬間に二人は絶命する。ファイザーンは、かつて愛した女性の幸せを守り、現在愛する女性と共に愛を全うしたと解釈すればいいのだろうか?この終わり方は、もう少し洗練すればとても斬新なものになったかもしれない。だが、それまでの展開があまりに粗末だったので、行き当たりばったりな印象が拭えなかった。

 主演はアハマド・バットはパーキスターンのトップモデルで、この映画が映画デビュー作だったようだ。モデルだけありスクリーン映えする整った顔立ちをしており、演技も問題は感じなかった。ナターシャを演じたミーラーは、ヒンディー語映画「Nazar」(2005年)などにも出演したことのある、パーキスターンの人気女優である。「Salakhain」では、ダンスを踊ったり、ファイザーンを誘惑したり、銃をぶっ放したりと大忙しだったが、基本的な演技力はある女優だと感じた。ただ、公式プロフィールでは1961年生まれのようで、アップのシーンでは年齢を感じることが多かった。もう一人のヒロイン、ザーラー・シェークは、パーキスターンでは人気の女優のようだが、彼女は大根役者としか言いようがなかった。ひとつひとつの仕草はオーバー過ぎるし、大スクリーン向きのオーラが出ている女優ではないと感じた。

 ラホールが舞台になっていたが、実際に当地でロケが行われたかは不明である。だが、市街地の路地裏を駆け抜けるチェイスシーンはなかなか迫力があった。カラーコラム山脈で撮られたと思われる雪山を背景に踊るシーンや、無数の小塔が外部に突き出す迫力ある城塞を背景に踊るシーンなど、他にも目を見張るロケーションがあった。

 言語は基本的にウルドゥー語である。とは言っても、娯楽映画であるためか、極度に難解な語彙の使用は避けられており、ヒンディー語の語彙の知識で大部分は対応できると感じた。面白かったのはコメディーシーンであった。突然パンジャービー語になるのである。どうやら、映画に限らずパーキスターンのコメディー界はパンジャービー語が主流のようで、それが映画にも影響を与えているように思えた。

 2004年にパーキスターンで公開されて大ヒットを飛ばした娯楽映画「Salakhain」は、43年振りにインドで公開されたパーキスターン映画「Khuda Kay Liye」に続き、インドで公開された。だが、完成度の高さは「Khuda Kay Liye」の足元にも及ばないし、純粋に娯楽映画として見ても、インドの娯楽映画を観た方が数倍マシというレベルである。インドにいながらパーキスターン映画を鑑賞できるようになって来たのは歓迎するが、大ヒット作がこのような状態ならば、残念ながらインドで公開するに値するパーキスターン映画は本当に数えるほどしかなさそうだ。だが、インド市場がパーキスターン映画界に対して開かれたことで、ロリウッド(ラホールを拠点とするパーキスターン映画界の別名)にいい影響が出ればと思う。おそらく「Salakhain」自体はインドでは1週間で公開が打ち切られてしまうだろうが、これらの映画交流が印パ新時代の幕開けを告げるものであって欲しい。