Khuda Kay Liye (Pakistan)

5.0

 インドとパーキスターンというと仇敵同士のイメージがあるが、二国間の文化交流は割と活発である。映画界ひとつを取ってみても、パーキスターン人俳優がインド映画に出演したり、インド人俳優がパーキスターンの映画祭に出席したりしている。1965年の第2次印パ戦争を機にインドではパーキスターン映画の上映が禁止となり、パーキスターンではインド映画の上映が禁止になったが、この点でも雪解けが進んでおり、最近ではヒンディー語映画の「Taare Zameen Par」(2007年)と「Welcome」(2007年)がパーキスターンで上映された。そして遂に、43年振りにパーキスターン映画がインドで公開されることになった。その記念すべき映画は、2007年7月20日にパーキスターンで公開され、同国映画史上最大のヒット作となったウルドゥー語映画「Khuda Kay Liye」(英語の副題は「In the Name of God」)。予算6,000万ルピー(パーキスターン・ルピー)をかけて制作され、パーキスターンで7,000万ルピー以上の興行成績を上げただけでなく、カイロ国際映画祭で特別審査員賞を受賞するなど、国際的にも高い評価を得ている。インドで43年振りに公開されるパーキスターン映画としては申し分ない。また、インド人俳優ナスィールッディーン・シャーも出演しており、それもインド公開のための好材料となっている。インドでの公開日は2008年4月4日である。

 ちなみに、2004年に「Khamosh Pani」(2003年)という映画がインドで公開された。これは一部では「パーキスターン映画」として扱われているのだが、正確にはドイツとフランスとパーキスターンの合作で、純粋なパーキスターン映画ではないようだ。

監督:ショエーブ・マンスール
制作:ショエーブ・マンスール、ジオ・フィルムス
音楽:ロハイル・ハヤート(BGM)
作詞:ショエーブ・マンスール、ブッレー・シャー、ファイザー・ムジャーヒド
出演:シャーン、ファワード・カーン、イーマーン・アリー、オースティン・セイヤー、ラリー・ニューマンJr.、ラシード・ナーズ、ナイーム・ターヒル、スィーミーン・ラヒール、フマーユーン・カーズミー、アンジェラ・ウィリアムス、アレックス・エドワーズ、ハミード・シェーフ、ルーファス・グラハム、ナジーブッラー・アンジュム、アユーブ・コーサー、ナスィールッディーン・シャー
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。

 パーキスターンのラホールに住む兄弟マンスール(シャーン)とサルマド(ファワード・ハーン)はデュオを組んで音楽の道を志していた。だが、弟のサルマドは、イスラーム教教義の厳格な遵守をイスラーム教徒の義務と考える神学者マウラーナー・ターヒリー(ラシード・ナーズ)の影響を受け、イスラーム教原理主義者になる。ターヒリーが「イスラーム教では音楽は禁止されている」と説いたため、サルマドは音楽も止めてしまう。また、サルマドは家族にもイスラーム教原理主義を強要するようになる。

 そんなとき、ロンドンから叔父(フマーユーン・カーズミー)が娘のメリー(イーマーン・アリー)と共にやって来た。メリーは英国生まれ英国育ちで、ダイヴ(アレックス・エドワーズ)という英国人のボーイフレンドがおり、結婚もしようとしていた。だが、叔父はそれを認めようとせず、娘を騙す形でパーキスターンに連れて来たのだった。実は叔父はメリーの母親の死後、英国人女性と結婚していた。既に彼女とは離婚していたものの、同棲は続いていた。彼の弁では、ムスリム男性はどの宗教の女性とでも結婚できるが、ムスリム女性はムスリム男性としか結婚できないとのことであった。叔父はメリーをマンスールかサルマドと無理矢理結婚させようとしていたのだった。

 叔父から相談を受けたサルマドは、メリーとの結婚を、ターヒリーからイスラーム教の尊厳を守るためには正しいことと言われたため、承諾する。ラホールではいろいろ面倒だったため、アフガニスタン国境近くの辺境地帯ワズィーリスターンの寒村で結婚式が挙げられることになった。メリーは父親に騙されて旅行の積もりで来たが、無理矢理サルマドと結婚させられ、そこで彼と暮らすことになる。父親は娘をそこに残してロンドンへ帰ってしまう。サルマドはメリーに無理強いはしなかったが、一度メリーが脱走しようとしたため、彼女に子供を産ませれば逃げないとの助言に従い、彼女をレイプする。やがてメリーは身ごもる。

 一方、マンスールは米国シカゴの音楽学校に音楽留学していた。そこで米国人女性ジェニー(オースティン・セイヤー)と出会い、恋に落ちる。やがて2人は結婚する。だが、2001年9月11日、同時多発テロ事件がマンスールの運命を変えてしまう。彼はテロリストとして逮捕され、FBIから執拗な拷問を受ける。ジェニーは音楽学校の仲間と共にデモを行うが、何の効果もなかった。また、アフガーン戦争が始まり、サルマドはムジャーヒディーンとして戦争に参加して初めて殺人を経験する。

 子供を産んだメリーは、密かにダイヴに手紙を送った。それまでにもダイヴはパーキスターンから帰って来ないメリーのことを心配して政府にまで相談していたが、何の手掛かりも援助も得られなかった。だが、その手紙がきっかけとなって具体的な行動が起こされることになった。英国政府がパーキスターン政府に圧力をかけたことにより、メリーはワズィーリスターンから救出され、ラホールに戻って来ることができた。だが、メリーはそのままロンドンには帰らなかった。サルマドへの復讐が残っていたのである。彼女はサルマドが自分に結婚を強制したとして裁判を起こしたのである。サルマドもターヒリーの助言に従い、メリーに対して子供の親権を巡る訴えを起こす。2つの裁判はお互いに関連性のある事件として扱われ、同時に審議されることになった。争点は、花嫁の意思に反して強行された結婚は有効か無効かという点と、無効な場合、その結婚によって産まれた子供の親権はどちらに属するかという点であった。ターヒリーは裁判所でイスラーム教とイスラーム法を落ち着き払って説教し、裁判を有利に進めた。また、イスラーム教における音楽と服装の扱いについても議論が交わされた。

 裁判が進行する中、メリーはイスラーム教に対しリベラルな考えを持つ神学者マウラーナー・ワリー(ナスィールッディーン・シャー)に会いに行く。ワリーはターヒリーの説く原理主義的教説に反論することになり、裁判所でイスラーム教の寛容性を説く。ワリーは、音楽はイスラーム教では禁じられたものではなく、外見その他も大した問題にはならないこと、女性の意思に反した結婚は「神様は好まない」ことなどを分かりやすく説明する。その影響でターヒリーとイスラーム教原理主義の洗脳から解かれたサルマドは、メリーに対する訴えを取り下げる。

 一方、拘置所で拷問の毎日を送ったマンスールは脳に損傷を受けて植物人間になってしまう。ジェニーは精神病院に彼を訪ね、変わり果てたマンスールと再会を果たす。マンスールはジェニーに対しメッセージを残しており、このような目に遭っても米国を嫌いにはならないこと、そしてイスラーム教徒を誤解しないで欲しいことを訴えていた。マンスールはパーキスターンに送還され、家族と共に暮らすことになる。再びマンスールとサルマドの家には音楽が戻って来た。

 裁判を終えたメリーは英国へ帰ろうとし、空港まで行くが、思い直し、ワズィーリスターンへ戻る。幽閉の結婚生活を送っていたとき、その村の女の子たちが教育を必要としていることを痛感していたメリーは、そこで女の子のための学校を開いたのだった。

 911事件後の国際社会におけるイスラーム教の立場について、そしてイスラーム教の真のメッセージについて、真剣に考え、そして考えさせられる素晴らしい映画だった。イスラーム教徒としてのアイデンティティーに強烈に問い掛ける映画なので、おそらくイスラーム教徒が観ることで最大限の影響力を発揮するのだろうが、日本人が観てもいろいろな発見や映画的感動があり、面白い。現在のパーキスターンの映像娯楽産業は、映画よりもTVドラマの方が盛り上がっているようで、年間の映画の制作本数はインドと比べると圧倒的に少ない。そのパーキスターン映画の中でも「Khuda Kay Liye」は突然変異的な傑作のようだが、この一本を見ただけでも、その底力を感じる。

 映画の舞台はロンドン、シカゴ、ラホールの三都市、つまり英国、米国、パーキスターンの三ヶ国にまたがっていた。そしてそれぞれの舞台でイスラーム教に関するメッセージがあった。英国の場面では、移民2世のアイデンティティー問題が扱われていた。このテーマは「American Desi」(2001年)や「Bend It Like Beckham」(2002年)を初めとして、今まで多くのインド映画が取り上げて来たものであり、珍しくはない。唯一特筆すべきだったのは、英国人女性と結婚したパーキスターン人男性が、娘が白人男性と結婚することを頑なに拒否していたことである。その理屈は、「ムスリム男性はムスリム以外の女性と結婚できるが、ムスリム女性はムスリム男性としか結婚できない」という勝手なものであった。

 シカゴの場面では、911事件後の在米パーキスターン人コミュニティーの受難の描写に重点が置かれていた。映画の中で911事件当時米国にいたマンスールは、パーキスターン人というだけで周囲の人々からテロリスト扱いされただけでなく、FBIからもテロリストと決め付けられ、アル・カーイダやウサーマ・ビン・ラーディンとの関係を詰問され、白を切っていると考えられて拷問を受ける。しかし、それは単に米国に対する批判ではなかった。マンスールは拷問の末に植物人間になってしまうが、彼が妻のジェニーに送ったメッセージの中には、「それでも米国民の一員として米国を尊重する」という在米パーキスターン人コミュニティーからのメッセージが込められていた。

 パーキスターンを舞台にした部分は、映画の核である。もっとも重要なメッセージが込められていると同時に、ロンドンとシカゴのシーンを結んで映画をひとつにまとめる要(かなめ)にもなっている。中心人物はマンスールの弟のサルマド。サルマドは兄と共にミュージシャンを目指していたが、マウラーナー・ターヒリーと出会ったことで、イスラーム教原理主義に傾倒し始める。ターヒリーはラホールの名所のひとつであるワズィール・カーン・モスクの主であり、イスラーム教原理主義の旗手であった。ターヒリーは「イスラーム教で音楽は禁じられている」としてサルマドに音楽を放棄するように求める。マンスールは弟に、「酒や博打の方が悪い。イスラーム教徒の音楽家はたくさんいる」と言うが、ターヒリーは「酒や博打の悪影響を受けるのは自分だけだが、音楽は聞いた人々全てに害を及ぼす」と言ってサルマドの心を揺さぶる。サルマドは音楽を止めただけでなく、家の壁から絵を外させ、母親にブルカーをかぶるように要求までし出す。そして、イスラーム教の名の下に、叔父が画策するメリーの強制結婚計画に加担し、ムジャーヒディーンとして戦争で殺人まで犯してしまう。

 終盤、メリーとサルマドが起こした裁判のシーンは映画のクライマックスである。裁判の主旨を端的に言えば、イスラーム教の教義と女性の人権の戦い、そしてイスラーム教の中で芸術がどこまで容認されるかという問題であった。サルマド側の証人に立ったターヒリーはイスラーム法を超える法規はないとの前提で、イスラーム教では結婚に女性の意思は関係なく、音楽も絵もイスラーム教では禁じられているとの理論を展開する。一方、メリー側の証人として、リベラルなイスラーム教神学者マウラーナー・ワリーが呼ばれ、ターヒリーの説くイスラーム教原理主義に真っ向から反対する。ワリーは、イスラーム教で音楽はタブーにはなりえないこと、預言者ムハンマドも女性の意思に反した結婚を認めなかったことなどを、分かりやすく説明し、ターヒリーを理論的に論破しただけでなく、サルマドの洗脳も解く。訴えを退けたサルマドが語った言葉は印象的だった。「私は元々、悪いイスラーム教徒ではありませんでした。酒も博打もしていませんでした。しかし、ナマーズ(祈祷文)は読んでいませんでした。それを教えてくれたのはマウラーナー・ターヒリーでした。私はそれを感謝しています。しかし、私は彼のせいで多くの犯罪をせざるをえませんでした。メリーに対してもひどいことをしてしまいました。たとえ彼女が私を許してくれても、私は自分を許すことは一生できないでしょう。」イスラーム教だけでなく、原理主義者たちが宗教の名の下に行っていることの実態をズバリ言い当てた言葉だと思う。

 これだけでもメッセージ性のある映画として完成していたと思うが、もうひとつよい余韻を残してくれたのが、メリーの「その後」であった。裁判を終え、義理の母親と共にロンドンに帰国しようとしたメリーは、何か心にしこりがあるのを感じる。メリーが思い出していたのは、無理矢理サルマドと結婚させられたとき、幽閉同然に住まわされていた家庭の少女たちであった。彼女たちはメリーに英語を勉強したいと言っていた。辺境地帯の女性たちは数々の面で抑圧を受けていたが、最大の懸念が教育であった。メリーは空港から取って返し、ワズィーリスターンへ向かって、そこで女の子向けの学校を開く。現実的な展開とは言いがたいが、映画らしい感動を与えてくれるエンディングだったことは評価したい。インドのNRI(在外インド人)物映画では、チャンスやより良い生活を求めて外国へ渡った移民1世や、生まれ育った国の文化にすっかり染まった移民2世が、インド文化の素晴らしさを再認識したり、インドに帰ったりするエンディングが多い。「Khuda Kay Liye」はパーキスターン映画であるが、メリーの存在が、NRI物映画との共通点を提示してくれている。

 インドの観客の視点で見るといくつか面白い部分があったのだが、特筆すべきはシカゴでのマンスールとジェニーの出会いのシーンであった。マンスールは「パーキスターンから来た」と自己紹介するが、ジェニーは「パーキスターンってどこ?国の名前?」と聞く。マンスールが「イラン、アフガニスタン、中国、インドに囲まれているのがパーキスターンだ」と丁寧に説明すると、ジェニーは反応してくれるが、「ああ、インドの隣の国ね。インドのタージマハルは憧れだわ!」とインドの話を始めてしまう。このシーンは911事件前という設定だったので、一般の米国人の反応そのものだったのではないかと思う。そこでマンスールは、「タージマハルは僕たちが作ったんだ。元々インドを支配していたのは僕たちだったんだ」と説明する。すると混乱したジェニーは「じゃあなぜインドに建てちゃったの?」と質問する。この辺りのやりとりが、インド人観客の反応も含めて、なかなか面白かった。パーキスターン人の苦し紛れの自尊心と歪んだ歴史認識が感じられた。だが、このシーンには一応、パーキスターン人の感情に配慮したのか、オチがある。立ち去ろうとするジェニーはマンスールに1枚のCDをプレゼントする。見てみると、それはパーキスターンの有名なカッワール、ヌスラト・ファテー・アリー・ハーンであった。ジェニーは実はパーキスターンのことを知っており、マンスールのことをからかっていただけだったのである。

 脚本も素晴らしかったが、カメラワークでも凝ったところがあり、映像で物を語るという映画の基本も押さえられていたように感じる。

 パーキスターン映画界の俳優には詳しくないのだが、「Khuda Kay Liye」に出演していた俳優たちは皆一級の演技をしていた。白人の俳優もたくさん出て来ていたが、雰囲気を損ねている人はいなかった。シャーンは「パーキスターンのシャールク・カーン」と呼ばれる人気男優・監督のようで、貫禄のある演技をしていたが、マンスールの役を演じるにはちょっと老けすぎであった。サルマドを演じたファワード・ハーンは、エンティティー・パラダイムというロックバンドのリードボーカリスト。頻繁に俳優もしているかどうかは不明だが、ハンサムで落ち着いた男優だと感じた。メリーを演じたイーマーン・アリーはパーキスターンのトップモデルかつ女優。インドの一般の女優に比べて目鼻立ちが鋭く、典型的な「美人」のカテゴリーに入るルックスだ。俳優の家系に生まれたようで、決して美しいだけでなく、演技もできる女優であった。マウラーナー・ワリー役のナスィールッディーン・シャーは得意のとぼけた演技で、映画の中でもっとも重要なメッセージを伝えるおいしい役を演じていた。他にも、叔父を演じたフマーユーン・カーズミー、マウラーナー・ターヒリーを演じたラシード・ナーズなど、優れた俳優が多数出演していた。

 また、監督のショエーブ・マンスールは、著名なTVドラマ脚本家・監督で、今回が映画監督デビュー作だったようだ。

 「Khuda Kay Liye」は音楽もいい。心地よいスーフィー・ロック「Bandya」や「Allah Hoo」、タイトルソング「Khuda Kay Liye」、ピアノの伴奏が美しい「Tiluk Kamod」など、パーキスターンのポップミュージックの魅力を十分体験できる。映画のBGMの音楽監督はロハイル・ハヤートという人物のようだが、サントラCDには挿入歌の音楽監督や作詞家が誰なのかはどこにも記されていない。パーキスターンの映画音楽界ではあまり音楽監督や作詞家に尊敬が払われていないのではないかと感じる。調べてみたところ、ハワル・ジャーヴェードという人物が大部分の曲を作曲し、ほとんどの作詞は監督のショエーブ・マンスールと、ファイザー・ムジャーヒドという人物が行ったようだ。

 言語はウルドゥー語と英語。通常の台詞の理解は、ヒンディー語と英語の知識だけで何とか付いて行けるかもしれないが、モスクや裁判所でマウラーナーたちが話す言語はかなり難解なアラビア語・ペルシア語の語彙が用いられていた。コーランやイスラーム法の解釈など、テーマがテーマだったためにそうなってしまったのかもしれない。しかし、ヒンディー語映画でもイスラーム教徒の登場人物が難解なウルドゥー語を話すことはあるが、ここまで難しい言語は今まで映画で耳にしたことはなかった。この辺りが「ウルドゥー語映画」の使用語彙のもっとも深い部分だと思われる。また、ワズィーリスターンのシーンでは現地の言葉も少しだけ出て来るし、シカゴのシーンではマンスールの隣人としてスィク教徒が登場し、コテコテのパンジャービー語を話す。

 ちなみに、インドで公開された「Khuda Kay Liye」ではいくつかカットされたシーンがあるようだ。確かに途中不自然なつぎはぎ部分がいくつかあった。だからもしかしたら上記のあらすじや評は不完全なものであるかもしれないことを注記しておく。

 「Khuda Kay liye」は、43年振りにインドで公開されたパーキスターン映画という記念碑的作品であるが、それを抜きにしても、非常に完成度の高い優れた映画だった。イスラーム教理解の手助けにもなる。必見である。