Black Friday

4.5

 2002年のグジャラート暴動を扱った「Parzania」(2007年)、路上の乞食や物売りを絶妙のバランスと共に描写した「Traffic Signal」(2007年)と、最近ヒンディー語映画界では異色の社会派映画が立て続けに公開されている。2月9日には、扱うテーマの際どさから公開が1年以上停止されていた曰くつきの映画「Black Friday」が公開された。この映画は、1993年3月12日にボンベイ(現在のムンバイー)で発生した連続爆破テロの真実に迫った映画である。フサイン・ザイディー著の「Black Friday: The True Story of the Bombay Bomb Blasts」が原作。一旦は2005年12月29日に公開されることが決定されたが、公判中のボンベイ連続爆破テロの裁判に影響を与える恐れがあるとの理由から公開が延期された。2006年9月12日に主要容疑者の裁判が結審されたことから、「Black Friday」の公開にもゴーサインが出たようだ。

監督:アヌラーグ・カシヤプ
制作:アルジュン・バッガー、アリンダム・ミトラー
原作:フサイン・ザイディー
音楽:インディアン・オーシャン
歌詞:ピーユーシュ・ミシュラー
出演:ケー・ケー・メーナン、パヴァン・マロートラー、アーディティヤ・シュリーヴァースタヴァ、キショール・カダム、ガジラージ・ラーオ、ザーキル・フサイン、ディビエーンドゥ・バッターチャーリヤなど
備考:PVRアヌパム4で鑑賞。

 1992年12月6日、ウッタル・プラデーシュ州アヨーディヤーのバーブリー・マスジドがヒンドゥー教過激分子たちによって破壊された。それを受け、ボンベイでは同12月と翌1993年1月にヒンドゥーとムスリムの間でコミュナル暴動が発生し、双方に多くの犠牲者が出る。ボンベイのマフィア、タイガー・メーモーン(パヴァン・マロートラー)のオフィスもこのとき放火される。ダーウード・イブラーヒームはムスリムのマフィアたちを集めてドバイで会合を開き、ヒンドゥー教徒に報復するための大規模な無差別テロを計画する。その場にはパーキスターンの諜報機関ISIの姿もあった。

 タイガー・メーモーンはテロ実行班を形成し、ドバイ経由でパーキスターンに送って訓練を施す。その中には、バードシャー・カーン(アーディティヤ・シュリーヴァースタヴァ)の姿もあった。ボンベイに戻った実行班は、密輸されたRDXを使って爆弾を作る。

 運命の1993年3月12日金曜日、ボンベイ市内12ヶ所で連続爆発が起き、257人が死亡、713人が負傷する。ラーケーシュ・マーリヤー(ケー・ケー・メーナン)警視総監補が事件の捜査に着手する。3月14日、まずはタイガー・メーモーンのマネージャー、アスガル・ムカッダムが逮捕される。そこから芋づる式に実行犯が逮捕されて行く。

 バードシャー・カーンはデリーに潜伏していたが、タイガー・メーモーンの指示に従い、居場所を頻繁に変え、ラームプル、ジャイプル、トーンク、再びジャイプル、デリー、カルカッタと転々とする。次第にタイガー・メーモーンに騙されたことに気付き出したバードシャーは、自首することも考え出す。最後にラームプルに戻って来たバードシャーは警察に逮捕される。

 ラーケーシュの「今回アッラーは我々の側にいる。もしお前たちの側にいるなら、お前たちは逮捕すらされていないはずだ」という言葉に感化されたバードシャーは、事件の全貌を自白し始める。だが、連続爆破テロの1日前にドバイへ発ったタイガー・メーモーンの行方は今でも分かっていない。

 迫真の映像と絶妙の編集により、全体に緊張感が張り詰めるパワフルな作品だった。これほどリアルさに執着しながら物語として面白く仕上がったインド映画は今まで見たことがない。2年前の映画であるにも関わらず、今見ても全く遜色はない。比較の対象になる映画が他にないからだ。突然変異的な映画ではあるが、インド映画の最高峰のひとつに挙げられてもおかしくない作品である。

 「Black Friday」の魅力は、ひとつひとつが徹底的にリアルなことである。この映画に、ハンサム男優も美人女優も活躍の場はない。そこにはただ、有りのままのボンベイがあった。警察もマフィアも、ヒーロー化も風刺もされておらず、ただそのまま警察、そのままのマフィアの姿が映し出される。街に水を供給する巨大水道管の上に寄生虫のように立ち並ぶスラム街もそのまま描写されるし、爆発後の惨状も容赦なく観客に叩きつけられる。それでいて、連続爆破テロが計画、実行される過程が、ドキュメンタリー映画的な退屈な見せ方ではなく、まるでパズルのピースをゆっくりとひとつひとつ当てはめていくように、観客の好奇心を捕えて離さない巧みな方法で映像化・作品化されていた。警察から逃げ回る実行犯たちの心理までもがリアルに描写されていた。

 そして、映画の冒頭と最後に挿入されるマハートマー・ガーンディーの言葉。これがこの映画をひとつに集約し、見る者全てに強烈なメッセージを投げ掛けていた。「目には目を、それが世界を盲目にした。」

 さらに、「Black Friday」では2人の実在の政治家の実名が挙げられている。シヴセーナーの創始者バール・タークレーと、インド人民党(BJP)のリーダー、ラール・クリシュナ・アードヴァーニーである。映画の終盤でボンベイのイスラーム教徒マフィアたちがヒンドゥー教徒への報復を計画するシーンがあるが、その中でまずはタークレーとアードヴァーニーの暗殺案が出される。だが、タイガー・メーモーンは「そんなことをしたら2人はヒンドゥー教徒によって神に祭り上げられ、かえってヒンドゥー教徒の団結が増し、インドのイスラーム教徒の境遇はさらにみじめなものになる」と述べ、計画はボンベイの機能を麻痺させることを目的とした無差別テロへと移って行くのである。

 映画の白眉は、バードシャー・カーンのテロ参加から逃亡、逮捕から自白までのシークエンスである。バードシャー・カーンはタイガー・メーモーンの一味に加わり、ヒンドゥー教徒への憎悪を駆り立てられ、パーキスターンで訓練を受けてテロに参加する。テロ後はデリーに潜伏するが、タイガー・メーモーンの指示に従い、警察の手から逃れるために北インド中を転々とする。彼が行った場所は、デリー、ウッタル・プラデーシュ州の故郷ラームプル、ラージャスターン州のジャイプル、トーンク、西ベンガル州のカルカッタなどである。その内、彼の心には次第に変化が生まれて来る。まず、故郷の叔父(イスラーム教徒)の口から、ボンベイ連続爆破テロに関して「ヒンドゥーを大量殺戮するなんて、よくないことが起こったものだ」という言葉を聞いたときからバードシャー・カーンの心には動揺が生まれる。彼はドバイへ高飛びするつもりでいたが、タイガー・メーモーンが彼のパスポートを燃やしてしまったことを知り、タイガーに対する不信感も生じてくる。あちこち移動する内に彼の所持金は減って行き、とうとう場末の安宿に泊まらざるをえなくなる。途中、彼は警察に自首することも考えていた。最後に憔悴し切って故郷ラームプルへ戻ったバードシャー・カーンは、あえなく警察に捕まってしまう。尋問室に連行されたバードシャー・カーンは、当初タイガー・メーモーンから刷り込まれた「ジハード」理論を展開するが、ラーケーシュ・マーリヤー警視総監補の「今回アッラーは我々の側にいる。もしお前たちの側にいるなら、お前たちは逮捕すらされていないはずだ」という言葉が胸に突き刺さり、最後には自白をし始める。

 だが、この映画で疑問に思ったのは、事件の捜査がほとんど内偵によって行われていたことである。警察は情報収集にはほとんど直接タッチしておらず、あちこちに内偵を張り巡らせていただけであった。そして映画は内偵たちのタレコミによって展開していく。警察がやっていたことと言えば、内偵の情報に従って容疑者の隠れ場所まで出向いて逮捕し、署で彼らを拷問しただけであった。もちろん、実際の事件の捜査がそのように進んだのだろう。だが、そのおかげで、探偵映画のような、推理を緻密に積み重ねていくサスペンスは、「Black Friday」にはない。それでも観客を飽きさせない展開を実現しているのは、ひとえに編集の巧みさのおかげであろう。

 また、映画で描写されていたことが「真実」として宣伝されていたことにも少なからぬ危うさを感じた。綿密な調査に基づいて作品化したのであろうが、それをもってして完全なる「真実」にしてしまっていいのか、疑問である。多くの実名が挙がっていたことも、その疑問に拍車をかける。それゆえに映画の公開が延期されたのだろうが、映画は影響力の強いメディアであるため、こういう手法が今後悪用されることもないとは言えない。

 俳優たちは皆、素晴らしい演技をしていた。中でもタイガー・メーモーンを演じたパヴァン・マロートラー、バードシャー・カーンを演じたアーディティヤ・シュリーヴァースタヴァが最も印象的であった。ケー・ケー・メーナンも好演していた。

 音楽はインドのフュージョン・バンド、インディアン・オーシャン。一般のインド映画のようにダンスシーンが入ることは一切ないが、スーフィー音楽風の「Bharam Bhap Ke」が秀逸だった。その他にもBGMが効果的に使われていた。

 「Black Friday」は、ヒンディー語映画界に突如として出現した突然変異的傑作。メインストリームの大衆娯楽映画とは全く趣を異にした映画なので、通常のインド娯楽映画ファンは観ても楽しくないかもしれない。シリアスな社会派映画好みの人にオススメだ。