Bhool Bhulaiyaa

4.5

 ヒンドゥー教の先祖崇拝期間であるピトリパクシャが終わり、今日からナヴラートリが始まった。それに伴い、映画界はいよいよ年末の期待作ラッシュ期間に突入する。上半期の不調を覆すような大ヒット作が望まれるところである。

 今日(2007年10月12日)には2本の期待作が同時公開された。インド映画界で「コメディーの帝王」と賞賛されるプリヤダルシャン監督の「Bhool Bhulaiyaa」と、「Parineeta」(2005年)で衝撃のデビューを果たしたプラディープ・サルカール監督の「Laaga Chunari Mein Daag」(2007年)である。我慢できなくて2本とも今日観てしまった。まずは「Bhool Bhulaiyaa」の評である。

監督:プリヤダルシャン
制作:ブーシャン・クマール、クリシャン・クマール
音楽:プリータム
作詞:サミール
振付:ポニー・ヴァルマー
衣裳:サーイー、ナヴィーン・シェッティー
出演:アクシャイ・クマール、シャイニー・アーフージャー、ヴィディヤー・バーラン、パレーシュ・ラーワル、マノージ・ジョーシー、アミーシャー・パテール、ラージパール・ヤーダヴ、アスラーニー
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 ヴァーラーナスィーに住む王族の家系チャトゥルヴェーディー家は、近所の人々からお化け屋敷と恐れられる邸宅を所有していた。その屋敷には、禁断の恋をして王に殺された踊り子マンジュリカーの霊が住みついており、王家に属する者を家に寄りつかせようとしないと言われていた。一族の長バドリーナーラーヤン(マノージ・ジョーシー)は家の者に、絶対に邸宅の3階へ行かないように厳しく言いつけてあった。

 ある日、バドリーナーラーヤンの亡き兄の息子で米国に留学していたスィッダールト(シャイニー・アーフージャー)がヴァーナーラスィーに戻って来る。バドリーナーラーヤンは、実の娘同然にかわいがっていた養女のラーダー(アミーシャー・パテール)をスィッダールトと結婚させようと考えていたが、スィッダールトは米国で出会ったインド人女性アヴニ(ヴィディヤー・バーラン)と結婚し、彼女も連れて来ていた。落胆したバドリーナーラーヤンであったが、スィッダールトを歓迎する。

 ところが、スィッダールトは例のお化け屋敷に住むと言い出す。バドリーナーラーヤンや、その弟のバトゥクシャンカル・ウパーディヤーイ(パレーシュ・ラーワル)は幽霊の話をして思い留まらせようとするが、スィッダールトは全く迷信を信じておらず、アヴニと共に住み始める。バドリーナーラーヤンは仕方なく、家族全員でその屋敷に住むと言い出す。こうしてお化け屋敷にしばらくチャトゥルヴェーディー一家が住むことになった。

 アヴニは好奇心から、禁断の3階へ上がり、封印されていた扉を開けてしまう。その先は大広間となっており、壁にはマンジュリカーの絵が飾られていた。さらに、彼女の衣服や装身具がそのまま置かれていた。

 そのときから屋敷で異変が起こるようになる。突然物が壊れたり、倒れたりし出し、アヴニのサーリーは急に燃え出す。そしてバドリーナーラーヤンの娘ナンディニーは急に動き出したブランコに頭を打たれて倒れてしまう。幸い大事には至らなかったが、安静することになった。スィッダールトはラーダーを疑い、友人の精神医アーディティヤ・シュリーワースタヴ(アクシャイ・クマール)を家に呼ぶ。アーディティヤは家族に溶け込むながら怪奇現象の原因を探る。そして、夜になると3階からグングルー(足鈴)の音が聞こえて来るのに気付く。

 ナンディニーは、隣に住むシャラド・プラダーン教授と結婚することになっていた。バドリーナーラーヤンは、不吉なことが起こる前に婚約式を済まそうとする。その夜、アヴニの様子が変になり、シャラドを連れ出して奇妙な行動を起こす。アーディティヤは調査の結果、既に確証を得ていた。アーディティヤはスィッダールトに、幽霊の正体は彼の妻のアヴニだと言う。精神学的に彼女は解離性同一性障害(DID)と言う病気であった。必ずしも幸せな幼年時代を送れなかったアヴニは、祖母からおとぎ話を聞いて物語の世界に生きて来た。よって物語の主人公に成りきってしまう癖があり、お化け屋敷の話を聞いたことで、その主人公マンジュリカーに成りきってしまったのだった。まだアヴニの人格は残っていたが、何とかしないと完全にマンジュリカーに人格を乗っ取られる可能性があった。王に恋人シャシダルを殺され、しかも自分も殺されたマンジュリカーは、王への復讐に燃えていた。マンジュリカーにとって、シャシダルと同じ家に住んでいたシャラドは恋人であり、スィッダールトは王であった。マンジュリカーになったアヴニはスィッダールトを殺そうとしていた。そこでアーディティヤはスィッダールトとアヴニを助ける秘策を考える。

 ドゥルガー・プージャーの夜、アヴニがマンジュリカーになって踊り出した後、アーディティヤ、スィッダールト、シャラドの三人は3階へ行き、シャシダルを使って彼女を祭壇に呼び出す。怒ったマンジュリカーはスィッダールトの命を要求する。アーディティヤはスィッダールトと剣を差し出し、自分で殺すように指示する。その瞬間、スィッダールトは人形と入れ替わった。マンジュリカーはスィッダールトの人形の首を剣で切断し、意識を失う。

 翌朝、アヴニは完全に正気に戻っていた。スィッダールトはアーディティヤに感謝する。また、アーディティヤはラーダーに惚れており、彼女にプロポーズをする。こうして屋敷の呪いは解け、皆の顔に笑顔が戻ったのだった。

 インド製ホラー映画の先駆け「Raaz」(2002年)の大ヒット以降、ヒンディー語映画界でもホラー映画がこぞって作られるようになった。「Bhoot」(2003年)、「Darna Mana Hai」(2003年)、「Vaastu Shastra」(2004年)、「Kaal」(2005年)、「Naina」(2005年)などなどである。ヒットした映画もあれば、フロップに終わった映画もある。だが、僕が前々から主張していたのは、「インド映画界はインド映画らしいホラー映画を作るべき」ということだ。つまり、笑い、涙、踊りなど、インド映画の全ての要素が含まれながら、それでいてホラー映画として完成度の高い映画を究極的には目指すべきだと注文を付けていた。ハリウッド・スタイルのホラー映画はそれはそれでいいのだが、インド人が本当に求めているのはそういうハイセンスなホラー映画ではないし、皆が皆その方向に向かってしまったら、「ハリウッド映画と全く同じならハリウッド映画を観ればいいじゃないか」ということになってしまい、インド映画産業にとっては大きな危機なのである。インド人によるインド人のためのホラー映画が作られなければ、インドに芽生えたホラー映画というジャンルに未来はない。観客を恐怖で震わすホラー映画に笑いや踊りを盛り込むのは狂気の沙汰だと思わるかもしれない。だが、「E.T.」(1982年)を見事に完全インド映画化したヒンディー語映画界なので、ホラー映画のインド映画化も不可能ではないと考えていた。「Raaz」から5年、遂にその期待は正しかったと頷けるときがきたようだ。「Bhool Bhulaiyaa」は、僕が待ち望んでいた、インド映画のエッセンスが詰まったホラー映画であった。

 ただし、この映画を賞賛する前に、ひとつ重要な事実を前置きしておかなければならない。実は「Bhool Bhulaiyaa」は、ラジニーカーント主演のタミル語映画「Chandramukhi」(2005年)のリメイクである。日本にはラジニーカーント・ファンが多いので、それに気付く人は少なくないだろう。ただし、「Chandramukhi」もマラヤーラム語映画「Manichithrathazhu」(1993年)のリメイクであること、そしてプリヤダルシャン監督はマラヤーラム語映画界出身であることも、付け加えておかなければならない。

 パレーシュ・ラーワル、ラージパール・ヤーダヴ、アスラーニーと言ったヒンディー語映画界のコメディー映画に欠かせないコメディアンたちと、シャイニー・アーフージャー、ヴィディヤー・バーランと言った高い演技力を持つ若手俳優を起用し、しかもオールラウンドな才能を発揮するベテラン男優アクシャイ・クマールを主演に据えることで、「Bhool Bhulaiyaa」は、観客を笑わせ、泣かせ、怖がらせ、驚かせ、そして最後に安堵感を与えるというインド映画の基本を踏襲しながら、ホラー映画としての味も損なわない、非常に完成度の高い映画に仕上がっていた。

 ホラー映画の「種」は、本当に幽霊であることもあるし、人間が幽霊の振りをして犯罪を犯していたと明かされることもあるし、いろいろである。「Bhool Bhulaiyaa」の中のお化け屋敷で起こる数々の怪奇現象は、解離性同一性障害と呼ばれる一種の精神病が「種」となっていた。だが、クライマックスで完全に科学的な解決を選ぶのではなく、昔ながらのお祓いの儀式の助けを借りていたところは、インド映画らしい点であった。

 あらすじでは詳しく書けなかったが、お化け屋敷の由来は以下の通りである。昔、その屋敷には王が住んでいた。王はマンジュリカーというベンガル人踊り子を寵愛していたが、マンジュリカーは屋敷の隣に住むシャシダルという舞踊家と恋仲にあった。それを知った王はマンジュリカーの目の前でシャシダルを殺し、次にマンジュリカーも殺してしまう。死ぬ前にマンジュリカーは屋敷に呪いをかけ、王族は誰も住めなくしてしまう。その後、王はすぐに死に、屋敷はマンジュリカーの亡霊がさまようお化け屋敷となった。

 「Chandramukhi」は、他のラジニーカーント映画と同様に、主演ラジニーカーントの強力なカリスマ性が必要以上に強調された映画であった。「Bhool Bhulaiyaa」で同じ役を演じていたのはアクシャイ・クマール。現在アクシャイ・クマールはヒンディー語映画界でトップクラスの人気と実力を誇る男優になっている。だが、ラジニーカーントと比べたらまだまだ小者だと言わざるをえない。しかし、強力な主役がいなくても「Bhool Bhulaiyaa」は十分に面白く、オリジナルのシナリオの完成度の高さが感じられた。「Bhool Bhulaiyaa」が「Chandramukhi」のリメイクだと直感して以降、僕の最新の関心事は「Chandramukhi」必殺のセリフ(効果音?)「ラカラカラカ・・・」が出て来るか否かであったが、残念ながら「ラカラカラカ・・・」またはそれに代わる決めゼリフの出番はなかった。また、「Chandramukhi」の中で踊り子チャンドラムキーに成りきったガンガーが踊る「Raa Raa」と言う曲は、切ないような狂おしいような不安定なメロディーが映画の主題にピッタリで、映画を見終わった後もしばらく耳に残って離れなかったのだが、「Bhool Bhulaiyaa」の同様の曲「Mere Dholna」にはそこまでの力が感じられなかった。よって、音楽では完全に「Chandramukhi」の方に軍配が上がる。ただ、「ハレー・ラーム、ハレー・ラーム、ハレー・クリシュナ、ハレー・ラーム・・・」というバジャン(宗教賛歌)を現代風にアレンジした「Bhool Bhulaiyaa」のタイトルソングは現在大ヒット中である。この曲は映画本編中ではほとんど使われず、最後のスタッフロールでそのダンスシーンが流された。

 俳優の中ではヴィディヤー・バーランの怪演が特筆すべきだ。通常時とマンジュリカー時の表情の切り替えや、本当に幽霊に取りつかれたかのような狂気の言動は、現在の若手女優の中では彼女しかできない演技であろう。おぞましい化粧をした顔もすさまじく、既存のヒロインの枠を超越した大女優の片鱗を覗かせていた。踊りも非常にうまかった。アクシャイ・クマールは、彼の持ち味である、ヘラヘラしてるがプレイボーイで、馬鹿そうに見えて優秀で、頼りにならなそうで頼もしいというキャラを存分に発揮していた。シャイニー・アーフージャーも渋い演技を見せていた。アミーシャー・パテールは脇役であったが、最近の彼女の演技の中では最高点であろう。

 舞台はヴァーラーナスィーで、実際にヴァーラーナスィーでロケが行われていたが、大部分はラージャスターン州の州都ジャイプルでのロケであった。しかも途中でカルナータカ州にも飛んでいた。これらの地域は光の色、樹木の種類から人々の風俗や建物の建築様式まで全く違うので、場所が飛ぶとすぐに分かってしまう。しかも自動車のナンバーがその地域のものになってしまっている!これでは雰囲気が台無しである。別に他の場所でロケをしてもいいのだが、出来ることなら自動車のナンバーを隠すか、ストーリーと矛盾しないように配慮してもらいたいものだ。

 ヴァーラーナスィーという土地柄を反映してか、少しだけ英語とヒンディー語の対立が触れられていた。また、マンジュリカーはベンガル人という設定のため、ベンガリー語も多少出て来た。

 「Bhool Bhulaiyaa」は、ヒンディー語映画界がホラー映画というインド映画の方程式とは相反するジャンルを完全に手中に収め、自らの血肉にしたことを記念する作品になりそうだ。PVRプリヤーは満席で、観客は、こんなに盛り上がっているのは近年見たことがない、というほど盛り上がっていた。PVRプリヤーのような高級映画館で立って踊り出す人を見たのは初めてかもしれない。インド製ホラー映画の完成形を観たかったら、絶対に「Bhool Bhulaiyaa」を観るべし。