Cheeni Kum

4.0

 本日(2007年5月25日)からアミターブ・バッチャン主演の映画が2本同時公開された。実話を元にしたアクション映画「Shootout At Lokhandwala」(2017年)と、年齢差ロマンス映画「Cheeni Kum(砂糖控えめ)」である。アミターブ・バッチャンが一時体調を崩して入院したとき、映画界の中では「アミターブ・バッチャンへの極度の依存をやめるべきだ」という議論が沸き起こったのだが、相変わらずヒンディー語映画界はアミターブ・バッチャンの起用を減らしていない。今日は「Cheeni Kum」を鑑賞した。

監督:Rバールキー(新人)
制作:スニール・マンチャンダー
音楽:イライヤラージャー
作詞:サミール、マノージ・タパーリヤー
出演:アミターブ・バッチャン、タブー、パレーシュ・ラーワル、ゾーラー・セヘガル、スウィーニー・カーラー
備考:PVRベンガルール・クラシックで鑑賞。

 ブッダデーヴ・グプター(アミターブ・バッチャン)は、ロンドンで最高のインド料理レストラン「スパイス6」を経営する、頑固で傲慢なシェフ(64歳独身)だった。ブッダデーヴは母親(ゾーラー・セヘガル)と共に暮らしていたが、毎日口論が絶えなかった。唯一心を開いていたのは、隣に住む少女セクシー(スウィーニー・カーラー)であった。セクシーは血液ガンを患っており、余命はあとわずかであった。

 ある日、ブッダデーヴのレストランに、デリーからやって来たインド人観光客ニーナー・ヴァルマー(タッブー)がやって来る。ニーナーは、ハイダラーバーディー・ザフラーニー・プラーオの味を「甘すぎる」と文句をつける。プライドを傷付けられたブッダデーヴは、これこそ最高のハイダラーバーディー・ザフラーニー・プラーオだと言い張る。ところが翌日、ニーナーは自分でハイダラーバーディー・ザフラーニー・プラーオを作って持って来る。その完璧な味に驚いたブッダデーヴは、自分の誤りを認める。実は、コックの一人が塩と砂糖を間違えて入れてしまったのだった。ブッダデーヴは一気にニーナーに惹かれるが、なかなか彼女に謝ることができなかった。ニーナーは、レストランの近くにある友人シャーリニーの家に泊まっており、その後も二人は出会いを繰り返す。ニーナーは34歳独身であった。

 ロンドンの天気は変わりやすい。傘の貸し借りを繰り返す内に二人は惹かれ合い、結婚を考えるようになる。ブッダデーヴの母親は歓迎するが、ニーナーの父親オームプラカーシュ・ヴァルマー(パレーシュ・ラーワル)を説得するのは難しそうだった。そのとき突然、ニーナーの父親が入院してしまう。ニーナーはインドに帰ることになった。

 ニーナーの後を追ってデリーに来たブッダデーヴは、無事に退院したオームプラカーシュと出会う。クリケットの大ファンで、ガーンディー主義に傾倒するオームプラカーシュは、ブッダデーヴを老人として扱う。彼はなかなか結婚のことを切り出せなかった。だが、いざその話をすると、オームプラカーシュは驚き呆れ、怒り、卒倒し、最後にはサティヤーグラハ(断食)を始めてしまう。彼は、娘がブッダデーヴとの結婚を諦めなければ何も食べないと言い張る。糖尿病を患っていたオームプラカーシュは、食事をしなければ命が危なかった。

 ブッダデーヴは必死にオームプラカーシュを説得する。最後にはオームプラカーシュも諦め、娘の結婚を認める。こうして64歳のブッダデーヴと34歳のニーナーは結婚することになった。

 「Nishabd」(2007年)で18歳の少女に恋する60歳既婚男性の役を演じたアミターブ・バッチャンは、今度は34歳の独身女性に恋する64歳独身男性の役を演じた。「Nishabd」はロリコンだけでなく不倫の要素も含まれており、法律的・社会的にタブー色が強かったが、「Cheeni Kum」では、30歳の年齢差ながら、どちらも独身であるため、普通にラブコメに仕上げることが出来ていた。

 題名の「Cheeni Kum(砂糖控えめ)」は、いくつかの意味を含んでいる。まず、64歳のブッダデーヴと34歳のニーナーの出会いは、ハイダラーバーディー・ザフラーニー・プラーオの甘さを巡って起こる。ブッダデーヴは自分のレストランの料理の味に自信を持っており、最初はニーナーの「ハイダラーバーディー・ザフラーニー・プラーオはこんなに甘くない」という苦情を否定するが、実はコックの1人が塩と間違えて砂糖を入れてしまい、甘くなってしまっていたのだった。次に、ブッダデーヴとニーナーの会話の中で、コーヒーに砂糖を入れるか否かが話題に上る。ブッダデーヴは「砂糖はコーヒーの味を台無しにする」と言うが、ニーナーは「私は砂糖が好きなの」と言って砂糖を入れる。また、「Cheeni Kum」は、ブッダデーヴの頑固一徹の性格も象徴している。そしておまけに、ニーナーの父親オームプラカーシュが患っている糖尿病も関連しており、砂糖という一般的な食材で見事に映画をひとつにまとめている。

 だが、ブッダデーヴがシェフということもあり、砂糖以外にも料理が映画の隠し味になっていた。例えばニーナーはヴェジタリアンのブッダデーヴをからかって「ガースプース(雑草)」と呼び、ブッダデーヴはそれに対抗してニーナーを「タングリー・カバーブ(鶏もも肉のカバーブ)」と呼ぶ。ブッダデーヴはオームプラカーシュに好印象を与えるため、手料理をご馳走するが、そのとき彼はてっきりオームプラカーシュがガーンディー主義者なのを見て菜食主義者だと思い、ヴェジタリアン料理のみを作る。だが、実はオームプラカーシュは口先だけのガーンディー主義者で、火曜日以外は毎日欠かさずチキンを食べていたのであった。最後、仕方なくブッダデーヴとニーナーの結婚を認めたオームプラカーシュ。彼はロンドンに来てブッダデーヴのレストラン「スパイス6」で食事を食べる。まだ納得の行かない顔をしているオームプラカーシュに対し、ブッダデーヴの母親は、「最近では嫁の手料理が食べられるだけでも幸せ者なのに、娘婿の手料理が食べられるなんてね!」とからかう。

 しかし、どちらかというと砂糖や料理よりも映画の展開の中で重要な小道具となっていたのは傘であった。ニーナーは傘を持っておらず、突然降り出すロンドンの雨に慣れていなかった。そこでブッダデーヴは彼女に何度も傘を貸す。もちろん、傘を返しに来る彼女にもう一度会えるのを期待して。だが、突然デリーに帰ってしまったニーナーは、ブッダデーヴの傘も持って行ってしまう。オームプラカーシュが結婚を認めたとき、ニーナーはブッダデーヴに電話をし、「傘を返しに行く」と伝える。このように、傘が二人の間で恋愛の成就の象徴となっていた。だが、傘は余りに映画やドラマで小道具として使われすぎており、傘を題名にしてもインパクトは薄かっただろう。よって、「Cheeni Kum」という題名の方がベターであることは変わらない。ちなみに、ヒンディー語で傘のことを「チャトリー」と言うが、これはコンドームのことも意味する。ちゃんとこのことを踏まえたギャグも映画中に出て来ていた。

 その他、映画の伏線となっていたのはジムと鉄柱とクリケット。ブッダデーヴの母親は彼に毎日毎日ジムへ行けジムへ行けとしつこく言う。ブッダデーヴはそれを無視するが、ニーナーと出会い、彼女にボーイフレンドがいないことが分かると、急にジムへ行き出す。ある日、ブッダデーヴはニーナーを母親に引き合わせる。母親は「ほれ見なさい、ジムへ行って2日で彼女が出来たよ」と喜ぶ。後半、デリーのシーンになると、クトゥブ・ミーナール・コンプレックスにある鉄柱が重要な役割を果たす。これは有名な話であるが、鉄柱に背を付けて後ろで両手を結ぶことができると願い事が叶うと言われている。ただし現在では鉄柱の周囲に柵が巡らされてしまっており、通常の観光客はそれを試すことができないようになっている。だが、撮影のためだろう、アミターブ・バッチャンは柵の中に入ることが出来ていた。最初試したとき、ブッダデーヴは後ろで両手を合わせることが出来なかった。だが、オームプラカーシュにニーナーとの結婚の話を切り出し、拒否された後、もう一度試してみる。そのとき、母親の手助けもあって、彼は手を合わせることに成功する。その途端、抗議の断食中だったオームプラカーシュも二人の結婚を認める。そのとき母親はまた、「ほれ見なさい、ジムへ行きなさいと言ったでしょ」とからかう。オームプラカーシュはクリケットの大ファンであった。二人の結婚を認めたものの、まだ煮え切らない思いのオームプラカーシュを見たブッダデーヴは、ロンドンへやって来た彼に対し、「インド対イングランドのクリケットのチケットが2枚ある」とつぶやく。それを聞いたオームプラカーシュはコロッと態度を変える。これが映画の最終的なオチになっていた。

 セクシーシーンの存在も重要であったが、僕は必ずしもこの映画に必要はなかったと思った。敢えて言うなら、砂糖控えめの恋愛映画に、苦味を加えていた。セクシーはまだ幼少ながらやたらとませた女の子で、要所要所でブッダデーヴに大人顔負けのアドバイスを与える。彼女は血液ガンという難病を患っていた。そして、ブッダデーヴがニーナーとの結婚を成就させた瞬間に、彼女は死んでしまう。ブッダデーヴは、クトゥブの鉄柱の力を、セクシーの回復ではなく、自分の結婚というセルフィッシュな目的のために使ってしまったことを悔いる。悲しみに沈むブッダデーヴを、ニーナーは「涙を流すのは悲しみを減らすということ。セクシーのことを大切に思っていたなら、涙を流すべきじゃないわ」と言って慰める。セクシーの存在や死がなければ、この映画はもっと明るい映画になりえていたし、セクシーの役割を母親が担うこともできた。だが、敢えてこの苦味を加えたのは意味深い。「Cheeni Kum」は新感覚インド映画の部類に入るが、この苦味の存在が、伝統的な「ナヴァラサ」理論の踏襲になるのだろうか。

 アミターブ・バッチャンとタブーは非常に相性が良かった。二人とも確かな演技力を持っているし、雰囲気も似ている。後ろ髪を縛ったアミターブはキュートだったし、タッブーの美しい髪が印象的だった。95歳のゾーラー・セヘガルもお茶目だったし、パレーシュ・ラーワルの偽善者臭がプンプンする演技も良かった。映画中で徹底的に強調されたアミターブやパレーシュの子供っぽさは、「男は大人になるのに時間がかかる」というタブーのセリフに集約されていたように思える。

 ロンドンの他、デリーで撮影が行われており、大統領官邸、インド門、クトゥブ・ミーナールなど、デリーの名所がいくつか映し出されていた。ところでタブーがクトゥブの鉄柱のことを「アショーカ王の柱」と説明するシーンがあったが、あれはアショーカ王とは全く関係ない。事実誤認である。

 音楽はタミルを中心に南インドで活躍する音楽監督イライヤラージャー。シュレーヤー・ゴーシャルの歌うテーマ曲「Cheeni Kum」が映画の雰囲気を盛り上げており、最も素晴らしい。映画監督はRバールキー(バーラクリシュナン)というタミル人。もともとTVCMの監督をしており、「Cheeni Kum」が映画監督デビュー作となる。その関係で、最近はあまりヒンディー語映画に音楽を提供することが少ないイライヤラージャーが音楽を担当することになったのだろう。

 「Cheeni Kum」は、アミターブ・バッチャンとタッブーの「シュガーレス」なロマンスが見所の見事なラブコメ映画である。2007年のヒンディー語映画は大きなヒット作に恵まれていないものの、「Bheja Fly」(2007年)、「Life In A… Metro」(2007年)と都会向けの新感覚映画が意外な成功をしており、「Cheeni Kum」もそれに続くことになるだろう。