Halla Bol

4.0
Halla Bol
「Halla Bol」

 映画が娯楽の王様の地位を堅守しているインドでは、ときに映画が社会を動かすことがある。2007年の代表作「Rang De Basanti」と「Lage Raho Munna Bhai」が全インド的な社会運動を巻き起こしたことは記憶に新しい。そして面白いことに、その社会運動がまた映画界によって取り上げられ、一本の映画になる。2008年1月11日、先陣を切って公開された「Halla Bol」は、そのようなヒンディー語映画であった。

監督:ラージクマール・サントーシー
制作:アブドゥル・サーミー・スィッディーキー
音楽:スクヴィンダル・スィン
作詞:サミール、シュリー・ドゥシュヤンティ・クマール、メヘブーブ
振付:ガネーシュ・アーチャーリヤ
出演:アジャイ・デーヴガン、ヴィディヤー・バーラン、パンカジ・カプール、ダルシャン・ジャリーワーラー
特別出演:カリーナー・カプール、シュリーデーヴィー、ボニー・カプール、ジャッキー・シュロフ、トゥシャール・カプールなど
備考:サティヤム・シネプレックス・ネループレイスで鑑賞。

 とある小さな町に生まれ育ったアシュファーク・カーン(アジャイ・デーヴガン)は映画スターになることを夢見ていた。アシュファークは、ガレージを経営しながら路上劇劇団を組織していたスィッドゥー(パンカジ・カプール)の下で演技の経験を積む。スィッドゥーは元々ビハール州一帯を支配した泣く子も黙る盗賊だったが、「サティヤ・ハリシュチャンドラ」の演劇を見て感動し、警察に自首して、刑期を終えた後は劇団を立ち上げたという変わった経歴の持ち主であった。スィッドゥーは社会悪を糾弾し、民衆に「ハッラー・ボール(声を上げよ)!」と呼びかける力強い演劇を演じていた。また、アシュファークにはスネーハー(ヴィディヤー・バーラン)という恋人がいた。

 アシュファークはムンバイーへ旅立ち、そこでサミール・カーンという芸名で俳優として成功を収める。アシュファークはスネーハーと結婚し、一子をもうけ、家族をムンバイーに呼び寄せて、幸せな生活を送り始める。

 ある日、スィッドゥーがアシュファークを訪ねて来る。スィッドゥーは、権力者に陵辱されたダリト(不可触民)の女性の問題を取り上げるため、演劇上演を準備しており、アシュファークに出演を依頼する。ところが、一度成功を手にしたアシュファークは、無用な問題に巻き込まれることを嫌い、それを拒否する。スィッドゥーは怒って立ち去り、両親も息子に失望してやがて去ってしまう。また、スネーハーに浮気の現場を見られ、同居離婚の状態となる。アシュファークの手元には数々の賞が転がり込んで来るが、次第に疑問を感じ始める。

 ある晩、アシュファークが参加したパーティーで殺人事件が起こる。殺人はアシュファークの目の前で起こり、殺された女性ラクシュミー・サーニーもアシュファークの知人であった。そして、参加者は皆、銃を撃った2人の男を目撃していた。だが、全員その場に居合わせたことを否定し、証人が現れなかった。なぜならその2人の男は有力政治家ガーエクワード(ダルシャン・ジャリーワーラー)の息子だったからだ。アシュファークも口をつぐむ。

 しかし、思い直したアシュファークは警察署へ出向き、目撃者として証人になることを申し出る。その途端、アシュファークには数々の脅しや嫌がらせが降りかかるようになる。一旦は証人になるのを取りやめようとしたアシュファークであったが、被害者の妹が腎臓を売ってまで姉を殺した犯人の裁判を行わせようとしているのを知り、考えを変える。アシュファークは2人の容疑者を特定する。だが、警察もガーエクワードに買収されており、銃弾の不一致という理由で2人の容疑者は無罪となる。また、アシュファークはガーエクワードの手下に殺されそうになるが、それを救ったのがスィッドゥーであった。

 スィッドゥーは、ラクシュミー・サーニーの問題を演劇で取り上げることを決める。そしてアシュファーク、スィッドゥーや劇団員は「ハッラー・ボール」と題した演劇の宣伝を始める。だが、ガーエクワードやその一味はあの手この手を使って演劇を中止させようとする。部下のティワーリーにスィッドゥーを殺そうとして返り討ちに遭うものの、病院に搬送されたティワーリーをわざと殺し、スィッドゥーを殺人容疑で逮捕させる。だが、演劇はアシュファーク主演で強行された。その瞬間、ガーエクワードの部下たちが妨害に入り、アシュファークは袋叩きに遭って入院してしまう。

 しかし、アシュファークらの声は民衆に届いていた。民衆はラクシュミー・サーニー事件の公判やり直しを求めてデモ行進を行い、政府もそれに従わざるをえなくなる。証拠が捏造されたことも発覚し、2人の容疑者は有罪、嘘の証言をした証人たちも罰せられることになった。

 こうして、映画スターのサミール・カーン=アシュファークは、銀幕だけでなく、実世界でのヒーローとなったのだった。

 明らかに2006年12月に幕を閉じたジェシカ・ラール事件を題材にした映画である。有力者の息子がセレブリティー集うパーティーでモデルのジェシカ・ラールを射殺したジェシカ・ラール事件では、「Rang De Basanti」に影響を受けた大衆とメディアが不可解な判決に声を上げ、大衆運動を起こし、裁判のやり直しを認めさせただけでなく、一旦は無罪とされた容疑者たちに有罪判決をもたらした一大事件であった。だが、「Halla Bol」には他の多くの要素も盛り込まれており、娯楽映画としての面白さを保ちながら、観客の社会意識を高揚させる作品にまとめられていた。

 最近のヒンディー語映画の流行は、映画界の舞台裏を映画にすることだ。「Om Shanti Om」(2007年)、「Khoya Khoya Chand」(2007年)がその例である。ヒンディー語映画界でどのように映画が作られているのか、どのような人間関係が蔓延しているのか、多少誇張気味ではあるが、垣間見ることができる。その過程で、カリーナー・カプールやトゥシャール・カプールら映画スターが自分役で特別出演する。この辺りは「Om Shanti Om」とよく似ている。

 スターの苦悩が描かれていたのも興味深い。アジャイ・デーヴガン演じる主役のアシュファークは、偶然目撃してしまった殺人事件からは目をそらし、映画の中では悪を糾弾するかっこいい台詞を言う自分の行動に次第に矛盾を感じるようになって来る。

 映画でありながら、演劇の力が強調されていたのは特異な点であった。パンカジ・カプール演じるスィッドゥーは路上演劇によって社会問題を取り上げ、民衆に問題提起し続けて来た演劇人として描かれており、それが最終的には大衆運動を巻き起こして、映画の結末につながっていた。パンカジ・カプールは映画やテレビにもよく出演する演技派俳優が、おそらく本業は舞台俳優のはずである。そして演劇人としてのプライドをかけて、映画の中でスィッドゥーを演じていたように感じた。それほど彼の演技には魂がこもっていた。パンカジ・カプールの演技には絶賛を送りたい。映画は資本主義社会の申し子であり、どうしても出資者、制作者、映画館などの思惑が作品に影響を与えてしまう。よって、権力者が抑圧しようと思ったら簡単に抑圧できてしまうメディアなのである。だが、演劇なら、しかも路上でパフォーマンスを行う路上演劇なら、何の抑圧も受けず、表現したり主張したりできる。そんな主張がこの映画からは感じられた。

 そして「Halla Bol」にこめられていたのは、「もし隣人に対して不正が行われているのに目をつぶっていたら、次に不正の対象となるのはあなたである」というメッセージであった。

 このように真面目な社会派映画のテイストを存分に持ちながら、一方で、低所得層の観客に人気のスタイルの「無敵のヒーローが一人で何人もの悪者をなぎ倒す」的な勧善懲悪娯楽アクション映画のテイストも失っておらず、都市部だけでなく田舎の映画館でも受け入れられそうな予感がした。それを成功させたのはスィッドゥーの人物設定の妙である。スィッドゥーは演劇人でありながら元盗賊という都合の良いプロフィールであり、戦わせたら滅法強いのも納得させられてしまうのである。おそらくボージプリー語映画ファン層に訴えた配慮であろう。

 オマケとして、コミュナリズムへの批判もこめられていた。主人公のアシュファーク・カーンはその名前から分かる通りイスラーム教徒である。一方、ガーエクワードなどアシュファーク・カーンを妨害する勢力はヒンドゥー教徒である。おそらくインド人民党(BJP)やシヴセーナーなどがモデルになっているのであろう。妨害に遭って四面楚歌の状態に陥っているアシュファークの元にある日、イスラーム教のウラマー(法学者)と思われる人物らが訪れる。そして彼らはアシュファークに、「『私がこのような目に遭うのは私がイスラーム教徒というマイノリティーだからだ』と声を上げれば、後は我々が加勢する」と持ちかける。つまり彼らは、アシュファークの問題を、ヒンドゥー教とイスラーム教のコミュナル対立、そしてマイノリティーへの差別に発展させようと試みたのである。それを聞いたアシュファークは怒って立ち上がり、彼らに退去を求める。アシュファークは言う。「俺はインド人としてこの戦いを戦ってるんだ!宗教は関係ない!」

 演技はまずパンカジ・カプールに最高点が与えられるべきだが、主役のアジャイ・デーヴガンもそれに劣らず迫力のある演技を見せていた。「Omkara」(2006年)で見せた確かな演技力にますます磨きをかけていた。ヴィディヤー・バーランは思ったほど出番がなかったが、後半、危機に陥った夫を支える気丈な演技は光るものがあった。悪役ガーエクワードを演じたダルシャン・ジャリーワーラーも舞台俳優であり、必要以上にねちっこく表情豊かな演技を見せていた。「Gandhi, My Father」(2007年)でガーンディー役を演じ、ヒンディー語映画界で一躍注目を浴びる存在となったダルシャンだが、その前後に立て続けにヒンディー語映画に出演しており、もしかしたらこれから出番がますます増えて行くかもしれない。

 音楽はスクヴィンダル・スィンだが、耳に残るものはなかった。ダンスシーンは最小限に抑えられており、ストーリーに重点が置かれていた。それは正解だったと言える。

 「Halla Bol」は社会派映画のテイストと娯楽映画のテイストが絶妙なバランスで調合された傑作である。口コミでヒットに化けそうな映画だ。2008年のヒンディー語映画界は幸先の良いスタートを切ったと言っていいだろう。


https://www.youtube.com/watch?v=9rZllL2KEz8