The Bong Connection

3.5
The Bong Connection
「The Bong Connection」

 今日は2007年7月6日より公開の映画「The Bong Connection」を観た。「ボング」とはベンガル人に対する愛称/蔑称であり、その題名の通り、ベンガル人コミュニティーを題材にした、ベンガル人俳優総出演の、ベンガル臭プンプンの映画である。言語はベンガリー語と英語のミックスになっており、ベンガリッシュ映画とでも呼ぼうか。ベンガリー語のセリフの部分では英語字幕が出るため、ベンガリー語が分からなくても楽しむことが出来た。

監督:アンジャン・ダット
制作:ジョイ・ブラタ・ガーングリー
音楽:ニール・ダット
作詞:アンジャン・ダット、ニール・ダット、ヴィバー・スィン
出演:ラーイマー・セーン、シャヤン・ムンシー、パラムブラタ・チャットーパーディヤーイ、ピヤー・ラーイ・チャウダリー、ヴィクター・バナルジー、サムラート・チャクラボルティー、ジョーダン・グラハム、サウヴィク・クンダグラーミー
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。

 アプー(パラムブラタ・チャットーパーディヤーイ)は、アメリカンドリームを夢見て、恋人のシーラー(ラーイマー・セーン)をコルカタに残し、米国ヒューストンへ旅立った。アプーはベンガル人実業家ゲリー(ヴィクター・バナルジー)が経営する会社に入社し、同僚でゲイのレオ(ジョーダン・グラハム)と同居し始める。また、アプーはバーで、米国生まれのベンガル人リタ(ピヤー・ラーイ・チャウダリー)と出会う。他に、リタに片思いするベンガル人ラーケーシュ(サムラート・チャクラボルティー)、バングラデシュ人タクシー運転手ハサン(サウヴィク・クンダグラーミー)と友人になる。ゲイの同居人との生活、かつあげして来るヒスパニック、米国かぶれのベンガル人たちとの交流、ハサンによって引き起こされるハプニング、結婚を押し付けてくるリタの両親との攻防などから、次第にアプーは米国の生活に疲れて来る。そのとき、ゲリーはレオを同性愛者という理由で解雇した。その不当さをゲリーに訴えたアプーは、ラーケーシュからコルカタでの有利な求人情報を聞いていたこともあり、とうとう自主退職し、インドに戻ることを決める。

 一方、アプーが米国へ旅立った日、ニューヨークで生まれ育ったベンガル人アンディー(シャヤン・ムンシー)がコルカタの空港に降り立った。アンディーはベンガルの民俗音楽バウルに関心を持っており、伝統音楽をベースにした新しい音楽を創り出すことを夢見ていた。アンディーは叔父の家に居候し、タブラー奏者の祖父に教えを受けようと思っていたが、祖父は既に植物人間状態になっていた。アンディーはシーラーと出会い、次第に恋心を抱くようになる。また、ミーラー・ナーイル監督から新作映画「The Namesake」の音楽の作曲を頼まれる。コルカタでの生活が軌道に乗り始めていた。ところが、代々伝わる家を売って一儲けしようとしている叔父に失望し、急に米国に帰ることを決める。

 アンディーはシーラーに見送られて米国へ旅立って行った。シーラーの目には涙が溢れていた。ところがそのとき、ちょうどアプーが米国から帰って来た。アプーはシーラーを驚かせようと思って事前に何も伝えていなかった。アプーとシーラーは抱き合う。

 コルカタの風景、ラビンドラナート・タゴールの歌、サティヤジト・ラーイ(サタジット・レイ)監督の3部作のパロディー、コルカタの音楽シーン、そしてベンガル人にしか分からないようなギャグやベンガル人の気質を皮肉った自嘲など、まさにベンガル人によるベンガル人のためのベンガリッシュ映画であった。やはり観客にはベンガル人が多く、大受けしていた部分もたくさんあったのだが、英語字幕を追っているだけではなぜ彼らが笑っているのかほとんど分からなかった。

 映画は基本的に2つのストーリーから成っている。コルカタからヒューストンへ旅立ったアプーと物語と、ニューヨークからコルカタへ降り立ったアンディーの物語である。前者の核となっているのは、米国かぶれしてベンガル人としての誇りを失ってしまった米国在住ベンガル人たちの風刺である。個性ある登場人物が出て来て、展開に波があって面白いが、アプーを演じているパラムブラタ・チャットーパーディヤーイが大根役者であることと、ストーリーに深みがないことから、それほど関心しなかった。この映画で優れていたのは、後者のアンディーの物語である。ニューヨークで生まれ育ったベンガル人ミュージシャンのアンディーは、自分のルーツを求めてコルカタへやって来る。あまりにベンガル的なものを求めすぎるが故に、彼はベンガル人の若者が西洋音楽に熱中している様に納得が出来ない。また、すっかり音楽への熱意を失ってしまった年老いた古典音楽家にも失望する。次第に不満が蓄積されて行ったが、その息抜きとなったのはシーラーの存在だった。シーラーのボーイフレンドはアプーだったが、アンディーにも魅力を感じ始める。2人は一緒にシャーンティニケータンに行ったりする。だが、シーラーは決してアンディーに体を触れさせようとしなかった。アンディーの蓄積された不満が爆発するきっかけとなったのは、居候先の叔父が代々伝わる家を売り払おうとしていたことだった。祖父の死の後、叔父はアンディーを、アンディーの父の代理人として、書類のサインさせようとする。だが、アンディーはそれを拒否し、家を出て米国へ帰ってしまう。空港まで見送りに来たシーラーは、アンディーが去る前まではすまし顔をしていたが、彼が去った後に涙を流す。

 これら2つのストーリーを結びつけていたのが、「Sujan Majhi Re」という曲だった。「船頭よ、どこへ連れて行く、あの岸まで渡してくれ」みたいな歌詞の曲で、異国の地にいる主人公の気持ちを痛切に表現していた。多少コメディータッチの映画ではあったが、ベンガル映画らしい悲痛の情感が底辺にしっかりと流れており、観客の感情を決して浮揚させなかった。それがこの映画の優れたところだった。

 俳優は、外国人キャストを除けば全員ベンガル人である。ラーイマー・セーン、ピヤー・ラーイ・チャウダリー、パダムブラタ・チャットーパーディヤーイ、ヴィクター・バナルジー、サムラート・チャクラボルティーなど、詳しい人なら名前を見ただけでベンガル人と分かる典型的なベンガル名である。ジェシカ・ラール事件で重要な証人となっていたシャヤン・ムンシーもベンガル人だということは今回初めて知った。パダムブラタの演技力のなさにはガッカリだったが、シャヤン・ムンシーはハンサムで落ち着いたいい男優になっており、もしかしたら今後活躍の場が増えて行くかもしれないと思った。ちなみにシャヤン・ムンシーとピヤー・ラーイ・チャウダリーは夫婦である。ラーイマー・セーンは今まで脇役女優止まりだったが、この映画ではヒロインとして存在感を示していた。

 サティヤジト・ラーイ監督のオプー3部作のテーマ曲が使われていたり、コルカタでロケが行われたミーラー・ナーイル監督「The Namesake」(2007年)が話題になっていたり、「ベンガル人は未だにチャンドラ・ボースが生きているか死んだか決められずにいる」とベンガル人の議論好きが批判されていたり、ベンガル人の大好物であるヒルサーという魚に関してのセリフがあったり、他にもベンガルとコルカタに関係するいろいろな要素が詰め込んであり、ベンガル人とベンガル好きはニンマリが止まらないことだっただろう。ただ、意外にもベンガル最大の祭りドゥルガープージャーに関するシークエンスは全くなかった。

 「The Bong Conncection」は、ベンガルとコルカタが大好きな人には絶対にオススメのベンガリッシュ映画である。テーマもベンガル、舞台もベンガル、言語もベンガリー語、俳優もベンガル人。そしてコメディータッチでありながら、チラチラと心の琴線に触れる展開。シャヤン・ムンシーやラーイマー・セーンなど、これからヒンディー語映画界でも活躍して行きそうな若手俳優たちが出演しているのにも注目である。