Ram Gopal Varma Ki Aag

1.5

 1975年に公開され、インド映画史上最大の大ヒット作となった伝説的映画「Sholay」。特に当時リアルタイムに映画を観た世代には宗教にも等しい影響を与えたカルト的映画だ。その「Sholay」をリメイクするのは、オリジナルの大作を作ることより数倍難しい行為である。最近は「Umrao Jaan」(2006年)や「Don」(2006年)など、過去の名作のリメイクが続いているが、伝説的作品「Sholay」に手を出そうとする者はいなかった。いや、一人だけいた。それが、インド映画界の風雲児、ラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督である。ただし、オリジナル「Sholay」の版権を持つシャーシャー・スィッピー(「Sholay」のプロデューサーGPスィッピーの孫で監督ラメーシュ・スィッピーの甥)がヴァルマー監督の「Sholay」リメイクに待ったをかけたため、タイトルは「Ram Gopal Varma Ki Aag」に変更となり、登場人物の名前も変更を余儀なくされた。「Sholay」も「Aag」も「炎」という意味である。また、ヴァルマー監督は自身の「Sholay」を「リメイクではなくインスパイアされた作品」と表現している。

 「Ram Gopal Varma Ki Aag」は2007年8月31日に公開されたが、その直前の時期を狙うかのように、気になるニュースも飛び込んで来た。シャーシャー・スィッピーがプリティーシュ・ナンディーに、「Sholay」のリメイク権、「Sholay」アニメ制作権、「Sholay」の続編と前編を作る権利をセットで売却したのである。その額は1億ドル。ヒンディー語映画史上最大の契約となる。シャーシャー・スィッピーはラーム・ゴーパール・ヴァルマーの「Sholay」リメイクを全く認めておらず、これはヴァルマー潰しの動きであることは誰の目にも明らかだ。公開から30年以上たった今、伝説の作品を巡るバトルが俄かに過熱している。

 さて、「Ram Gopal Varma Ki Aag」は一体どんな作品に仕上がったであろうか?

監督:ラーム・ゴーパール・ヴァルマー
制作:ラーム・ゴーパール・ヴァルマー
音楽:アマル・モーヒレー、プラサンナ・シェーカル、ガネーシュ・ヘッジ、ニティン・ラーイクワル
作詞:サージド・パルハド、サリン・モーミン、ニティン・ラーイクワル、シャッビール・アハマド
振付:ガネーシュ・ヘッジ、シャビーナー・カーン、ハルシュハール・ヴィッタル、ジャスティン・バット
衣裳:マニーシュ・マロートラー、ニーター・ルッラー、ラグヴィール・シェッティー、マイトリー・モーディー、シヴァーニー/アニル・チェリアン
出演:アミターブ・バッチャン、アジャイ・デーヴガン、プラシャーント・ラージ、モーハンラール、スシュミター・セーン、ニシャー・コーターリー、スシャーント・スィン、ラージパール・ヤーダヴ、ガウラヴ・カプール、ウルミラー・マートーンドカル(特別出演)、アビシェーク・バッチャン(特別出演)
備考:PVRプリヤーで鑑賞。

 田舎町からムンバイーへやって来たヒーレーンドラ・チャヴァン通称ヒーロー(アジャイ・デーヴガン)とラージ・ラーナーデー(プラシャーント・ラージ)は、幼馴染みのランバーバーイー(ラージパール・ヤーダヴ)の口利きで、シャーンブール・セートの下で働き始める。だが、その仕事はアンダーワールドのものだった。二人はナルスィマー警部補(モーハンラール)に捕まる。だがナルスィマー警部補は二人が素直な人間だと見抜き、警察のために働くように持ち掛ける。ヒーローとラージの活躍のおかげでシャーンブール・セートのギャングは一網打尽となるが、ヒーローとラージも違法行為に関わった罪で逮捕される。二人は1年間刑務所で過ごす。

 1年後、刑務所から出て来たヒーローとラージを迎えたのはナルスィマーであった。だが、彼は既に警官を辞めていた。しかも彼は両手の指をなくしていた。ナルスィマーは二人に、マフィアのドン、バッバル(アミターブ・バッチャン)への復讐の手助けを頼む。報酬は800万ルピーだった。二人は考えた末、ナルスィマーの住むカーリーガンジへ行くことにする。たまたまつかまえたオートリクシャーは、グングルー(ニシャー・コーターリー)という威勢のいい女性運転手が運転しており、しかも彼女はカーリーガンジ出身だった。二人はグングルーの運転するオート「ライラー」に乗ってカーリーガンジへ向かった。

 ナルスィマーの家には、ナルスィマーと未亡人の嫁ドゥルガー・デーヴィー(スシュミター・セーン)しかいなかった。ナルスィマーは前金として二人に100万ルピーを渡す。二人はそのお金を持って逃げることも考えるが、ナルスィマーの家族がバッバンに殺されたことを知り、彼に協力することにする。

 バッバンは再開発で地価の上がったカーリーガンジの買い占めを狙っており、住民に対して執拗に立ち退くように脅迫していた。そのときもバッバンの部下のダニヤーら三人がカーリーガンジにやって来たが、ヒーローとラージは彼らを追い返す。バッバンは逃げ帰って来た三人を殺害し、ディーワーリーの日にカーリーガンジに自ら乗り込む。だが、ヒーロー、ラージ、ナルスィマーによって撃退され、命からがら逃げ帰る。さらに、ヒーローとラージはバッバンが踊り子とイチャイチャしている隙を見て襲撃し、大打撃を与える。バッバンの怒りは頂点に達した。バッバンはカーリーガンジの住民であるアハマド(ガウラヴ・カプール)を殺害してカーリーガンジへ捨て去る。そこには「ガーンディーは右頬を叩かれたら左頬を出せと言ったが、我々はガーンディーではない」というメッセージも書かれていた。それに対しヒーローとラージは罠を仕掛け、バッバンの忠実な部下ターンベー(スシャーント・スィン)を殺害する。そこには「我々もガーンディーではない」と書かれていた。

 一方、ヒーローはグングルーと恋仲になり、ラージはドゥルガー・デーヴィーのことが気になり出していた。ナルスィマーもドゥルガーがラージと再婚することに賛成だった。だが、それに付け込んだバッバンはグングルーを誘拐し、ヒーローをおびき寄せて捕まえる。ピンチに陥るが、ラージが駆けつけて二人を救う。だが、ラージは逃げ遅れ、バッバンに殺されてしまう。ヒーローはグングルーを逃がし、ナルスィマーを呼ぶ。そしてバッバンの部下たちを一人でなぎ倒し、バッバンをも殺そうとする。だが、そこに駆けつけたナルスィマーがバッバンを殺す。

 基本的にオリジナル「Sholay」のストーリーラインを踏襲していたが、細かい部分で改変がしてあり、それを見つけるのが面白かった。オリジナルよりもおどろおどろしい雰囲気が強かったが、それにはラーム・ゴーパール・ヴァルマー監督らしい凝ったカメラワークが一役買っていた。しかし、当然のことながら「Sholay」を越えるような衝撃はなく、しかもあらすじに変化がなかったために70年代の映画そのままの古風な展開の映画になってしまっていた。ラーム・ゴーパール・ヴァルマーの映画はえてしてそうなのだが、映画館に座っている間は楽しめるが、映画館を出た後もしばらく残るような余韻は希薄な映画であった。

 まず、オリジナルと本作の違いは、登場人物の名前が異なることである。ヴィールー→ヒーロー、ジャイ→ラージ、タークル→ナルスィマー、ガッバル→バッバンなどとなっていた。そして、細かい部分で違いがあった。例えば・・・オリジナルではタークルはガッバルに両腕を切り落とされるが、本作では指を切り落とされた。ガッバルはホーリーの日を狙って村を襲撃したが、バッバンはディーワーリーの日を狙ってカーリーガンジを襲撃した。オリジナルのバサンティーはターンガー(馬車)の御者だが、本作のグングルーはオートリクシャーの運転手である。オリジナルではガッバルの腹心サーンバーが殺されるシーンはない(または重要ではない)が、本作ではターンベーが殺され、それがかなり重視されて描写されている・・・などなど。さらに、有名な「何人いた?」のシーンも少し展開が違ったし、オリジナルでバサンティーがヴィールーを助けるために踊るシーンは全くカットされていた。他にも挙げれば切りがないが、このような違いを見つけるのは映画ファンには楽しいことだと思う。

 「Ram Gopal Varma Ki Aag」の最も優れていた点はカメラワークである。非常に凝ったアングルからのショットが冒頭から続き、それだけで緊張感が高まった。特に人物のアップを多用していたのが特徴的だった。

 リメイク版「Don」のように結末が変えてあるのかと期待していた。実は「Sholay」にはエンディングが2つある。タークルが最後にガッバルを殺すバージョンと、警察がガッバルを逮捕するバージョンである。「Ram Gopal Varma Ki Aag」では、前者の結末がそのまま受け継がれていた。ナルスィマーがバッバンを斧で殺して復讐を達成するのである。そして後日談もなしに映画は終了する。この突き放し方が70年代の復讐劇映画そのままで目新しさを感じなかった。

 「Sholay」の主人公は、アミターブ・バッチャンとダルメーンドラが演じたジャイとヴィールーだが、「Ram Gopal Varma Ki Aag」ではどちらかと言うとナルスィマーとバッバン(「Sholay」で言えばタークルとガッバル)の方が主人公っぽかった。特にヴァルマー監督はアミターブ・バッチャン演じるバッバンにかなりの気合を入れたと見える。仕草、表情、セリフなど、バッバンを魅力的な悪役に仕立て上げるのに苦労した様子が伺われた。しかし、アムジャード・カーン演じるガッバル・スィンが到達した「インド映画随一の悪役」の地位には到底及ばない。また、「Sholay」の大成功の一因はその練りこまれたセリフ回しにあったが、「Ram Gopal Varma Ki Aag」では思わず記憶したくなるようなセリフ回しはほとんどなかった。

 アジャイ・デーヴガンとプラシャーント・ラージは渋い演技をしていて悪くなかった。だが、アミターブ・バッチャンとモーハンラールの存在感の前には、どうしても印象が希薄になってしまう。アミターブはオリジナル「Sholay」の脚本を読んだときに、ガッバル・スィンの方を演じたいと思ったらしい。だから、そのリメイクでガッバル・スィンがモデルになっているバッバンを演じられることは、幸運でもあり運命でもあっただろう。思いっ切り楽しみながらバッバンになりきっており、間違いなく映画の核となっていた。そのライバルのナルスィマー警部補を演じたモーハンラールも、圧巻の演技力でバッバンのオーラを跳ね返していた。

 ドゥルガー・デーヴィーを演じたスシュミター・セーンは出番が少なかったが、着実な仕事をしていた。だが、グングルーを演じたニシャー・コーターリーの方が存在感があった。オートワーリーを演じるにはちょっと顔がかわいすぎるような気もしたが、この作品のおかげで知名度が上がるだろう。

 オリジナル「Sholay」では、ヘレンがアイテムガール出演する「Mehbooba Mehbooba」も映画の大きな見所だった。当然、「Ram Gopal Varma Ki Aag」でもこの曲が登場する。アイテムガール出演したのは、ヴァルマー監督のお気に入り、ウルミラー・マートーンドカルである。元々ダンスには定評があるし、体がグラマラスなので、ヘレンに負けていなかった。このダンスシーンにはなんとアビシェーク・バッチャンも特別出演する。映画館の観客はかなり盛り上がっていた。

 だが、全体的に音楽はよくなかった。「Sholay」の全ての曲は今でも歌い継がれているが、「Ram Gopal Varma Ki Aag」のサントラには「Mehbooba」を除けば魅力ある曲がない。だが、ヴァルマー映画っぽい音楽であることは確かである。

 「Ram Gopal Varma Ki Aag」は、現代の映画にしてはストーリーが単純過ぎるので、本家「Sholay」を観てから、それと対比する形で観るのがお勧めである。画面の構図が凝っていてかっこいいが、特に残るものがある映画ではない。


【追記】2007年9月1日付けのヒンドゥスターン紙によると、公開初日の「Ram Gopal Varma Ki Aag」の客入りはかなり悪かったようだ。アミターブ・バッチャン演じるバッバンの評判も良くない。そこで下の見出し。分かる人だけ笑ってもらいたい。

कितने आदमी थे हॉल में?
बहुत कम थे सरदार
「映画館には何人いた?」
「とても少なかったです、ボス」

गब्बर का नाम पूरा मिट्टी में मिला दिया बब्बन ने
「ガッバルの名誉に泥を塗りやがった、バッバンの奴め」

 やはり「Sholay」は名作だ・・・。